『チェルノブイリ』の大事故から、25年。
『フクシマ』に重ねて多いに話題になっているが、その陰に「国家から見捨てられた」町で、今までずっと汚染された生活を続けている、四万人の人々がいる。
4月24/25日付け『ル・モンド』紙<署名記事>よりの翻訳転載。
《転載開始》
『汚染された25年の人生』
「ノヴォズィブコフ」は、1986年4月26日に爆発したチェルノブイリ原発から、200キロにある。
その日、雨が「永久に残る」放射能をもたらした。
一切何の規制も無く、汚染された森の茸を、普通に露店で売る近郊の農民
1986年5月1日『プロレタリアの祭典(メーデー)』の行進と、周辺地域の花咲く美しい緑に、雨が振りそそいだ。
こうして、200キロメートル離れた、ウクライナの『チェルノブイリ』原発4号基から吐き出された放射性の猛毒がもたらした、それから四分の一世紀に及ぶ、汚染が始まった。
セシウム137の汚染濃度地図をみると、1986年4月26日当日の天候の状況により、名称は(筆者注:チェルノブイリ)一つであるが、三か国にまたがる事故の記憶を、思い起こす事が出来る。
セシウム137の(平米あたりのキロベクテル)汚染図
黄色:40から99/薄オレンジ:200~599
オレンジ:600~1480/赤:1480以上
ソヴィエト連邦崩壊後に確定したこの地方では、風が「チェルノブイリ原発」の有るウクライナ共和国には比較的有利に働き、放射性物質の70%を『ベラルーシ共和国側』にもたらし、残りが『ロシア共和国』へと流された。
さらに、<雨>の気まぐれが、『ノヴォズィブコフ』の町に、最も酷い<汚染>の足跡を残す事となった。
この辺りは、モスクワから最も遠く離れ、「国に見放されている」という流言が、25年来広く信じられている。
当時は、首都モスクワへの汚染を食い止めるため、『ソ連空軍』が出動して「降雨剤」散布作戦を行ったと、信じられている。
「差別感」を抱く住民の心理状態を理解するには、古びて、汚れ放題の「原色」に塗られた建物の並ぶ、荒れ果てた通りを歩いてみるだけで、充分である。
原発事故以来、この町は「呪われ」てしまったのだ。
チェルノブイリ周辺の、ジャーナリストや見物人達が詰めかける「立ち入り禁止区域」の嫌悪感を、しかしこの町は感じさせない。
ただただ総てにおいて、「知らされるのが遅過ぎた」と言う感情しか残されていない。
放射能の雨が降り、有害な水が周辺の森を洗い、通りを流れ、総てを汚染した、何週間も後になって、住民達はやっとその事実を知らされる。
その地方で最も人口の多い町の、4万人が汚染されたという、悪魔の様な記録を打ち立てた後に。
原発周囲の「立ち入り禁止区域」も含めて、現在でも平米あたり1000キロベクレルを越える検査値もでる、『ノヴォディブコフ』は、最も汚染された場所の一つに挙げられる。
ウクライナとベラルーシの他の町や村と同じ様に、『ノヴォズィブコフ』は、住民避難をするべきであったし、出来る筈であった。
手段の欠如の為に、その決定はついに為されなかった。
知らされた後も、多くの住民は残った。
出て行った者達も、多くがその後戻って来た。
他の土地に行っても、職はなく、友も無く、ルーツも無かったから。
そして、「退去地区」に住む事による、多少のメリットも有るのだ。
年金支給年齢(退職年齢)が、女性で45歳、男は50歳と認められている。
子弟の「モスクワ」の大学への優先入学権もある。
立ち去りたい場合は、土地を国家が買い上げる事も約束されている。
しかし他方で、この「汚染された25年」の生活には、マイナスも多い。
一連の病気の罹患率のリストは、決して希望をもたらす物では無い。
事故以前には4例しかなかった「(チフス性)腸癌」が、事故後は毎年平均18例、観察される様になった。
現在、町には患者が250名を数える。
これは、他の地方の平均の4倍以上に当たる。
この癌は、ヨウ素131によって引き起こされる事が解っている。
ヨウ素131は、汚染されて2ヶ月で消滅するにも拘らずにである。
(筆者注:25年経った今でも、ヨウ素131が輩出され続けている、と言う事か?)
その他の病気も多い。
特に「子供達」が病気になる割合は、県内の他の地域の倍である。
これらの数字は、ソ連崩消滅の「保健医療システム」の崩壊の混乱期に、正しく検診されにくかった結果の数字であろうか?
それとも、半減期30年の『セシウム137』の影響による物なのか。
現地の公立病院長によれば。
「ソ連崩壊とロシア政府樹立に際して、町の通りはアスファルト鋪装され、汚染されている森の木をまきに使う事で放射能画放出される事が無い様に、総ての住宅にガスが引かれました。」
「その後、15年以上一切のメンテナンスは行われていません」
「道路の破損率は200%にも昇る程です。車が巻き上げる誇りの両をみれば解ります」
ここ『ノヴォジィブコフ』の住民たちが、それらのホコリを吸い込まないとしても、セシウムの経口摂取が深刻なのだ。
公式には、市場に出る食肉は「検疫機関」による検査が必要で有る事になっている。
特に』ベラルーシ』産の食肉は、クオリティーが高いと評価されて、ロシア国内には多くが輸入されている。
しかし、地域住民達に取って、正規の検査が為されているか否か、問題にはならないのが現実である。
特に、汚染されている「野生の茸」は缶詰めになり、周辺河川で取れる川魚は、全く検査される事なく流通している。
厳しい経済環境の悪化は、購買者にそのような事にこだわる余裕を無くさせ、販売者側も、「生きる糧」を得る為には何でも売る、という事になる。
事故以前と同じように、彼等の周囲の森や畑、小川は、今でも食料を供給し続けている。
ノヴォジィフコフ周辺の集落の人々は、何も隠そうとしたりし無い。
ベルラーシ国境から来て、町を横断する道路には、汚染地域へ立ち入る事への警告等も、一切為されていない。
退避地域内に住む有る住人は、1990年代にカザフスタンから来て、汚染後に住民が立ち去り放置されていた土地に家族で住んで居る。
「茸ですか?採りますよ。瓶詰めにして、食べたり売っています」
「ここでは、何もかも汚染を怖がっていたら住んでいられません」
その隣人は、もう少し注意深かった。
「私は缶詰の養殖マッシュルームしか食べません」
「自分で畑をやってますが、検査官が汚染度は少ないと言ってくれています」
「牛は汚染度の高い野原には出しません」
「そして、除染の為に<緑茶>を飲んでますよ!」
と大笑いしながら語ってくれた。
しかし、そのおおらかな態度は、自分と夫の健康を心配する事の妨げにはならない。。
「この辺りの男達は、心臓疾患を持つ者がとても多いのです」
「ウオッカは何の役にも立ってないわね!」
「安全な場所に移る?」
この女性は、それを望んだ事も有ったと言う。
しかし、家と土地を国が買い上げてくれる事に、懐疑的なのだ。
「ここには『法律』は有りますよ。でもそれを施行するやり方は、役人次第だから」
【ル・モンド/ジェローム・フノグリオ記者】
《翻訳転載終了》
『フクシマ』に重ねて多いに話題になっているが、その陰に「国家から見捨てられた」町で、今までずっと汚染された生活を続けている、四万人の人々がいる。
4月24/25日付け『ル・モンド』紙<署名記事>よりの翻訳転載。
《転載開始》
『汚染された25年の人生』
「ノヴォズィブコフ」は、1986年4月26日に爆発したチェルノブイリ原発から、200キロにある。
その日、雨が「永久に残る」放射能をもたらした。
一切何の規制も無く、汚染された森の茸を、普通に露店で売る近郊の農民
1986年5月1日『プロレタリアの祭典(メーデー)』の行進と、周辺地域の花咲く美しい緑に、雨が振りそそいだ。
こうして、200キロメートル離れた、ウクライナの『チェルノブイリ』原発4号基から吐き出された放射性の猛毒がもたらした、それから四分の一世紀に及ぶ、汚染が始まった。
セシウム137の汚染濃度地図をみると、1986年4月26日当日の天候の状況により、名称は(筆者注:チェルノブイリ)一つであるが、三か国にまたがる事故の記憶を、思い起こす事が出来る。
セシウム137の(平米あたりのキロベクテル)汚染図
黄色:40から99/薄オレンジ:200~599
オレンジ:600~1480/赤:1480以上
ソヴィエト連邦崩壊後に確定したこの地方では、風が「チェルノブイリ原発」の有るウクライナ共和国には比較的有利に働き、放射性物質の70%を『ベラルーシ共和国側』にもたらし、残りが『ロシア共和国』へと流された。
さらに、<雨>の気まぐれが、『ノヴォズィブコフ』の町に、最も酷い<汚染>の足跡を残す事となった。
この辺りは、モスクワから最も遠く離れ、「国に見放されている」という流言が、25年来広く信じられている。
当時は、首都モスクワへの汚染を食い止めるため、『ソ連空軍』が出動して「降雨剤」散布作戦を行ったと、信じられている。
「差別感」を抱く住民の心理状態を理解するには、古びて、汚れ放題の「原色」に塗られた建物の並ぶ、荒れ果てた通りを歩いてみるだけで、充分である。
原発事故以来、この町は「呪われ」てしまったのだ。
チェルノブイリ周辺の、ジャーナリストや見物人達が詰めかける「立ち入り禁止区域」の嫌悪感を、しかしこの町は感じさせない。
ただただ総てにおいて、「知らされるのが遅過ぎた」と言う感情しか残されていない。
放射能の雨が降り、有害な水が周辺の森を洗い、通りを流れ、総てを汚染した、何週間も後になって、住民達はやっとその事実を知らされる。
その地方で最も人口の多い町の、4万人が汚染されたという、悪魔の様な記録を打ち立てた後に。
原発周囲の「立ち入り禁止区域」も含めて、現在でも平米あたり1000キロベクレルを越える検査値もでる、『ノヴォディブコフ』は、最も汚染された場所の一つに挙げられる。
ウクライナとベラルーシの他の町や村と同じ様に、『ノヴォズィブコフ』は、住民避難をするべきであったし、出来る筈であった。
手段の欠如の為に、その決定はついに為されなかった。
知らされた後も、多くの住民は残った。
出て行った者達も、多くがその後戻って来た。
他の土地に行っても、職はなく、友も無く、ルーツも無かったから。
そして、「退去地区」に住む事による、多少のメリットも有るのだ。
年金支給年齢(退職年齢)が、女性で45歳、男は50歳と認められている。
子弟の「モスクワ」の大学への優先入学権もある。
立ち去りたい場合は、土地を国家が買い上げる事も約束されている。
しかし他方で、この「汚染された25年」の生活には、マイナスも多い。
一連の病気の罹患率のリストは、決して希望をもたらす物では無い。
事故以前には4例しかなかった「(チフス性)腸癌」が、事故後は毎年平均18例、観察される様になった。
現在、町には患者が250名を数える。
これは、他の地方の平均の4倍以上に当たる。
この癌は、ヨウ素131によって引き起こされる事が解っている。
ヨウ素131は、汚染されて2ヶ月で消滅するにも拘らずにである。
(筆者注:25年経った今でも、ヨウ素131が輩出され続けている、と言う事か?)
その他の病気も多い。
特に「子供達」が病気になる割合は、県内の他の地域の倍である。
これらの数字は、ソ連崩消滅の「保健医療システム」の崩壊の混乱期に、正しく検診されにくかった結果の数字であろうか?
それとも、半減期30年の『セシウム137』の影響による物なのか。
現地の公立病院長によれば。
「ソ連崩壊とロシア政府樹立に際して、町の通りはアスファルト鋪装され、汚染されている森の木をまきに使う事で放射能画放出される事が無い様に、総ての住宅にガスが引かれました。」
「その後、15年以上一切のメンテナンスは行われていません」
「道路の破損率は200%にも昇る程です。車が巻き上げる誇りの両をみれば解ります」
ここ『ノヴォジィブコフ』の住民たちが、それらのホコリを吸い込まないとしても、セシウムの経口摂取が深刻なのだ。
公式には、市場に出る食肉は「検疫機関」による検査が必要で有る事になっている。
特に』ベラルーシ』産の食肉は、クオリティーが高いと評価されて、ロシア国内には多くが輸入されている。
しかし、地域住民達に取って、正規の検査が為されているか否か、問題にはならないのが現実である。
特に、汚染されている「野生の茸」は缶詰めになり、周辺河川で取れる川魚は、全く検査される事なく流通している。
厳しい経済環境の悪化は、購買者にそのような事にこだわる余裕を無くさせ、販売者側も、「生きる糧」を得る為には何でも売る、という事になる。
事故以前と同じように、彼等の周囲の森や畑、小川は、今でも食料を供給し続けている。
ノヴォジィフコフ周辺の集落の人々は、何も隠そうとしたりし無い。
ベルラーシ国境から来て、町を横断する道路には、汚染地域へ立ち入る事への警告等も、一切為されていない。
退避地域内に住む有る住人は、1990年代にカザフスタンから来て、汚染後に住民が立ち去り放置されていた土地に家族で住んで居る。
「茸ですか?採りますよ。瓶詰めにして、食べたり売っています」
「ここでは、何もかも汚染を怖がっていたら住んでいられません」
その隣人は、もう少し注意深かった。
「私は缶詰の養殖マッシュルームしか食べません」
「自分で畑をやってますが、検査官が汚染度は少ないと言ってくれています」
「牛は汚染度の高い野原には出しません」
「そして、除染の為に<緑茶>を飲んでますよ!」
と大笑いしながら語ってくれた。
しかし、そのおおらかな態度は、自分と夫の健康を心配する事の妨げにはならない。。
「この辺りの男達は、心臓疾患を持つ者がとても多いのです」
「ウオッカは何の役にも立ってないわね!」
「安全な場所に移る?」
この女性は、それを望んだ事も有ったと言う。
しかし、家と土地を国が買い上げてくれる事に、懐疑的なのだ。
「ここには『法律』は有りますよ。でもそれを施行するやり方は、役人次第だから」
【ル・モンド/ジェローム・フノグリオ記者】
《翻訳転載終了》
これは痛烈な皮肉ですね。
とある著名なブログで福島の原発事故は事故そのものもさることながら、
事故に至るまでの背景や構図がチェルノブイリひいては旧ソ連の官僚がはびこる国の姿と変わらないと指摘していました。
日本の法律って誰のためにあるんでしょうか・・・。
衛生環境の悪化や、貧困が事態を悪化させている側面もあるのではないでしょうか。
>これは痛烈な皮肉ですね。
世界中、何処ででも当てはまりますよね。
特に日本は。
法律は紙切れ。
執行は人間。
日本の法律は、霞ヶ関の為に有る様に思えます。
>ヨウ素131と関係あると言う話はどこから
訳を省略しましたが、現地の医学と汚染被害児童の救援組織の人の言葉でした。
>衛生環境の悪化や、貧困が事態を悪化させている側面もあるのではないでしょうか。
恐らくその通りだと思います。
添付写真の女性の後ろは、どぶです。
土も水も汚染されたまま、なのでしょうから。。。