晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

フランス人の理屈っぽさはデカルト譲り。。。こんな国の大統領は大変だ / 翻って日本は?

2010-05-08 07:51:10 | フランスと日本の文化比較
フランス人に関する、面白い記事にであった。


フランス・ロイター電5月6日によると。

市場調査専門会社も調査によると、93%以上のフランス人が「フランス人は良く文句を言う」と答えたそうです。


いやはや、<自他ともに認める>というやつですね。


考えてみると、フランスは<近代哲学>と<現代哲学>に、多いなる貢献をして来たのでした。

17世紀以降の哲学者達のリストはそうそうたる顔ぶれが並んでいる。

そして、デカルトから始まって、20世紀のサルトルやミッシェル・フーコーに至るまでの、殆どの<哲学者>達は、「感覚」や「知覚」に重きを置いて、真理の有りようを見つめて思索して来た。


ドイツ哲学のごとく、大学教授たる哲学者が教壇の上から、アカデミスムの土俵の上での<体系化>にこだわり続けた訳では無く、フランスでは、市井の一ブルジョワ市民である「貴族」やら「聖職者」やら「政治家」やら「教師」やら「作家」であったりする人物達が、自己の内面の直視によって、思想の方法論が探求されて来た。

しかも、<哲学の為の哲学>と言った趣の、ドイツ的「形而上的体系化」ではない。


パスカルが天才<数学者>で且つ偉大なる<物理学者>であった様に、ダランベールも、ロッシュフーコーも、コンドルセも、ラ・メトリも、20世紀のポアンカレまでもが、<数学者><医者><物理学者><生理学者>など、自然科学の上での業績を上げて地位を築いた後に、その科学的思考を持って、<実証科学的>に思想体系を紡ぎ上げて行った。

その点も、ドイツ哲学との大きな違いである。


デカルトによってもたらされる、<理念>や<知性>の明晰性を持って<真理認識>の基準とする近代思想の歩みは、「明晰でないものはフランス的でない」といわれるように、これはフランス的精神の本質的な特徴を形づくる。



固い話はもう止めにして、要するにフランス人は常に<理屈>を紡ぎ続けている人種なのです。


いつか拙ブログに書いたが、高校生活の最後を締めくくる、一週間続く全国高校卒業資格『バカロレア』試験の第一日目が『哲学』!

与えられたテーマに沿って、5時間で論文を書く。

18歳でですよ。

これが出来なければ、高校終了と見なされない訳です。


「我思う、故に我有り」

つまり、<知覚>無くして、人格無し。

逆に言うと、思考するからこそ<人間>なのですね。

そして、人間である限りは、分析的で現実主義的であらねばならない。



こんな人達が、<理屈っぽく>無い訳が無いです。



通りを歩く誰にマイクを向けてインタヴューしても、ちゃんと分析的答えが返って来るのです。

その答えが正しいか正しくないかは、別としても。

魚屋さんのご主人であろうと、女子高校生であろうと、ホームレスのオジサンであろうと、政権に対する評価も、ちゃんと自分なりの意見を持っていて、それを<滔々と>語る。


「わかりません」
「自分には関係ないっス」
「ええ~ちょっと。。。」

日本では珍しくもない、<答えになっていない答え>には、決して出あわないのです。


しかも彼らは、<自分の意見>は<自らの分析>によってしっかりと導き出しているのです。


日本の様に、朝見た<みのもんた>の意見が、そのまま大多数のおばちゃん達の口をついて出て来る、と言う様な現象は決して無い。



こういう環境と土壌とでもまれているフランスの政治家は、一筋縄では行かない。



現在のフランスの大統領<ニコラ・サルコジー>の政策に、国民の70%以上が反対を表明しています。


何処やらの首相の支持率とどっこいどっこいです。


国民の間では、現与党の支持者達の間ですら、「サルコジー氏の2期目の出馬は止める様に」と言う意見が大勢を占めている。


だからと言って、与党代議士が<反大統領>的発言などはしないのですね。


どんなに国民が否定している政策であろうと、それが政府の公式な政策である以上、全員が肯定的発言しかしない。

説得力溢れる<大統領をサポートする発言>しかしない。

与党内では、次期大統領選への対立候補の動きも有るものの、今に時点で<利敵発言>等絶対にしない。
(選挙が近づいてくれば別ですが)


ここが、日本と決定的に違う所です。


自民党時代も、民主党政権下でも、政府の支持率が下落し始めると、必ず党内から<分裂行為>の動きが出て来る。


これは、節操がないのか。
それとも、政治的に幼いのか。


おそらくは、夫々の議員達が、政治家としての『哲学』を持っていないのが理由であろう。


上は内閣の主要閣僚から、下は30歳代の一年生議員まで、我も我もとマスコミの前で、平気で自らの党首を否定する如き発言をする。


しかもそいつらが、東大卒やら京大卒だと来ているから、日本の教育水準に疑問符を付けざるを得ない。


日本の教育の決定的な欠陥は、<思考力>の促進には何ら貢献しない、と言う事につきる。



単に<正解>を導きだす能力(=偏差値)の養成だけが目的の<日本型教育>にこだわり続けていると、この国の将来は無いと言っても過言では無いのでは無いか。

繰り返して来たが、世の中には<正解の有る命題>など、ほとんど無い。


確たる正解などない諸問題に対峙する際には、分析力と思考力が養われていないと、最良の解決手段など見つけられないのである。



フランス人の<理屈っぽさ>に学ぼう。

精神の動きを知覚する発想方法を、学ばなければならない。
そこから、物事の<正しい>見方に導かれ、正しい<分析>が行える様になるのだ。

そして、そのような思考体系を養う事によって、良い意味での<社会の主張>もなされ得る様になろう。


<同人誌の如きマスコミ>の宣伝文に洗脳される事も無くなろう。


他人の意見に惑わされずに、国家百年の計を見誤らないだけの思考力を、身につけなければならない時である。


将来の子供達の為にも。


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2 コメント

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Unknown (348ts)
2010-05-08 12:52:43
なるほどですね。
哲学を紡ぎだす、ですか。
フランス人と現地語でガッツリ議論できたら楽しそうですね。
日本だと、文句や批判をいうことが見苦しいとか、潔くないとか、妙な風潮があるのが不思議です。
私など批判を言うことがある意味商売なような者なので、私生活で同じような感覚でいると、どうでもいいことで家内と激しい論戦になったりします。

しかし、日本の教育は惨憺たるものです。
予め用意された正解をいかに効率的に覚えるかが高偏差値に結びつき、そのマスターがエリートとして社会に君臨する仕組みでは、どこかの国を追いかける時には極めて有効かもしれません。
しかし、低成長でドツボにはまって、人類が経験もしたことのないような異常な経済状況に追い込まれたときには何も有効な答えを用意できません。
政治家・官僚を見ていてふがいなく思うのはそういったことが根本原因でしょう。

未開のジャングルを切り開いていくたきには、地図もコンパスもありません。
誰かが作った道を上手に進むこととは大違いです。

そう考えると日本の未来は暗いです。
教育の実質荒廃はいますぐ修正しても、効果が出るのは30年ぐらい必要でしょう。
しかも、オールドタイプの上司がたくさんいるのですから、実際に機能するにはもっとかかるでしょう。

ま、いままでの東大至上主義を見直せない国民ですから、まず教育を修正しようなんて気付かないでしょう。
大学進学率が教育の充実度だという作為的な誘導がなされる一方で、名前さえ書けば入れる大学が乱造される実態がある。
みんなが仲良く取得できる形ばかりの学士に何の価値があるでしょうか・・・

時々パリさん。フランスの大学制度はどうですか?みんなが大学を目指しますか?職業教育はいつ選択させますか?
ご存知でしたら教えてください。
348ts様。 (時々パリ)
2010-05-09 01:33:33
お久しぶりです。コメントありがとう御座いました。
フランス人とフランス語でガッツリ議論するには、相当の積極性と知識の裏付けとがひつようですよ。
テレビの討論番組なんて、全員が相手の言う事を聞かずに発言していて、最後に説得力が有る方(声の多き方?)が相手を言い負かすのですから。
フランスの教育制度については、改めて書こうと思います。
(凄いですよ!)

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