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路面電車の復権著しいヨーロッパ / 日本は後退? <次世代型の路面電車、堺市が中止申し入れ>

2009-11-05 21:04:15 | 社会問題
数日前リヨンの町で、<大リヨン都市圏広域公共交通機関>の開発公団にいってお話を伺う機会が有りました。

その席で、地方都市に置ける公共交通機関<メトロ/バス/路面電車/トロリーバス>の布設と、管理、コーディネーションと拡張計画に関しての、周辺自治体を伴っての市民生活と環境整備、財政的諸問題にかかわる興味深いお話が聞けたのですが。。

     
     <フランスの路面電車はエコロジーにもこだわって、軌道に<芝生>を敷き詰めてある事が多い>


そして、その直後、偶然な事に、日本での<路面電車>に対する面白い記事を見つけたのです。
以下に、その記事の抜粋を引用しましょう。

▶次世代型の路面電車、堺市が中止申し入れ【読売新聞電子版】

>堺市が、南海電鉄と阪堺電気軌道に対し、両社による市中心部での運行を計画していたLRT(次世代型路面電車)整備の中止を申し入れたことがわかった。

>中止を公約に掲げて初当選した竹山修身市長が10月に就任して以後、市が関係機関に中止を表明したのは初めて。LRTが本格導入されれば、全国の自治体で富山市に次ぐ2番目、大都市では初の先進的な施策だったが、白紙に戻ったかたち。

>計画では、今年度内の着工を目指し、市が南海高野線堺東駅―同本線堺駅(1・7キロ)を新設、阪堺線浜寺駅前―我孫子道(7・9キロ)の施設も譲り受けて改修し、低床の新車を導入。2社が施設などや車両を賃借して運行する予定だった。

>しかし、新設区間では、2車線の市道が一方通行の1車線に減ることなどから、沿線住民らが反発していた。
(引用終り)



実は、この反対理由が、逆にリヨンの場合、路面電車の路線拡大の<大きな原動力>なっていたのです。



ヨーロッパでは、大戦後の<車社会>の到来に伴って、それまで親しまれていた路面電車が、どんどん廃止されて行きました。

この辺の事情は、日本も同じ様な傾向に有ったと思います。

その後も、スイス、ドイツ、ベルギー、オランダ等、主に<ゲルマン系>諸国では、常に変わらぬ市民の交通手段になっていました。

その路面電車が、21世紀を迎える前後から、石油ショック以来収まらない原油高と、都市機能を麻痺させる<交通渋滞>との理由により、又復権著しい傾向に有ります。

フランスの例を以下にあげてみましょう。

現在<稼働中>の路面電車を持つ町は、以下の通りです。

▷カン         :1901年開設~1939年廃止/2002年復活~:2路線16キロ
★クレルモン・フェラン :2006年新設以来~:1路線15キロ
▷ボルドー       :1880年開設~1959年廃止/2003年復活~:3路線44キロ
▷グルノーブル     :1894年開設~1952年廃止/1989年復活~:4路線37キロ
▷パリ首都圏      :1959年最後のヴェルサイユの廃止/1992年復活~:4路線36キロ
◀リル         :1909年開設以来~:2路線36キロ
▷リヨン        :1989年開設~1959年廃止/2001年復活~:4路線45キロ
▷ル・マン       :1897年開設~1947年廃止/2007年復活~:2路線16キロ
▶マルセイユ      :1893年開設以来~:3路線14キロ
▷モンプリエ      :1897年開設~1949年廃止/2000年復活~:2路線36キロ
▷ミュルーズ      :1880年開設~1956年廃止/2006年復活~:2路線12キロ
◀ナンシー       :2007年新設(ゴムタイヤ車両)~:1路線11キロ
▷ナント        :1879年開設~1953年廃止/1985年復活~:3路線44キロ
▷ニース        :1879年開設~1953年廃止/1985年復活~:1路線9キロ
▷オルレアン      :1877年開設~1938年廃止/2000年復活~:1路線18キロ
▷ルーアン       :1877年開設~1953年廃止/1994年復活~:2路線18キロ
▶サン・テティエンヌ  :1881年開設以来~:2路線12キロ
▷ストラスブール    :1878年開設~1960年廃止/1994年復活~:5路線53キロ
▷ヴァランシエンヌ   :1881年開設~1996年廃止/2006年復活~:1路線19キロ

その他、新規8都市を含み34路線が工事中。

ヨーロッパは、旧市街は道はばも狭く、曲がりくねった街路も多い事が、先ず前提となります。
そして、それら<旧市街>は主として<商店街>を含む、市役所等を持つ町の中心である事が多く、しかも<観光>的にも旧跡の多い、中心スポットである事がほとんどです。

そういった条件の街区に<路面電車>を走らせる、と言う事は、必然的に<車道>が犠牲になります。

ドイツや、オランダ、ベルギー等では、電車が通行中でなければ、軌道内の車両の走行が可能な、両者共存している例が多々見られますが、フランスは車と電車は完全に分離するのが原則の様です。

その発想はと言うと、交通渋滞の緩和=車の使用を押さえる、と言う点に尽きるのです。

市民達に、なるべく車の使用を止めて、<公共交通機関>を使ってもらう方向を目指す。



所で、今回の興味深い点は、リヨンと言うマルセイユと並んでフランス第2の都会で、都市機能を麻痺させる車の数を減らす事は、都会生活の存続に関わる、重要事項であり、その事への対処の仕方が素晴らしい、と言う事なのです。

リヨンの担当責任者(公団副総裁にして財務部長)の説明。

「その路線を開設すると、歩道の幅を変えず、自転車専用レーンも残せば片側1車線、場所に依っては一方通行の1車線になってしまいました。そして、その<通り>は、ショッピング・ストリートだったので、沿線の店舗は当然<路面電車>導入に反対しました」

ここまでは、まさに<堺市>のケースと同じです。
違っていたのは、ここから先。

「私たちは、厳密な調査の結果、その通りを通る車の大半は、その通りに用があってくる人々ではなく、他の目的地に向かう為に、<ただ通り抜ける>だけの人達だった事が判明しました。」

「この事を通りの住民、商店主達に説明しました。」

『つまり、直接その地区に利益をもたらす事無く、排気ガスや騒音をまき散らし、渋滞を引き起こす<車>を閉め出して、路面電車を引き停留所を上手く配分すれば、<本当に用の有る人達>は路面電車で来る。必然的に町内はより静かで安全になり、買い物客もさらに増えるであろう』という判断なのです。

その分析と予測とを、通りの住人達は納得して、電車の布設に賛成したそうです。


要するに、<公共事業とはかく有るべき>という見本の様なケースだと思いました。

霞ヶ関の官僚達に、<ツメの垢>を煎じて飲ませてやりたくなった体験でした。

ちなみにリヨンの旧市街には、珍しい<トロリーバス>も6路線走っています。

     
     <トロリーバスなので、軌道は無く、電線からパンタグラフで電気を受け取りながら走るバスなのです>

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1 コメント

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欧州トラム復権 (シェー、ミーはお仏蘭西帰りざんす)
2009-11-25 20:13:31
日本は、ライトレールと言うと「チンチン電車」のイメージしか無いから、復権は難しい。
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