晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

2017年5月14日、フランスの新大統領就任

2017-05-14 13:05:14 | フランスとヨーロッパの今日の姿
全くつまらなかった、何もやらず、なにもやれなかった『フランソワ・オーランド大統領』の最後の日がやってきた。


大統領府『エリゼー宮』(大統領府)では、去る人を送り、来る人を迎える儀式が行われる。

と言っても、去る人は別に式典などはなく、来る人を迎えるだけ。

来た人が、式典を行うのですが。。。


写真は全て「ル・モンド」より流用。




フォブール・サン・トノーレ通りに面したエリゼー宮の門を入ると、中庭があり、宮殿に入る階段に赤絨毯を敷き始めている。






屋根の上も「警備」の目が光る。






片隅には山ほどの報道陣が、押し合いへし合い。






最後の点検。

大統領儀仗兵も準備。






窓から、新大統領受け入れの準備の具合を覗く「去る人」フランソワ・オーランド。

この時点では、まだ大統領だ。






エマニュエル・マクロンの強力な支持者の一人で、リヨンの市長「ジェラール・コロン」が到着。

有力閣僚の候補。






選挙期間中の選対本部のメンバーたちも到着。

戦友たちも、就任式典に臨む。






中道の小政党「Mouvement Democratic(民主運動)党」の党首「フランソワ・バイルー」も。

旧与党保守党から割って出た少数派。

今回の『マクロン政権』の中核をなす可能性を打診され、首相候補とみなされた。

政策のすり合わせがうまくいかず、物別れに終わりかかったが、結局まとまりがついたようだ。






エマヌエル・マクロン到着。






「来る人」を出迎えに出てきた「去る人」が、エリゼー宮のエントランスの階段上で握手を交わす、新旧両大統領。

この時点で『権力移譲』がなされた。






大統領となった「来た人」は、再度「去る人」と階段を降りて別れの握手を交わす。






新大統領『エマニュエル・マクロン』はファースト・レディーと、大統領府で大統領夫妻としての最初の写真撮影。






去る人『前大統領フランソワ・オーランド』は、大統領府の警備陣に最後の挨拶を送って、私邸へと去って行った。



これから、エリゼー宮の中で『大統領就任式』が行われる。

その後、凱旋門の『無名戦士の墓』へ献花に向かう。



◇5年前の2012年5月19日『フランソワ・オーランド』の就任式の記事も参照されたい。
 結構詳しく写真で書いています。

http://blog.goo.ne.jp/veritas21/e/c6b2f68c85d95a61ec02fe2041850f0d



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決戦前夜。明日『パリは燃えているか?』

2017-05-06 23:17:33 | フランスとヨーロッパの今日の姿
フランス・グリンピースが巨大な横断幕を掲げた。

反国民戦線を謳って。




(Photo by Le Monde)

エッフェル塔に。

『自由・平等・博愛  抵抗せよ』



日本で、NHKを筆頭にマスコミが騒ぎ立て、煽りに煽ってきた『極右政権誕生とEUの危機』
は、残念ながら訪れそうもない。

しかし、かなりのフランス人たちは、たしかに悩みに悩んだ。

ある若い女性はかたった。

「どっちに投票するかですって? 言えない。なぜなら、今いっても6時間後にはまた変わるかもしれないから。寝る前にやっと決心して、朝起きたら変わってるのよ。6時間おきに心が揺れるんです。。。」


別のご婦人は。

「決まっています。 マクロンに入れます。私は第一回目にはメランションに入れました。彼の主張が私の価値観に一番近かったから。しかしもう彼はいません。しかし、フランスの価値を完全に否定している人たちに、祖国を与えるわけにはいきません。マクロンに投票します。」


別の中年の男性。

「(投票に)行くか行かないか、未だに悩む。投票したい候補者がいないからね。しかし過激な国粋主義者に国を任せるわけにはいかないし。



さる3日水曜日、ル・ペンとマクロンとのテレビ討論会が行われた。

どこか然るべき場所に『パブリック・ヴュー』が設営されるか探してみたが、どこにもなかった。

大きなTVスクリーンを置いたカフェやラウンジバーを当たってみたが、いずれの店もその夜は「当然」サッカー中継だそうだ。
ヨーロッパクラブカップ準決勝のモナコ vs ユベントス があるにだから、当然だ。

しかし、パリのある劇場でやるらしいと聞きつけた。

オペラ座からほど遠からぬ場所にある『アテネ座』という由緒ある劇場で。

聞いてみると、その日はある公園の初日だそうだが、通常の開演時間を30分繰り上げて19時半に開演し、20時45分の終わって、そのまま中間フロアーロビーのカフェ・バーのあるフロアーでテレビを据え付け、興味のある人はそのままそこに居残ってみてもらおうと、考えたそうだ。





劇場の公央担当責任者の女性曰く。

「おそらくフランス人にとって、とても大切な夜になりそうだから、やってみようと考えたのです。初めての試みだし、一体どのくらいの人が参加するかわからないけれど、やってみるべきだという結論に至ったのです。」

何だか『フランス人スゴイ』と思った次第。

その劇場は、ギリシャ人劇作家のシメーヌの前衛独り語り劇『3つの要素による悲劇』の初演。

面白そうだから、行ってみましたよ。





500人ほど収容する、「イタリア様式」の劇場の典型で、フロアー席の周囲に4層の桟敷。

赤い天鵞絨に優美な天井








私は小さな両開きの扉を開けると、椅子が2脚ある桟敷にご招待して頂きました。





50歳くらいの女優さんが、1時間15分を静かに独り語りで演じる熱演でした。

しかし、お芝居の方は今回は話題にしません。


終わってからのテレビ討論会は、結局50人くらいが飲み物や軽食を取りながら、熱心にスクリーンに見入っていました。








マリーヌ・ル=ペンのトンチンカンな発言があると、微かなブーイングやせせら笑いが沸き起こっていました。

前衛劇を見に来るほどの人たちなので、少なくともル=ペンを支持するような人は、居ないようでした。



実は、翌日の報道によるとル=ペン候補はその世の2時間超の討論で、『11の虚偽の発言と多くの内容の疑わしき発言、明らかに扇動と取れる発言』でマクロンに論争を挑み、簡単に論破されていた。


その討論会の翌日、選挙戦最後の投票動向の調査結果が発表され、『マクロン 62% vs ル=ペン 38%』という結果になっていた。


3日を前に、そろそろ自分なりの結論を出す人が増えてきた、ということのようです。


それにしても、マリーヌ・ル=ペンの陣営は、今回の選挙戦を通じて事実無根の情報を、あたかも事実のようにsnsで流す、いわゆる『フェイク・ニュース』を連発して、エマニュエル・マクロンの公私両面での人気を失墜させようという行動事実が、次々と明らかになってきた。

『マクロンはバハマ諸島(タックス・ヘイブン)に隠し口座を持っている』というル=ペン側のツイートは、あっという間の10万回もリツイートされた。

それまでもヨーロッパの報道界では、不正確や虚偽の情報を報道してしまわないように、フェイク・ニュースを見極めることにかなりのテマヒマをかけてきた。

サルトルが基礎を作った左派系リベラル日刊紙『リベラシオン』紙を訪ねて、実際の現場を見せてもらった。




編集フロアーの一角。


フェイク・ニュース対策セクションは、常勤が5名、他の仕事と兼務が2名だそうで、目の回るような忙しさだとか。





一番右端の男性が「チーフ」で、まあ係長とでもいいましょうか。

かれは、10年前に専従セクションの必要性を会社に問うたが、社内の同意をまとめきれずに頓挫。

8年前に再度意見を具申して採用となり、セクションが作られて責任者となったのだそうです。





最初は日々の政治家の発言と文書が「正しい」かどうかを考証するのが、仕事のほとんど出会ったが、ここ数年はsnsの急速な普及により、ネット上での虚偽の情報を見つけ出して「警告する」ことが仕事のメインとなったそうだ。

日本のマスコミは、政治家の発言の真贋どころか、最初から政府にとってうれしくない「正確な事は報道しない」というスタンス。
なんという違いだろう。

専門のサイトを立ち上げてあって、毎日ヨーロッパ中から「問い合わせ」が送られてくる。

先ほどの隠し口座に関しての公式見解は。

『出来る限りの検討と調査をした結果、今現在<事実である>という根拠はどこにも見出せない』

というもの。

勿論サイト上にアップされ、このような微妙な時期の重大な影響を与える可能性のある事案に関しては、紙面でも発表する。





セクションのあるブロックの仕切り壁に『CHECK NEWS.COM』というセクションのサイトのプレートが貼られていた。


ちなみに、奥の一角では編集会議中で、耳を澄ましていると「マクロン…」という声が何度も聞こえてきた。







その「注目の」マリーヌ派、とにかくイスラム系住民へのヘイト発言が頻発しているのだが、目下パリ近郊で明らかにイスラム教への国を挙げてのイジメが行なわれている。


パリの東30kmほどにある静かな小都市『トルシー』で、先の4月13日警察によるモスクの強制閉鎖が行なわれた。





モスクといっても、提供された駐車場みたいな敷地にプレハブの建物が3棟ならんでいるだけなのだが。
写真は日常に礼拝に使われている、いわば「本堂」のような建物。



20012年に同市で起きたちょっとした爆破騒ぎ(ほとんど花火程度のもの)で逮捕された青年が、そのモスクで時折お祈りに参加していた。

その事件はすでに犯人には刑期も課せられ、全て終わっているらしいのだが。

『その犯人を含む若いイスラム系住民たちを、モスクで過激派への誘導を行っていた』という容疑で、捜査令状もないまま特殊部隊の警官10数人が早朝やってきて、何からなにまで引っ掻き回して捜査をおこない、同時に『イマム(指導者)』の自宅も襲われて徹底的に引っ掻き回した挙句、なんの証拠も見つからないまま『閉鎖命令書』を貼りつけ、あらゆるドアの鍵を交換し、モスクの運営団体(NPO)の閉鎖も行なわれて銀行口座を凍結した。

イマム本人は、フランス国籍を取得して30年来その町で高校の数学教師を務めてきたが、『公教育の現場での宗教色を禁ずる』法令に違反したかどで、職務停止処分。

本人の銀行口座も凍結されている上に給料ももらえなくなって、ひどい状況に置かれているそうだ。





普段礼拝に使う1棟目、女性専用の2棟目と、奥の突き当たりは事務所、右側は手洗い所。

全て閉鎖命令書が貼りつけられており、鍵が取り替えられているので誰も入れない状態。

発効日も公印もない命令書には「不法に侵入した者は罰金75000ユーロを課す」とも明記されている。



住民たちは仕方なく、コンクリート敷きの地面に敷物を敷いて、毎日5回のお祈りを行っている。

日の出の祈りが6時前後。
午前の祈りが14時前後。
午後の祈りが18時前後。
日没の祈りが20時前後。
夜の祈りが22時前後。

これは夏時間なのでややピンとこないかもしれませんが。
しかも月齢日に基づいて、時間は毎月少し変わって行くのです。

多い時は200人ほど。
少ない時で20人ほど。

たまたま訪れた日が雨だったので、2棟の隙間をビニールシートでカバーした狭い空間にひしめき合って、お祈りを挙げていた。







この措置を警察(内務省)が行った後、4月の22日に裁判所による「訴訟手続」が書類化され、5月3日にその措置が閣議決定された。

つまりわかりやすく言えば、裁判所による令状なしに『非常事態宣言』を根拠に内務省が暴走し、一週間後に裁判所が形式を整えるために書類化して、さらに2週間後に閣議決定で政府が追認したわけです。


これは、明らかに「社会的な見せしめ」としか言いようがない。

すでに結審している事件、しかも5年も前の事件を根拠に、当時は捜査もされていなくて無関係とみなされていたモスクとイマムを犠牲にした。

非常事態宣言は、行政にフリーハンドの権限を与えることになると言うことが、明確に分かる事例ではあります。

それまで使っていた「臨時」のモスクを閉鎖されてお祈りする場所を奪われたこと以上に、運営組合も閉鎖され口座が凍結されて所有財産を失うことが閣議決定で公式になったため、まともなモスクを建設するために10年掛りで住民たちが小銭を寄進して集めた浄財で購入したばかりの、将来のモスク建設予定地も没収ということになってしまった。

数学の教師で、宗教的は話などする時間すらなく、同僚教員たちも誰一人イマムであることも知られていなかった、イマムその人も定年目前にして、職を失う、年金までもしかしたら、という事態になってしまったのです。


さらにもう一つ。

パリの北に隣接する町『クリッシー市』でも、市当局が賃貸で提供していたモスクの建物を、昨年保守党の市長に変わった途端に契約期間の満期を理由に契約解除されて、遠く離れた狭い建物に移るように勧告。

反対してそこに居座ろうとしていた住民たちを強制排除してしまって、モスクを失った信者たちが抗議の一環として「市役所前」の道路で礼拝を行っている。

イスラムの戒律により礼拝は当然のことで、しかし公道上などで皆に迷惑をかけてお祈りすることは許されていない。

フランス共和國憲法で、宗教の自由は権利として認められている。

キリスト教徒が教会で、ユダヤ教徒がシナゴーグで、仏教徒が寺院でお祈りするように、イスラム教とはモスクでお祈りする権利がある。

にも関わらず。。。





毎日午後の礼拝を19時半頃。

金曜日は昼の礼拝13時半と午後の礼拝19時半。


最初に、市役所前の通りから市役所前の角を曲がったところの、市場の斜め前の小さな広場で、礼拝の前半を行う。

信徒代表による『アザーン(礼拝への呼びかけ)』がなされる。

イスラム諸国では、ミナレットの上のスピーカーから流されるあれだ。






その後、イマムの講話。






広場の、イマムに向き合う側にはなんとマクドナルドが。






女性たちは、別のシートの上にひとかたまりになって集まる。

本来はモスクでは男女別なので、このような街頭でのいっしょくたの場合は、女性はあまり多くは集まらない。

それから全員が市役所前の通りへ移動する。

巨大なビニールシートを引っ張りながら。






市役所前の通りは4車線。

歩道も5メートルはある。

その歩道全部と、車道3車線分を使って整列。






イマムの短いアザーンのあと、一斉に五体投地のようにひれ伏すことを繰り返す。






警官が数名で1車線を走る車を整理し、お祈りする人々を車から保護している。






今日は500人くらいが集まった。

最前列からもう一度見てみた。



この異常な光景は、イスラム人口の割合の多い町に住み、イスラムになんとなく反感を抱いている人たちには、とても醜い光景に移るようだ。

顔をしかめて横を通り過ぎる女性のお年寄りもいた。

このクリッシーの町は人口25000人。
そのうち4000名ほどがイスラム教とだとか。


そしてこの様子を我らがマリーヌ・ル=ペンは「この醜いフランスを、(フランス人の手に)取り返そう!』とツィートした。



『美しい国を取り返そうではありませんか、皆さん』

『教育勅語を暗唱し、総理大臣万歳!』と叫ぶ幼稚園児に笑顔で手を振るトップ・レディー。



日本も、着実に同じ歩行に進んでいる。

幸い明日の20時には、国民戦線の大統領は実現しないことは明らかだ。

日本の方が先に、ずっとずっと極右国粋主義の政府を戴いてしまったのです。


『秘密保護法』
『盗聴法』
『安保法』
『(テロ等)共謀罪』

そして、教養のない扇動家の総理大臣。


日本は危ない。

日本が危ない。





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大統領選挙の決選投票まであと1週間、そんな中でのメーデーのデモ行進は如何にと、凸ってみました。

2017-05-01 21:21:03 | フランスとヨーロッパの今日の姿



英国のEU離脱のあとを受けて、ドイツやオランダ、ハンガリーなどの極右勢力の台頭に重ね合わせて、日本のマスコミがこぞって『EUの危機』を煽り立てて何かが起こるのを待ち焦がれている<フランス大統領選挙>の、第一回投票を経て上位二人の候補者による決選投票『第二回投票』までの、2週間の選挙戦。


その、ちょうど中日の今日5月1日はメーデーということで、例年のデモ行進以上に両陣営に対する国民の支持の行方に、注目が集まっていた。


まさに両候補とは、保守派『共和党』でもなく、左派「社会党』でもないエマニュエル・マクロンと、国民の大半から蛇蝎のごとくに嫌われてきた「ヘイト政党」である極右『国民戦線(Front national)』の新党首マリーンヌ・ル=ペンとの一騎打ち。


もともと「国粋主義」を旗印にするFNは、この『労働者の祭典』がサヨクの象徴のごとき存在で、実にお気に召さない。

そこで、この5月1日になんとフランスの国家守護神『聖ジャンヌ・ダルク』に花束を捧げる式典にしてしまった。
1週間後の5月8日が、カトリックの聖人一覧で『ジャンヌ・ダルクの祝日』とされているにもかかわらず、である。

一方労働者の祭典としてのメーデーの行進は、時と場合で変更になることはあっても、基本的には「デモの王道コース」である『共和国広場(Place de la République)』から『バスティーユ広場(Place Bastille)』を経て、『国家広場(Place de la Nation)』であることが普通である。

今年も、同じそのコース。



そこで筆者は、その両方に突撃してみることにした。


それにしても、2002年のジャン=マリー・ル=ペンに次いで、支持者たちの悲願を受けて今回の大統領選で決選投票に残ったのが、娘のマリーヌ・ル=ペンである。

この娘、底意地の悪い性格でもともと人気がなかったことに加えて、父ジャン=マリーの右腕を務めてきた、副党首でジャン・マリー自身が推すブルーノ・ゴルニッシュに対抗して党首の座をもぎ取り、父親を党から追い出す様にして全ての関与を封じてしまったことで、結党以来の支持者、長年苦楽を共にした支持者を完全に怒らせてしまった。

その彼女は今年のジャンヌ・ダルク献花は行わないと宣言し、パリ北部シャルル・ド・ゴール空港に近い『ヴィルパント見本市会場』での政治集会を開催することを宣言。

その集会への参加を広く呼び掛けた。

対する父親、党の伝統を破壊されてなるものかと、ジャンヌ・ダルク献花を強行することを決定した。


はたして、「おとーさん」の権威は復活するのか、それとも…。



参加者は、これまで通り「パレ・ロワイヤル広場』に10時に集合。

そこから400メートル行進して、ジャン・ヌダルクの騎馬像のある「ピラミッド広場」へ。



集合時間の15分前。





まばらな人集りが、あちらに10人、こちらに5人。

既に早々と待ち構えている報道陣の数の方が、圧倒的に多い有様に「なんだかなあ」状態。

それでも、スキンヘッドの怪しげな風体のガタイのいいお兄さんたちや、背筋をピシッと伸ばした、着古してはいるもののクリーニングの行き届いた古めかしい背広姿のおじさま方が、徐々に集まってくる。

三色旗を配っているお姉さんも。






そして、集合時刻に20分遅れて親分ジャン・マリーの車が着くと、待ち構えていた報道陣のカメラが文字通り殺到した。



それから行進開始。

「ブルー・ブラン・ルージュ!(青白赤)」
「イスラム主義者は出て行け!」
「テロリストはやっつけろ!」

などのシュプレヒコールを繰り返しながら、5分でピラミッド広場に到着。

総勢150人も居るだろうか。。。







広場中央のジャンヌ・ダルクの騎馬像前には演壇がしつらえてあり、やがて白い百合の花束が据えられる。






天気予報は外れて雨は降らないが、冷たい風が吹き抜ける中を、震えながら30分待たされて、ジャン・マリー御大が登壇。

大音量のワーグナーのメロディーに送られて。







騎馬像に向かって頭を下げること30秒。

向き直って、演壇でスピーチを開始。







おん歳89歳!

しかし「アジ演説」はお手の物。

語り始めて15分、突如音声が途絶える。

マイクが効かなくなった。

アンプの故障か、断線かと皆が気を揉み「ジャン・マリー聞こえてないぞー」という皆の悲鳴を物ともせず、彼は語り続けた。

最前列の少数以外は、誰も何も聞こえない。
彼の口が動いているのが確認できるので、かれが演説を止めていないことがわかる。

『ドン・キホーテ』ル・ペン健在!






結局、30時分以上にわたって、彼の孤独なパフォーマンスが続き、やっと音声が戻って皆が拍手した10分後に、彼のスピーチはおわった。

1時間10分の演説中、聞こえたのは30分も無かった。


<ジャン・マリー、おまえの時代は終わったのだ。ゆっくりと休め>と、天の声が聞こえてきた気がしてならなかった。

前回まで1500人から2000人は集まっていた事をおもうと、実に寂しい「おそらく最後の「ジャンヌダルク集会」であった。

テレビカメラと新聞雑誌のスチール・カメラを合わせると、カメラの数が10倍はあったような…。



彼の演説の最後の言葉。

『フランス、フロン・ナショナル(国民戦線)、マリーヌ万歳!』

そして、

『ジャンヌ(・ダルク)よ (フランスを)救ってくれ!』






さて、その後元来のメーデーのデモ行進の出発基点『レピュブリック広場』に場を変えることにする。



14時半出発の予定。

1時間前には、結構な人が集まってスピーカーから溢れ出る強烈なビートに体を揺す振りながら、あちこちで其々のブループが集っている。

恒例の屋台もお約束通り。







キャンデーの屋台。







ミント・ティーを売る「アラブ系」市民。







ソーセージと串焼きバーベキューの屋台からは、逆らいがたいいい匂いが。。。







共和国広場のシンボル、広場中央にそびえる『共和国の女神』の像の台座に、何やらおもしろそうな人々が。

被っているお面は、見憶えが有る様な無い様な。

ん、マリーヌ・ル=ペン…にしては「より」不気味、とよく見れば、なんと親父のジャン・マリーの顔に、娘マリーヌの髪を被せた面白い作品。

聞いてみると、国民戦線とマリーヌに反対する人の一グループで『ジャン・マリーヌ』と言うのだそうで、皆で大笑い。

黄色いプラカードには「ハッシュタグ」Le Pen NON とある。







10以上もある労組の其々、さらにそれらの各産業ごとのグループ、パリとフランスで暮らす世界各国の人々の組織の旗が、数え切れない程はためいている。

なかには「マルクス・レーニン主義者労組」なんていう、半世紀前にタイム・スリップしたかと錯覚させられるものまで。


スタート時間を待ちわびて、「輪になって踊る」娘たちも出現。

通りかかる、いろいろなグループの女性たちが飛び入りで踊りだした。

最初5人くらいだったのが、20人以上が連なっていた。







そして、出発の準備を始めるグループもそろそろ。

最前列の横断幕に『一票たりともル・ペンに入れるな』という表記が見られる。







団体に属さないと思しき人たちも多く、各種思いを表す手製のプラカードやゼッケンを持つ人も多い。

『棄権することは、(ル・ペンを)サポートすること。憎悪の政治は拒否』と書いたゼッケンを胸にするご婦人。

写真を撮れなかったが、ユニークなユーモアたっぷりのものも多い。

若い女性が胸に『マリーヌを堕胎しよう』と書いていた。

選挙戦から「降ろせ」と、伝統主義にこだわり『堕胎反対』を唱える国民戦線の女党首への皮肉とを掛けているものと思われた。


下の写真は『炎を消そう。憎悪の政治にNON』というゼッケンのご婦人。

ちなみに国民戦線のロゴが「燃える炎」で、最近の彼らの台頭を消そう、という掛け。






「ル・ペンは危険、マクロンに投票しよう」






残念ながら枠に写らなかったけれど、カラフルな女性運動団体の横断幕にも「ル・ペンに反対」とあった。







そして、広場にいた『Le Pen NON』の黄色いプラカードの『反ル・ペングループ』の人たちも300人ほど続いた。







『棄権するということは FNを支持するということ』
という手書きのプラカードも結構目につく。







盛り上がる『反ルペン・デモ隊』








そして。

ある意味で多少期待していた訳だが…
和気藹々だったはずのデモ隊の一部が、後半機動隊と小競り合い。







デモ隊の一部が機動隊に向けて、建物の外壁材を剥がして投石。

機動隊に一気に緊張が走る。

先を行く人々との間隔を開けるために、デモ参加者を継ぐyすぎと「前へ前へ」と押しやる。







ついに催涙ガス弾発射。


デモ参加者は一斉に抗議。


普通デモ隊が暴徒化すれば、機動隊や軍隊が威圧して追散らす。

しかし、ここの彼らは防御線を弾きながら、下がる。

それより前のデモ隊と混ざらないように「阻止線」を維持しながら、下がる。

デモ隊は、機動隊に抗議の声を上げながら、機動隊の制止線を跳ね返す勢いで、迫り、前進を続ける。

怖がる気配など、微塵もない。






機動隊の催涙ガス弾による「攻撃」を非難しながら、機動隊員の阻止線を押しのけるように前進を続ける。

下がりながら食い止める機動隊の列と、機動隊に抗議する暴れた一部を含むデモ隊との、相対する最前列。




もう、報道陣の中には「ガスマスク付きゴーグル」着用、なんていう凄いカメラマンまで出現。







時折、部分的に衝突が繰り返され、投石の石の飛ぶのが見える。

しかし、それ以外の人たちは「われ関せず」と、それまでのリズムを崩さないところが凄い。

一部の参加者に聞いてみると、帰ってくる答えは決まって同じ。

「跳ね返る者たちはかならず居るもの。残念だけど、デモの本質は変わらない。私たちが今日ここを歩かなければ、ル・ペンの時代が来るかもしれない、そうなると、毎日こうやって歩かなくてはいけなくなるだろう。だから、私たちは今日歩いている。フランスの伝統的価値観に相容れない人たちに国を渡すわけにはいかない。自由や博愛や平等を否定し、多民族国家フランスをズタズタにしてしまう政権を、許すわけにはいかない。」






行進は止まる事なく、みな声を上げ続ける。

機動隊員も、暴徒化しない一般の参加者には一切圧力は加えない。

足元には、投げつけられた割られた外壁材が散乱していても。







6歳くらいのお嬢さんが、お父さんに肩車されて「ル・ペン・ノン」のプラカードを得意げにかざしていた。

今年のメーデーの『象徴的』光景だった。







筆者は、70年安保以来実に久しぶりに『催涙ガス』を浴びてしまった。

なんだか、懐かしく嬉しい1日だった。



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決選投票まで後一週間。投票する候補がいない…盛り上がらない大統領選。

2017-04-29 18:16:14 | フランスと日本の文化比較
仏大統領選の第一回投票、いわば予選リーグが済んで、決勝トーナメントにあたる第二回投票まで2週間の選挙戦。

その半分が過ぎて、フランスは混迷の度を深めてきた。

なぜならば、候補者がいない。


元来、フランスは第二次大戦後の第五共和国になって以来、常に左右の対決で今日まで続いてきた。

拙ブログを始めて以来、頻繁に書いてきた通り、ローロッパは階級社会。

今は、官吏階級と労働者階級。

教養も人生観も生活様式もまったく違う。

それを政治的に集団化すると、「右派」と「左派」とに分けることが多かった。

右派はウヨクとは違うが、複数の保守党が利益代表者であり、左派もサヨクとは違うが、通常は「社会党」「共産党」が代表してきた。

中間層は一応官吏海草に含まれ、保守で右派。

労働者は組合に属し、その組合毎に政党が違う。
正しく言えば、自分が支持する政党の傘下の組合員になる。

弱小政党も含めて、各政党は選挙には必ず候補者を立て、第二回に残れなかった政党とその支持者たちは、上位二名の決戦投票に残ったそれぞれの左右の候補者に投票する。。。


ところが今回は、右派も左派も自分たちの候補を持た無い選挙となってしまった。

一回目で一位となったエマニュエル・マクロンは、中道右派ということになっている。

社会党の党員として積極的に活躍していたにせよ、政治家としてのキャリアが見えにくく、思想的に確立していと思われている。

言っていること、やろうとしていることは、けっこう新自由主義的なところも多い。
ロスチャイルド銀行の頭取に気に入られ、ネッスルの毛営幹部を務め、億の単位の年俸を取っていた彼は、とても「左派」の代表とは言い難いと、思われている。

かといって、社会党の重鎮ジャック・アタリに見出されて政治の世界に入り、ミッテラン政権の重鎮ジャン・ピエール・シュヴェルヌマンの側近で、現大統領フランソワ・オーランドの経財相を務めた彼が、右派側から言えば「サヨク」そのもの。


他方マリーヌ・ル=ペンは、ギトギトの極右。

左派からも右派からも、アウシュヴィッツの存在を否定し、ナチを信奉する、蛇蝎のごとくに嫌われてきた極右政党『国民戦線』の現党首で、先代の名物男ジャン=マリー・ル=ペンの実の娘と来ては、到底支持できるものではない。


というわけで、今回の大統領候補は、右派からも左派からも「自分たちの代表」が居ないとう、極めて変則的な選挙と相成ってしまったのです。


こうなると、あとは憎悪のぶつけ合いで、敵の敵は味方、味方の味方は敵、みたいな「ワケワカメ」状態に立ってしまったワケなのです。

政治的立場というより、嫌悪感のぶつけ合いのような。。。

街角の選挙ポスター掲示板は、引っ剥がし合いの様相。

とっても嘆かわしい状態。



エマニェル・マクロンは、エリートの中のエリートみたいな人間ですが、以外と苦労人なのです。

彼は、北部フランスの都市アミアンの出身。

高校二年までアミアンで過ごし、三年からパリの超名門校『アンリ4世高校』に編入した。

今でこそ衰退しているものの、その頃のアンリ4世高校といえば、同じくパリのルイ・ル・グラン(ルイ大王)高校と並んで、shぽうわ40年代種痘の日比谷高校みたいなものだった。

日本以上に超超学歴社会のフランスでは、学校格差は日本どころではないのです。

地方の高校から(おそらく成績優秀だったであろうが)全国の高校最高峰の最終学年に編入するという、リスクというか冒険に飛び込むには相当の自覚と野望とがあってのこそ。

普通入れてもらいない。
地方の高校の成績優秀でいた方が、いきなり最終学年だけ超一流校に入って、その中でどういう成績を取れるか不透明である以上、その後の進路の計算を立てにくい。

フランスは世界の中でも極めて珍しい学校制度を確立しているのです。
しかし、そのことは今日は話題にしない。

彼はアンリ4世校を終え、高校卒業資格試験バカロレアはS(数学・理系)で最優秀のメンション付きで合格すると、大学よりもっと高度な『大学校(グランド・エコール)』に進むための「予科」に残る。

最終学年だけ在籍したアンリ4世校の予科に、そのまま進めたこと自体彼の優秀さを物語る。

2年の予科在籍ののち、フランスの最高学府『国立行政院(ENA)』に願書を出したが、2年連続で筆記試験に失敗。

第一回目の挫折。

しかし彼はパリの大学に進む。
予科の2年は大卒(学士)扱いなので、3年生(修士課程)に編入して、なんと哲学を専攻した。

パリ第10大学(パリ=ナンテール大学)で哲学修士号、上級修士学位を取得と同時に『パリ政治学院(シアンス・ポー)』(ENA、ポリテクニーク、ENSの三大GRANDES-ECOLESに次ぐ難関校)に進み、24歳で卒業ディプロムを取得。

これだけでも十分なエリート資格なのだが、さらに彼はここから念願のENAに進学に成功。


要するに一部で言われているようなボンボンとはまったく違う、ものすごい努力と才能に恵まれた人なのです。


フランスのエリートは、右も左も最高学府を出ていて、エリートとしては同格。

権力の座にあるとき(与党の間)は要職を歴任し、政権を失えば大企業や国の機関の要職を歴任する。

そういう意味では、仲間同士みたいなものではあっても、政治の土俵では政策の目標が「企業」か「国民」か、しっかり左右に分かれている。

そういう意味で、マカロンはイメージ的に損をしている。



マリーヌ・ル=ペンは、出来損ない。

創業家の二代目。

わずか80名ほどで45年前に創設された Front Natinal (国民戦線)という極右政党は、創業者ジャン=マリー・ル=ペンの、常に喧嘩腰で、歯をむき出して醜く歪めた顔でアジ演説をする、ナチスムん傾倒し、社会の問題のすべてをイスラム移民のせいに初手を罵倒し、フランス国内の日の当たる場所には居所がないという感じで、ひねくれたハグレ者たちの集団だった。

時代が違っていれば、スタジアムで暴力沙汰を起こすフーリガンになっていたか、もしも中東に生まれていれば<IS>を組織していたかもしれない、要するに哲学のない反体制の象徴で,逆に言えば社会に必ず少数存在するヤクザ者たちの受け皿であった。

そういう理由では、それに集う社会的落ちこぼれで弱者でもある不良大人たちのシンボルのジャン=マリーの娘として、取り巻きからはちやほやされて育ってきたわけだ。

父親自身が、自分の狂犬的言動にブレーキをかけて、政治勢力としての存在を確立しようと奮闘していた右腕たちを追放したりというかなりのバカ殿ぶりを見て育ち、結局FNの党首を引き継いだあと、父親を締め出してその影響力を排除してしまった、ツッパリ娘でもある。

まったく畑違いだが大塚家具の娘みたいな、危うさがある。

教育は、国の舵をとる立場を担うような階層のそれとはまったく違って、単にパリ第二大学(Paris=Assas 大学)で修士どまり。

今の時代なら、極めて平凡で中間層にすら止まれないレベルの教育しか受けられなかった。

政治学はおろか、社会経済学、その他リーダー層を担う分野の教養はまったくないに等しい。

ただ、FN自体が代替わりした分支持者たちも代替わりしてきており、世代が若くなってくるにつれ国の「経済的問題」の多い時代にそれぞれの分野でまともに暮らすのに困難を覚えている人たちに「目先の受け」がよく、支持を拡大している。

マリーヌ本人の力量でというよりは、右肩下がりの時代の流れが必然的に味方した、という感じ。


そこで本題に入れば、安定した社会の延長を求める「保守層」は、必然的に右派であるフランス人社会にあって、マクロンの姿はサヨク的に見える。

「サヨクに政権が移ったら、私はフランスから出て行く!」と喚いてる老婦人がいたが(左翼政権の最中なのに)、彼の立場をよく表している。

では、その老婦人がル=ペンに投票するのか。

これまでなら「ありえない」ことだった。

ただ、トランプ大統領が登場し「あの手の」リーダーが、あんな風な滅茶苦茶なやり方を『アメリカ』でやっている現状を見るにつけ、ためらいが薄れ始めているようなのだ。

EUという鎖が『フランス共和国』を縛り付けている。
共通政策の足枷で、農業を筆頭に各種産業が「コスト(人件費)」の低いEU内の新興諸国に太刀打ちできない腹立たしさ。

農産品は、EU毛生直後はスペインとイタリア、その後ギリシア、そして今やハンガリーはチェコ、スロヴァキア、ルーマニアなど
もともと物価の安い、従って人件費も安い新加盟国に対抗できずに多くの農家が廃業の憂き目を見ている。

何しろ、ハンガリーの人件費はフランスの1/8なのだから。

経済的に国境がない以上、長距離トラックや観光バスなども完全にシェアーを奪われてしまう。

フランスやドイツの税金である供出金で、旧東欧各国に高速道路やその他のインフラを建設する腹立たしさ。。。

ヨーロッパが「なぜ」統一しようとしてきたのかという背景、その理由や目的、それがもたらす筈のもの、という価値観に理解の及ばない「労働者層」は短絡的にEU反対を唱えるル=ペンに共感を持ってしまう。


右派は右派で、経済的背景以前にフランス共和国の存在価値の低下、EU 官僚の独走に見える理想主義運営に反発し、EU政策がこれまでと変わらないマクロンに批判的視線を投げてしまう。

それに加えて、イスラム移民の多さ、彼らの社会のフランス社会に溶け込めない状況による社会の矛盾(溶け込めないのは、イスラム移民たちへの差別が有形無形に存在するからなのだが)がもたらす周辺自治体の荒廃、社会的安定の揺らぎ、治安の悪化、などなどに日々ふれていると、どうしても『EUの移民政策』には承服しがたい。

その感情は、国民戦線の側と同じ線上に立ってしまっているわけだ。

そんな右派保守派の市民たちは、マクロンに二の足を踏んでしまう。

しかし、だからと言ってル=ペンに大統領になられるようなフランスはありえない。


思いは千々に乱れ、複雑に交錯し、最終的は互いの反対派への憎悪が膨れ上がって行く、非常に理性にかけた選挙戦になってしまっている。


二大勢力の戦いであるフランス社会は、政治も二大勢力の戦いであった。

右派の政治が庶民階層に不満を積み上げて行くと、次の選挙で政権交代する。

左派政権が飽きられ始めると、次でまた政権交代。

その度に、高級官僚は総とっかえ。

それで、お互いの勢力の不満を吐き出させ、吸収して、フランス社会は均衡を保ちながら今日までやってきたのだ。



5年前、超不人気であったニコラ・サルコジーには、勝ち目はなかった。

フランソワ・オーランドが楽々と当選し、シラクとサルコジーに次いで三政権ぶりに社会党政権となったものの、オーランドの間抜けぶりに国民は呆れかえってしまった。

サルコジーに次いで、たったの一期で政権を明け渡すはめになる。

ここで、左派政権は『社会党』の枠組みを超えて「左派統一候補」的に全国で予備選挙を行った結果、社会党でもなく、共産党でもない候補者エマニュエル・マクロンの登場となったわけだ。

ただ、現政権の負の影響は大きく、右派の『共和党(共和国党)』の政権奪還は既定事実のはずだった。

しかし、最も大物だったアラン・ジュペ(シアク政権の首相を務め、シラクをコケにして遠ざけられた)が名乗りを上げて混乱が始まる。

サルコジー政権で首相だったフランソワ・フィヨンが、共和党内では極右であるが、結局候補者となり楽勝のはずだった矢先に「妻のスキャンダル」が暴かれる。

20年来妻を政策秘書に登用し、給与が支払われていた。

支配階層(政治家)の人物の政策秘書の給料としては妥当な金額であったのだが。

その妻というのが何とも不愉快な女性で、テレビカメラの前での言い訳の仕方に国民が総反発。

いやはやの事態となり、結局フィヨンは最後の最後で盛り返し絵きたとはいえ、4位に終わってしまった。

そのフィヨンの支持者たちが、にっくき対抗勢力である「左派」マクロンに投票するくらいなら、移民政策で近いル=ペンに、という「95年に鼻をつまみながらシラクに投票した社会党支持者たち」のような、極右ブロックのための理性的投票をやりたくない人たちが結構出てきている。

共産党を割って出た左派の極左メランションも、極右を阻止するためにマクロンに投票を、と呼びかけない卑劣漢ぶりに共産党もカンカン。


そして、ついには文字通りの『狂想曲』てき大統領選挙に成り下がってしまっている


フランス社会を二分してきた勢力である『右派』と『左派』と、両方ともに自分たちが推したい候補者がいない、悲劇的で力の入らない大統領選挙。。。


残りの一週間で、果たしてフランス人の理性は目覚めるのか。

それとも、NHKを筆頭に日本のマスコミが煽り立てて期待する『反EU極右政権』が誕生してしまうのか。


長く暮らしてきたフランスだが、今回はフランス人の良識に「少しばかり」不安を抱かざるを得ない状況になりつつある様な気配が感じられる。


「私は断固として白票を投じる」と断言したおじさんがいた。
この人は、第一回投票ではアモンだった。
奥さんはフィヨンに投票し、第二回目はル=ペンだと、夫を見ながら。。。


白票は、確実に増えるだろう。

白票が増えれば増えるほど、マクロンには不利になる。
ル=ペンに入れる人は確信的だから。


最後には、良識が目覚めるとは信じているのだが。。。


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大統領選挙の第一回目投票の日にあたって

2017-04-23 00:43:16 | フランスとヨーロッパの今日の姿
NHKその他の日本のマスコミが、極右候補の台頭を言い立てて煽っている大統領選挙の当日となった。

ただし、今日の投票では決まらない。

11候補が立候補しているが、今日の第一回目の投票で過半数を取る候補者がいなければ(居ないが)、2週間後の第2回目の決選投票で決まることとなる。

ちなみに、これまで1回目の投票で決まった例はない。

1981年のフランソワ・ミッテラン、65年のシャルル・ド・ゴールが、それぞれ43%台と44%台まで行ったが、決まらなかった。

今回の選挙の特異性は、現政権の候補者が形だけの泡沫候補扱い、と追うことであります。

なにしろ前大頭領のニコラ・サルコジー人気が悪すぎて、楽勝した社会党のフランソワ・オーランドが、見事に期待を裏切って「何もしない・何もやる気が見えない」無能ぶりをさらけ出し、左派の候補者選びの選挙運動で「社会党公認候補」が選べなかった事。

これまでの閣僚が数名名乗りを上げたものの、結局弱小左派の政党を率いるエマニュエル・マクロンにさらわれてしまった。

すったもんだで、社会党自体からも「降りずに」残ったのがブノワ・アモンなのでありますが、第二回投票まで残れる可能性は、限りなくゼロという有様。

一応『主要五候補』をあげると以下の通り。

最終調査の支持率の順に。

エマニュエル・マカロン(24,5%)
マリーヌ・ル=ペン(23%)
フランソワ・フィヨン(19%)
ジャン=リュック・メランション(19%)
ブノワ・アモン(7,5%)

ちなみに、連日のように行われたテレビの候補者討論会では、この5人しか出てこないと視聴者の一部から不満の声が上がっていたことは、NHKやらと同じで笑ってしまったが。

後の「本物の」泡沫候補は、毎回のいずれも1%台の支持率しか得られない、体制には影響のない候補者であります。
(比例代表の通常の議員選挙とは違うので、影響なし)

つい4〜5日前までは、極右政党「国民戦線」のマリーヌ・ル=ペンがずっと一位の座を守ってきて、日本で『ドイツの行方』などの台頭と合わせて、日本マスコミが面白おかしく騒ぎ立て、英国の脱退に次いでEUの崩壊の可能性を楽しみにしていたようだが、フランス人は極右を大統領にするほどの阿呆ではないのです。

4回もの革命とその間に復活捨反動政治とをくぐり抜けて、ダテに勝ち取った民主主義とはわけが違う。

さて、第一回目で誰も過半数が取れないとどうなるか。

上位2名の候補者による決選投票と、相成る次第であります。

実は、フランスの政界は非常にわかりやすく、極右から極左まで各社会構成と思想に応じて、それぞれの政党が絶賛共存中で今日に至っており、最後は資本主義の住人である保守勢力と、一般大衆労働者階級とが政権を争う形になるのです

前哨戦である第一回目投票は、それぞれの政党の支持者たちが、それぞれの政党の候補者に投票する。

しかし、第二回目の決選投票では、左派と右派とは「小異を捨てて」まとまって、それぞれの側の候補者に投票する。

例えばミッテランの一時期を除いて、共産党は社会党政権には連立しない。
閣外協力もほぼしない。

それでも、共産党支持者たちは、決選投票に残った社会党候補に1票をと投じるのであります。

かって、ミッテランの二期目のあと、当時の首相だったリオネル・ジョスパンが次の大統領とほぼみなされていて、第一回目の投票で「油断しきっていた」社会党支持者たちの多くが投票に行かず、それまで風刺漫画のネタ扱いだったFN(国民戦線)のジャン=マリー・ル=ペンが思いもよらぬ2位を獲得し、一位のジャック・シラクとともに決戦投票に残ってしまった。

ジョスパンの落選がわかると同時にかれは「政界からの引退」を表明。
全国の左派の国民がテレビの前で「悲鳴を上げた」ものだった。

上品で学者然として、テニスが上手く自ら軽飛行機の操縦間でやってしまう、「インテリ」ジョスパンらしい潔さで、左派の国民たちは「極右ル=ペン」を落とすために「鼻をつまみながら」シラクに投票した写真が新聞を飾ったものでした。

つまり、日本のマスコミがどれだけ期待しようが、極右が大統領に当選することは「ほぼ」ありえないくになのです、フランスという国は


実は、国会議員選挙の場合は、2位と3位が僅差の場合、第二回投票に3人が残ることがありえます。
完全小選挙規制で、(国政に)比例代表はないので、その場合は1位と2位が保守で3位が左派の場合、保守票が割れて、結局1名だけの左派陣営の方が勝つ、ということが起こりうる。

いずれにせよ、一回目と二回目の間に、両陣営はそれぞれ落選した他の政党と協議して、選挙協力を取り付けるのが定石となっている。

ちなみに日本では、メランションが『反EU』と宣伝されており、「ル=ぺンとメランションが残ったら究極の選択になる」と煽っておるようですが。

メランション候補は共産党の急進派から独立した小数グループを率いて「極左」のごとくに言われているけれど、極左政党の候補は別にいて、消費税全廃、法人税大幅引き上げ、退職年齢引き下げ、年金大幅増額などと、いかにも急進左翼らしい公約を並べている。

メランションはあくまで現在の仏共産党の内部闘争でおん出た急進派というだけ。

フランスのEU離脱には、条件付きながら反対している。

ヨーロの廃止とフランス独自通貨の採用にも、反対。

ただ、不法移民の過剰な社会の中で、テロ対策などからの移民政策上で、一切の国境手続きを廃止した『シェンゲン条約』からの脱退を支持している(5人の中で唯一)

ちなみに、国家財政の大幅な赤字の解消(これはEUにとどまるための義務)のために、公務員の削減が話題になっている中で、保守『共和党』のフィヨンがバッサリと50万人削減、マクロンも12万人の削減を訴える中、メランションは教職員6万人増員など、公務員国家フランスの中で削減には逆方向を向いている。


細かな公約の比較はここではしないが、一つのポイントだけ上げておきた。


つまり、右派保守党『共和党』の候補が、意外に台風の目である、という点。

かれは、配偶者を20年来「公設秘書」にしていたことで、税金から支払われる給料の「身内の不正取得」を暴かれて、一気に劣勢に立たされてしまった。

月額3500ユーロ強を20年間(最も20年前はそんなに高額ではなかった)を数字だけで見ると巨額の不正取得に見える。

しかし、中間層の収入としてはごく控え目で、身内にポストを与えることも、それほど例外的に酷いこととは言えない中で、公示直後に嵌められたというのが正しい解釈であろうと思われる。

しかし、極右ル=ペンは問題外として、マクロンもメランションも「左翼側」の候補者であり、保守党の候補者が決選投票に残らないという、これまでには考えられない異常事態に見舞われる恐れが大きくなった。

そこで、対外的びは「大ぴらにに」支持すると言い難いフィヨン支持者は結構居る筈だということを見逃してはならない。

公表されたフィヨン候補の支持率は低いものの、保守党の中でもかなり右寄りのフィヨンは、隠れフィヨン派の投票に加えて、第二回投票を前にして「正気に返った」ル=ペンに投票した人たちの支持もみ込めるかもしれず、状況は全く余談を許さない混沌とひているのが、現状なのです。

もし万一「ル=ペン vs フィヨン」なんてことになったら、消費税のさらなる増税を訴え、家族手当や社会保証制度の見直し(=改悪)をい唱えるフィヨン大統領という最悪の事態にも、備えておかなければならなくなってしまうのかも。

さて、どうなることやら。



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英国のEU 離脱の騒ぎが、日本の現実に重なって見えてしまう…。

2016-06-24 20:45:05 | フランスとヨーロッパの今日の姿
「やっちゃったなあ…」



ヨーロッパは階級社会である。

アンシアン・レジームにおいては『王侯・貴族・高位聖職者』と『平民』との対立構造。
人口比でいうと、2%と98%程であったようだ。

この二つの階級に間には、ほぼ乗り越えることは不可能な壁が存在した。

唯一の例外は、庶民の若い娘が年老いた貴族の、妾ではなく「老後の妻」となる例。
又は、口減らしで修道院に入れられた貧民の息子が、才能を発揮し、努力が報われて「高位」の聖職者に上り詰める例。


この階級制度は、19世紀の産業革命で旧支配階級に変わって「産業資本家」という新顔が登場するに及んで、構成が変化した。

産業資本家、つまり金持ちの町人が経済的には力をなくしてしまった「旧支配階級」と婚姻関係を結んで地位固めをして行くこととなり、いわゆる「閨閥」が形作られていったのである。


そして現代において『政財界の頂点を構成する統治階層・高級管理階層・中級管理階層・ハイレベルな文化人』と『下級管理層・一般労働者』という構図になる。

一言で言えば『富裕層』と『平民層』である。

この二者の間にも、越えられない高い壁が存在する。


そしてこれら夫々の階層の人たちは、生活の豊かさだけではなく、価値観・教育レベルが全く異なるのだ。

『富裕層』の子弟は、小学校から既に庶民とは違い、約束された人生を送れる高度な教育を受けられるコースを歩む。
社会に出ると、官民問わず最初から年収5万ユーロ位を得て、中間管理階級の地位から人生をスタートすることになる。
その後、階段を登って行くごとに年収は飛躍的に増えてゆく。
年金も、年収の最も高かった20年分の平均値でほぼ100%支給される。


『平民層』の子供たちは、国家が提供する無償の教育受け、年収1万5千ユーロ(つまり最低賃金をほんの少し上回る程度)で、せいぜいセクションの長まで行ければいい方でおそらく40年ほどの人生を送り、年収の50%程の年金を頼りに老後を過ごす。

教育水準が、初等教育の時点から既に桁外れに違うので、義務教育の後で「平民層」子弟が「富裕層」の子弟が通う学校に経済的に行けたとしても、恐らくついて行けない。

従って「管理階級」は、高度なが教育的訓練を積むおかげで、長期の視点を持って物事を把握できるし、分析力も優れている。
もちろん個人差もありミスもあるだろうけれど。


日本ではエリートと思われている銀行員でも、支店長と次長は「管理階級」者でも、その他の行員は「平民層」なので、作業はトロいし接客にもミスが多い。

フランス語は綴りや発音が複雑で、動詞の活用や性(ジェンダー)の一致など真面目に学んでこなければ身につかない事も多いので、スーパーでレジを打ってる係、郵便配達の人、水道工事人、工場の工員さんたち等は自分の名前を書くのが精一杯というレベルも、大袈裟ではないのです。


この様な社会構造は、英国もフランスも変わらない。

そして、社会が経済的に苦しくなってくると、当然「平民層」が犠牲になる。

失業率が高止まりし、経済成長率が2%前後でしか推移しない現在、庶民が最も敏感になるのは「移民」問題になるのは、仕方のないことなのだ。

そこに、極右の台頭する余地が出てくる。

経済的に困難に直面すると、庶民は過激な思想に流され、扇動されやすくなりる。
そして、状況把握が正確にでくないので、正しい判断ができにくくなる傾向が出てくる。


話が回りくどくなってしまった。


今回のイギリスにおける、国民投票の結果は、まさしくこの構図が当てはまっているようだ。

街頭にインタヴューを見る限り「離脱派」の根拠は「移民が多すぎる」という事の様であった。

『私たちの税金が、移民のために使われている。教育も病院も社会保障も、』
『EUで国境がなくなって、移民が大量に増えてしまった。』
『選挙で選ばれていない(EUの)官僚が方針を決め、加盟国の自治が無視されている。』
『イギリスは強い国だ。EUなんかに居なくても十分やっていける。』

という様な意見がほとんどであった。

そこには、EUが築かれてきた歴史の流れも理念も理解されないままに、ただ刹那的感情論で長期的な視点に欠けた動きが、熱病の様に広がっていった様だ。




それに加えて、日本では理解されていないが「連合王国民」は「ヨーロッパ人」ではない、という背景が存在する。

かって、各種国籍の混じり合った人たちがいる場で、「英国はヨーロッパではない」という話題になった事があった。

問いただしてみると、その場にいたフランス人もイタリア人もベルギー人も「ああ、イギリスはヨーロッパじゃないよ」と答えたのです。

英国人に取って自分たちの言語で「European」(ヨーロッパ人)というのは『大陸』の人たちを指し、自分たちの事は「British」と言うのです。


11世紀なかば、7つの土豪国に分かれていた「イングランド地方」を、仏大貴族が全イングランドを初めて統一して誕生した『イングランド王家』が、その後他のフランスの大貴族の血も入って、百年戦争で大陸側に所有していた領土を最終的に全て失い、ブリテン島の支配だけに専念するようになって以来、大陸に対する特別な感情を形作ってしまった。

ナポレオンが全欧州を席巻した時には、その勢力がブリテン島にまで及ぶ事を極度に恐れ、ナポレオンに敗れた各国の王家を糾合して『対仏大同盟』を形作ってフランスを封じ込めようと努力したことも、英仏海峡トンネルを経由してフランスのTGV(高速鉄道)の英国乗り入れに長らく反対していたことも、全て彼らの独特の感情が見え隠れする証左なのであろう。


EUは各国の一定の独立は保ちながらも、社会の規格や経済の制度の境界線を撤廃して、一つの大きな社会経済単位を作り、米国と日本(当時)、今は米国と中国という二局に対抗する第三極を形成して、国際的存在感を高めて維持しようという、試みである。

主権国家の独自の権利である「通貨」まで統一して、「ドル」と「円」対抗して行こう。
ましてや出入国管理や関税を撤廃し、資格制度を相互に認め合う、まさしく広大な一つの連合国にしようと。

西ローマ帝国崩壊後の、15世紀にも及ぶ敵対関係をなくすという、「戦争放棄」を歌った日本国憲法とも比較できるほどの壮大なる「夢のような」試みだったわけです。


しかるに英国は、ユーロを採用せず自国通貨にこだわり、メートル法に統一することも拒否し、車の左側通行も国境での出入国管理(要するにパスポート検査)もそのまま継続してきた。

いわば、欧州統合による各種利益だけは享受して、協調はしないという「良いとこ取り」で今日までやってきた。


メルケル独首相の一人勝手な独演会で「移民受け入れ」を拡大して以来、英国の世論が一気に移民(難民流入)への不満で固まってしまった。

(メルケルは、中国の不平等ビジネスをEU内部で強引に受け入れさせて、中国の利権を握るという自分勝手もその後に大きな対中国貿易に大きな問題点を残してしまったが)



『EUのおかげで、移民がどんどん入ってくる。』

全く根拠のない主張である。

イギリスは、出入国管理を続けている。
難民が自由に入国できるわけがない。

英語しか話せないシリアやアフリカの難民が、英国入国を目指してフランスの英仏海峡の町カレーで足止めを喰らい、数万人がテント生活を強いられてきている。

島国英国に、ヴィザなしで自由に人が流れこむことが不可能なことは、すでに現実として目に見えている。

移民の増加は、EUのせいではない。


そして、EU圏内との商業取引が60%とも言われている経済にとって、今後関税やら法的な様々の輸出入手続きやら、これまでの特権を全て無くしてどうやって国力を維持できると思っているのやら。


『英国は世界屈指の強国だ。EUがなくとも、英連邦(南ア・オーストラリア・ニュージーランド・インド・カナダその他)があるので十分だ。』

本当にそう思っているところが、おめでたいのではなかろうか。

英連邦(コモンウエルス)だって、経済的つながりは、米・中・EU・そして日本)との関係だって大きいはずだ。

そういった「相対的、長期的分析」も「展望」も持てないのが、今回の国民投票で「離脱」に投票した「一般大衆」階級なのである。
悲しいことに。


これこそが、洋の東西を問わずに極論に走る過激集団のつけこむ隙なのだ。

そこには、過激なことを言いふらせば言いふらすほど、その種の庶民を洗脳しやすくなる、という事実につながっている。


『北朝鮮がミサイルを発射する』
『中国が軍事拡大が止まらない」
『沖縄も攻め込まれるゾ』

『だから自衛隊の装備を拡充せよ』
『米国と組んで中国封じ込めのために共同作戦を』

『そのためには平和憲法を変えなければならない』


『日の丸と君が代の義務化』
『国民統制法』
『愛国心を高めよう』


「参院選で安保法制ガー、とか平和憲法ガー、とか言ってても食うや食わずの若者の胸に響かない」という声が、一部の反安倍政治側と思しき若者の側から聞こえて来る。

欧州とは違う日本で、教育水準が低いからとか価値観が…などとは言わない。

しかし、大局的に物事を見てその奥にある事実を見抜けない、という意味で今回の英国の「離脱派」と同じ思考形態であると危惧する。

そこには、どうしても教養というか、常識の深さが関わってくるのは否定できないのです。



ところで『イギリス』いう国はない。

『グレート・ブリテン連合王国』というのが国名。

「イングランド王国」が「ウエールズ大公国」と「スコットランド王国」と「アイルランド王国」を武力で統合した結果である。

そのうちの「イングランド人」という言葉「イングリッシュ」を幕末に耳で聞いて『エゲレス』と表記するようになって、未だに『イギリス』を国名のように使っている。

しかし、連合されてしまった側は当然不満がたまっている。

いつまでも「連合王国」にとどまっているのはうんざりだ、という思いが当然存在する。

そして、スコットランドもアイルランドも、英国がEUから離脱してバラ色の明日があるとは思えない人々が多いのだ。

だからこそ、スコットランドをアイルランドは「残留」の方が多かった。


離脱ということになると、スコットランド人たちはますますイングランド離れの心理状態になって行くだろう。


一昨年の住民投票で、分離派が一度負けたとはいえ「分離独立」の声はますます高まらない訳がない。

独立を問う住民投票の再度の実施を求める声が、すでに高まっている。

もし、近々住民投票が行われれば、独立派が大勢を占めるやもしれない。

そして『スコットランド王国』が「連合王国」から独立すると、次は北アイルランドの番だろう。


そういった視点は、分離派の人達には持てないのだろう。



目先の不平不満に動かされる。

これは、庶民の本能であろう。
それを否定することはない。

だがしかし。

階級による「教育水準」の差。
その差が生み出す、階級の永久的固定化と、統治制度の安泰化。



現在フランスでは、サッカーのユーロ選手権が開催中。

そして、各国のサポーターが各地で衝突し、街のあちこちで騒動を引き起こしている。

そもそも日本と違って、ヨーロッパではサッカーは下層階級のスポーツなのだ。
上流階級はラグビー。

その現実は、小学生からかわらないのです。

普通の人たちの子供達が通う公立校では、当然のごとくに子供達はサッカーに打ち興じる。
しかし、富裕層が通う私立校ではラグビーなんです。

その差は、サポーターを見れば一目瞭然。

サッカーのサポーターは、刺青だらけでビールをラッパ飲みしながら騒ぎ立てる。
もちろん、これは類型化して言ってるだけで、そうではない平和な家族やカップルも応援しているのは事実。

しかし、ラグビーでサポーター同士が乱闘騒ぎなど、聞いたことがない。

これが現実。



いま、日本も「階級社会路線」をひた走っている。

すでに、富裕層でないと大学に進学することも不可能になりかかっている。

社会人になると、当たり前の雇用形態であるはずの「正規雇用」が全体の6割を切って、経理的に原料や部品と同じ扱いの、使い捨て『非正規』『派遣』雇用が増え続けている。

いまは、まだ曲がりなりにも「かなり均質な」社会構造を持つ日本も、この政治が続けばいずれは欧州型の社会になることは、火を見るよりも明らか。

日々生きてゆくのが精一杯の庶民。
それすら不可能になりかかっている人たち。

かつかつの収入で、精神を豊かにする文化や芸術などに触れるチャンスもなくなって行けば、犯罪ももっと増えるだろうし、日頃のウサは贔屓のサッカーチームに入れ込むことで晴らそうとし、社会や国家の将来のことなど考慮する発想もなくなり、『貴族と平民』の社会が完成してゆく。

一応平等を謳ってはいたものの、これまでだって知る人ぞ知る通り日本の統治構造も「閨閥」で占領されてしまっているのです。

その事実が、否定しようもない衆目の一致する処となれば、国民の連帯感などもこれまでとは違った形態に移行するだろう。



日本では、イギリスをヨーロッパだと誤解してきた。

そして、国際語となった「英語」の国だということで、英国は日本の政治や経済でも欧州各国の中でも、特別な扱いを受けてきた。

多くの企業が「欧州本社」をロンドンに置き、生産や販売の拠点をロンドンにおいて、そこから全欧州へのビジネスを展開しようとしてきた。

そして、その発想の危険性が今回の英国のEU離脱決定によって、あぶり出されて来たことになる。

多くの商品移動に関する法制上の問題、税制上のマイナスが、現実のものとなるかもしれない。


欧州では、昔から「ヨーロッパ」とは『大陸』を意味するのです。


これから、日本の皆さん方にはヨーロッパを、英国からの視点ではなく、大陸の側から見る視点を持って頂くのに、いい機会になったのかもしれない。



大陸側としては、これまで構築してきたEUの試みを一挙に瓦解させることは、大陸側にとってもかなりの負担を強いられることになる以上、英国に対してEU加盟国に準じた扱いをしてあげるのか。

それとも、散々「いいとこ取り」でわがままを貫いてきた英国に、きっぱりとした対処をとるのか。

それは、まだわからない。


しかし英国は、離脱すれば世界の中の一つの小さな国の一つ、として生きてゆかなければならなくなる事も大いにあり得ると、覚悟して投票したのだろうか。


おそらく、想像ができていないと思われる。

特に、散々「離脱」を煽ってきた扇動家の政治リーダーたちの、あの喜ぶ表情をみると、そんな思いが強くなる。


『東京五輪』決定の際の、安倍やら森やら、猪瀬やらの顔とダブって見えてしまった。


人ごとではない。。。









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アメリカの大統領候補予備選挙が面白い/棚ぼたの期待に打ち震える安倍晋三♪

2016-03-31 23:38:52 | もう黙っていられない
ドナルド・トランプ旋風の勢いが、米国中に混乱を引き起こし、その騒動は米国内にとどまる事を知らない。



共和党内のトランプとクルーズの二人の特徴は、まるっきり『橋下徹』と『安倍晋三』との関係性そっくりで笑わせられる。

気の狂った極論を吐くド素人と、党内のバリバリの極右だから。



そして、ヒラリーとバーニーは、まるで岡田克也と山本太郎。

民主党という、一見リベラルに間違われそうな衣をまとった、その実紛れもない冷酷な資本主義者と、一部の若者層以外には母国で理解されない『本物のリベラル』政治家。


トランプは、予備選挙の間中は思いつく限りの極端な毒を吐き続けて、社会の教養レベルが中程度以下の不満分子に拍手喝采を受け続ける事だろう。

共和党の「プロ政治屋」たちが、今頃になって必死で足を引っ張ろうとしているが、果たして間に合うのか。

しかし、この御仁どこやらの地方政治で散々ポピュリスムではしゃぎ回った誰かと違って、頭が悪いわけではない。
なにしろ傍若無人な悪どい手際で「巨万の富」を築き上げたのだから。

めでたく「共和党候補」の座を仕留めたら、もっと現実的な戦法に変わるのではないかと、勝手に想像している。


しかし、共和党の候補がトランプになったら、 彼では相手がヒラリーでもバーニーでも、勝てないのではないか。

共和党内部で、既に「共和党の死」を口走り、本戦では民主党に投票すると公言する有力議員たちすら出てきている程だから。

米国民は、ギリギリのところで正気に返るにちがいない、とこれまた勝手に想像している。


だが。

バーニー・サンダースに勝ち目はないだろう。

『民主党』という少しもリベラルではない政党の中で、希少な根っからのリベラルなのだから。

米国民は、日本のネトウヨが生活の党を理解できないのと同じか、それ以上に「社会民主主義」が理解できない。

オバマがいかに銃規制を訴えても、絶対通らないのと同じだ。


もし、まかり間違ってバーニーが民主党候補になれたとしたら、アメリカは変わる。

そうすれば、世界も変わる。

わずか60家族が全世界中の富の半分を所有する、今の世界統治機構は揺るぐ事になるのかもしれない。

そうすれば、拝金教徒による世界支配の様相も少しは改まるかもしれないではないか。

なにしろ、アメリカ人が社会民主主義の大統領を選ぶんだから。

でも、それは夢だろう。

なにしろ、大統領の個人的資質が左右する国ではない。

議会が、弱者に熱く富裕層に厳しい世の中の創出など、やらせる事はない。

議会がひきづられ始めると、FBIあたりが暗殺してオシマイ。



『生活の党』政権を取る事が(おそらく)ありえないのと同じか、それ以上にサンダース政権は現実的ではない。


結局は、ヒラリー・クリントンが、米国発の女性大統領にして、米国発の夫婦で大統領という称号を戴く事になるのが関の山。

イスラエルのパレスティナ破壊はさらに進み、アサドやその他米国に尻尾を振らない第三国のリーダーを引きづり降ろすために、散々っぱら現地反政府勢力に資金と武器を提供し、内戦を拡大させ、その中から地域住民の間に反米憎悪をさらに増幅させて、第二、第三のISやアル・カイーダを生み出し育て上げ、世界の地政学的不安定はさらに混沌の度合いを深めて、世界の金融とエネルギーとを牛耳る一握りが、ますます巨大に肥え太り、世界中に貧民が溢れかえる状態が続いていくのが、目に見えている。


とまあ、そのような現実論はやめておいて、万に一つも『ドナルド・トランプ』がアメリカ合衆国大統領になったとしたら…。

極めて面白いことになりそうだ。

もちろんサンダースの場合と同じで、トランプでも議会が大きく足かせになるだろうことは、横に置いておいて。



日本への米軍駐留が気に入らないらしい。

いやはや、こんなに有難い大統領は金のわらじで探しても、他に見つかるまい。

出てってもらいましょうよ。
米軍に。
日本全国から。



トランプ曰く『なぜ膨大な費用をかけてまで米軍が日本に居る必要があるのか』と。

もちろん、彼の不見識のなせる技で、第二次大戦直後から『ソヴィエト』と『中華人民共和国』とによる共産主義の拡大を恐れた米国は、日本を『資本主義の擁護者アメリカ』が自由に使う基地の役を望んだのだ。

韓国がかろうじて東アジアの先端で、資本主義陣営にとどまっていたとはいえ、中国とソ連とに後押しされた北朝鮮の勢いは侮れず、新興国である韓国が陥落したら、太平洋圏に防波堤がなくなってしまう。

それを囲い込む最後の防波堤が『日本列島』だった。

最初の頃は日本に再軍備させたくなかった米国は、日本に経済的発展を促し、その経済力で米軍基地の存続を保証し、資本主義社会の城壁の役を日本に負わせた。

日本が大戦からの復興に手間取って社会が荒廃したままでいれば、遅かれ早かれ共産主義の毒牙が日本国民を襲うだろう。

日本が共産主義勢力の影響下に入ると、米国としては基地など維持していられない。

日本人には早く「ほどほどに」豊かになってもらって、資本主義の優等生として米軍最前線基地の役割を果たさせたかった。

日本浮沈空母。


『アメリカの若者が朝鮮半島やヴェトナムで血を流して居る間に、日本は一滴の血も流すことなく経済発展して平和を享受してきたのです。ここまで経済大国になった以上、もはや一方滴にアメリカ人の血を流して知らん顔はできない。日本も日本人の血を流す覚悟がそろそろ求められている』

と、あの石破茂が繰り返し、かなりの国民が洗脳されていった。


違うのですよ。


日本人が血を流さず経済発展に邁進したのは、アメリカ自身の作戦だったのだ。

それを霞ヶ関が忠実に実行してきた結果なのだ。

米国の世界戦力にとって、安定した沈まない米軍空母が、東アジアの先端で太平洋圏を防衛するために、不可欠だったのだ。


この辺りの事情も知らずに、トランプとっつぁんは一般的米国人の平均滴感想を述べた。

しかし、ソ連崩壊後は世界の軍事的経済的バランスは大きく変化し、その間に米国はあまりにも世界中で紛争を創り出しては参画して、軍事的にも財政的にも勝手の「資本主義社会のカウボーイ」の役を積極的に演ずる力がなくなってきた。

その流れの中で、日本政府は米国の経済的下支えを積極的に行い、再販不可の米国債を大量に購入すると言う形で「上納金」をせっせと支払い続け、新型兵器を、その開発費をもカバーできるように、実際価格の3倍やそこらで大量に買い付け、それを可能にするために自衛隊の違憲性をうやむやにして、ついには海外派兵までできるようにやりくりしてきた。

それに加えて、在日駐留米軍の駐留費まで多額の金額で補ってきたのだ。

おそらくその辺りの事情を共和党内で聞かされたと見えて、トランプとっつあんもトーンダウン。

『もう少し駐留経費の負担を増額しないと、米軍は日本から引き上げる』


さあ、霞ヶ関は困りましたね。

そのままでは自民党内閣は「いわれるまま」に際限なく払うだろう。

菅直人と野田佳彦を篭絡して、財務相の積年の夢であった消費税の増税を行わせたとは言うものの、バーターとしての法人税減税分で差し引きゼロ。

年金や医療保険や、いわゆる社会保障を削れるだけ削ってはいるものの、財源にそれほどのゆとりはない。

日本側の反応を予見したかのごとくに、トランプとっつあん「甘ぁーい」飴玉を放ってきた。


『日本が北朝鮮との戦いを主導するべきだ。北朝鮮が核兵器の開発を急いでいる以上、日本も核兵器を持つことに異論は挟まない』


いやあ。


びっくりぽんで御座いましたよ、霞ヶ関にとっては。

それより、もっとびっくりしたのが何を隠そう安倍晋三大総理。


とうとう!

ご主人様が!

核武装をお許しになる!!


一国の宰相たる立場で、神聖不可侵なる憲法を平気で無視する程の無知蒙昧にして驕りたかぶる信三クンにとって、『核兵器不拡散条約』から脱退することなんぞ、屁の河童に違いない。

日米を除いて189カ国の強烈なバッシングが起ころうと、蛙の面にションベン。

なにしろ「アメリカ様が許すとおっしゃった」世界最強の印籠をてにしたも同然なのだから。

そもそも元内閣法制局長には『憲法は核兵器の使用を禁じているわけではない』とすら言わせている安倍晋三クン。


「あの」岡田克也のトンチキぶりで、ダブル選担ったら、野党4党は絶対に自民公明に勝てない。

衆院に続いて、参院でも2/3超を奪われることは、此の儘では火を見るよりも明らか。


それは即「憲法改悪」を国民が許したことを意味する。

自民党結党以来の宿願である『自主憲法』を手に入れることは、もはや目前に迫った事実とすら思える。


その極端な無能ぶりと好戦的姿勢でオバマには嫌われている安倍晋三クンだが、トランプ大統領になればお爺様の宿願であった自主憲法の元での軍国主義を復活させることも、射程距離に入ったも同然だもの。


『自民党憲法』を制定し、自衛隊を『国軍』として再編し、米露中EUと肩を並べて各地で戦争する、大国ニッポンを再現できる目鼻が立ってきた。

かてて加えて『核兵器』まで所有できる。

国民の生命を人質にしてまで推進してきた原発のおかげで、プルトニウムは戦術核兵器40発分くらいのストックはある。

「事実上のミサイル」技術は、JAXA が磨き上げている。

三菱重工、川崎重工、IHI、その他最先端平気を製造できる技術の蓄積は充分。

予算は、増税すれば良い。

日本国民は、絞れば絞るほど耐えて吐き出す。

マスコミは味方につけてある。

司法も同類。


2016年、日本はまさに夢のような時期を迎えようとしている。



安倍ちゃんとしては、欣喜雀躍。


ドナルド・トランプ様、何卒アメリカ合衆国次期大統領の座を、めでたくそのお手にお納めいただきたく、必勝祈願を日夜繰り広げておりまする。



私は、個人的には『アメリカ合衆国大統領バーニー・サンダース』を見てみたい。。。。


弱肉強食、弱者必衰、武器を手に力を誇示し、裕福な生まれでなければ人生は敗北、しかしながらどんな弱者でも国のトップまで上り詰める事ができるという「アメリカン・ドリーム」を信じ込まされて、自分たちのライフスタイルと思想信条が唯一の人類のモデルであり、世界中が米国傘下に膝まずき、みんなが英語を喋って当たり前。

そんなアメリカに、社会を、国を、地球を破壊されて、毒を喰らわされ、命を担保に取られて僅かばかりの日々の生活をありがたく頂戴させられるような生き方を、世界中に強いる。

そんな国はいらない。

自分たちの価値観を大切にするなら、他民族の価値観も同じように大切にする。

もし自分が豊かなら、貧しいものに手を差し伸べられる。

そんな国が世界の頂点にいてほしい。


そうすれば、どこやらの安倍晋三みたいな大馬鹿者に支配される三流国家も、出てこないに違いないのだ。








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五年が過ぎ去った。五年も経った。5年しか経っていない。。。

2016-03-11 20:13:48 | もう黙っていられない
五年前の大災害で尊い命を落とされた方々に、衷心より哀悼の意を捧げます。

安らかにお眠りください。


残された方々、あらゆる被害を浴びられた方々に、心よりのご同情を捧げ、遠くからではありますがずっと寄り添って、悲しみのひとかけらでも共に分け合わせていただく事を、申し上げたいと思います。

一歩一歩、共に遊んでいきましょう。
あなたは、決して独りではありません。





五年前のあの日、フランスのテレビのニュースで、ほぼリアルタイムに近い時間的条件で「津波の来襲」のシーンを目の当たりにした。

日本では、テレビでその場面は流されていなかったと思う。

言葉も出なかった。



そして、五年。

復興は進んでいるのか。


NHKでは(衛星放送だが)1日に一度は必ず『あの日あの場所で』という5分間の懐古番組を流しており、同じ歌をそれこそ「耳にタコができる」ほど、聞かされてきた。

実にいい歌だと思う。
日本人全体に「あの日」を共有させ、痛みを分かち合い、記憶を風化させないように、とても素晴らしい精神だと思う。

さすがに国営放送だ。
その姿勢たるや、良し。




ただし、原発事故が絡んでいなければ。

悲しい事に、原発事故がそこに加わる事によって、NHKの姿勢も「実にあざとい」ものになってしまっている。
原発推進に奔走する安倍政権の、広報放送局であるから。




安倍晋三が官房長官当時、18メートル超の津波などあり得ない、全電源喪失はない、防潮堤は不要国会で答弁した事も、津波が襲う前から福一は地震のために配管配線はズタズタで、あの大爆発につながる事故が「津波のせい」で起こったわけではない、という事もこの際横に置いておこう。

しかし、事故は起こった。


そして、その後の対応がめちゃくちゃだった事が、今日までの流れに繋がっている。

菅直人という完全に無能な人物を、自己保身だけに走っている業界の利権の親玉をして「あんな人を首相にしてしまったから」(班目規制委員長 : 当時)と言わせてしまっても、なんの反論もできない。


時の政府の大失策は、住民を避難させなかった事、に尽きるのだ。


細野剛志がいみじくも言った。
「人がどんどん逃げ出そうとしていた。もしメルトダウンの危険を発表すれば、東京中から住民が逃げ出すのが分かっていた。それが怖かった。」

この発言が、菅直人政権の中枢部の共通認識であっただろう。

そして、東電社員の家族だけがガラガラの新幹線で、西へ逃亡していった。


時の政府にとって。

とにかく事態は自分たちの手にあまる。
どう対処していいのか、皆目分からない。

それなら、何もない事にしよう。。。

『直ちに健康への影響はありません』
『落ち着いて行動してください』
『繰り返します。直ちに影響はありません』

時の官房長官枝野幸男は、このフレーズを何千回発したことだろう。

そして、国民は恐怖心を押さえ込まれて、やがて安心してしまった。


その後も、的確な処置は全く取られないまま、放射線は遠く地球の反対側まで飛散し、太平洋は完全に汚染されてしまった。

東電も、経産省も、的確な処置が何だかわからず、学者たちは書物で覚えた事とは違う事態に何らの専門的分析も助言もできない。

一部の国民たちの心配の呼びかけを、寄ってたかって否定し去り、圧殺し、マスコミ挙ってそれに協力した。

直接の責任母体である『東京電力』に直接補償させる事をせず、逆に公金を湯水のごとくに注ぎ込み続けた。

原子力産業は、米国にプルトニウムを提供するために存在しており、それが日米関係の中核となっている事を、外務官僚や財務官僚、そして防衛官僚たちに言葉巧みに洗脳され、誘導されたはずだから。

とどめは、野田佳彦による『福一事故収束宣言』である。



あの2年間は、命に関わる2年間であった。

避難する可能性も、被曝から身を守る可能性も奪い去られた住民は、自分の命を危険に晒し続けて暮らしてきた。



安倍晋三は、自民党である以上「当然」原発推進派である。
でなければならない。

日米関係の事は当然の事。

そして。
日本人の大好きな重厚長大路線の推進役である大手工業メーカー、電機メーカーは全て「原発建設」とその維持管理に大きく関与している。
そして、直接運用する電力事業者とともに、自民党へは莫大な献金と、表立たないマイナイやら有形無形の利得やらが、惜しみなく贈られている。

本来ならば、何の解決にも至っていない東電を経営的に優遇支援し安泰に存続させる事を、それほど国民の怒りを買う事もなく遂行できたのも、何はさておいても菅直人と野田佳彦がレールを敷いておいてくれたからである。



さて、復興なのだが。

五年「も」経て、少しも進んでいない。

阪神淡路の時と違って、被害状況があまりに広範囲で、かつ甚大過ぎたため簡単ではな事は、よく理解できる。

それにしても、公式数でおおよそ17万人以上もの被災者たちが避難先で暮らしている。
そのうち仮設住宅に、6万人ほど。

五年だよ。

そして、行くあてもなく新生活の目処も立たぬであろうこれらの被災者の、唯一の拠り所である仮設住宅は来年3月で廃止される。

数年前のクリスマスに、派遣社員たちの契約打ち切りを週末の金曜日に通告し、その週の日曜いっぱいで寮を明け渡すように命令した『キャノン』と『トヨタ』の例を思いすまでもなく、日本の支配階級は冷酷である。

決めている以上、追い出す事だろう。
なんの躊躇もなく。


散々テレビで見せられてきた被災地の復興も、国の政策の結果というより個人個人の努力で、個別になされてきた面の方が大きいように思える。

ここにも、かしこにも「自己責任」の概念で、責任放棄を貫き通す日本の政治がある。



津波に襲われたところは、確かにほぼ更地になっている。

だからと言って、旧来の住民たちが同じ場所に帰ってくるわけではない。



そして、かてて加えて「放射能汚染地域」の帰還問題。

国は、すべてを「なかった事」にしたい。
旧住民たちは、生まれ育った土地に帰りたい。
そして、日本人は辛い事ほど早く忘れようと努める。

そこで、レントゲン撮影の漏れですら大騒ぎしていた放射線に、危険性を学問的に考慮して決められていたはずの「基準値」を、今の現地の実情に合わせて変更(引き上げる)する事で、帰還困難の指定解除に奔走する。

線量が未だに高いままの道路を通行許可し、鉄道も復旧させ、住民を住まわせ、外見上は地域の復活がなされたように見えれば、それで「復興」なのだ。

住めるようになったから。
安全が回復したから。

ではなく、人が住み、車が走り、電車が通っているから、復旧。

あくまで「形」だけ。

そこに、国民を守り、国民の生活の安寧を保障するための政治、という概念は一欠片も存在しない。


とにかく、日本の政治家と官僚とは冷酷である。

国民を人とも思っていない。

あくまで「国民」という言葉で表される記号に過ぎず、国の要素の一部に過ぎず、納税する役割をになった存在でしかないのだ。

でなければ『食べて応援』などという発想が、生まれて来るはずはない。

保育所不足の問題といい、それに対する総理はじめ自民党議員達のバカな反応といい、消費税増税の事といい、福祉予算の切り詰めと防衛予算の増大といい、大企業へのさらなる減税といい、日本の政治は国民を見ていない。




『5年が過ぎて、今年を新たな復興元年とするべく…』(安倍晋三)

何を言ってるんだろう。

福島の子供達に「甲状腺癌」が異常な数値で多発しているというのに。

それを『放射線の影響と断定できない』などと、御用学者どもにいまなお言わせて、自主避難者のケアーはお得意の「自己責任」で押し通す。


国民を殺してどうする。

政府の大好きな『納税者』が減って行くんだぜ。

内需を支える国内消費の消費者も減るんだぜ。


そして、子供を産み育てる環境を提供する事なく、出生率の向上を国民に押し付けて、一体どうしようというのだ。

国会議員の、特に自民党と大阪維新の会の議員達の、議場でのヤジの酷さ。

百害あって大した効果はない「子宮頸癌ワクチン」を、少女達へ強制接種を推進する女性議員達の酷さ。


国民を見捨てて、殺して、何が復興というのか。

数十兆円にも昇る「復興予算」が、一体全体どこに使われてきたのか。



東日本愛震災から五年。

復興など、物質的には勿論の事、精神的にも、全く進んでいない。


これは復興予算が『必要な時に必要なところで』使われていない、という事を意味する。

いみじくも財務省原案にあった。

「沖縄の海兵隊基地の滑走路の舗装修理費」は、緊急災害時に米軍ヘリの出動を依頼する時のため。
「野球場のスタンドの改装費」は、復旧に当たる自衛隊員などの休養に充て英気をやしない、緊急時には避難民の収容のため。

全く『東大話法』の野放図な表現の駆使により、莫大な税金を好き勝手に使う、日本の政治と行政との姿勢が明確に現れている結果に他ならない。


確かに莫大な予算は「どこかで」使われているのだろう。

意味もない「放射線の移動」に過ぎない、終わりなき『除染』作業とか。
見かけだけのような薄っぺらな防潮壁を、何百キロメートルも建設するとか。
飽きもせず、研修施設やら復興施設というハコモノを作り続けるとか。

これらは皆「ゼネコン」と、その関連事業、および人足差配の『パソナ』を儲けさせるだけ。
もちろんそこから、莫大な政治献金という名の見返りが持たらされ、官僚の天下り先がさらに増えるわけである。


つまり復興事業とは、あの「世界に類を見ない」大災害から、国民の生活を取り返すために行うのではなく、あくまで事前に描かれた莫大な金の流れが自分たちへ還流するように仕組まれた事を、そう呼ぶわけである。


なぜか?


当然、政治にも行政にも「愛情がない」からである。


次の5年が過ぎた時、果たして時の政府はどんな「決意を述べる」のだろう。



最後にどうしても言わなければならない事が一つ。


あの「未曾有の大災害」を一次災害だけで食い止める事なく、その後今日まで連綿と続く被災者と被災地の不幸の元凶は、菅直人と野田佳彦にある。

この首相二人と、その両内閣の官房長官と主要閣僚達は、いつか正義の裁きをつけさせる必要が有る。

絶対に。


安倍晋三の今日の『暴政』は、単にその延長戦上にあるに過ぎないのだから。



ただし、安倍晋三の罪は、復興の遅れだけにとどまらないことは、ここに明記するまでもない明々白々な事である。
彼は、別の機会に、もっと大きな御裁きを受ける事になるにちがいない。



とにかく、日本の為政者たちは冷酷である。

菅直人も。
野田佳彦も。
安倍晋三も。








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誰も彼もがやりたい放題。誰も彼も責任取らない。誰も彼も、お上も下々も、老いも若きも。。。

2016-03-08 20:37:50 | もう黙っていられない
明日3月9日、パリでは広範囲のストが告知されています。


原因は、与党「社会党政権」が提出している、一つの法案への国民的反発です。

エル・コームリ労相が提出しているので『コームリ法案』と呼ばれています。

全フランス国民の70%が反対と言われているこの法案は、詳細は省きますが中小企業の活性化を狙ったもので、レイ・オフ手続きの簡略化、企業の寺中状況による仕事の繁忙期と暇な時期とで社員の労働時間の増減をやりやすくするtか。

例えば、フランスでは一度従業員を雇用すると、クビにするのが大変に困難なのですが、勤続年数に従った一時金を払うことで可能にする、とか。

労働時間ははっきりと法的に決められていて、時間外労働は従業員と組合との了承を得て初めて可能となり、業種によって時給が125%から150%になるが、職場組合の合意を得られなくても可能にし、割増料金は10%で良い、とか。


中小企業側は、経営がやりやすくなるので概ね賛成の意見もあるが、保守革新を問わず労使を問わず、70%の国民が反対という、不人気ぶり。

その影響は若年層にも及ぶというわけで、大学生がストを予告し、公務員労組も加わって、明日の全国的ストライキということになりました。

各種公共サービスが混乱し、高速鉄道(TGV)は南西系統が1/3しか運行されず、パリの郊外電車も1系統は1/2。
ルーブル美術館も終日の閉館を告知しています。



日本は、デモすら「偏見」を持たれる場合が多いほどで、ましてやストライキは全くと言って良いほど、乱れなくなってしまったようです。

デモは国民にとっての「意思表示」の大切な手段。
ストは労働者の最大の武器で、ことあるごとに行われています。

とくに、学生が全国的に立ち上がると、その影響協力は非常に大きく、時として国の政策を左右します。

古くは1968年の5月革命を筆頭に、近年でも1970年代から最近まで4度も、政府提案の法案を撤回させた輝かしい実績があります。

1975年と76年には、高校のカリキュラムの抜本的変革を求めた法案は、全国の高校生が大量動員のデモを繰り返し、結局法案の一部は撤回、それ以外も大きく変更されました。

1986年には、大学入学に選抜試験制を導入しようとした『ドウヴァケ法案』には、高校生も加わって全国でデモの嵐が吹き荒れ、労働者たちも高校生の運動に共感して労組のデモも次々発生して、警官隊の警備で一人の学生が死亡するという悲劇もあって、法案は撤回されました。


もともとフランスでは、高校三年間の学業の終了は、最終学年の学年末に1週間にわたって行われる『高校卒業資格試験』(バカロレア)を経て、80%前後の合格率を経て卒業が認められます。

第1日目の最初の科目は『哲学』で4時間の論述試験です。
そのバカロレアを取得すれば、大学は(学生数に応じて全国に振り分けれらることがあるものの)希望の学部に「いつでも」入学できるのです。

もちろん入学してからも、1年生の1学期から「専門教科」の履修で、2年に進級できるのは文学部など20%を切るほど、しっかり勉強漬けの日々となるわけですが、バカロレア取得した上で、人気の高い学部は『選抜試験』などと言い出した政府に、若者たちは実力行使で< NO >を突きつけたのです。

日本の様に高校に3年在籍すれば、不登校でも単位がもらえて、卒業証書を手にすることができる。
その「資格」があれば、フランスの大学にも入学できるという、大変な不合理さも存在します。


言いたかったことは、学生も労働者も「自分たちの不利益」だとみなす政治的な動きには、即座に反応して反対行動を起こすということです。



ところで、フランスの『労働基準法』の法典は、ナポレオン法典時代から捕逸と変更の追加が繰り返された巨大な書物で、関連法まで入れると3500ページほどもある。

デンマークという国には、そもそも『労働基準法』という法規が存在しないそうです。

単純なルールブックがあるだけで、250ページほど。

両方並べると、広辞苑の横に週刊誌があるみたいに見えます。


そのデンマークでは大企業も中小企業も、労働条件は全て労使の話し合いで決められます。

どの企業にも「労組代表」の社員がいて、生産部長とか直接の現場の責任者と、それこそ毎日会話を続けて細かな問題点まで全てを洗い出して、協議しています。

そこに、両者間に対立関係はなく、協調関係が存在するだけ。

労組代表の社員は、社員が精神的に肉体的にいかに最良の条件で作業に当たらせることができるか、を考える。
経営者側の責任者は、工場なり職場なりを、どれだけ効率よく運営して生産を高められるか、を考える。

そこに、両者の一致点を必ず見つけ出す可能性を徹底的に話し合うことで、見出しているそうです。

フランスの「最低賃金」は、日当、週給、月給により複雑に分かれていますが、2016年1月に年次改定されて時給ベースで9,67ユーロ(およそ1700円)、月給に換算すると週35時間で1.466,62ユーロです。

学歴社会で、バカロレア以降に取得したディプロム(学位や資格、免状)によって所得が変わりますが、バカロレアだけで就職すると、この金額になります。

単純労働は事務職も現場もだいたいこれで、移民労働者もパートも金額は同じです。

ところがデンマークは、会社ごとに全て話し合って決まっていて、会社ごとに話し合って改定されるので、職場毎にみな違う。

ルールブックには、一応「15ユーロを下回らないこと」という規定はあるらしいですが、ほとんどその倍ほどは確保されている。

もちろん中小企業の場合です。

大企業はもっと多いかもしれません。

つまり、フランスから見ても羨ましい限りですが、労働者は「普通に快適に」生活ができる経済的環境が、企業側との話し合いで確保されているわけです。


それに比べると、フランスは厳しいです。

夫婦両者の収入で、(階級ごとの基準はあれど)やっとまともに生活しヴァカンスにも行ける。

しかし、通勤途上の事故から始まって就業中の事故による怪我は全部「労災」認定で、社会保険から「100%」支払われます。
年金も、昔と比べてどんどん少なくなってきたとはいえ、65歳から支払われます。

夫婦の年金を支払いに変えることで、夫婦で老人ホームにも(介護付きで)入入所できます。


つまり、人間は基本的に文化的生活を快適に営むことが当然の権利として、労働環境が成立している、ということです。



翻って、日本という国はどうなのか。


『保育園落ちた、日本しね』という投稿で、日本中が炎上しているようです。

こんなことが国会の委員会質疑になること自体が、考えられないほどの体たらくなのですが。

安倍晋三の答弁が、実に「アベ過ぎる」ものだった。
批判の嵐に、さすがの「私が総理大臣ですから」のこの人も、あわててトーンダウンして火消しに大わらわ。

<以下引用>
保育園への入所選考に落ちた母親が「保育園落ちた日本死ね!!!」と題して怒りをつづったブログが波紋を広げている。ブログが匿名だったため、安倍晋三首相は2月29日の衆院予算委員会で「本当に起こっているのか確認しようがない」と突き放したが、7日の参院予算委では、待機児童を減らすため「政権交代前の倍のスピードで受け皿作りを進めている。保育士の待遇改善にも取り組みたい」と理解を求めた
毎日新聞より

そして、驚くべきことには。

【炎上】「保育園落ちた日本死ね!!!」←こんなこと言うような親だから落ちたんだろ?在日朝鮮人か外国人くらいしか日本死ねとか言わんだろ。ヤラセ・炎上目的の釣り?【はてな匿名ダイアリー】

こんなことを言い出す輩が、次々と湧いて出る。

【衝撃】「保育園落ちた日本死ね!」の黒幕は日本共産党だったwwwwww ...

あまりにも情緒の未発達な、あまりにも他人の痛みのわからない、あまりにも非人間的、非社会的日本人が増産されている。

この連中は、自分は豊かに平和に暮らしているのだろうか。
そして、自分が今暮らしている環境は、自分一人の能力で得られたのだと、信じているのだろうか。

言い換えると、社会には「自分一人」と「バカな他人」しか見えないのだろうか。


このような成長段階に問題があった年か思えない人間が、なぜにここまで増殖してしまったのだろうか。


いぜんの日本ならば、この手の出来損ないは少数で、まともに社会で取り上げられることもなかっただろう。

いつの頃からか、競争原理の拝金主義が横行し、自己責任という「一見耳障りの良い」言葉がもてはやされるに至って、このように考える大人たちが跋扈し、その大人たちを見て育った若い世代にまで蔓延してしまった。



日本の労使関係を見てみよう。

企業にとって、労働者は以前のような「家族」という感覚は無くなった。

あくまで企業の利益を生み出す為の道具にすぎない。

道具である以上、仕入れ値は低ければ低いに越したことはない。

そこには、自社院の誰もが「快適で文化的な生活」を送ることが前提での人件費は計上されていない。

企業が「これだけの利益を生むには、経費はこれこれ以下に抑えたい。したがって、社員に払う分はしかじか」と計算して決められる。

「これだけ払ってやるから、しっかり働け」
「嫌なら、代わりはいくらでもいる」

そして、さらに経費を抑える為には、人件費に付随する社会保険や年金などは切り捨てたい、という発想から『派遣社員』の導入に舵を切った。

要するに、人件費は部品代と同じグループに入れられてしまったわけです。

職場で同じ作業を行っていても「派遣さん」と呼ばれて、すでに差別化は完成してしまっている。

社員が定時で帰れるように、残業代のかからない派遣に押し付ける。

数名で分担する職場を、一人の派遣社員に押し付けて、待遇は正社員の半分とか三分の一とか。


社会で今最も必要とされて、最も過酷な作業を強いられる職場。

例えば「介護士」や「看護助手」さらには「保育士」などが、派遣社員でげっキュが10万円から、良くて12蔓延。

これで、不規則な時間帯の長時間シフト。

こういう老僧環境が支えている社会構造とは、一体誰の為に存在しているのだろう。


正規社員が当然であった労働環境は見事にゴミ箱に叩っ込まれて、非正規での雇用しかなくて、その「やっと手にした」非正規の職場を失うことを恐れて、逆らえない労働者の弱みに付け込んで、今日の「いわゆる先進国」日本というまやかしの国家が、鵺のように存在している



本来、これらは行政が監督していて、その行政は政治が方針を決める。


その政治が、国民の平和と安寧とを目指していないことは、先のネトウヨのようなアベ信者以外、誰の目にも明らかである。


しかし、国民の半分は投票に行かない。

投票する有権者の半分は、そのような社会的矛盾に、気がつこうとしない。


もう、黙っていられない。




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新たな年を迎えて思うこと。。。

2016-01-01 18:04:27 | Weblog

読者の皆様。

謹んで、初春のお慶びを、申しあげます。



日本の社会のあまりの異常さに、ずっとずっとブログを更新できずに、悶えておりました。

国民に選ばれた政治家が、国民のために「まつりごと」を行う『代議制』にあって、政府が国民の利益に反することしかしようとせず、国民の声に一切耳を貸さない事態に、最大限の危機感を抱いております。

一体全体、なぜこんな事態が到来してしまったのか。




国民は、自分たちにもたらされている現実を、把握できないのか?

立ち上がって、実力行使を行わないのか?

国民の意識と行動原理の根底が教育にあり、明治維新以来の「お上の政治」がもたらした教育が、お上の僕を生み出すために存在し、自分で考え、自分で分析し、自分で判断するという発想をもたせてこなかった、その結果が見事に結果として現れているとしか、言いようがありません。

神頼みしか、もはや手立てはないのでしょうか?


人間の思考は、訓練によって形作られ、深めることができるはずです。

その訓練にあたっては、すべてとは言わないまでも、可能な限り多くの情報が提示されなければならず、その情報を整理し、理解し、判断する能力とともに、判断した後に実際にどう行動するかという、現実論が控えているはずです。

そして、その行動に対する現実のなかに、「世間」とか「常識」とか、目に見えない複雑な規制をかける要素が横たわっています。


世間の目、社会の常識、波風を立てずこれまでのやり方を変えず…。

こんな自己規制も、社会そのものが作り出し、その社会は一人一人の市民が形成することで成り立っている以上、市民自身が社会を規制している、ということになるのでしょう。

つまり、目の前の白線をまたげない、ということでしょう。


そして、状況はますます酷くなり、自分自身が置かれた環境はどんどん劣悪になり、それに気がついても反発する代わりに受け入れて、自己の忍耐と努力とでなんとか受け入れて、受け入れたことでその困難を乗り越えた気分になって、安心するわけですね。



徳川家康とルイ14世には、共通点があります。

それまでの時代を変えた。

その時代のキー・ワードは「17世紀」です。

家康は17世紀になって程なく世を去り、ルイ14世は17世紀になってこの世に登場します。

それまで両国とも、地方諸侯権力が無視できないほどに強力で、一国の統一感は無かった。

家康もルイ14世も、その社会を転換しました。

地方の勢力の力をなくし、国を一人の権力者の元に一本化して、いわゆる中央集権を確立しました。

ただ、この二人では「やり方」が正反対でした。


家康にとっては、自分の子孫が未来永久に栄えて存続すること、という一点のみが政治の原点でした。

ライバルである諸大名を、すべて無力化していった。

大名の固有の領地であった「藩」の所有権を『認めてやる』か『認めない』かは、権力を掌握した自分にある。
文句があれば「取り潰す」ぞ。

これは「恫喝」による強権政治です。

配偶者と世嗣の男子を自分の足元に留め置かせ、参勤交代などという膨大な出費を伴う義務を課し、ある藩の公共事業を別の藩にやらせる。

とにかく、常に大名たちの「実力以上」の出費を強いて、彼らを体力的に消耗させてゆくことに、すべての力を集中した。


それでも、ごく稀れに社会に文化が発展し始めると、「贅沢禁止令」みたいなことで潰していった。

庶民たちは、「お上」にはあくまで従順なまま、黙々と年貢を払い続けて忍耐力を養った。

一度「あり方」が定まると、変われない日本人社会はこの頃からすでに完成していた。

愚鈍な将軍が出ようと、平々凡々な将軍が続くこうと、もはや変われない。
その間に、支配構造は疲弊し劣化していった。

従って、安定は保たれたものの、社会全体の文化は発展できず「足踏み状態」のままで、260年間持続しました。



江戸という都市の構造や社会生活の実態は、ヨーロッパをはるかに凌駕していた先進的なものであったことは、いまは触れません。



ルイ14世は、全く逆です。

貴族たちを徹底的にもてなしたのです。

ヴェルサイユという壮麗な宮殿で「夜毎日毎」に、それまでの概念を超えた途方もないパーティーを繰り広げ、そのパーティーに貴族たちを招き、喜ばせます。

そのパーティーに招かれた貴族たちは、あまりの型破りな有様に驚き目を丸くして感動した。

招かれることが、名誉であり、差別化でありました。
自分で「自分は大貴族のはずだ」と信じている貴族達は、競って「招かれ」るために事前運動を繰り広げた。

大貴族たちは、自分の領地でふんぞり返っていても「面白いこと」に参加できないのでヴェルサイユに入り浸って、ルイ14世の周りでウロチョロし、なんとか国王陛下に「覚えていただき」仲間に加えてほしがり、領地は顧みなくなって『宮廷貴族』と呼ばれるようになってしまう。

そのパーティーとヴェルサイユの宮廷生活の、あまりの途方もなさに驚き目を丸くしている貴族たちに、ルイ14世は「大いに楽しんでくれ給え。諸君も自分たちで同じようなことをやれば良い」といい、結果として貴族世界の文化がどんどん底上げされていったのです。


各国との戦争も続いたが、「宮廷と一体になった」貴族たちは、フランスの名誉のために「自らの意思で」戦い、勝利を続けていった。

勝てば相手国から「戦時賠償金」は取れるし、領土も増える。
国庫は潤い、国民たちの生活も安定し、そのプライドも十分満たされる。

国はまとまり、強固となる。


しかし。

天才ルイ14世の遺産を受け継いだルイ15世は、ごく普通の「秀才」に過ぎず、天才が築いた途方もない国力を秀才が受け継いでも、発展させることはおろか、維持してゆくのも難しい。

対外戦争に負ける事も出てくる。

負ければ戦時賠償金を取られ、領土も割譲させられ、国民のプライドは傷つく。
国庫は苦しくなり、取り返すために、すぐ次の戦争をやる羽目になる。
その戦費調達のために増税を行い、国民の生活は困難に陥ってゆく。

国としての、物理的精神的統一感が緩んでゆく。
負のスパイラル。

そしてルイ16世は、探せばどこにでもいる「平凡な」単純ないい人に過ぎなかった。


平凡な王は「平時」であれば問題ない。
しかし、経済が完全に逼迫した事によって、社会の制度全体が崩壊寸前となってしまった大国の君主には、強力な才能と強烈な個性とが求められる。

日本は「将軍」が愚かでも、諸大名は反発などしないし、ましてや庶民は「まつりごと」の埒外で存在していたので、260年の間続いた。


ところが。

日本と違ってフランスは、民衆自体がお上の一方的なやり口をどこまでも我慢して受け入れる民族ではないので、革命が起こり、結局ヴェルサイユの栄光は160年しか続かなかった。

しかし、対外的な影響力としては、政治と文化の面では20世紀初頭まで、ヨーロッパ全体に君臨したのです。


家康と、ルイ14世と、どちらのやりかたが良かったのか。

物事は、そんな単純なものではありませんが、少なくとも「国家の影響力」は全欧州的に260年続き、国民は革命を起こして自ら自由と平等ととを獲得して行く足がかりを得た。


やはり、神頼みでは何事も変わらない。

『神風』は吹かないのですね。


そして、恫喝では国民の心は得られないのです。


現時点での日本の実態は、17世紀から19世紀にかけてのフランスと日本との、悪い点だけを併せ持ってしまった。

無能な支配者と、物理的に抵抗しない国民。

其の結果が、今の日本なのではないでしょうか。



今年は、衆参同時選挙になるでしょう。

そして、このままでは自民党は、公明党と大阪維新との協力で、衆参両院で共に3分の2を確保するであろうことは、間違いない状況になっている。

そのあとは、当然憲法改悪が待っています。

『基本的人権が国民に有るのがおかしい』

そんなことを声高に発言する副幹事長が居る政党の政府です。



どうしますか…?


私は、個人的には、行くところまでいかないと日本の国民は「変われない」と思ってしまいます。

70年前焦土と化した国土を前に、涙し不戦と平和を誓った日本人。


あの様な状況に再び陥らなければ、国民も、報道も、官僚も、そして政治家も、変われないのではないでしょうか。


あの頃と違って、即座に日本が対外戦争に突入することは、ないかもしれません。

しかし、宗主国アメリカの経済的・人的負担を肩代わりするべく、自衛隊を中東に送るでしょう。
中東だけで済むとも思われない。


マイナンバー制度と、目下準備中の共謀罪、さらに秘密保護法で、日本はこれまでの日本とは違う気にになります。

原発も次々と再稼働させて行きます。

兵器を開発し、国際的に売り出して行きます。



ルイ14世は、大貴族たちをもてなすことで国家を統一し、対外的力の源泉としました。

フランスの文化は全欧州の規範となりました。


安倍晋三は、大企業をもてなすことで国家を危険な方向へと導き、対外的に危ない国として観察され始めています。


大貴族をもてなして築き上げた国力は、国民が一旦倒したフランスにいて、大企業をもてなして国民が立ち上がらない国を、憂いております。


今年、日本の辿る道は、どこに向かうのか。。。


起死回生の奇跡は起こるのか。。。

日本にもジャンヌ・ダルクが現れるのか。

森裕子さんでも良い。
太田和美さんでも良い。

他の誰かでも良い。

現れるのなら、現れて欲しい。

神頼みに走りしかないほど、祖国は傾いている。



新年早々、思いは現実の苦しさに苛まれております。




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難民が津波のようにやってくる。人道主義も博愛の精神も、現実には無力。では…?

2015-09-08 22:26:39 | 国際関係
難民の流れは止まらない。


早9月となり、ヨーロッパの秋はあっという間に過ぎ去って、長い冬を呼ぶ。

秋から冬にかけて、地中海は荒れる事が多い。
そして、冬のヨーロッパは決して快適とは言えない環境となる。

中東や北アフリカの難民たちは、そうなる前にヨーロッパにたどり着きたい。

老朽船にすし詰め状態で海を渡るには、秋や、まして冬ではあまりにもリスクが大きすぎる。

冬の到来とともに、彼らが向かう西欧までの長く危険な道中に、野宿は無理だ。


ドイツには、今年一年間で80万人もの難民が到着すると、見込まれている。

そのドイツは、その他のヨーロッパ諸国に比べて経済状態に恵まれている。

その分、移民や難民に対する感覚も、他に比べて優しかった。

しかし、物事には限度とうものがある。

すでに、極右の台頭が見られる中にあって、難民収容施設を襲撃する事件が頻発した。

ただ、その反動で市民の間で「難民受け入れ」に積極的に取り組むべきだという社会運動が起こり、反「難民排斥」デモが各地で起こり、当然のようにフランスにも波及している。


しかし。


今現在でドイツが受け入れる難民は、その全員をドイツに定着してもらうわけではなく、EU各国に分散する意向である。

そして、先般EU委員会が提案し各国が拒否した、各国の受け入れ割り当て数を上回る数で協調するべきだと、本日8日メルケル首相が発言。

当然各国は困惑している。

イギリスとフランスもそれぞれ24000人ずつ受け入れると発表したが、一日経って本日には2万人ずつとトーンダウン。


何しろ、難民受け入れ(移民政策)は、政権にとって命取りななるほど微妙な問題なのである。


同じEU加盟国といっても、西欧と旧東欧諸国とでは、国の経済基盤に差がありすぎる。

それの解消に、EU予算から新加盟国に多額のインフラ整備予算が回せれており、その事にドイツとイギリスとが殊の外不満を持っていた。

「自分たちの稼ぎが自分たちに反映せず、自分たちの稼ぎでなんで彼らを豊かにしてやらなければならないのか」
というわけだ。

その事が、近年のイギリスをしてEU脱退を視野に入れる発言を繰り返させてきた。

その事がギリシア危機に際して、ギリシア支援をドイツの不人情なまでの反発を生んでいた。

旧東欧諸国は、EU加盟で潤いインフラの整備を可能とし、工業化の前進をみて、低賃金を武器に西欧諸国の経済にダメージを与えてきた。

その彼らは、難民は受け入れたくない。
「自分たちの経済力では不可能」だという。


つまりアッチもコッチも、都合のいい時だけEUを利用し、都合の悪いことは国家主義を前面に出してしまう。


しかも、ここ1年急速に増えてきた「ボートピープル」は、それぞれの国では中産階級なのだ。

25万円から450万円とも言われる途方もない「乗船料」を払えた人たちなのだ。

彼らは「家も家具も全て売り払って手数料に当てた。もう着の身着のまま」と言いつつ、先進国での豊かな生活を夢見て、西欧へ西欧へと向かう。


そして、すでにドイツやフランス、イギリスなどで難民認定を受け、住居の提供と生活支援金を得た難民たちが、FBやツイッターなどのSNSで新生活を自慢しているから、始末におえない。

当然、皆が皆同じように豊かに暮らせると信じ込んでやって来る。


だがしかし。


ドイツが受け入れに寛容なのは、あくまで「労働力」としてであり、中産階級の生活を保証するためではない。

そこにギャップが生まれる。

故国で中産階級であった難民たちは、新天地でもその国の中産階級の暮らしがしたい。

若者たちは大学に行って、良い暮らしをしたいと言う。

しかし、受け入れ側はそこまでの環境を提供するつもりはない。

階級社会の西欧で、労働力というのは、あくまで中産階級ではない。


さらに、西欧は「キリスト教」の文化圏である。

キリスト教の「博愛精神」で、難民を受け入れよう、親切にしよう、と訴えてはいても、現実の社会の中では市民たちは「イスラム」にうんざりしているのだ。

前の記事にも書いた通りだが、西欧各国でイスラム教徒は問題の種でこそあれ、歓迎するべきメリットは何もない。

これまでに移民して住んでいる彼らは、故国では低階層の出身者であることが多く、学歴や教養も乏しかった。
そして、生活習慣の違いと宗教への非寛容が西欧社会との軋轢を生み出し、差別意識の対象となってしまい、社会の上層部に入っていけるチャンスは生まれない。

教育水準は恵まれない中で低水準に留まり続け、職業も一般労働者かそれ以下で甘んじるしかない。

もともと階級社会の西欧では、その階級差は埋められることはなく、不利な環境で益々差が開いていくだけ。

犯罪の多くは彼ら移民のせいにされ、偏見はさらに強まり、真面目に生きようとする若者たちまで締め出されて非行化にはまって行く、負の循環に陥っている。

彼らが、故国を捨てて移民してきて、西欧諸国で暮らしていく決心をした以上、その国の国民になりきってしまうのなら、まだ問題は少ないのだろうが、彼らは決して宗教は捨てないし、それに伴う生活文化も替え用としない。

そうすると、失業者も多く生活支援金の給付の恩恵を受ける彼らの数の多さに、各国の極右の人々は排斥行動に走るようになる。

全く、負の連鎖は断ち切れないのだ。


確かに、難民認定を受けられれば、住居は提供され生活支援金はドイツの場合2千ユーロほど、フランスでも1600ユーロほど支払われる。
子沢山の彼らには、児童手当も給付されるので、6人も子供がいれが親は働かなくても暮らしていける、と地元住民は不快感を隠さない。

このような難民と地元住民との軋轢は、国家間の軋轢とも連動してしまうのだ。


オランダは、昨今政権交代がなされ、それまでの社会民主勢力から「中道右派」へと変わった。

そのオランダ政府は、難民を歓迎しない方針を決定し、実際に宣伝活動を始めている。

そのことで、自国のリベラル側の政治家たちからも批判を受け、EU諸国からも反発を受けかかっているが、しかしたった560万人しか人口のない小国で、昨年は15千人の難民を受け入れ、今年は半年でその数字に達してしまった。

現実問題として、もっと沢山受け入れろと、批判するのは現実的ではないのではなかろうか。

彼らなりに、十分努力してきた結果の決断なのだから。


フランスは、もっと深刻である。

社会党の大統領フランソワ・オーランドは、政権交代をなし遂げたものの、支持層の国民たちが期待した政策は何も行えず、失業はさらに増え、税金は上がり、格差は広がる一方。

すでに統一地方選挙では、大敗を喫してしまっている。

ただでさえ、極右政党の支持率が急速に伸びてきて、いまや一般政党並みの扱いである。

まさしく「大阪維新」や「次世代の党」の様に、あまり疑問を抱かれずにそれなりの地位を獲得してしまっている。


その状況にあって、兼ねてより最も大きな社会問題であった移民問題に、これ以上火をつけたくない。

しかし、「自由」と「平等」と「博愛」とを国是とする以上、今夏に悲惨な難民問題に、扉を閉ざすことはできない。

大変微妙な綱渡りを強いられている現状である。


世界中で涙を誘った、あのシリア人の幼児の難破事故の犠牲写真のおかげで、今のところ一気に難民に優しい空気が生まれているとはいうものの、それはあくまで一過性の風にすぎない。


これから、最終引き受け国の割り振り、受け入れ国への一体化への行政支援、教育や医療問題や、具体的な問題は山ほどあり、それらにかかる予算額は天文学的な数字に登る。

ドイツ一国で、難民支援の資金は1兆ユーロに達する見込みだと、いわれている。

ただでさえ、ドイツ以外の各国は財政赤字に悩み、EU加盟国としての条件を満たすことすら実質的に不可能になりかかっている現在、自分たちに関係ない膨大な支出にどこまで耐えられるのか。

ギリシャ危機を見ていれば、理解できるというものである。


さらに言えば、それらの問題は枝葉であって、本質には触れていないのだ。

いくら西欧側が拒否しようと、門戸を閉ざそうと、難民たちの流入は止められない。

なぜならば、西欧と難民発生国との生活の格差は大きく、人は常に豊かな生活を求める。

それでも、自分の国が安定していれば、誰も好き好んで祖国を捨てて難民になろうなどとは思わないものだ。

先祖代々の生活の拠点である祖国が荒廃し、戦闘に明け暮れ生死の境をさまよう日々を送らされていると、自分と家族の生命が脅かされる事態に遭遇した時、人は自らとその家族とを守るためには、祖国も捨てる決意をする。


中東各地の紛争は、石油の利権をめぐってのアメリカと西欧と地元との戦いであって、西欧に与する支配者が国民に圧政をしき、それに対する反乱が起こると、政権を守るためにアメリカ及び西欧が干渉する。

それの繰り返しであった。

圧政者や独裁者にどう対処するかは、それぞれの国民の権利と義務であり、外国が干渉したり、ましてや武力行使で転覆させたりしてはならないものなのだ。

それを、石油利権があるゆえにアメリカは常にやってはならないことをやり続けてきた。

反政府勢力に武器を提供し、その反政府勢力の支援として「アルカイダ」や「IS」を造り、それらが三つ巴、四つ巴となって収集のつかない事態を作り出してきた。

学習することなく、同じことをアフリカで、中南米で、中東で、繰り返して来た。

親西欧勢力を維持するために資金を提供し、武器を提供し、その勢力がコントロールできなくなると反政府勢力を作り上げ、それらに資金と武器とを提供し…。

地元の一般市民にとっては、甚だ迷惑なことだ。

結果として、一般の住民として命の危険にさらされ、国を脱出することとなる。


誰が責任を取るべきか。

どういうやり方で責任が取れるのか。


難民を生み出す国々は、その存在すら不確かになってきた。

難民が殺到する西欧諸国は、その受け入れによってその経済基盤と社会基盤とが、より不安定になってゆく。

これは、下手するとEUの崩壊にも繋がりかねない重大な要因である。

しかし。

「必死で手を伸ばして助けを求めている人たちがいる以上、その手を振り払うことはできない」



ところで、数ヶ月も更新しなかったしがないブログも監視している人たちがいるのか、先日更新した途端にコメントが送られてきた。

全く意味不明の「ネトウヨ語」で幼稚な内容で。

私は自分ではリベラルの範疇に居るつもりである。

その私のブログやツイートに絡んでくるネトウヨ諸君の文言を見るにつれ、彼らの幼稚さ、頭の悪さを痛感する次第である。

もっとも、バカのふりをして馬鹿なコメント送りつけるのが仕事の人たちなのかも知れないが。

それならそれで、ご苦労さん。


日本はと言えば、少子化の極みである。
何しろ男女二人の間に生まれる子供の数が一人半にも満たないのだからに世代後には弱小国にならざるを得ない。

まあ、それでも社会が熟成していれば、別に輸出額が半減しようが、GDPが半減しようが、人口も減るのであれば食っていけるだろうし、高度な文化を紡いでゆくことは可能だろう。

しかし日本の官僚やら政治家やらは、あくまで「世界の先進国」という幻想を捨てられない。

大企業は絶対「世界規模」で商売をし続け、国家経済は世界の基準の一つであり続けなければならないと、思い込んでいる。

それなのに。
実質的に核爆発を起こした原発の処理は何もできず。
全国に汚染食品を流通させ。
現地の自治体には強制的に住民を帰還させ。
除染というごまかしの移染で除去した汚染土を、建築資材や農土に再利用し様と企み。
住民の健康診断はおろそかに、必要な医療対策は取らず。
低所得層を直撃する消費税は増税し。
大企業の法人税は下げ続け。
正規労働者の環境をどんどん少なくして非正規化に突き進み。
その派遣労働法を改悪して派遣社員の雇い止めを引き起こさせ。
貧困層を大量に生み出しながら、社会保障は削りに削り。
国民に番号をつけてm納税のみならず財政状態から健康状態まで国家管理をしようとし。
政府は好き勝手なことが出来て、内容は秘密法で隠し。
その秘密法で国民監視を行い。
TPPで、国の伝統的社会経済の環境を破壊して外国に献金し。
戦争放棄の憲法を無視してアメリカの肩代わりで自衛隊を派遣し。
政権に対する批判を封じるための報道規制を行い。
自民党と公明党の政治家と霞ヶ関官僚だけ、特権階級で日本を支配する。


さて国民はどうなるでしょう。

ネトウヨ諸君はお分かりにならないが、国民の生活は破綻し、国民自体の存在が危ぶまれることとなる。


そこで。

偏差値秀才の霞ヶ関は、東南アジアから移民を導入して、安価な労働力を確保しようと考えているらしい。

馬鹿め。

東南アジアだって、いつまでも発展途上のままではない。
すぐにでも、日本に追いつき追い越す。

シンガポールなどはすでに日本を追い越している。


ねえねえ、官僚さん達。
どうする気?

目と耳と口を持たない働き蟻国民が、どんどんいなくなっちゃうよ。


どうせ移民で人口維持を図るんなら。

今決めろよ。
難民の相当数を受け入れなさい。

日本の情けない国情を包み隠さずお話しして、こんな政治的三流国でもよろしければ、生活は保障いたします。
ご姉弟の教育もちゃんとやって差し上げます。
田舎の日本人は親切です。

日本人になって、日本社会に溶け込んで、日本の明日の為にお力をお貸しください。

納得していただければ、生活には困らない様にいたします。
生来の日本国民と、一切の差別はいたしません。

どうか、お越しください。
この美しい国へ。

しかもだ。

本来、一番被害にあってるはずの、シリアやイラクやエジップトの田舎の農民達。

脱出する為の経費を賄えないで、ISやアルカイダやシリア政府軍や、米軍や英仏軍の攻撃に晒されている人たち。

イスラエルの人でなしの暴挙に、家を壊され土地を奪われ、家畜を殺されオリーブ畑を焼かれているパレスティなの人々。

そんな人たちこそが、安住の地と平和な生活とを最も必要としている、そんな人たちにこそ、呼びかけてご覧んよ。



大々的に宣伝してご覧。

君たち官僚と自民党が渇望する「世界中の尊敬」を、一身に勝ち取ることができるよ。


国民から搾り取ることだけが、エリートの役割ではございません。
一度くらい、オツムを使ってみることをご提案いたします。







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未曾有の数の難民が押し寄せる欧州。原因を作った米国は何もしない、ならば日本にこそやれる事がある…。

2015-09-06 21:53:55 | 国際関係
世界が壊れかかっている。



平和に暮らしていた土地に住めなくなり、平和な暮らしを営む権利を破壊され、着の身着のまま命からがら逃げ出して、とにかく生きてゆく希望を託せる新天地を求めて、中東や北アフリカ、ひいてはミャンマーなどから人々が続々と脱出している。


ここ数年、密航斡旋業者になけなしの資金を支払い、小さな老朽船に乗り切れないほど満載状態で地中海を渡ろうとしている。

イタリアやギリシャの沿岸警備隊を避けつつ、沈没しそうなギリギリの状態で、ヨーロッパでの新生活を求めて。

藁をもすがるような思いで。



そしてここ十日ほど、シリアを中心とした、ギリシャへたどり着いた難民たちがハンガリー、オーストリアと各国境で足止めを食い、困難を極めながらドイツを目指している。

ドイツは、欧州の中で最も経済的に安定した国というイメージと、移民にも寛容な国家だというイメージとに惹かれて。



何が起こっているのか。

状況は、ヴェトナム戦争末期と酷似している。

国家が崩壊し、それまでの身分が奪われ、土地や家が奪われ破壊され、あるいは体制の変化による迫害や弾圧、奴隷化などの現実を前に生きながらえる事を求めて脱出する。

自分が生まれ育った土地、国、民族を捨てて立ち去るという事は、大変なストレスと勇気と、止むに止まれぬ切迫感と、救い難い恐怖感とが綾なす異様な精神環境が作り出す。

皆が皆、必死である。

イラクの陥落とアルカイダの勃興以来、あるいはもっと遡って、トルコによるクルド人の迫害や、ユーゴスラヴィア分裂による、イスラム教徒コソボ人たちへのキススト教徒セルビア人によるジェノサイド、あるいはその逆のパターンなど、祖国を故郷を捨てて逃げ出す人々の数が膨れ上がってきた。

そして、ISの伸張とシリアやイラクの荒廃、アルカイダ系「ポコ・ハラム」によるナイジェリアとマリ北部の暴政、などなど人々から生活を奪う環境は枚挙にいとまがない有様となった。


シリアとイラク、およびヨルダンやソマリア、はたまたエジプトから逃げ出してきた人々は、ブローカーになけなしのお金を巻き上げられて小舟に満載状態でギリシア沿岸を目指す。

リビアやニジェール、マリ、ナイジェリアなどからの難民はイタリア沿岸目指して地獄の船出をする。

『ヨーロッパに行けさえすれば、住む家も仕事も見つかり、豊かな生活ができる』と、根拠のない夢を抱いて。


国際移民機構(IOM)の調査によると、今年に入っての1月から8月までの間におよそ35万人が、欧州沿岸にたどり着いた。

あたかも、オイルサーディンのようにすし詰め状態の老朽小型船に詰め込まれて。

悪徳業者の悪計に引っかかって、途中で船ごと沈められたり、船倉の中で酸欠になったり、鈴なりの甲板から海中に落下したりして、夢の途中で命を落とした人の数は膨大な数に及ぶだろう。

確認された(遺体が見つかった)死者は、2643人に上る。

そして、その何倍もの人が地中海の藻屑と消えたはずだ。


たどり着けた人々も、そこから先が大変。


ここ数年、イタリアは漂着難民を救助はするものの、そのままイタリア国内にとどまる事は許さず、入国許可だけ与えて、列車でフランスへと送り出し続けた。

EU域内のシェンゲン条約締結国は、一切の出入国管理がないので、パスポートを持っていようがいまいが越境できる以上、イタリアのヴィザを持っている限り仏伊国境駅での強制退去を求めるわけには行かず、両国政府間でかなりのトラブルとなっていた。

多くの難民たちは英語圏であるイギリスを目指して、英仏海峡を目指した。

英仏海峡の狭隘部カレーという港町には、ホームレスのように難民たちが公園や空き地を占拠し地元住民との間のトラブルは日常茶飯事となった。

陸送トラックに潜り込み、シャシーの下に潜んでイギリスを目指して国境警察に逮捕されてきた。

カレーの市民は炊き出しなどで応援していたが、きりがなくて下火となってゆく。

つい最近も、彼らは英仏海底トンネル(鉄道トンネル)を35キロ歩いて潜り、イギリス側の出口で「列車往来危険罪」で大量逮捕されたばかりである。

もっとも、この罪名による起訴に対しては英国司法は無罪判決を出したが、不法入国への法的対処はこれからである。


今年6月にEU委員会(内閣に相当)は、加盟各国に難民受け入れの数を設定して加盟各国に打診している。

全移民希望者数の22%をドイツが、18,88%をフランスが受け入れるべきというような数字であり、各国の利害が錯綜してまだ正式に決定していない。

フランスは受け入れに前向きな姿勢を示していたが、ドイツとイギリスとは難色を示し、その他の中小各国も甚だ消極的であった。

特にドイツは、その「寛容なイメージ」とは裏腹に、以外と冷たい反応であった。

これらの難民たちを収容する施設を、ドイツ各地で襲撃する出来事が相次いだ。






そして。

今回の、トルコ海岸に打ち寄せられた小児の写真が世界を駆け巡り、この大量難民問題が一挙に世界の注目を集めることとなった。

EUに加盟してEU政策の美味しいところだけを享受し、EU共通政策は採用しないことから批判を受けていたイギリスも、キャメロン首相が受け入れを表明。

ドイツも「必死で差し出されている手を、握ることを拒否することはできない」と、封鎖していた国境の解放を宣言。

8月30日から31日前の一晩で、国境の反対側ハンガリーとオーストリアから2200名の難民申請が寄せられ、9月4日で1万人がベルリンに到着した。

やっとの思いで、ミュンヘンに、ベルリンにたどり着いた難民たちは、一様に晴れやかな表情で喜びを隠そうとしない。

「国では悲惨だった。ここで自分と家族とにより良い生活をさせてやりたい。」

「大学に通いたい。学問を身につけて良い職に就きたい」

難民や移民たちは、常に同じ事を口にする。


だがしかし。

物事は、それほど簡単ではないのだ。

ドイツにたどり着いた人々は、これからも続々とドイツを目指すであろう人々は、ドイツ政府に『難民申請』を行わなければならない。

しかも、今回ドイツが受け入れた難民たちは、全員をドイツで受け入れるわけではないのだ。

ドイツ政府は、難民として認められると、ドイツ以外にもフランスやイギリス、スペインやイタリア、その他EU各国にそれぞれ受け入れを割り当てる、と言っている。

各国での調整がなされていないにもかかわらず。


そのほか、イギリスを目指す人々、フランスを安住の地にしたい人々、スエーデンを目指す人々が、続々と続いている。


そして。

受け入れ国が決まったとしても、そこから「夢見ていた」幸せな暮らしが待っているわけでもない。

住宅は割り当てられるだろう。
そう信じたい。

当座の生活費も支給されるかもしれない。

しかし、それが永久に続くわけではないからだ。

言ってみれば、311以後の避難住宅で暮らす人々の事を考えてみれば、少しは理解できるかもしれない。

入居期間が、多かれ少なかれ決められている。

保障は一定期間が過ぎると打ち切る、と東電はほざいている。

職はなく、近くに友人もおらず、ただ与えられた援助が続く事を祈るばかり…。


ヨーロッパは、移民問題が最大の社会問題と言っても過言ではない。

20世紀前半までに西欧各国が所有していた植民地が、先の大戦ノアと次々と独立した。

独立は果たしたものの、経済基盤は脆弱で皆が食っていく事は不可能であった。

必然的に、旧宗主国に移民として移り住んで行った。

イギリスにはインドやパキスタン、東ャフリカ諸国、ドイツにはトルコ、フランスには北アフリカのマグレブ諸国と西アフリカ各国から。

大戦後の経済復興期に、彼ら移民たちが大いに重宝されて、いわゆる3K職業に携わった。

そして、右肩上がりの経済成長は歴史となってしまって以後、その移民たちの2世3世が社会のバッシングの対象となってしまう。

彼らはそれぞれの移民国の国籍を持ち、1世の代からそこの国民と同じ様に税金を払い、社会保障の負担金を払ってきたにもかかわらず、一度不況の世の到来で、子沢山の移民たちが児童手当で豊かに暮らしているとか、社会保障の恩恵を享受して、その負担だけを元来の国民が負わされているとか。

社会的な「新たな階級闘争」を生んできた。

極右政党は「移民排斥」を唱えてかなりの指示を集め、一般政党と同等の扱いを受ける様にすらなってきた。


そんな中で、移民とその次世代の置かれた立場は、非常にき弱なものである。

不況と共に、彼らの失業率が倍増し、もともと生活基盤が弱い彼らには、子弟に高等教育を授けることを可能とせず、それがさらに失業率を押し上げる。
当然やることもない若者たちは、群れて悪さを行い、彼らが多く住む一帯はスラム化して、さらに嫌われる様になってゆく。

その移民たちも、多くはアフリカ人やアラブ人、あるいはアジア人であり、もともと人種的に差別を受けやすかったところへ、彼らへの偏見が市民の対立軸にまで発展し、宗教的対立軸にすら及んでしまった。


シリアやイラク、ヨルダンやエジプト、スーダンやソマリア、アルジェリアやモロッコ、コート・ジヴォワールやチャド、トルコやアルメニア、インドやアフガニスタン…。

ヨーロッパ社会で、これらの国籍を持っていた人々は、ありていに言えば二級市民扱いであり、教育機会も就職機会も最初からハンデを負い、生活水準が高いとは決して言えない環境にあって、それでも移民先の国に溶け込んで、そこの国民と一体化できる様に苦労を続けて生きている。


そんな背景にあって、ジャスミン革命以降のそれまでの社会の枠組みが壊され、非情な力が一般市民たちを弾圧する様な中で、新たなボートピープルが押し寄せてきた。

「豊かな生活」
「高い教育」
「自由な環境」

いずれも、相当なチャンスに恵まれないと、本人たちの才能と意欲だけでは、得ることが難しいのではないかと思われる。


パリの教会で、神父たちが「移民を受け入れ、助け合って生きていこう」と土日のミサで呼びかけた。

カトリックではは神父の言葉はイエスの言葉。

ミサの際の神父の説話のあとでは、信者たちの多くは十字を切る。

ところが、今回の「移民を受け入れよう」という説話のあとは、十字を切った信者は非常に少なかった、と聞いた。

やはり、社会は移民を嫌っている。

社会の混乱の、環境の悪化の、原因が移民だと思っている市民は多い。



そして。

今、あの悲惨な子供の死が原因で、社会の反応は一気に前向きになっている。

しかし、これはあくまで一過性のことであると思う。


もともと、なぜこの様な事態が出来したかといえば、民族間の対立の激化、宗教間の対立の激化から、生活環境が破壊せれているからであるが、さかのぼって考えれば、戦争立国アメリカが原因を作り出してきたことは、否定できない。

難民になった人々は、そのアメリカの世界戦力の犠牲である以上、嫌っている、むしろ憎悪しているアメリカに移民しようとは思わないだろう。

アメリカ側が、本当に好条件で積極的に受け入れる機会を、真摯に提供しない限りは。


EUには、今後もとどまることを知らないであろう難民の群れを受け入れる余地は、殆どない。

当初は人道的立場で受け入れるだろうが、あのドイツですら今回の国境開放は、今回だけの人道的措置である、と宣言している。


世界の環境、国家の概念と国境とが急速に壊れ、変化している今、誰が何を出来るのか。



そう考えるとき、日本の現状と将来とを考えざるを得ないのだ。

日本は少子高齢化の傾向は、変えられない流れである。

地方は過疎化に悩み、廃村が多く見られ、税収には限りがあって社会保障の基金は減ることは確かで、増えることは考えられない。

国家としての活力は、どんどん衰退してゆくことは確実である。
若い世代の数が減り、特定のきつい仕事につく人がどんどん減っている。

結果として官僚が考えることは、全く実効性がない、大企業にとってのみ有益な経費が少なくて済む安易な方法を探してしまう。

実際に看護師や、介護士など負担は大きくその割に見返りの少ない業種は、アジアから受け入れる試みを続けている。

直近の問題として、多くが歓迎していない2020年の東京五輪の、くだんの新国立競技場建設の作業員も、アジアから供給しようという声すら聞いた。

なんで、そんんなバカなことしか考え付かないのか。

土地や家を失って、生活の基盤を失って、祖国を失って逃げ出している、多くの人たちがいるではないか。

日本人は白人以外の外国人には差別的である。

というのは、一部の都会のバカどもの間だけ。

だって、田舎のお爺ちゃんお婆ちゃんたちは、官僚と違ってみんな優しいではないか。

廃村目前の村々。
廃屋の数々。
学校も廃校。

つまり、施設は沢山ある。

後継者のいない地方産業。
後継のない農家や工場。
消えかかっている伝統技術。

つまり、口を養える場もある。

そして他方、「生き延びて幸せをつかみたい人たち」が居るのだ。

その両者を活用できれば、両者にとってこんなに良いことはないのではないか?

農業や林業、水産業などの第一次産業と、小さな町工場でのきつい職業であることを、あらかじめはっきり説明する。

そして、官民一体となって彼らを受け入れる姿勢を見せれば。

日本人となって、日本社会に同化する努力を死てくれることを条件に。

学校だって彼ら専門の学校を開校し、両民族の文化を尊重しながら日本語を教え、日本の伝統を教え、馴染んでもらえるように努力すれば、彼らとて絶対にその努力に報いてくれるに違いない。

なにしろ、祖国を脱出してくる難民たちは、農民が多い。小商人や手工業者が多い。

まさしく、互いが望むものを与えあって、得られるものが多いはずではないか。


かって日本は「台湾」を日本化した経験がある。
南太平洋の島々を日本化した経験がある。

朝鮮半島の場合は、不幸な結果となってしまったが、日本語を教え、日本文化を教えることは、できるはずだ。

ましてや多民族の併合や植民地化ではない。

生きてゆく環境を、幸せな生活環境を求める人たちに、その可能性を提供しようというのだから、上手く行かない筈はないのではなかろうか。


日本は、難民や移民希望者にとても冷たい国である。

昨年日本政府に難民申請した1500人ほどの中で、認められたのは僅か2名のみ出会ったとか。

いくら自動車や新幹線を輸出しようと、コミックや漫画、アニメなどのサブカルチャーが人気を得ようと、和食がブームになろうと、日本は世界的に見て非常に閉鎖的な国家出ることは、異論がない。

しかしこれからの時代に、それで良いのだろうか。

国連で、いかに「常任理事国」になりたいと運動しても、賛同してくれる国には限りがある。

ODAやインフラ整備のバーターなど、札束で横っ面を引っ叩く下品な手段を講じなくとも、世界から尊敬してもらえる手段が、今まさにそこにある。

東南アジアなどの人々を、上から目線である種の差別的立場で受け入れる、などとふざけた事を考えずに、命からがら逃げ出してきた人々を、助けてあげて、これから先の矛盾だらけの日本を再生する有効な手段として、感謝せれて感謝する関係を構築する事こそが、放射能にまみれ、独裁政治に翻弄される、戦争したがる日本を正しい道筋に方向転換するチャンスである。


グローバリゼーションとは、金融の世界支配に屈する事では無い筈だ。


ただ、今脱出してくる難民の人たちは、膨大な船代を払えた人たち。
いわば、そこそこのお金持ちや中産階級が大部分を占めている筈だ。

そういう人たちに、ヨーロッパでのハンディだらけの立場が耐えられるのか、という現実がある。

あくまで、住む国と当座の最低限の生活の補助を与えましょう、というだけの状況で、夢破れて絶望する人たちも多く出てくるだろう。


そうなれば、そのうちの幾らかは国に帰るかもしれない。

ISのメンバーとなって。。。。


そして、同じ悲劇の連鎖と成るかもしれない。


日本の果たせる役割は、あるはずだ。
よく考えよう。







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フランスの中学生が社会科で学ぶ戦争とは、現地で現実を身近な歴史で感じ取ること。

2015-06-14 23:48:20 | 政治と社会
第一次大戦で歴史的に戦争体系が劇的に変化した。

航空機や戦車という新型機械化兵器による物量攻撃と、毒ガスなどの化学兵器の登場。
そして、一般人からの徴兵による大量の兵士同士が前線でにらみ合い、何ヶ月もの塹壕戦を延々と続けての消耗戦であった。
フランスが160万人、ドイツが180万人、イギリスが140万人の戦死者を出した。
欧州を二分した戦いの中核となった仏独両国の前線で特に激しい戦闘が続き、フランスのドイツ国境近いアルデンヌ地方一帯には、当時を偲ばせるトーチカ群や、無名戦士墓地が数多く残る。

第二次大戦も、ナチ軍事政権と、西伊両独裁政権の欧州三国同盟に支配された全欧州を奪還するため、ノルマンディー上陸作戦が敢行され、ノルマンディー地方コタンタン半島の上陸ポイントの断崖絶壁の続く海岸線には、未だに連合軍の上陸用揚艇が砂浜に半ば埋もれたまま残されており、沖合には浮き桟橋が見られる。
戦争記念館が多くの自治体にあり、戦没者記念碑や無名戦士の墓地も、アルデンヌと同じくらいに存在する。

フランスの中学生は、2年生か3年生の時にこの両地区に社会科の見学旅行に出かけて、現地で話を聞き、戦場の痕跡を訪ね、レポートを作成しなければならない。
それがその学期の点数に加えられる。

従って、現地で実際に目で見て肌で感じて、その後文献に当たって調査研究することによって、戦争に対する社会的観点からの否定的視点が育まれている。


翻って日本はといえば、日本史でも世界史でも、20世紀初頭で学年が終了し、両大戦の事を詳しく学ぶことはないように、カリキュラムが組まれている。

従って、日本がつい3/4世紀前に激しい戦争を行った事実を知らない子供たちが、多く登場してしまった。
子供たちの社会性と歴史認識への観点が育てられず、テレビの煽る面白おかしい日常で感情が麻痺し、軽薄な「チャラ男」のような若者が、次の日本を背負わなければならない事態となっている。

これは、もとより政治権力が望んだ方向であると同時に、まともに子弟を家庭で教育しなかった戦中派の親たちの責任でもある。


今回の安部自民公明政権により、憲法無視の戦争立法に対して、「やっと」若い世代が集会やデモを行った事を知り、深く感じるものであった。

そして、あの「安部様の」NHKが、まさにこの時に『沖縄戦の記録』なるスペシャル番組を制作して放映した。

製作者のプロデューサーやディレクターが左遷されないことを願う。


そして、このような番組を全小中学生に見せることが、今生きている大人たちの義務ではなかろうか。


修学旅行で海外を訪れる、高校が多数ある。
中学校ですら見られるようになった。

さすがに公立高校ではないと思うが、秋から冬にかけて、制服姿でヴェルサイユ宮殿やルーブル美術館を埋め尽くす日本の高校生を見て、狭い井戸の底のごとき日本の中から、世界的視点を育てる上で好ましいと思う。

しかしそれと同時に、日本の辿ってきた過去を知り、それを踏まえての対外的視野の構築が不可欠のはずだと、やや疑問に思うこともある。

ハワイやヨーロッパに修学旅行に行くなとは言わない。

しかし、その前に中学生くらいで必ず「東京大空襲記念館」や「千鳥ヶ淵の戦没者墓苑」を訪れて、そこで行われたことの実態、それが起こった由来や原因を学ぶことは、まともな精神を持つ日本人を育てるためには、必要なことだと思える。

さらには沖縄を必ず訪れて、悲劇の現場をたづね、戦争体験者のお話を聞き、今回のNHKの番組の様な資料を見て、自分達で自分達のルーツを考える教育は、絶対不可欠なのではないかと、改めて思った。


こんなことを書くと、即座にネトウヨの諸君の条件反射的攻撃を呼びそうだが、今まさに「戦争のできる国」にしたがっている政府を支持するウヨクの人々こそ、かくもコテンパンにやられて、20万人の戦死者を出し、そのうち12万人が住民であったこと、その住民が「人間の盾」にされて、自国の兵隊たちを守らされた事実に触れ、旧日本軍の不甲斐なさを改めて認識することは、軍国主義に憧れる若者たちにも意義深いのではなかろうか。

「強い日本を取り戻す」ためには、ダメな先例から学ばなければならない。


その上で、米軍の沖縄作戦の様子を映した記録フィルムを鑑賞し、自分たちが憧れる「戦争のできる国」ということが、どのようなものであるのかを再考することが、肝要ではないだろうか。

生存者のおばあちゃんの「洞窟に隠れていてアメリカの爆弾が破裂した。気が付いたら、周り中に周り中に首のない人やら、黒焦げの人やら…」という声に耳を傾けて、自分なりの戦争のイメージを修正するのも、必要なのではないか。


普通の日本人として生まれて育って、戦争のことなど「カンケーねえし」と思ってる、多くの若者たちに教えなければならないことは、コンピューターゲームのコンバットと現実の戦争の違い、そのもたらす物事の「脚色抜き」の事実である。


2015年6月14日、反戦争立法の全国各地の若者達の行動と、NHKの沖縄戦争のドキュメンタリー放送とが重なったことは、もしかしたら「天の啓示」かもしれない。


日本人よ。

考えよ。
考えて、行動せよ。

多くの国では、国難に接したとき、若者が先頭に立ってで行動する。
日本の若者も、目覚めてほしい。

安部政権のやろうとすることは、他の誰でもない、君たちに直接降りかかってくることなのだ。

最後に付け加えることは、日本政府は、国軍自ら住民を巻き込み、住民を盾にして膨大な犠牲者を強要した『沖縄』に、一度も謝罪していないはずだ。

これは、従軍慰安婦や南京虐殺犠牲者に「まともに」心から謝罪していないことと、同一線状にある。

日本の支配者たちの精神風土に、自分達の配下にある一般人に謝る発想はないのだろう。

あくまでも、支配者が唯一無二であり、大衆や弱者は虫けら同然なのだ。

そうでなかったら、国民から血税を搾り取って大企業を減税したり、放射能を撒き散らしながら、そこでの生活を強要したり、憲法を完全無視して戦争したがったり、するわけがない。

昭和も平成も、いつまでたっても支配者たちの感覚は、何も変わらないで、時計は止まったまま…。

それどころか、85年前に逆戻りしつつある。。。

皆さん、どうする?





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中国主導の『アジア開発投資銀行』への参加・不参加論からの妄想

2015-04-03 21:18:13 | 日本人の意識と精神構造
我らが総理安倍晋三は、アメリカに忠義立てをして『AIIB』に参加を見送った。


巷では、自主性のなさとアメリカ追随の奴隷根性ぶりに、喧々諤々、非難轟々、罵詈讒謗、といった意見が飛び交ってケチョンケチョンである。

安倍晋三の存在にとっては、分相応の反応だろう。



それとは別の意味で、政府周辺と自民公明両与党以外で、日本全体の論調が「AIIBに参加するのが当然」という声一色なのが、やや気になるところではある。

なぜ、参加しろ、なのか?

具体的には、よくわからない。



かなり以前、カメルーン紹介記事で書いたと思うが、第三世界への中国の進出ぶりは、恐怖を覚えるほどである。


サバンナとジャングルとが交錯する西アフリカ大陸を走っていると、枯れた綿花畑があちこちで目に付いた。

せっかく綿の実が付いているのに摘み取るでもなく、枯れるに任せていた。
現地の同行者に聞いてみると「繊維産業が壊滅して、綿を生産しても二束三文でしか売れないのだ」と。

「中国産の安価な繊維製品が洪水のごとくに入り込んできて、地元の繊維工業が存続できなくなったのだ」と。

「原料としてのコットンを輸出できるほどの生産量も、販売体制も無いからだ」と。

たしかにアフリカにも多いイスラム教徒が頭に巻く「シッシュ(ターバン)」も、市場で売っているものは全部中国製であった。


しかるに、道路事業や架橋工事などを国営中国企業が落札し、作業員もすべて中国からやってきて(かなりの数の囚人が連れてこられているらしい)、現場の作用員はほとんど中国人が占めて、その彼らが家族を呼び寄せて町の人口のかなりの部分を中国人が占めるようになり、その彼らが中国本土から工作機械を持ち込んで、軽工業の事業を始めて、現地の工業のある部分を駆逐してしまった。

アルジェリアでは、高速道路工事の従事者が呼び寄せた家族が一大集落を形成し、製靴業を始めて、アルジェリアの靴工業が壊滅してしまった。


荒涼たるサバンナのここそこに突然中国語の看板が出現し、地下資源を掘り始めている。

彼ら中国人は、インフラ整備の支援資金の提供を持ちかけて国同士の契約を締結し、費用を安く設定して工事入札も獲得し、道路を作り橋をかけ、その資金援助の見返りとして「地下資源」の採掘権を手にしている。


イスラム諸国やアフリカ各国を訪問すると、市場を訪問することが観光の重要な要素になっている。

木の枝を4本立てて、キャンバスや布切れで囲って壁とし、屋根を掛けて作られている店舗が千軒も、それ以上も密集して、見たこともない不思議な食材を売っていたりして、エキゾチックでとても楽しい。

しかし、場所によっては市場見学を止められることが増えてきている。
「危ないから行くな。何をされるかわからないから。」

なぜかを聞いてみると「中国人と思われる」ということらしい。

左様さほどに、かの地で中国人は恨まれ、嫌われていることを実感できる。


カメルーンやベナンなど、アフリカ各国では出生率が高く、子供達が溢れかえっている。

小学校が足りなくて、午前と午後と二部制にしている。

カメルーンには、日本のODAで数百校の小学校が建てられたことで、日本人は感謝されており、彼らは日本人にはとても親近感を持っていた。


それなのに。

今や、東アジア人をみると「中国人」と思われてしまい、下手をすると石を投げられるかもしれないほどに、排斥されている様なのだ。


私は中南米のことは知らないが、状況は似た様なものだと思う。

鉱石採掘に現地人をタダ同然でこき使い、よく暴動が起こったり、国から経営権の取り消しを受けたり、というニュースを見かけた。


つまり、昨今の中国政府は、資源の確保、輸出先の確保のために大盤振る舞いで国家援助を行って、それを利用して国際舞台での「親中国派国家」の囲い込みを行って、国際社会での発言権を高める方針の遂行に余念がない。

結局、援助資金は多くの国では為政者たちの利益に消えて、一般国民の生活の向上に回されることは少なく、結果として国家間での中国の地位は高まるものの、国民レベルでの中国人の評判は地に落ちてしまっているのが現状である。


かくして、中国政府の第三世界への浸透がますます盛んになる過程で、近場である「アジア」への投資が後回しになっていたのかもしれない。

なにしろ公称13億人(無戸籍第二子以降何人いることか)の生み出す国の富は膨大である。

GDP世界第二の大国にのし上がった。

とはいえ、国内の格差は膨大で、そのために国民の不満は高まる一方という、以前から言われ続けてきた内政問題から目を背けるわけも行かず、いかな「新興の大金持ち」とはいえ、ばらまけるお金に限りがないとも思えない。

そこで。

これから金の卵を生んでくれる(かもしれない)第三世界への投資を優先させるためにも、近場であるアジアでの投資には「他人の褌」で相撲を取ろうと考えても、おかしくはあるまい。

なにしろ、中国の周辺であるアジア各国では、中国が諸手を挙げて歓迎できる国、とも言えない存在であることは、彼ら自身も判っている筈である。

事あれば、強引な「砲艦外交」で圧迫してしまうことは常套手段であるにしても、できれば「感謝され」ながら経済的に支配の手を突っ込んでいきたいのも、人情であるはずだ。

そのためには、中国単独でのイメージを薄め、中国単独で負担する荷重を減らせるならば、それこそ一石二鳥ではないだろうか。



ということで。

世界中から金を出させて、たくさんの他人の褌を集めておいて、アジア各地に「マーキング」できる「中国製開発投資銀行」は、実に都合のいい道具なのかもしれないと勘ぐってしまうのだ。


彼らがいかに否定しようと、中国は「覇権主義」の国である。

中国人の価値観を見ていると、国が『大国』『強国』であることが中国人本来の立場で、自分たちの存在を測る目盛りは、面積と人数だけだった昔の時代の屈辱感から、経済力、軍事力、技術力、などでの世界における優位性を実感する事を必要とする民族の様だから。

そして、中国が最強民族であることの証としての、中華人民共和国の世界有数のリーダーシップを発揮する上での、一番の邪魔者がアメリカ合衆国であったのだ。


そのアメリカの存在が、以前ほど盤石ではなくなりつつある現在の世界情勢は、近い将来アメリカに取って代わる国力と地位とを獲得するために手を打つ、今や絶好の環境にあるわけだ。

今すぐアメリカに取って代わることはできなくても、少なくてもアメリカとロシアと中国と、同等の立場での三極を形成することは、最優先事項なのだ。
その為なら出来るこ事すべてやって、誰が何を言おうと、気にもしない。



と、いうわけで、中国主導の開発投資銀行を立ち上げる。

蓋を開けたら、北米と北アフリカのアラブ諸国を除くアフリカ各国、以外のほとんどの国が参加を表明した。

中華人民共和国は得意満面。

第一義的には、世界中からかき集めた金で、アジア各地に開発投資を行い、その運営と実行を中国主導で行える。

そして二義的に、中国が世界に一つの潮流を起こす主導権を手にした。


中国の世界戦略の大成功になりそうな。


ところで。

安倍晋三の忠犬ハチ公ぶりの怪我の功名で、日本が参加しなかったことが、別になにか不利になるのかと考えれば、別に大したことではないんじゃないかという気がしてならないのだが。

経済素人の私の「庶民の触覚」に感じ取れる範囲で言えば、そこで何が行われるのかは、我々日本国民には敢えてどうでもいい。

日本銀行やら日本開発銀行やらが、数百億ドル(具体的には知らないが)もの外貨を出資するくらいなら、その分、年金を削ることを止め、高齢者や児童の福祉を削ることをやめてくれ、と言いたいのです。

一部の大企業(どうせゼネコンやら機械メーカーだったり電力事業者など、国内GDPに占める割合が少ない)の儲けのために、血税を使うな(!)ということなのですよ、私が言いたい事は。


しかし冷静に考えてみると、アメリカの参加がないことを確認して参加を見送った日本政府、なかんずく安倍晋三の評価がこれで米国内で高まったかといえば、そんなことはなさそうだ。

米紙によると「日本の不参加は米国への忠誠を示し、尖閣問題に米国を味方につける為」と、とっくに見抜かれております。

バカにされることはあれど、尊敬されることも信頼を勝ち取ることも無かったと、断言しても良いくらいのものだ。


それにひきかえ、韓国のコウモリ外交は、逆にアメリカに(良かれ悪しかれ)一目置かせることに成功したと言って良いのではなかろうか。


つまり、韓国は最終的な局面では「自分たちの利益」を優先すると、アメリカに盲目的に従順な奴隷ではないと、再認識させたことは否めないのだ。

アメリカが怒り狂おうと、失望しようと、米国と「対等」に扱わなければならない存在だ、と認識させたのではなかろうか。


そうだとすれば、中国とアメリカとの狭間でフラフラしている韓国、などと馬鹿にすることは、逆に日本の政府の奴隷根性を際立たせただけで、なんの得にもならない。


NHK(敢えて犬HK)の首都スペシャル「戦後70年の証人の声」を伝える番組があった。

実際に終戦を経験している日本の各界の人々に、戦争体験と終戦に当たって感じた事を、語り継いで行こうという構成は、「今この政治情勢の中で」しかも犬と罵倒される「みなさまの」国営放送が、あの様な番組を作って放送したことに、局内の何らかの意識を感じるに至った。

好意的に受け止めることができる番組であったが、特筆すべきは、その登場した生き証人の誰しもが、アメリカへの恨みつらみを語らない、ということだ。

東京大空襲で地獄を体験し、無数の怪我人を救えなかった無念を語る老医師も、一般市民を殺戮した大空襲自体に、批判的言辞は一言も口にしなかった。

日本で「少女漫画」の草分けと言われる女性漫画家も、「戦時中に色彩を奪われた」「終戦で一気に色彩が戻った」と語り、「色彩(精神的な意味だと受け止めたが)を奪われた時代を再び繰り返さないために、カラフルな漫画を描くことに集中した」と語った。

つまり、戦争を体験した日本人の誰もが「戦争中」のあまりの不条理にうんざりしてしまったが故に、あまりに悲惨な体験を強いられたが故に、終戦を歓迎し、平和の復活を喜び、その後やや落ち着いてから「戦争を引き起こした」反省かから、再び悲劇を繰り返さないように、と自らの生きる姿勢を規定したのだ。


ヒロシマの原爆忌で「安らかに眠ってください、過ちは二度と繰り返しません」と追悼する。

他の国なら「反原爆、反人道的アメリカ」の大合唱になるべきところ。
「過ちは繰り返させません」というところ。

日本人は、戦争を強いた軍部、つまり日本人自身を、反省の軸に据えるのだ。

そこには、戦争という悲惨な体験を国民に強制した「戦争指導者」への弾劾や、ましては多くの無辜の国民を虐殺した原子爆弾の投下や東京・大阪・神戸・横浜川崎・名古屋・福岡・仙台等への大空襲を行ったアメリカという国家への批判は、全くない。


それどころか、大半の日本人はアメリカが大好きなのだ。

あまりにも悲惨な時代が過ぎ、呆然として虚脱状態の中にあって、「鬼畜」と教わっていた米兵と接し恐怖を覚えながらも、チョコレートを手渡されたことの嬉しさが、飢えていた甘いものを与えられて平和を実感し、急速に敵対心や恨みごころが消滅してしまったのだろうか。

その後のGHQによる戦後政策の中で、日本の戦後教育の基本構造が形成されていった過程で、親米感情が植えつけられていったと言うところなのだろうか。


しかし。

人類史上、敗者が「占領軍」にニコニコして協力したという事実は、おそらく第二次世界大戦後の日本だけなのではあるまいか。

戦前の家父長制度のごとくに、アメリカを親とも師とも仰ぐ官僚たちが、アメリカの後ろ盾の元に存在と権限とを強化して、今日までの「官僚支配の集団独裁体制」を築きあげていった。

政治家は、官僚にアイデアを頼り、国家運営のグランドラインを作らせ、官僚のブリーフィングで政策を決定し、官僚の作文で与野党の国会質疑がなされて法律が出来上がり、官僚のどんぶり勘定の査定で予算案が作られ、官僚のブリーフィングでそれを国会審議にかけ、官僚が配分した予算を官僚が使って、官僚の基盤である省庁の利益を拡充し、官僚が天下る公益法人、特殊法人で予算を中抜きし、残った予算をどんぶり勘定で大企業に振り、下請け、孫受け、ひ孫受けで予算を食い散らかして、我が国は今日まで歩んできた。


そんな中で、米国とのパイプ(米国からの上位下達用)で米国の「対AIIB姿勢」を忖度して、不参加を決めた日本政府に批判される筋合い等、無いであろう。


地球儀外交やら、中国封じ込めダイヤモンドラインやら、白昼夢に酔いながら好き勝手をやっている安倍晋三内閣総理大臣は、しかしDNAでは反米なのだ。

お祖父様の、死刑を免れるために米国のスパイにならざるを得なかった屈辱を、僕が晴らします…。

そんな彼の本質を見抜いている米国政府にとって、小賢しい忠犬ぶりなど、嬉しくも可笑しくもない事を、果たしてわかっているのかいないのか。


ただ、そのような我々庶民にはどうでも良い事は別として、今回「アジア開発投資銀行」に参加しなかったこと自体、私は別にそれでも良いのではないかと、思ってしまうのですよ。

せっかく中国主導の国際的枠組みに「参加できる」チャンスを棒に振って、と習近平は嗤っているに違いない。

しかし、参加したからと言って「限度額なしのATM」の使用者が、アメリカから中国に変わるだけのことなのではないか。

所詮、日本が中国主導の国際組織の中で、リーダーシップを発揮して何かができる訳も無い。

それならば。

しばらくは、静観しててもよかろう。

いざとなったら、『アジア開発銀銀行』という、強い味方があるではないか(苦笑)









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新明怪国語辞典「か」<その壱>

2014-11-02 17:38:52 | 新明怪国語辞典
『か』


【科】
動植物を問わず、生き物の種類の遺伝子的近親種の分類枠。
ヒト族ヒト科ヒト。
例えば「安倍一族」「無能極右科」「安倍晋三」など。

【蚊】
金鳥と言う会社の存在の依って立つ拠り所。
人々の周囲を不快な雑音を立てながら飛び交い、生き血を吸うことで忌み嫌われる。
その存在が他者へ与える恩恵は何も無く、疫病を媒介し、肉体的にも精神的にも害をなすだけの「不必要悪」の代表である。
但し、大越健介の事では無い。

【課】
大きな組織の中の、行動する単位の一つ。
局あるいは本部、部、課、係の順に単位と構成要員と重要性とが下がるが、その長は最も直接の責任を負わされる事が多い。
ただし、霞ヶ関に置いてはその例に非ず。
米国に公費留学と称するご褒休暇が与えられ、現地の鵜匠達に訓練を受けて帰国し、鵜の役を果たす事になる地位を与えられて転機となる部署である。

【可】
①非常に良い、良い、やや良い、やや悪い、悪い、非常に悪い、という六段階評価の前から二番目である。
しかし、秀、優、良、可、不可という五段階評価に置いては、下から二番目となる。
要するに「すれすれ」と解釈される事が多い。
例「可もなく不可もなし」
②何かの行為や状況を許可すること。
禁止の反対。
例えば「左折化」など。
近頃では、『極めて右折可』という傾向が顕著になっている。

【我】
自分自身。
その根底に有る意識。
一国の宰相が、国民の生命と財産とを守らず、健康で文化的生活を保障しようとせず、要するに憲法を無視してまで、原発を稼働させ、自衛隊を海外に派兵し、国内の社会基盤を全て破壊する売国協定に参加し、一握りの官僚と財界人とだけを超優遇する為に、盲滅法突っ走る際に見せる内面の美しさ。

【蛾】
一見蝶に見まがう姿形をしているが、実際は陽の当たらない時間帯に出没して、羽から毒粉をまき散らす「負」の生き物。
永田町や霞ヶ関に多く棲息し、昼日中から蝶のつもりで飛び周り、『美しい国』を枯れさせている。
今のところ、駆除する方法が見つかっていない。

【賀】
喜び。
それを謹みて表し祝すこと。
額にテラテラと露骨に表れていれば「額賀」となり、セナにくりからもんもんを背負えば「古賀」となる事が有る。
一斉に日の丸を振って、大御神のお出ましを請うふりをしながら、自分の栄立の為に利用する事が多い行為。

【界】
一つの世界。
同じ趣向の物達の集う環境。
そこに集う閉鎖的で排他的な構成員。
政界、官界、財界、学会、報道界など、魔界と言われる社会も存在する。

【海】
日本列島が存在していなければ「太平洋」に過ぎない海を、半島の東側に有るから「東海」と呼ぶ事を世界に強要する国も有る様な、地球と言う惑星の生命のゆりかご。

【怪】
あやかし。
人とは違う何か、人の力の及ばない現象、またその気配。
人の力以上の結果を出した時、有るはその当人をさして使われる事が有る。
快投、怪盗、怪物、怪談、怪奇。
明怪。

【会】
一つの目的をもった集まり。
密かに国を売り払う事の密議をこらす集まりは、政府政策審議会。
自国の富みを差し出す命令を受ける集まりは、日米合同委員会。
自民党議員達の多くが加わっているのが、総理大臣を靖国神社に参拝させる会。
庶民の蓄えを奪いさる集まりは、株主総会。
庶民が唯一抵抗出来るのが、ああそうかい。

【貝】
海底や河川沼沢地、或は田んぼなど水の有る場所の底の土中に棲息する、鎧甲冑に身を固めた特殊な生物。
不合理な冤罪で刑を執行されかかると、人はこれになりたがる傾向が有る。
口を閉ざし、外界の力に影響されず、他者の目を気にする事も無くひっそり
生きて行く生き方の例とされる。
現代では、貝になるより堂々と裁判で対決する事が主流になってはいるが、いかんせん司法が公正中立ではないので、庶民はどうしようもない。

【櫂】
自走能力の無い船を、乗員が動かす為の道具。
竿と並んで古来より使用されて来た。
お飾り議員の地元の有力町長等は、議員の当選とその後の政治活動を操るが、その場合は選挙区の後援会と、そこから様々な方法で吸い上げる資金が、それに相当する。

【下位】
ある基準より下の段階。
特に人間関係に置いては絶対的な役割を演じ、下位に有っては絶対に上位に逆らう事は許されない。
官と民、官僚と政治家、風評と実害、先輩と後輩、公立と私立などの例で後者を指す。

【害】
益にならない物や、その現象とそれらの結果。
その存在の為に、物事が悪くなってしまう。
一般的には、必要と思われている物程、それである事が多い。
役人の存在。
(役人が決める)規制や規則。
お上のマツリゴト。
食品の添加物。
日米安保条約。
新聞とテレビ。
新薬とワクチン。
例は枚挙に尽きない。

【改悪】
既に存在する物を、現状より劣化させる形で変更する事。
平たく言えば、政府がやろうとする事。
通常では、搾取する権力側が搾取される対象の目を背ける為に、「改正」または「改革」をと呼ばれる事が多い。
公務員制度改革。
行政改革。
税制改革。
医療制度改革。
教育制度改革。
憲法改正。
どれもこれも、人々を不幸にこそすれ、正しい改編ではなかった事は、歴史が証明している。

【害悪】
人や社会にもたらす負の状況、又はその結果。
平たく言えば、政府がやった事、やろうとする事がもたらす結果。
貧困、不公正、圧迫、不名誉、屈辱感、そのた数え上げたらきりがない。

【海域】
海での場所を特定する為の、一定の境界線に囲まれた内側。
国家の場合は、領海、排他的経済水域などが有り、漁場や海底資源を巡って紛争の焦点となる事が有る。
それを巧みに利用して、特定の第三国を仮想敵国と看做し、その危険性を過剰に喧伝する事で、国民の精神的団結を謀る道具とされ易い。
とくに独裁政権に多く見られる光景である。

【飼い犬】
家で飼育し家族同様に扱われる犬。
野犬の反対語。
イザと言うときの為に喰わせてもらっている身分。
往々にして「家族同様」の部分が抜け落ちると、『ポチ』と呼ばれる。
通常に於いて、飼い主は飼い犬の忠誠心を疑わないので、反抗されると取り乱して「飼い犬に手を噛まれた」と罵倒する。
日本国と言う飼い犬は、アメリカと言う飼い主の手を噛む事は、あり得ない事とされている。
同義語として、貢ぐクン、奴隷、上限無しのATM等が有る。

【会員】
何かの共通の目的で集う組織の個々の参加員。
在特会、日本会議、靖国神社に参拝する会、日本の核武装を実現する会などの会員になれば、日本国の政権で閣僚その他の要職に就く時に有利であるとされる。

【海運】
海上交通で物資を輸送する事で成り立つ経済活動。
船舶の所有企業、その企業の登記地、口座の所在地、その企業の株主、船舶の登録地、母港、船長の国籍、船員達の国籍をすべて追跡調査が出来ない様に細工して、世界中の紛争地に武器や石油、貴金属や外国通貨、麻薬や奴隷等を運び、更には世界各地に紛争を引き起こして、さらに巨万の利益を得る事が、望ましいビジネス形態だとみなされている。

【開運】
お宝を鑑定してその価値を示し、所有者の自尊心をくすぐったり傷つけたりする、テレビのバラエティー番組の狙う効果。
高値が付けば、一見運が開けた様に見えるが、実際にはその値段で売れる訳ではなく、親族間で争いが起こったりして不幸な運へと向かっているのが、その番組の持つ本来の意味である。

【開演】
出し物の舞台の幕が上がる事。
前もってカメラを呼んでおいたりして、何らかの意図を流布させる事も多い。
在特会会長と大阪市長との対談などは、その典型であった。
国会に於ける与野党双方からの不正の暴き合いの舞台等は、政権側に与した報道が為される事に依って、国民の間の反応を容易に演出する事が可能である。
ショー・ビジネスの本場では、「Show must go on = ひとたび幕が上がると何が起ころうと最後まで演じなければならない」と言われて、中途半端な幕引きは許されない。

【買い置き】
災害に備えて、あらかじめ買い集めておく蓄えや、価格の安い時期に先の分まで購入して貯めておく事等を言う。
前者の例の場合、実際に必要となった場合に、食料品は賞味期限を遥かに過ぎ去り、携帯電灯は電池が切れ、使い捨てカイロは発熱しなくなっている事が多い。
後者の場合は、来る日も来る日も、同じ物を食べさせられる事になりかねない。

【開花】
花が開く事。
転じて、結果を出す事、本来の素養を表して成長する事。
人の例で言えば、日本の子供達はその時期を迎える前に、実りの無い教育や親の甘やかし、各種の確執などでその芽を摘み取られ、判断力を無くして表面上の良い人になってしまう事が懸念される。

【階下】
下の階。
階上からの騒音やゴミ、漏水等の迷惑を被り易い不利な面が多いが、逆にイザと言う時脱出し易いとか、自信の際の揺れが少ない等の有利な面もある。
上階の方からは根拠の無い優越感を持たれ易いが、エレベーターの故障や断水等の非常時には、階下の方が優越感に浸れ事となる。
全ては相対的な呼称に過ぎない。

【絵画】
板、布、壁面等の表面に、色彩を持つ顔料を塗布して森羅万象の姿かたち、及び心象風景を投影する二次元の表現手段、およびその結果としての作品。
絵画的というと、現実以上に壮麗な有様を言う。
日本では、人間の生活を満たすもの、つまり工芸であって技術であった。
西欧に於いては、人間の生活を超えた人間の精神を満たすもの、つまり美術であり学問であった。
その他多種多岐にわたる表現方法が有るが、芸術と言う価値観を得てまだ一世紀程しか経たない日本では、政治や経済等より下位に置かれる傾向がいまだにあって、精神の満たされる事を知らぬ政治家は、芸術の擁護を無駄と思ったり、対費用効果が低い等と言って、独り立ち出来ない芸術の保護を打ち切ったりする事が有る。

【外貨】
日本以外で使用されている通貨。
日本の通貨である「円」との交換率が、往々にして政治の取引に使われる。
特に、外国の通貨の破綻を避ける事を至上命題にしている国の財務官僚は、中央銀行と共に、自国通貨の価値下落を図ったりして、国民生活を犠牲にする傾向が強い。

【凱歌】
勝利の歌。
その歌声。
首相官邸では、大手報道機関の責任者を囲んで夜毎夜毎に祝杯をあげているそうな。

【海外】
字義でいえば「海の外」であり、つまり陸地を指す筈であるが、国境を海で囲まれた国では、自国の外の世界を指す。
船舶が移動手段であった時代にはしっくり来るが、空を飛行して移動する時代にあっては、やや戸惑いも有る。
自国との比較をする時の対象として使われる。

【外海】
陸地に沿った、或は陸に挟まれた海をさす内海に対して、遥かに陸地から遠く離れた海全体を言う。
帆船時代は陸地に沿って航海しており、外海を横断する事は考えられない事であった。
ガリレオ・ガリレイとクリストフォロ・コロンボのお陰で、外海の真の意味を知るに至った。
未知の世界に対する知的好奇心と、積極的冒険心を持ち、更には未知なる事柄への恐怖心を払拭して初めて手に入れる事が出来る世界。
偏差値優秀なり霞ヶ関官僚には、実感出来ない世界の事である。

【外界】
内面の反対語。
精神世界に対する物質世界。
自己の世界に対する第三者の世界。
この世界に目を向けられなければ、発展も成功もおぼつかない。

【甲斐甲斐しい】
産經新聞や読売新聞、国営放送局などの、安倍政権への尻尾の振り方。
全て国民を欺いて政権を擁護する様な論調しか示さない。
繰り返される総理との会食が、これほどの効果を発揮出来ると言う事実に驚かざるを得ない。
大手報道機関と自称する新聞屋テレビ屋は、乞食と同義であったらしい。

【改革】
支配階級に取って、搾取の効率が良く無いと判断された事象を、搾取される側である庶民に気が付かれずに変更する為に呼ぶ呼び名。
要するに、自民党政権がやって来た事、やっている事、やろうとする事。
前述『改悪』を参照の事。

【外郭】
中央に対して、周辺。
主流派でない、傍流。
現役でなく、天下る場所。
中央と巧みな連携を密にして、税金を沢山かすめ取る場所。

【快活】
明朗にして積極的な様。
そのような性向。
極右集会に参加して、外国人の生活補助受給を糾弾するときの自民党女性議員の様な行動様式。

【買いかぶる】
第三者の能力を、その実態に関わらず勝手に過大な期待を持つ事。
往々にして、手痛い落胆を味合わせられる事になる。
例えば小沢一郎が、オリジナル民主党に期待した能力。
政権交代時に、支持者が原口一博や川内博史、辻恵議員等に期待した能力。

【会館】
ある特定の組織の象徴となる、本部等の於かれている建造物。
地方自治体に於いては、箱物行政の典型的材料である市民会館など、地方の土建屋と地域経済の癒着戸利権の象徴となる。
霞ヶ関に於いては、各省庁や外郭団体などの魔の巣窟である事が多い。
政治に於いては、政権政党と癒着しているカルト組織などの本山。

【快感】
ドーパミンの分泌に依る肉体的愉悦の感覚。
自分の好きな分野では、得られる物が特に大きい。
財務省職員にとっての「ノーパン・シャブシャブ店」や「SMバー」等で得られる満足感は、自分の財布の紐を緩めずに味わえるだけに、特に満足感が大きい様だ。
この感覚にマヒすると、どんどん強力な物を求める傾向が出て来て、薬物依存症や汚職収賄の源となる。
人間は、この感覚を追求する事に全精力を費やして、国を傾けた民族を滅ぼし、歴史が作られて来たと言っても過言では無い。
その原因を作った女性を「傾城」という。
(続く)



















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