joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

加害の忘却と心的外傷 『関与と観察』中井久夫(著) 2

2006年08月15日 | Book

「加害の忘却と心的外傷 『関与と観察』中井久夫(著) 1」からの続き)

加害による心的外傷

この本で他に中井さんが戦争について語ることの一つが、戦争における関与者の心的外傷の問題。とりわけ中井さんは、加害者の心的外傷にフォーカスします。

中井さんが調べたところでは、人間は本来は(案外)人を殺すことに躊躇する生き物だそうです。つまり、一見激しい戦闘が行われているようでも、最初は多くの兵士は敵を狙って発砲できないみたいです。80%から85%の兵士は、自分の命が危ないときでも、敵を狙って発砲していないということが明らかにされているそうです(4頁)。いくら戦争であろうと、どこかで人間に備わる自制心がみたいなものが働くのでしょうか。

もっとも戦後これに気づいたアメリカは、頭の柔らかい10代の兵士に心理的コントロールで洗脳することで、人間を銃で撃つことへの抵抗心をある程度取り除いたそうです。本当に「殺人マシーン」を作ったんですね。これらの兵士がヴェトナム戦争に参加したそうですが、彼らは母国に戻っても市民生活に適応できなくなってしまったそうです(5頁)。それが原因なのか、洗脳という方法はアメリカ軍は以後放棄したそうです。

このように人間はそのままで(案外?)戦闘行為というものには耐えられない生き物で、「戦争のプロと言われるベテラン下士官でも、四、五十日も戦い続けたら、「もうどうなってもいい」と言って武器を投げ捨てて、むざむざ敵に撃たれるようになるということが起こる」そうです(7頁)。

こう言われると、戦争というのは、「政治の延長」にはなりえないのだと感じさせられます。多くの人間は人を無抵抗に殺すということができず、経験をつんでも戦場を放棄する心理に追い込まれるのなら、計画的な戦争というものは本来無理なのかもしれません。

世界で圧倒的な武力をもつアメリカですら、ヴェトナムもイラクも完全制圧できませんでした。このことは、核兵器を使わない限りは、戦争を成功させるということは本来無理だということなのかもしれません。

日本にしてもドイツにしても降伏させることができたのは、これらの国が国の崩壊よりも敗北を選ぶ余裕をもっていたからではないでしょうか。しかし、敗北するぐらいなら国の崩壊も辞さない相手には、戦争で勝つことはできません。

また中井さんは、戦闘員・加害者としての人間は敵と向き合ったときは撃つのに躊躇してしまうそうですが、だからといってそのような抑制がつねに続くわけではなく、虐殺の種もつねに宿しているそうです。

「米軍のデータに従えば、敵と味方が対峙し合った状況での死者は非常に少ないそうです。全員が確実に相手を殺す手段を行使していたら、戦闘はもっと早く決着がつくのだけれども、それよりずっと時間がかかるそうです。しかしあるところで一方が逃げ出す。ところが背中を見せると途端に殺しやすくなるのだそうで、大量の虐殺は逃げる軍隊に対して起こります」(11頁)。

絶対に勝てるという場面では、一気に人間の残虐性が顔を出すということですね。その意味で、戦争は、やられた者と同じくらい、勝った方にも大きな傷を心に残すのではないかと思います。それまで耐えていたものが、一度噴出すと全部噴出してしまうように。

「ある時、奇妙な状態が起こります。勝ったと思ったときだそうです。それは非常に危ない状態です。勝ったと思った時には、一種の空白状態、善悪感覚のノーマンズランドがうまれるようです。そこに略奪が起こり、虐殺が起こり、レイプが起こる」(11頁)。

このような掠奪行為は、連合国がドイツに戦勝したときにも起こったことであり、ドイツの数十万の兵士が殺され、またシベリア収容所に送られました。またソ連に占領されたベルリンでは、ベルリンの女性市民の半数がソ連兵士に強姦されたそうです。

このような、おそらく人間一般に見られる虐殺への性向に加えて、中井さんは日本人の特性の中にも虐殺の種を見ます。彼によれば、独裁的な主犯の命じるままに信じられない大量殺人を実行したという容疑者の心理テストには、平均的な日本人の心理傾向と通ずるものがあるということです。すなわちそれは、「自罰的でも他罰的でもなく、無罰的とでもいうべきか、すべてを不可避的な流れと観念し規律と習慣に従って耐え忍びつつ時間の経つのを待つ」という傾向です(23頁)。

このテストに対応するように、日本人にはハイジャックされた航空機内でも落ち着きをみせる傾向があり、また太平洋戦争開始時にも、中井さんの周囲の大人たちは「来るべきものが来た」と言い合い、「避けられないと強く推定されていたものがやはり到来した」という宿命論的な態度を見せたそうです。中井さんは、上の大量殺人の容疑者の性向を自分も共有すると語っています。

上で述べたNHKの番組でも指摘されていたように、日本軍は上海進出の際に兵士だけでなく一般市民の虐殺を行ったそうです。

これは、番組でも、また中井さんも指摘していることですが、短期で制圧できるという甘い見通しとは異なり、復員が適わず、次々に現地での侵攻の命令が下るにつれて、兵士にイライラが募ったことが原因の一つのようです。

中井さんの知り合いであろうある詩人の子息は、兵士として残虐な場面に無感覚になるために、訓練して中国兵士を銃剣で刺殺させられた体験があり、彼は帰国後も毎晩血なまぐさい悪夢にうなされていたそうです。

中井さんは日本の日中侵略には、中国の民だけでなく、日本の兵士自体にも大きな心的外傷をもたらしたと見ています。

「日本人は「弱い者いじめ」となるのを非常に恥とします。中国との戦争はフェアではないという感覚が当時の日本には底流していたと私は思います。対米開戦には奇妙な開放感がありました」。

「中国戦線の軍国歌謡は、反戦歌と間違われたほど暗くマゾヒスティックです。たとえば、「どこまで続くのか、ぬかるみよ、二日三晩食事をしていない。雨がヘルメットから滴り落ちる」「父よ、あなたは強靭であった。鉄兜の燃えるような炎天下に泥水を飲み、草を食物とし、敵兵の死体と一緒に横になり、三日も眠らずにいたそうですね」というもので兵站線の弱さは事実でしょうが、自分も犠牲者だと訴えて、苦行による免罪願望が潜んでいるかのようです」

「また戦後五〇年間、「戦友会」がさかんに催されましたが、中国戦線参加兵士の戦友会は、しばしば口論、喧嘩、乱闘に終ったそうです。この集団の葛藤と外傷の深さを示唆する事態です。これに反して太平洋戦争従軍兵士の「戦友会」は一般に和やかに終りました」(28-32頁)。

このアジアに対する加害による外傷は、60年を経って、また最近になって噴出しています。薄皮一枚の下に抑えていた罪悪感を、容赦なく隣国はつつきます。それにどれだけ諸隣国の政治的意図があろうと、日本がこの問題に対して真剣に向き合ってこなかったツケがまた巡ってきています。

現在の首相の靖国参拝は、それを「心の問題」と言っている点で、その参拝が日本の加害の事実に向き合っていないことを示しているのではないかと思います。首相が誠実か誠実でないかは、厳密には分かりません。ただ、相手を巻き混んだ戦争という行為をめぐる追悼という行為において、その行為にアジア諸国の人への視点がなく、それを「一個人の心の問題」とすることは、戦争に参加し加害という外傷の記憶を背負った日本の兵士を慰めることにはならないのではないかと思います。

中井さんは次のように述べています。

「いずれによせ靖国神社は軍人のみを祭っています。鎮魂としても不十分であると思います。また、通常の春秋の祭ではなく、敗戦の日の八月十五日に参拝することは復讐を誓っていると誤解されかねません。これに対して、戦後に作られた原爆犠牲者、沖縄戦犠牲者の碑には、一般市民はもちろん米軍の死者も祭られています。胸を張って若い人たちに示すことができるのはこちらでしょう」(37頁)。

実際に加害を行った兵士を慰める手段という点でも、靖国参拝は、アジア諸国への配慮がなく、個人的な「心の問題」とされていることによって、亡くなった兵士たち自身が感じているアジア諸国への罪悪感を慰めるものにはなっていないように思います。

むしろ、過去の日本の兵士が救われるとしたら、それは何らかの形によるアジア諸国との関わりを積極的にもつ行為を通してのように思います。


加害の忘却と心的外傷 『関与と観察』中井久夫(著) 1

2006年08月15日 | Book
精神科医の中井久夫さんの『関与と観察』を読みました。

いろいろな場所で発表したいろいろなテーマの文章を集めたもの。その中で戦争に関するものが割合多く収められています。

中井さん自身は1934年生まれで戦場に赴いた経験はありませんが、体が弱い少年だったがゆえに、軍国主義体制下での軍人とその下部少年団による圧力など、つらい経験があったそうです。

戦争を忘れるとき、戦争をおこなう

その中井さんがイラク戦争という現代世界の現実を見て述べることの一つが、日中・太平洋戦争時の日本には日露戦争を経験したリーダーがおらず、それゆえ無計画な大陸進出を行い、アメリカとの開戦に踏み切った経緯があること。

ある政治学者も述べていたのですが、一般に軍人統治の政府よりも、文人統治の国の方が、無謀な戦争に踏み切るそうです。自身が戦場に赴いた経験がなく、また戦争の怖さも知らないために起こる事態なのでしょう(「ヒトラーもムッソリーニも軍人ではありません。イラク戦争準備中の統合参謀本部長シンセキ大将(日系)は開戦に反対して罷免されています」(9頁))。

ブッシュ父大統領は太平戦争で戦場に赴いた経験があるそうですが、彼は湾岸戦争の実態を知りアメリカの撤退を決断したそうです(11頁)。

あれから10年以上が経ち、世界も、そして日本も、政治のリーダーのほとんどすべては戦場を経験していません。また自国の民の大部分が命を失い、自国の領土が他国の軍服を着た兵士に制圧されることの屈辱を知っているリーダーも少ないでしょう。

そういう状況では、安易に戦争に突入する危険がつねに付きまといます。

ある日本の政治家が、「日本のハト派と言われる人は、自分が“ハト派”であることに自己満足を覚えている人」と言っていました。私は、戦争を知らない世代の“ハト派”に関してはそれは当たっているのではないかと思いますが、それは“タカ派”も同じです。

私たちはいまや誰もがみな戦争を知らないお坊ちゃん・お嬢ちゃんであり、その事実から逃れることはできません。中井さんとは違い、私たちは平和の尊さも戦争の恐ろしさもみんな知りません。

そうであれば、まずその事実を認識し、自分たちは平和も戦争も、どれだけ口角泡を飛ばして激論しようが、分かりえないことを自覚した方がいいのではないでしょうか。自分たちが徹底的に未熟であると知ること。これは若い人だけでなく、60代やそれ以降の世代の人にもあてはまる場合があるかもしれません。

平和の尊さも戦争の恐ろしさも知らないこと、それゆえに、話し合わなければならないときには、戦争と外交については慎重の上に慎重に語った方がいいのでしょう。

中井さんが繰り返し指摘することの一つが、戦争は簡単であり、平和は退屈で地味であること。

「戦争は明快で単純で期限があります。そして、一見プラスがありそうに思います。因果関係が明快単純です。そして、ヒーローが生まれます。俗語で言えば、格好いいのです。ただし、これは全部見せかけであり、一ヶ月もたてばメッキがはがれるのですけれども、戦争を知らない世代には、戦争という観念の中からその悲惨さが遠のく。戦時の戦争批判はブーイングを招きます。これに対して平和は、失点を少なくするという減点主義の地味な努力です。それに果てしない努力で期限がありません。そして、今打った手がいつ実るかは分からないのです。因果関係もはっきりしない。一手で新局面が開けるというのは、めったにない。だからしばしば批判されやすい。時には、その功績は本人がとうに亡くなって初めてプラスに評価されることも少なくありません。そして暴力的なものに脅かされます。脅かされながら、そしてこちらからは暴力は使えないという状況で、説得の力によって何とかまとめていく。つまり平和維持の努力はダサイのです。見栄えがしないのです。果てしなく、きりがなくつづけていかなければならないのです」(10頁)。

この平和の退屈さと地味さに多くの人は耐えられないがゆえに、好戦的な人は戦争に訴えるし、平和を訴える人ですら大声を張り上げて戦争を引き合いに出して自説の正当性をメガフォンで訴えます。

しかし、外交の現実をみれば、平和を達成する上で必要なのは、情緒的な訴え(だけ)ではなく、策略と裏交渉の積み重ねなのでしょう。ドイツのビスマルクが天才と言われたのは、植民地獲得競争と領土の拡張を競い合う当時の欧州において、決して他国に恨みを買わないという点を外交政策の根本的方針に置いていた点だそうです(普仏戦争でのドイツの勝利の際になった国境地帯のアルザス・ロレーヌのドイツによる割譲要求に関してはビスマルクは積極的ではなかったそうです。「アルザスの大部分とロレーヌの一部の併合はモルトケ参謀総長、ローン陸相ら軍部の主張に押し切られて成立した。それでも、ビスマルクは、兵をヴェルサイユに留めてパリにいれず、兵士による略奪、暴行、殺人が起こらないようにした。またパリ・コミューンの弾圧はドイツの命令に従うしかないフランス軍に委ねて、怨みを買うのを避けた。それでも、フランスが巨額の賠償を期限以前に支払ったのをみて愕然としたビスマルクはフランスの植民地獲得を援助するなどの宥和に努めた。彼の時代のドイツ軍艦は主砲が世界の標準より小口径で航海距離も短く作られていた」(91頁)。

ビスマルクについては、後世ではその人格への批判などがありますし、彼は“平和主義者”ではないと思います。むしろ徹底した自国中心主義だとも言えますが、信念や虚栄ではなく、自国の保護のために実践的に平和を維持するよう立ち回るという政策は、結果的に戦争を招来しないという点で、見直されるべきなのかもしれません。

中井さんによれば、戦争を開始した当初は、一ヶ月ほどは日本国民は軽い興奮状態にあったそうです。これは1926年生まれの吉本隆明さんも述べていることですが、当時の日本は「奇妙な明るい状態」だったそうです。また精神科医の神田橋穣治さんは、戦争時の日本国民を、エネルギー・注意がすべて頭に言ってしまい、身体の快・不快の感覚を置き忘れたような状態だったと考えられると言う意味のことを述べています。

戦争というのは、開始当初は祝祭的な雰囲気に包まれ、また英雄が生まれます。

しかしそれは長くは続かず、そのうち国民の間にも兵士の間にも「早く終らないかな」という想いが頭を支配するようになります。

昨日のNHKスペシャル 「日中戦争 ~なぜ戦争は拡大したのか~」8月16日(水)深夜【木曜午前】1時10分再放送)でも取り上げられていましたが、最初はすぐに制圧できると思って兵士は出征しましたが(26頁)、日本の思惑とは違う中国の粘り強い抵抗にあい、日本の兵士は次第にイライラを募らせていきました。

この日本の中国進出も、日露戦争から40年が経ち、戦争を知らない世代が計画した無謀な戦争でした。

この日本の兵士のイライラが、多くの中国の人への殺戮行為となって現れます。

“国民性”というものは、永遠普遍という意味でのそれは存在しないでしょうが、歴史的に規定され、時代によって変化するという条件をつければ、存在するかもしれません。中井さんは、ある中国の婦人が戦後に「日本人の顔はいい顔になった。戦争のときの日本人の顔は険しかった」と言われたそうです。

当時の日本は経済的に見れば「絹の単品輸出国であり、多額の戦費のために、タバコ、塩を専売にし、鉄道を国有にしてこの三つをゴールドマン・サックス社などへの抵当をにおいた債務国」(83頁)だったのですが、その現状を見ずに無謀な大陸侵略を行いました。

日本は日露戦争において戦勝国にもかかわらず、実質的には戦利品も賠償金も得ることがありませんでした。それは日本の国力を反映していたのですが、しかし戦争での勝利という成果から、自身の経済力のなさを省みず、軍事大国への途を歩もうとします(まるFIFAランキングを素朴に信じてしまったように?)。中井さんは次のように指摘します。

「絹という一次産品の輸出に外貨獲得を依存する貧しい国であって1903年にも飢饉があった日本が、国家予算の三分の一を費やして世界第三の大海軍を建設します。・・・第一次大戦には連合国の一員でほとんど名目的な参加であったのに、講和条約とその後の軍縮条約において米英に次ぐ列強として扱われました。実際には国力以上の評価であったにもかかわらず、軍縮における英米との僅かな不平等は失業軍人を中心とし怨恨を新たにし、第二次大戦の遠因となります」(25頁)。

(そう言えば、オシムさんが日本のサッカーについて「できることとやろうとすることにギャップがありすぎる」「楽観するから失望するのです」と厳しく批判していましたね。サッカー・ジャーナリストも日中・太平洋戦争の日本と今回のワールドカップに関して、現状を見ずに過大な期待をするという点で同じだったと述べています。

ただジーコ・ジャパンに関しては、論理的な分析力でサッカーファンに知られるジャーナリストの多くが、W杯前から苦戦を予想していたし、その予想の素となるジーコ・ジャパンの弱点についても語っていました。大企業メディアは狂騒的な報道をしていましたが、多くのサッカーファンは楽観していなかったと思います。

ただ、頭では予想できても、現実に決定的な敗北を突きつけられて、みんなショックは受けたとは思います)

こうした現実の目測把握力の欠如は、上滑りした強気なタカ派的発言と結びつきやすいのだと思います。私たちはどこかで、日本には自国の力で他国を制圧できる軍事力もなければ(兵器の数ではない)、複雑な外交を慎重に切り抜けるほど計算高い頭脳も少ないことをどこかで分かっているのだと思います。

怖いのは、分かってるのに、その事実から目を背け、カリスマ的なリーダーが現れれば、状況が一変するのではないかという期待を抱くことであり、その危険性はたしかに今の日本にあります。連続してある特定の傾向をもった政治家群が一身に期待を集めてしまうという事態は、じつはとても不安定な状況であることを示しています。

一人の政治家の力だけで状況がドラスティックに変化するということを期待すること自体が、社会全体が自分のいる状況を冷静に見ようとする姿勢を失っていることを表しています。

またそういう期待を受けた政治家は、自分に求められているのは、何か大きな事業・変革であると思い込み、後世に受け継がれていくことで始めて日の目を見る地味な作業には着手したがらないものかもしれません。こういう時には、安易に好戦的な態度を表明する政治家が出る危険性を私たちは予想しなければならないのでしょう。中井さんは、「戦争をさせる指導者の心理」について次のように述べています。

「冷静に考えたならば、勝てる見込みのない戦争、たとえば太平洋戦争という、対米戦争の場合に、実際に閣議あるいは枢密院の議論で「一か八か」とか、「ジリ貧よりもドカ貧を選ぶ」という表現がなされています。「やってみなきゃわからん」とか「死中に活を求める」というのは、追いつめられた者の心理です。せっぱつまって行う賭博の心理を、われわれはもっと知らなければならないでしょう。自己破壊衝動と願望思考の支配する世界ですね。戦争を実際に味わった世代は戦争に対して慎重ですけれども、味わったことのない世代にとっては、低いレベルでの統一感を一時は与えてくれる。戦争の準備をするほうが、苦心して交渉するよりも、指導層も楽だし、民衆にもわかりやすいのです」(8頁)。

「構造改革」と同時に、アジアの隣国に対する挑発的な言動が日本の政治家に目立ってきたことは偶然ではないと思います。「構造改革」、実質的には不良債権処理・道路公団民営化・郵政民営化といった政策も、見通しを立てないまま「構造」という掛け声を私たちにアピールすることで、社会の大変革という祝祭的な雰囲気を演出しました。それはちょうど一年前には、自党の議員を敗北に追いやるという、ローマの円形闘技場での決闘の様相を見せ、メディアは狂騒し、私たちは政治の場面に単純な善悪の図式がはめ込まれ、時の首相を英雄にしました。

不良債権処理による中小企業の苦境や、郵政民営化による預貯金口座・簡易保険への市場原理の介入など、地道な作業を要する問題を考えることなく、私たちは改革を支持し、多くの政治家が突然改革派へと変貌し、大きな掛け声を出すようになりました。

こうした傾向と、タカ派的に中・韓・北朝鮮を挑発する政治家が増加したことは関連しているのだと思います。人々の攻撃神・感情を刺激する言動を繰り出すことは、地道な政策運営よりも、簡単に人々の注意を集めるからです。


「加害の忘却と心的外傷 『関与と観察』中井久夫(著) 2」に続く)

The fall is coming...

2006年08月13日 | 日記


今日、日中の一番暑い3時ごろに歩いていたら、熱風かサウナのような空気の中に少し涼しい風が混じっていました。夕方になると、これまでと違いかなり涼しくなりました。

暑い中にも、少しずつ秋が混じっているのでしょうか。


涼風

時間

2006年08月12日 | reflexion



恐怖は、ほとんどの場合、見えない将来についてのものですね。

将来どうなるかわからないことへの恐怖。

よく言われるように、“今、ここ”にいると恐怖はありません。

将来への恐怖というのは、時間が進むことの恐怖とも言えるかもしれません。

将来何が自分の人生にやってくるかわからない。もし時間をストップさせることができれば、安全な“今”にい続けることができるけれど、もちろんそんなことはできない。

動くエスカレーターのように、時間は進んでいきますね。それを止めることはできません。

将来がどうなるかは分からないけど、“時間”というもの、“時間が進むこと”、とりあえずそれは変えようがないのだし、変えられないなら、それと上手く付き合って生きたいし、好きになれればいいですね。


涼風

わが家は二槽式

2006年08月11日 | 家電製品にかかわること


我が家の洗濯機は二槽式です。先日、母親に「全自動を買おうとは思わなかったの?」と聞いたら、お店の人はたしかに全自動を薦めるのだけど、買わなかったと言いました。

なぜかと言うと、家族の洗濯をしていると、全自動では一回洗濯するごとに時間もお水もたくさんかかるのに対し、二槽式では比較的多くの洗濯物を少ない水で洗えるからだそうです。たしかに。

お水代とかを考えると、家族の世帯では全自動というのはじつは使いにくいのかもしれませんね。もちろんお母さんもお父さんも働いていると、二槽式で全部洗濯するのは疲れるのかもしれないですが。

しかし母親の話では、最近はまた二槽式の人気が復活しているそうです。

シングル、あるいは子供のいない夫婦では全自動がよくても、子供が生まれると二槽式が好まれるのかもしれません。

お値段も、全自動に比べるとかなり安いですね。

家計の節約に努める家庭が増えると、もう一度二槽式の洗濯機のシェアが増えるのかもしれませんね。


涼風

リケルメはいらない? 日本代表vsトリニダード・トバゴ

2006年08月10日 | スポーツ

さて、サッカー日本代表のトリニダード・トバゴ戦はいかがでしたでしょうか?

私は見ていて、ドイツ・ワールドカップの試合のような気がしました。6月のW杯は、ジダンを除けば、個人技のスーパープレイはあまり目立たず、派手なゴールがあったわけでもなく、むしろ組織対組織のサッカーで、スピードで互いがボールを中盤で奪い合うといった印象があります。

昨日の試合は、レベルの違いはともかく、スタイルがとてもワールドカップで見られた試合と似ているなぁという感じでした。

あるいは、いい時の韓国代表の試合というか。

たしかに後半は相手に主導権を握られた時間が多かったですが、それも含めて、個々人が組織の中の一つのピースとして、チームのために自分ができることを最大限発揮しようとする気迫が感じられて、それが相手ボールへの素早いチェックだったり、字チームがボールを持ったときのフリー・ランニングなどに現れていたように思います。

昨日の試合を見ていて僕は、トルシエさんがオリンピック代表を指揮していたときも、こういうワクワク感があったなぁと思いました。

当時、組織的なサッカーを実践する中で、交代で次々と生きのいい若い選手が出てきて、そのどれもが高いテクニックを持ち、懸命に走る姿に、日本サッカーの輝かしい未来を予感しました。

思えば、トルシエさんのサッカーは当時の日本サッカーができる最大限のサッカーだったのかもしれません。もちろんトルコ戦の敗北はトルシエさんの不可解な選手起用にあったと思うし、日本はもう少し先にいける可能性があったと思います。しかしサッカーの内容としては、トルシエさんはできる限りのことをしていたように思います。

昨日のオシムさんのチームを見て、この方向性を進める過程で、トルシエさんの再評価が起こるかもしれないと思いました。


さて、昨日の試合を見て思ったもう一つのことは、果たして日本が誇る中盤の「才能」たちはオシムさんのチームにどれだけフィットするのかということです。

昨日の日本代表のサッカーを見て、僕は、この中に中田英がいれば、彼のやりたいことができて、すんなりチームに溶け込み、オシムさんの意図を最大限引き出すプレーをしたのではないかと思います。中田英は足下のテクニックよりも、シンプルにボールをまわしながら、ボールを持たないところで各選手が自由に動き回るサッカーを志向し、自分自身もつねに効果的なポジションをとるために動き続ける選手だからです。

ほかに、松井もこのチームにすんなりフィットするように思います。松井はパサーとして優れていますが、自身も果敢にゴール前に走ってボールをもらう動きをする選手です。足下のテクニックも一流ですが、彼はつねにスピードとテンポを重視する選手だと思います。

それに対して、中村・小野・小笠原・中田浩・稲本・遠藤・福西がどれほどオシムさんのチームにフィットするのかは、昨日の試合を見てもイメージするのは難しかったです。とくに中村・小野・小笠原は、もし使われるとしても、その中の誰か一人であって、(今のままでは)同時に起用されることはまずないんじゃないでしょうか?

オシムさんがインタビューで言っていたことは衝撃的でした。

「ジーコが連れて行った選手は日本のベストプレーヤーたちだ。だが彼らはある程度年齢を重ねていて、サッカーに対する考え方が固まってしまってる」

つまりオシムさんは、ジーコが重用した選手たちは、才能はあるが、考え方・プレースタイルをもはや変えられないから、自分は使わない、そう彼は考えているとも受け取れるのです。

日本の中盤の「才能」たちは、日本のサッカーが世界水準に達するという夢を私たちに与えてくれた選手たちばかりです。その彼らも20代後半になり、次のワールドカップ時には30歳を越えます。その彼らが日本代表に生き残るためにどういうプレーをするのか?彼らがオシムさんとどのような関係を築いていけるのか?こちらもとても興味深い問題です。



参考:「2006_O.J.・・初戦を飾れて良かった・・また、才能に対するオシム流のメッセージについて・・日本代表vsトリニダード・トバゴ(2-0)」 湯浅健二

   「もうひとつのマニフェスト 日本代表対トリニダード・トバゴ代表」
 宇都宮徹壱

『四つの約束 』 ドン・ミゲル ルイス (著)

2006年08月09日 | Book
私たちの苦しみはその9割以上が観念によって生まれているのだと思います。逆に言えば、その観念を手放せたとき、私たちは今いる世界とは違った世界に生きるように思えます。

『四つの約束』は、そのような観念が“本当”であるという保証はなく、むしろその観念を手放したときに、私たちは真実の世界を見ることができることを、シンプルに力強く語っている本です。

著者のドン・ミゲル・ルイスは、私たちが通常持つ観念のほとんどが、罪悪感によってできていることを言います。子供の頃から「~しなけれならない」と“禁止”を言い渡された私たちは、単にそのルールを学ぶだけでなく、そのルールを破ることへの恐怖心をも身につけます。

この恐怖心は、ルールの遵守が大切であることを認識すると同時に、自分はそのルールを破るかもしれない駄目な子だというイメージをも子供に負わせます。

ルールが大切であると学ぶと同時に、恐怖心を植えつけられた私たちは、自分はルールを守れない(かもしれない)いけない子だと自分のことを思います。

この恐怖心が強すぎると、その子は、自分はルールを守るに値しない駄目な人間だと自分を思うようになり、ルールを破ってしまう行動を取ってしまいます。

ルールを守らなければいけないと思うと同時に、それを教える大人への恐怖心から、自分はルールも守れない人間だと思うようになり、やってはいけないことをやる人間になってしまいます。しかし頭ではルールを破ってはいけないと分かっているので、ますます自分はルールを守るに値しない駄目な人間だと思い込みます。

こういう思考の悪循環にはまる危険性が、私たちにはつねにあります。

この“ルール”には、「他人のものを盗ってはいけない」というものから、「いい成績をとり、いい仕事に就く人間にならなければいけない」というものまで、様々です。

ここで間違えていけないのは、大人が子供にルールを教えること自体は大切だということです。ただ同時に、そのルールを教えられた恐怖心から、大人の言うことを守らなければという強迫観念と、自分は大人に愛されていない駄目人間だという観念を私たちはもつ可能性があるということです。

この「自分は大人に愛されていない駄目人間だ」という観念から、私たちは結果的に多くの“ルール”を破り、それによりさらに大人の怒りを買い、ゆえにまた自分は駄目人間だと思い込む思考の悪循環にはまり込みます。

著者は次のように言います。

本当の正義とは、一度の過ちに対して、一度だけその償いをすることである。不正義とは、これに反して一度の過ちに何度も何度も償いをすることである。

私たちは、自分は駄目人間だと言う観念から、つねに“過ち”を犯してしまい、しかし大人(親)に教えてもらったことは自分は理解しているんだと証明するために、何度でも何度でも自分をムチで打ち続けます。

私たちは、間違いを犯すと、自分たちを責め、自分自身を罰する。もし正義があるなら、それで十分であり、もう償う必要はない。しかし、私たちは、自分たちの間違いを思い出すたび、自分たちを責め、何度も何度も罰するのである。

ドン・ミゲル・ルイスは、私たちの中にある、このような“正義の攻撃性”の観念を手放したときに、私たちは世界の真実を見ることができることを教えます。そのために彼は、「四つの約束」を守るよう私たちに求めます。それは

  正しい言葉を使うこと
  なにごとも個人的に受け取らないこと
  思い込みをしないこと
  つねにベストをつくすこと

の四つです。それぞれに関する彼の意図は、ぜひ本を読んでください。シンプルで力強い説明がそこにあります。

個人的には四つの中でも「なにごとも個人的に受け取らないこと」という言葉が印象的です。

私たちは、他人が言うことをすべて自分への攻撃として受け取りがちなのですが、それは相手の勝手な思い込みだったり、あるいは一般論を相手は言っているのに、勝手に私たちが自分への攻撃と受けっていることがほとんどです。

同じ著者による本がすでに多く翻訳されているんですね。他のものも読んでみたいと思います。


涼風

参考:「The Four Agreements ~ 自由な人生のための四つの約束」『CD、テープを聴いて勉強しよう!! by ムギ』 この本に対してかなり詳しい紹介がされています。

整理整理

2006年08月07日 | 日記


あまりにも暑く、何もやる気が起きないので、部屋の本を整理しています。

一応、所有している本の大半はダンボール箱に入れ、その箱に番号をつけ、何番の箱にどの本が入っているかリストにしてあります。

このリストは2年前に作成。しかし少しずつ本を出したりしていると、また秩序が乱れてくるので、とりあえず本棚に置いていて読んでいない本をもう一度箱に入れなおす作業をしています。

ついでに机の周りのごちゃごちゃした資料も整理しようか。


涼風

映画を観ない

2006年08月06日 | 映画・ドラマ


最後に映画館に行ったのは今年の初めの『キング・コング』。それ以来映画館には行っていない。レンタルでも映画のDVDを借りることはとても減った。

ついつい『ER 緊急救命室』のシリーズを借りてしまう。こちらは観ていない巻がまだまだたくさんあります。一週間に1本の割合で借りていると、全部見終わるのはいつになることやら。

なぜ映画を観ないのだろう。なんだか二時間で一つの話を伝えるということに、とても窮屈で、観るものに集中力を要しているように感じている。それだけ僕が映画に労力を払う気がなくなってきたということかもしれません。

映画館で映画を見ようという気もなかなか起こりません。何本も観ても、結局面白いと思える映画はごく僅かだと思う経験があるので、映画代や映画館の椅子に縛り付けられることを考えると、足が遠のいてしまいます。

面白そうな映画はたくさんやっているのですが、DVDが出るまで待てばいいやと思ってしまいます。しかしDVDが出ても、「新作」のラベルが張っている間はレンタル期間が短かったり、値段が100円ほど高かったり。

ところが面白いことに、ラベルが「新作」から「旧作」になり、新作棚からその他大勢の棚に移ると途端にそのDVDが魅力の無い物に思えて借りたくなくなります。

僕が次に映画を観るのはいつのことなのか。


涼風

小野が外れる

2006年08月05日 | スポーツ
小野は落選「まだ飢えてない」

「 4日発表されたオシム・ジャパン13人の中に、98年フランス大会からW杯3大会連続出場した浦和MF小野伸二(26)の名前はなかった。13歳でU- 16日本代表に初選出されて以来、常に各年代の代表で中心選手役を担い、2010年南アフリカ大会で円熟期を迎えるはずの天才MFが外れた」

小野が入らなかったのも意外だけど(サッカーをウォッチしている人にはそうではないのかもしれないが)、そのことが記者会見や速報で話題にならないのも意外だ。このこと自体が小野のポジションを微妙に表しているのかもしれない。

ワールドカップでアルゼンチンの司令塔リケルメを見ていると、小野も本来こういう使われ方がいいのかもしれないと思いました。要するに、中盤で自由にやらせ、ある程度組織的な動きを免除するということ。

もっともそうするためには、小野(リケルメ)の守備をカバーするために他の選手が必死に走り回る必要があるのですが。

アルゼンチンではそういう余裕があっても、日本にはそんな古典的な10番を許容するほどの余裕はないということでしょうか。

これからのオシム・ジャパンで楽しみなのは、ジーコ・ジャパンのうちどれほどの選手が代表に残っていくのかということ。

サッカーの素人の僕にとっては、中田や中村はともかく、ジーコ・ジャパンの選手が他の選手よりどれくらいいい選手なのかはよく分からない部分もあった。しかし監督が変わっても選ばれ続けるならば、やはりその選手は本当にいい選手なのだ、と推測できます。

トルシエで常連だった選手が、年齢的にはピークにあるにもかかわらず、ジーコになってさっぱり選ばれなくなったということもあります。それを見ていて、日本の選手というのは、皆横一線なんだな、と思わされました。

サントスは残っていますが、楢崎は外れて、川口は残っています。このあたりも興味深いです。


涼風

やさしいニュース

2006年08月05日 | テレビ


テレビが下品というのは、おそらく今に始まったことじゃない。昔は野球拳を放送していたらしいし。

ただ、ワイドショーだけじゃなく、夕方のニュースでの放送ですら、ナレーターの声がどうしようもなく下品に聴こえます。

子供が死んだり陰惨な事件を報道しているのに、それを説明するナレーションがひたすら煽るような下品な声で、悲劇に見舞われた人たちの心情を逆撫でするようです。

またアナウンサーたちも一応真面目な顔をして悲劇を報道するのですが、その顔がインスタントに作られた真面目さであることが伝わってきて、悲劇にあった人たちの気持ちに心情的に共感しているようにはとても見えません。テレビの(下手な)演技者としてわざとらしく真面目な顔をしているだけのように感じます。

こういう傾向は夕方のニュースや夜のニュースにも顕著になっています。

こういう傾向が今になって初めて起こったことなのか、それとも昔からなのかは分かりません。単に僕の感受性が変化しただけかもしれないからです。

ただ、どうしても、ニュース番組はニュースの内容について真剣に考えてないように感じます。


と、こう書いて、ではどういう雰囲気を僕はニュースに期待しているのだろう?

やはり冷静で客観的な報道。今のニュースは、とても感情的です。何が善で何が悪かを分かりやすい図式で画面に作り出し、それに煽るようなコメントをつけて、“糾弾”します。

そのような感情的な報道を見ていて不快に感じるのは、そこに“被害者”“弱者”に対する本物の共感はなく、善悪の感情を煽ることで視聴者の気を惹こうとする作用だけを感じるからです。

何が善で何が悪かを安易に決め付けるとき、そこに本物の優しさや善意はなく、“罪人”を罰そうという残忍さを感じてしまいます。

やはり、そういう残酷さを感じて、僕はニュース番組に不快さを感じるのでしょう。

逆に一つに事件に対する多面的な視点や詳細な情報をつけるほど、人は残忍な感情で他人を罰することができなくなります。すると、意図的に作り出した善意ではなく、自然でニュートラルな優しさみたいなものが伝える側にも見るものにも生まれるものだと思います。

そういう意味では、やはり僕は人の優しさに接したいのでしょう。


涼風

整然とした場

2006年08月04日 | 見たこと感じたこと


僕は公共の建物内のクーラーには弱いほうなのだけど、それはそういう場所(ショッピング・センター、喫茶店、バス、電車など)のクーラーというのはとてもキツイからです。

しかしこれだけ暑いと、電車やバスに乗っていても全然クーラーがキツイとは思わなくて、むしろ気持ちいいぐらい。最近は喫茶店に入っていないけど、喫茶店のクーラーというのは異常に冷え冷えにしています。それでもこれだけ暑いと全然気にならないのだろうか。

かと言って家でガンガンにクーラーをかけるのは、ちょっと気がひけます。なぜかな。冷房という人工的な空間を長時間にわたって持続的に作りだすことに、暴力的なものを感じるのかもしれない。

こういう蒸し暑い中で、冷房が効いてとても清潔に掃除された本屋やレンタルビデオのお店に入ったりすると、なんだか気分が悪くなるときがあります。そのあまりの人工的な清潔さに気が狂いそうになるのです。この蒸し暑さの中で本来ありえない世界が人間の力によって力ずくで無理やり作りだされた、そんな気がして、ちょっと不健康な感じがします。

蒸し暑いのはつらいですが、その蒸し暑さを電気によって遮断して、完全に作り込まれた空間(ショッピング・センターなど)に入ると、人間の作為をその場から感じて、気味が悪くなるときがあります。


涼風

最近(?)のゴンチチ

2006年08月02日 | Music
ギターデュオ・ゴンチチの音楽のことをよく「地球一快適な音楽」と言います。僕は昔はこのレッテルがあまり好きじゃなかった。そんな安易なイージー・リスニングと違うのだ、と言いたくなりました。

僕がゴンチチと出会ったのは87年か88年。『イン・ザ・ガーデン』。たしかチチ松村さんと中島らもさんが当時深夜番組で二人でコーナーをもっていて、それで知ったのだと思う。

今思えばこの『イン・ザ・ガーデン』はゴンチチの音楽が初期の荒々しさを失い、成熟した音楽へと脱皮しかけていた時期のアルバムだと思う。それでもそのマジックのように鮮やかなメロディとギター、完璧なアレンジに身震いしました。

それから僕は彼らの過去をさかのぼるように『冬の日本人』『サンデー・マーケット』『Legacy of Madamu Q』『Physics』『アナザームード・脇役であるとも知らずに』といった作品を聴きました。それらは、アレンジには素人っぽさがあるけれど、それだけに何か思いつめたような張り詰めたメロディが詰め込まれていて、インストゥルメンタルだけど作り手の叫びが聴こえてきそうな、まるで私小説のような音楽でした。

そのような彼らの試行錯誤が一種の完成品として結晶したのが『イン・ザ・ガーデン』だったのだと思います。

ただ、素人っぽさと、それゆえに他とは取替えのきかない独自性のあるギター音楽だったゴンチチの音は、『イン・ザ・ガーデン』以降、少し迷走を続けたような印象があります。

メロディにもアレンジにも、かつてのような素人臭さはなくなり、まさに「地球一快適な音楽」と呼ぶに相応しい、職業ミュージシャンによるイージー・リスニングへと変化していったような印象があります。『デヴォニアン・ボーイズ』『キット』といった作品は、テクニックの面では完璧かもしれませんが、以前のアルバムが好きな者にとってはとても退屈な音楽でした。

ここで私は、世間で彼らが認知するのと反比例するように、ゴンチチから気持ちが離れていきました。

その僕がまたゴンチチを少し聴き始めたのが去年ぐらいから。ずっと僕が聴いていなかった90年代や21世紀以降のアルバムを、全部じゃないけど、ちょこちょこ聴いています。『XO』『Black Ant's Life』『Strings with Gontiti』や、そして最近借りた『made in Uklele』など。なかには10年以上前のものもあるので、もう最近のゴンチチというわけじゃないけど、結構いいと思う。

完璧になると同時に彼らの独自性がなくなった一時のゴンチチと違って、これらのアルバムは、プロの洗練された作業であると同時に、単なるイージー・リスニングじゃない音楽になっているように思います。

誰だって時計を元に戻すことはできないし、そのときにできるものをするしかない。本人たちが悩んだのか、自然にやってこうなったのかは知らないし、どっちでもいいけれど、今のゴンチチは、テクニックが洗練されると同時に、自分たちにしかできない音楽をやっているように感じました。

もっと他のものも聴いてみよう。


涼風


behind envy

2006年08月01日 | reflexion

僕は人一倍他人の成功を妬む性格なのだけど、この傾向はどこから来ているのだろう?

他人の成功の朗報は、聞く人にショックを与えることがある。聞く人は、自分が欲しいと思っていたものを他人が得ることで、“それ”が永遠に自分の手には届かないところに行ったように感じる。また彼は、“それ”を得ているかどうかで、人生はまったく違うと考えている。

なぜこのような極端な思い込みを僕や人はもつのか?

他人が“それ”をもつと、自分には“それ”がないことが意識され、自分には何もないように思えてくる。自分は無色透明か、それよりも小さいものだと思えてくる。さらに、“それ”を得られなかったことが自分の人生最大の失敗に感じられる。

あれかこれかで自分の人生を考えている。

妬み・羨望をもつ人物というのは、尊敬すべき人のイメージからはもっとも遠い。誰もそういう人間にはおそらくなりたくない。しかし多くの人はおそらくその感情をもっている。

いずれにしても妬み・羨望は、自分の中にまちがった思い込みがあることを示している。間違っていると頭では分かっても、私たちはそれからなかなか逃れられない。

「ねたみに伴う痛みは、体の痛みのようなもので、人の活動を止め、異常を知らせる役目をします。この場合の異常とは、近くのものがよく見えなくなっていることをいいます。
 ねたみとは『心の遠視』なのです。一番近い所が見えない。自分の人生に必要なものや価値あるものが、目に入らないのです」(トマス・ムーア『失われた心 生かされる心』126頁)。

トマス・ムーアは、ねたみは、それ自体はたしかに心に痛みをもたらすが、じつは妬みのような神経症は、「運命の根本的な現実を知ったときのさらに大きな痛みから、『心』を守るためのもの」と指摘しています。

例えば、過去に惨めな境遇に接していたとき、その惨めさに直面する勇気をもてなかった人は、自分の惨めさ・虚無感を直視する代わりに、有形無形の“モノ”を得ることに希望を見出し、それらを実際に得ている人への羨望・敵視の視点をもつようになります。

「時として願望は『心』を圧迫し、つらい虚無感から逃れようと、非現実的で浅はかな可能性へと目を向けさせます」。その際に羨望の念を持つ人に欠けているのは、例えば「自分のみじめさと空しさを感じる能力」だとムーアは言います。


僕が他人に羨望の念をもつとき、僕は何から目をそらそうとしているのだろう?


涼風