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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『企業とは何か その社会的使命』P.F.ドラッカー(著) 2

2006年08月26日 | Book
『企業とは何か その社会的使命』P.F.ドラッカー(著) 1)からの続き

アメリカにおける理想主義と物質主義、個の尊厳と機会の平等

ドラッカーにとって分権制が理想なのは、それがより高い経済的パフォーマンスを実現するからではありません。実際彼の観察によれば、GMのすべての事業部が分権制に則って運営されているわけではなく、またそれでも効率よく運営されている事業部が存在していました。彼にとって分権制が重視されるべき理由は、「第一に社会の自由に関わる問題であり、第二に完全雇用にかかわる問題」でした。

最初に述べたように、ドラッカーが政治学者でありながら資本主義経済体制の分析を重要と考えた理由は、1946年という時代の中で、経済発展を拒否して戦争にのみ存在理由を見出すナチズムと、経済発展のみを目標に掲げる社会主義体制が広まる欧州に対して、自分が移住してきたアングロサクソンの国が代表する資本主義体制の中に、ナチズムと社会主義が否定する人間の尊厳と自由を確保する余地の可能性を見出したいがためです。それゆえ彼にとっては、分権制の意義は経済パフォーマンスのみによって測られてはならず、むしろそれが人間の自由を実現しているか否かが問題にされるべきでした。そう考える彼にとって分権制は、リーダーシップを持つ個人を増やすという点で、一つの注目すべき企業形態でした。

上でも述べたようにドラッカーはこの分権制とアメリカの文化との間につながりを見ています。彼によれば、「ヨーロッパの大陸諸国は30年戦争(1618-1648)以降、倫理的なものとしての社会を捨て、ひたすら政治の絶対視と無視の両極の間をうろついてきた」のに対し、アメリカでは社会それ自体が目的とされることはなく、同時に社会そのものを個としての人間の倫理的な価値と無関係の功利的な手段とされたこともないと言います。「アメリカは、国(nation?)、国家(state?)、人種(race?-引用者)に絶対的価値を付与する社会至上主義と、法を倫理的な価値とは関係のない交通法規扱いする社会的功利主義のいずれをも拒否する」(119頁)。

著者はアメリカの政治文化の特質を、個人と社会の関係を対立するものではなく、「物質的な社会組織に倫理的な意味合いを付与する」ことによってその対立を止揚
する点に見出します。「アメリカは、物質的な制度と物質的な進歩は、それ自体が目的なのではなく、理想の実現のための手段であるとする点において、信じられないほどに、そして時には幼稚というほどに、理想主義的である」(120頁)。

(アメリカの出版界において、物質的な成功を手引きする成功哲学書と、倫理的・霊的な価値の再発見に導くスピリチュアルな書籍がつね同時ににベストセラーになるのも、この伝統と結びついているのかもしれません。またアメリカのこの傾向は、日本を初め世界中に広がっています)

ここで、アメリカの国民にとって「信条」というものの重要性が注目されます。

著者から見れば、アメリカ人が「アメリカ」という国家を信じるのは、それが共感できる信条を体現しているからです。それに対してヨーロッパ諸国民は、(例えばナチズムを嫌悪しながら国のために戦うドイツ兵士のように)愛国心は人間本性のものであって、その時々の信条に左右されるものではないと考えます。アメリカ人には、国それ自体を重要と考える思想を持ちません。それゆえアメリカ国家は、国民をひきつけるには、つねに何らかの信条を表明しなければなりません(121頁)。

では、アメリカ社会の「約束と信条」とは何かという質問に対して、ドラッカーは次のように答えています。

「アメリカの政治哲学の基本は、個としての人間の重視という、際だってキリスト教的な思想である。ここから第一に、正義の約束すなわち機会平等の約束が生ずる。第二に、自己実現の約束、よき生活の約束、より正確にいうならば一人ひとりの人間の尊厳の約束、すなわち位置づけと役割への約束が生ずる」(124頁)。

このように、「個」を尊重することが同時に社会の公正を要求するところに、アメリカの人々の求める要求の特徴があるのかもしれません。「個」を尊重して欲しいから干渉を排除するのでもなく、社会の公正を要求するから個が社会に奉仕するのでもない。「個」を尊重するために社会の公正を保証することを、同じことですが「個」を尊重するシステムとしての社会の公正をアメリカの人はアメリカ社会と国家に要求します。

この個と社会の公正との関係は、著者が次に述べるように、表面的に考えれば対立します。

「前者(個の尊厳 引用者)は、個たるには人間としての尊厳を必要とするとし、後者(機会の平等 引用者)は、人間としての尊厳は社会とのかかわりによって得られるとする。すなわち前者は、一人ひとりの人間は社会に意味を見出せなければならず、社会は一人ひとりの人間のために存在するとする。後者は、社会的な地位は一人ひとりの人間の能力と成果によって得られなければならず、一人ひとりの人間は社会における働きによって規定されるとする」(127頁)。

著者によれば、この二つのうち「個」の尊厳のみを考えたのが「フランスの封建社会」であり、機会の平等のみを考えたのが「十七世紀イギリスの平等主義」でした。これら二者択一でしか個と社会の関係を考えられない欧州諸国に対し、アメリカの強みは、この二つがともに互いを必要とすると考える点にあるとドラッカーは見ます。つまり、機会の平等という思想と制度的保証がなくては、個に対して社会的な位置づけ、役割、意味という尊厳を与えることはできないし、個が社会的な位置づけと役割という尊厳をもてる社会でなければ、機会の平等という社会的正義を人々が実現するための精神的・物質的資源は存在しないということです(127頁)。

二〇世紀のアメリカにおいて、「中流階級」という思想が勃興したのも、上記のこと社会の関係についてのアメリカ人独特の考えが影響していたと著者は見ます。

「中流階級」という思想は、上流と下流の間にある階級ということを意味しません。社会を区分した中でのひとつの集団ということを意味しません。中流階級社会とは、すべての人が同じ価値観をもつ社会を意味します。

アンケート調査で中流と答える人は、自分の位置づけを所得と地位から算出したわけではなく、またどれだけの富者と貧者、強者と弱者がいるかを考えたわけでもありません。彼らが自らを中流階級と規定したとき頭にあったものは、アメリカには生活のあり方は一つしかないということでした(125頁)。

このような(当時の)アメリカの人の中流意識の根底にある態度をドラッカーは次のように描写します。

 「親しみやすい。人をうらやましがらない。地位を敬いもしなければ、畏れもしない。時として平凡と順応を大切にする。・・・
 平等感がアメリカの特性であることに変わりない。それは、社員が社長に会えること、幹部用のエレベーターのないこと、偉そうな態度を嫌うことに表れている。
 同時にアメリカ人にとっては、中流階級社会とは、誰もが意味ある充実した人生を送ることのできる社会のことである。事実、これまでの中流階級擁護論も、中流階級にある者だけが尊厳のある生活、すなわち個としての位置づけと役割をもつ人生を送ることができるというものだった。
 この中流階級のコンセプトには、社会における位置づけは社会への貢献によってのみ規定されるとの意味合いが含まれている。ここにおいても、中流階級社会には、上流階級は存在しえないことが明らかである」(126頁)。

つまり「中流階級」という概念は、誰もが個の尊厳を満足させる固有の役割をもち、その役割が社会の機能と結びついていることを理想としている状態としているのであって、是正されるべき物質的な格差を前提していない。それゆえこの社会は、誰もがそれぞれの正義を果たし、また果たすチャンスが与えられているという点で、「正義の平等にもとづく無階級社会」(126頁)です。


産業と市民性の調和

そこでドラッカーの探求は、実際の資本主義社会が「個」の尊厳を人々にもたらすにはどうすればよいかという問題に向かいます。彼はそれを、「産業の現場に市民性をもたらす」と描写します。

ここから彼は、具体的な事例をいくつか見ていきますが、それらに共通するのは、「提案制」など、いかにして生産方法・労働条件の改善などに労働者の主体的な参加を促すかという問題認識であり、私は詳しくありませんが、おそらく20世紀の経営学で幾度も取り上げられた事例だと思います。

ただ私が10年以上前に受けた「経営学」の授業を思い出しても、経営学で取り上げられていた従業員の職場における主体的参加という問題認識が、いかに企業の生産性を高めるかと言う視点から論じられていたのに対し、ドラッカーはあくまで政治学者としての視点から、どうすれば労働者が産業社会の現場で「市民性」を回復できるか、自己の尊厳を取り戻すことができるかを考えていた点です。

労働現場における主体的参加の可能性は、ドラッカーにとって、ナチズムと共産主義に対して資本主義が強みを発揮できる特徴であり、またそれがなければ資本主義は歴史的な存在意義がないと言えます。彼にとって資本主義の存在意義は決して経済パフォーマンスの良好さにあるのではなく、市民に生きる意味を与えることができるかという点にありました。


何度も述べてきたように、働く場に「市民性」をより多く回復させる一つの手段が分権制であり、それによってより多くの労働者は自らの労働に対しイニシアチブを発揮できる余地が生まれます。

またその分権制を効率よく、つまり人間関係の恣意や感情ではなく、個々人がフェアで対等な関係を保つために、個々人のパフォーマンスを客観的に測定することが求められ、例えば「コストとシェア」といった基準が採用されます。

このことは、市場原理にもとづいた利益獲得といった経済活動の基本的特徴が、個々人のパフォーマンスをより客観的に・フェアに・他人の恣意に邪魔されずに、測定される可能性を生みます。市場を通じた測定により、個人と個人は対等な関係に立ち、自らの労働に取り組むことができます(理想としては)。

おそらくドラッカーにとっての(当時の)ジレンマは、このように個人が自らの仕事に誇りを取り戻すことができるのは、資本主義経済・市場経済だけであるという認識と同時に、政治学者として、すべての人の幸福は資本主義経済では達成できないのではないかということだと思います。

後期の著作では後者のような理想主義的な観点は彼から失われていったかもしれません。しかし、ナチズムと共産主義に対抗して資本主義こそが人類に幸福をもたらす可能性を必死で探るドラッカーにとって、資本主義企業はたしかに他の社会体制よりも多くの個々人に生きる意味と個の尊厳をもたすのと同時に、失業の不可避性をも含んでいることは、解決困難な問題だったのだと思います。

それに対する彼の処方箋は、雇用を生み出す資本財生産のために政府が支出すべきなど、かなり時代に制約された提案になっています。ただ、個の尊厳は社会における位置と役割によってもたらされると考える彼にとっては、完全雇用は資本主義が決して手放してはならない課題だったのでしょう。


これまで見てきたように、この本は大量生産社会が本格的に機能し始めた時期のアメリカで書かれ、その生産原理が前提にされています。その意味では一見古く見える記述も少なくありません。

ただ、大量生産社会を行なう超大企業という前時代的な例を挙げながらも、ドラッカーが考える問題は、どのような企業形態が人々に幸せをもたらすかという問題であり、その視点から、巨大組織においても個々人が主体性と権限をもって活動できる可能性を示そうとしました。その意味では、この書の分析は、事実の中から彼にとって理想と思われる部分を抽出して、あるべき組織と労働のあり方のモデルを提示していると言えます。

個々人の自立性と主体性の発揮という点を重視する彼にとっては、20世紀も終るにしたがって視点の力点が、巨大組織のあり方から、知識労働者を中心とした機能の結びつきという点に資本主義の基本的特徴を見出すというように変化することは必然だったのでしょう。

ただ、たとえ自律的な知識労働者が増えようと、組織そのものがなくなる訳ではありません。個々の労働者を結ぶ媒介としての・場としての組織は残り続けるわけですし、その場のあり方を考える上では、「分権制」という理念は今でも重要なのだと思いますし、これまでも多くの学者が取り組んできた話題なのだと思います。

こうしたドラッカーのトピックを取り上げる上では、何度も言うように、あくまで彼は政治学者として取り組んだのであって、生産性を上げる方法を第一に考えたのではないということは留意されるべきだと思います。もちろんそのことは、生産性を上げることを軽視してよい理由にはなりません。ただ、単に物質的な条件を改善することだけを考えるのであれば、ドラッカーから見れば、それはかつての社会主義と同じレベルに堕ちてしまうということです。

また同時に弱肉強食・優勝劣敗を市場原理の必然と考えることも、ドラッカーの真意とは遠くかけ離れています。ドラッカーが市場原理に賛同する理由の一つは、それが個々のパフォーマンスを客観的に測定する基準となりえるため、恣意による昇進などを排除し、それだけ労働者間の関係を対等にできると考えたからでした。つまり、経済学的ではなく、政治学的動機から、彼は市場原理に同意しました。

それゆえ、ドラッカーの意図は、優秀な人だけではなく、人類全てが幸福に生きる条件の探求にあります。市場原理は一つの可能性ですが、それは市場原理から排除されたものを見捨てることをよしとするわけではありません。元々の探求の意図は、全ての人が幸福に生きる条件の探求であり、その条件の一つが労働に個の尊厳と市民性を取りもどすことなのであれば、その活動に他者の救済という社会福祉的活動が入る余地は十二分にあるからです。

私たちが今ドラッカーを読む際には、そのような彼の政治学的意図を前提にすべきなのだと思います。


『企業とは何か その社会的使命』P.F.ドラッカー(著) 1

2006年08月26日 | Book
ウィーン生まれでドイツの大学で博士号を取り、ナチ政権時代にイギリスに渡った政治学者ピーター・ドラッカーの著作『企業とは何か その社会的使命』を読みました。

この『企業とは何か』は、彼の処女作『経済人の終わり』と第二作『産業人の未来』に続く第三作だそうです。

『経済人の終わり』は、第二次大戦間近に、なぜナチズムが発生したのかという喫緊の問題を探求するために書かれました。そこでは、ナチズムの発生は、当時の資本主義が示した恐慌・失業・貧困という事態により、それまで欧米の人がもっていた「資本主義により自由と民主主義が発展する」という幻想が打ち砕かれ、それゆえ無気力に陥ったために、経済発展・富裕層を否定し、他者の存在を否定するナチズムに多くの人が惹かれていったと説明されていました。

共産主義ですら資本主義と同様に経済発展を目指すのに対し(それゆえ社会主義国では格差が生じる)、ナチズムは資本主義がもたらすそうしたメカニズムをすべて否定し、“脱経済”の国家体制を目指し、あらゆる階級を質素な生活下に置き、それまでの特権階級・中流階級にナチ党の中での高い地位を与えませんでした。ナチズムとはこのように観念による徹底した平等という倒錯した理念だったのですが、恐慌に襲われていたがゆえに、その理念が人々に受け入れられたとドラッカーは説明します。

つまりドラッカーは、ナチズムの発生は資本主義が人々に自由と民主主義という理念の力を信じさせることに失敗した結果だと見て、それゆえ資本主義はもう一度それがすべての人々に幸福を約束できる体制であることを示さなければならないという趣旨のことを述べました。

それに続く『産業人の未来』では、共産主義とナチズムに対抗するために資本主義が達成しなければならない課題として、雇用を人々に確保することによって彼らが社会における「位置と役割」をもつことを可能にすることが挙げられています。

資本主義はナチズムのように経済発展を拒否することはできません。そのような経済の拒否は、観念が先走り他者につねに闘争を仕掛ける態度を生みます。ヒトラーが物質的富に関心をもたなかったことは偶然ではありませんでした(このことは、賄賂や経済的特権を貪ることに縁のない政治家がそれだけでよい政治家ではないことを意味します)。

同時に資本主義は、共産主義のように単なる経済発展と物質の供与のみを目指すもので終るわけにも行きません。そのような経済中心主義思想は、必然的に、人々から生きる意味の喪失をもたらします。旧社会主義国においては失業・貧困が存在しなかったのは事実だそうですが、同時に多くのアルコール依存者を抱えていたのも、憐れみから最低限の物質を供与することを国家の任務ととらえていたためでした。

ドラッカーは、資本主義社会は、富と同時に、人々に誇りと意味をもつ人生をもてるようにしなければならないと考え、それゆえ「社会における位置と役割」の重要性を説きました。それが、彼が完全雇用を社会の原理とすべきと説いた理由です。

冷戦が始まる前で、ナチズムと共産主義によって存在意義が真剣に揺さぶられていた資本主義という理念を救うために、ドラッカーは雇用の重要性を説きました。それは第二次大戦後の西側の工業発展が始まる前には、考えられる限りの最大限の理想だったのだと思います。

あるべき社会を考えることと、あるべき組織を考えること

この『企業とは何か』が書かれたのは1946年です。富と人生の意味をもたらす資本主義という理念を探るためにドラッカーが着手したのが、あるべき企業経営の探求でした。『経済人の未来』でも述べられていましたが、ドラッカーにとって多くの西側の思想は、資本主義社会について論じようとしながら、実際には商品と貨幣の交換のメカニズムのみを問題視する商業資本主義を論じていることでした。彼にとっては、アダム・スミスやマルクスですら、そのような前時代的な経済体制を問題にしていました。

しかし今問題にすべきなのは、ドラッカーにとっては、組織・企業という経済単位が主流になる経済体制においては、人々にとって何が問題なのかということでした。ドラッカーにとってあるべき社会を今(1946年)考えることは、あるべき企業経営を考えることでした。多くの人が企業を介して経済活動を行うよう強いられる状況において、人々の幸福の可能性を考えるには、あるべき企業と働く人との関係を考える必要があるからです。

ドラッカーにとっては、どうすれば効率的に利益を上げる企業経営を達成できるかというテイラー的な関心は問題外でした。彼にとっては、あくまで、人々が幸せに生きるために企業はどのように経営されるべきかが問題でした。だからこそ、政治学者であるドラッカーは、経営の問題に着手したということです。その意味で、『企業とは何か』は、ドラッカーが、学問の個別領域に囚われずに、自分が考えるべき問題を探求し始めた記念碑的な著作なのかもしれません。


GMにおける分権制


この本ではドラッカーは自動車会社GMの内部組織を実地に調べ、その長所を抽出しています。そこで彼が重視したメカニズムがGMにおける「分権制」。20世紀の経営学に詳しい人にとっては退屈な標語かもしれませんが、1946年当時の彼はGMにおける「分権制」の意義を繰り返し述べます。

この分権制度とは、車種別事業部、車体事業部、各種備品事業部、ディーゼルエンジン事業部、航空事業部など約30の事業部から成り、それとは別に本社経営部門があります。これら事業部はそれぞれ独立した権限をもち、本社スタッフと言えども事業部を無視してその事業部に関わる仕事を行うことはできません。

事業部は、その内部に関しては事業部長に大幅な権限が与えられています。生産・販売・採用などは本社ではなく事業部長の裁量で決まるため、一つの独立企業のように存在します。

ドラッカーは、このような事業部長の独立性は、一つには事業部長に対する報酬の大きさによって保証されていると見ます。GMの事業部では、地位が上であるほどボーナスが多くなります。日本の企業とは異なり、地位が上の者は、総収入にしめるボーナスの割合が大きくなり、つまり管理職ほど業績主義が給与に反映されます(ちなみに『経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには』の中で著者の大竹文雄さんは、若い人には年功制賃金で、年齢が上がるほど業績主義の賃金制が好ましいと述べている)。

このボーナスは自社株の支給によって払われますが、それによりGMの管理職はおそらく数千万から数億の給与を得ていた(る)のかもしれません。ドラッカーはこのような傾向を、それによって事業部長の経営判断が解雇の危険に左右されなくなり、より企業家精神が発揮されるという理由で、肯定的に見ています。

現在のアメリカでは、こうした一部のホワイトカラーの給与が膨大になる傾向がより強まると共に、それによる格差の増大が社会の歪さを表すものとして批判的に見られています。ドラッカーの生きた時代では、冷戦時の成長がこれから始まる時期であるのに対し、70年代以降のアメリカは、その内部に「第三世界」を抱え込むように貧困・暴力・ドラックが氾濫してきたため、格差が批判的に見られるようになりました。

ともかくドラッカーにとっては、GMのような大企業において分権的な事業部性が取られ、その分権性が機能するには、事業部長の経済的・精神的独立性を保証する自社株支給によるボーナスは肯定されるべきものでした。


事業部の独立性と客観的な測定基準

またGM組織の分権性を機能させる仕掛けとして、事業部の機能の度合いを測る尺度が、コストとシェアという客観的な基準に拠っていることに著者は着目します。

この「コストとシェア」という基準も、今となってはどれほど有効なものかは、経営に詳しくない私には分かりません。実際ドラッカー自身が、近年の著作の中で、何を消費したかというコスト分析以上に、これからの変化の時代では、「行わなかったことで失ったもの」を会計分析に含めること提唱しているからです。

ともかく46年に著者は、この二つの測定方法が客観的なために、独自の権限を持つ事業部が独自の判断で行動することが可能になっていると見ます。

まず、コスト分析の長所は、景気変動などの外的要因を差し引いて生産性を測定できる点にあります。つまり、コスト計算から生産性の低下が見出されるにもかかわらず利益が伸びている場合には、それは当該事業部の成果ではなく環境に要因があることが分かりますし、その逆のパターンも発見できます。

このコスト分析が事業部ごとに独立に行われることにより、事業部それぞれの生産性と利益への貢献が明らかになります。

同様にシェア分析からも、たとえ利益が下がろうとシェアが伸びているならば、利益低下の原因は消費者の嗜好の変化にあり、例えばある特定の車種を生産している事業部の責任は少ないことになります(同時にユーザー調査部門の責任が問われる)。逆に利益が増加してもシェアが減っているならば、得られるはずの利益を失っているという点で、当該車種事業部の能力が問われることになります。

このようにコスト分析とシェア分析は、利益の増加・減少の原因が事業部の生産性にあるのか、外的な要因にあるのかが分かり、変化を要請されているのは何なのかをハッキリさせるのに役立ちます。

このように各事業部の成果を測る尺度を最大限客観的な数字に還元させることで、ある事業部は本社や他の事業部に対し独立性を保つことができ、事業部長とそれ以下の社員はGMという組織に対しより対等な位置に立つことができます。

それまでは、GMの組織に見られる自由闊達さや、情報と説得の重視や、命令的要素の欠落は、それまでGMを率いていたアルフレッド・スローンの人柄によるとされてきました。それに対し著者は「政治的な秩序を支配者の人柄や被支配者の好意に依存するという人柄論は、きわめて危険である。それどころか、そのような見方が一般化するということは、GM自身が自らの強みの原因を理解していないことを示すがゆえに、一転して弱みともなりうる」と述べます(59頁)。

むしろ著者は、ある組織の特性は、それを担う指導者の人柄ではなく、その制度形態に左右されると見ます。


分権制によるリーダーの養成

このことは、ドラッカーが所謂“カリスマ”的な経営者の意義を否定する点にも表れています。

彼から見れば、運営に「天才やスーパーマン」を必要とするような組織は存続可能性が少なく、むしろ「ごく平均的な人間によるリーダーシップ」で充分なように組織されて初めて合格です。

そのため、ある組織が存続するためには、「納得しうる継承のルール」が必要であり、平均的な人間を指導者に養成するための機会が保証されていなければなりません。平均的な人間が「しかるべき試練」を経る機会が保証されなければ、偶然天才的な人間がその組織に現れるという“奇跡”を望むしかなくなります。

ドラッカーは、このような指導者・リーダーシップが多数養成されることが、第二次大戦後の企業において必要であると見ていました。20世紀の企業形態の代表が自動車産業に象徴される大量生産ですが、それは(ブレイヴァマンが『労働と独占資本』でより詳細に記したように)、労働者から熟練技能を得る機会が奪われ、労働者の組織化と労働の単純化が中心になる生産形態です。

労働者を組織化するという機能が20世紀の企業において中心になるからこそ、ドラッカーは、その機能を担う“リーダーシップ”が多数養成される必要性を指摘しました(社会思想史家の平子友長先生は『社会主義と現代世界』の中で、このように労働者を組織して生産性を上昇する点に「資本の権力」の所在を見出し、この組織化能力の重要性を認識し損なった点に、社会主義経済崩壊の原因の一つを見ています)。ドラッカーは次のように述べています。

「大量生産とは、たんなる技能の集積ではなく、広く適用することのできる一般原理である。その本質は、仕事の組織化をもって技能に代えることである。大量生産では、現場管理者の数はかつての熟練労働者よりも少なくなる。未熟練労働者の数は多くなる。しかし現場管理者に要求される知識と能力は、熟練労働者に要求された技能よりもはるかに大きい」(29頁)。

「現場管理者に要求される能力は、熟練労働者に要求されていた能力とは異質であって、より高度である。より理論的である。昨日の熟練労働者は仕事の道具の使い方を知ればよかった。今日の現場管理者は大量生産の原理を知らなければならない。・・・まさにアメリカの産業発展は、大量生産のリーダーを育成できるか否かにかかっている」(30頁)。

ドラッカーにとっては、このようなリーダーを育成する一つのメカニズムが、分権性に基づく事業部制と、各事業部の成果を客観的に測る基準(コストとシェア)の存在でした。それにより、それぞれの管理者の人間的性格に左右されずに、また人間関係が合う合わないに左右されずに、リーダーシップを育成できるというわけです。彼は次のよう述べます。

「GMの経営政策は、経営から恣意と独断を排除し、秩序と権威によるチームワークを機能させる。あらゆる権限を客観的な基準のもとにおくことによって、それらの権限を正統かつ強力にする。 
 こうしてGMでは、あらゆる権限が地位ではなく機能に基盤を置き、あらゆる決定が権力ではなく客観的な基準に基盤を置くという、真の連邦制が実現されている」(77頁)。

組織の働きが「機能」に基づくという思想は、90年代に出版された彼の著作でより重要性が強調されています。グローバル化に伴って、もはやビジネスという機能は国境だけでなく組織にも左右されず、名目的・法的に組織は存在しても、重視されるのは組織の地位ではなく各個人の機能とその結びつき(パートナーシップ)であると強調されます(“Management Challenges for the 21st Century”)。

このような人と人の対等性、パートナーシップ、すなわち「連邦制」の達成は、政治学者としてのドラッカーが資本主義の理想の中に捜し求め始めたものでした。


分権制と保守主義

同時に彼にとって強調されなければならないことは、GMにおける分権制が決して一つの教条として尊重されてはならないことでした。

「『産業人の未来』 P.F.ドラッカー(著) 2」でも取り上げたように、ドラッカーの考えでは、ヨーロッパでマルクス主義・社会主義・ナチズム・フランス革命などの流血を伴う革命運動が起こったのは、人間の理性によって真理に到達できると考える思想が生じたからでした。その理性信奉が自己のみを正しいとする傲慢さを生み、闘争をもたらしました。

これに対し著者は、アメリカの独立宣言の起草者トーマス・ジェファーソンやイギリス保守主義の思想家エドマンド・バークの現実に立脚した思想に自由の可能性を見ようとしました。

そこでドラッカーが重視したのは、例えば二大政党制により政権の方針がつねに懐疑に晒されるシステムの構築や、連邦制による地方自治の独立性などであり、それによって一つの考えがすべてを支配する可能性の排除でした。

そこで重視されているのは、“多元主義”という教条の現実化ではなく、反権威によって、一つの思想・一つの権威がシステムを支配し現実の変化に対応できなくなることを防ぐための制度的保証でした。

ドラッカーは、アメリカの政治において自分が見出そうとした理想の連邦制のあり方を、今度はGMという20世紀を代表するアメリカ企業に見出そうとしました。つまり著者にとってGMの分権制は、それによって各事業部が独自の裁量で行動できるため、つねに多様な考えをもつ社員を保持することを可能にしました。また各事業部の成果は客観的な尺度で判定されるため、社員間の間に感情・恣意による葛藤をできるだけ排除し、風通しのよい組織を作りました。同時に数多くの独立した事業部それぞれでリーダーシップを育成できることで、数多くのリーダーを輩出することができました。

ドラッカーが重視したのは、このような分権制は決して分権制のための分権制ではなく、組織のダイナミズムを保つために現実的に時間をかけて自然にできあがった制度だということです。

著者はアメリカ合衆国憲法の強みをつぎのように述べます。

「合衆国憲法は何をなすべきかを定めた計画ではなかった。実用本位の規則でもなかった。それは統治のための機関をいくつか設け、膨大な権限とともに限界を定めた。法についての客観的な規範を定めた。意思決定についての原則を定めた。
 それらの原則は、いかに行ってはならないかを定めるだけのものだった。例外は具体的な手続きを定めた憲法修正についての条項だけだった。統治の方法やシステムは現実の経験に任せられた。これが合衆国憲法の成功の秘密だった」(67頁)。

同様のことはGMにも当てはまりました。

「本社経営陣と事業部長との関係に適用すべき分権制のコンセプトや客観的な尺度についても、二〇年代のはじめには考えが確立していた。
 しかしこれらすべてのものが、組織と手続きの原則にすぎなかった。何を行ない、何を行なわないかについての原則ではなく、いかに行ない、いかに行なわないかについての原則だった。
 具体的な構造、具体的な組織、具体的な経営政策、具体的な意思決定は、具体的な状況や個性とのぶつかり合いの中で徐々に形成されていった」(67頁)。

ドラッカーは分権制は決して教条になってはならず、むしろ現実への対応を促すのであり、また分権制の長所を発揮させるのであれば、専制的なメンタリティをもつ幹部がいることがメリットになりうることを指摘します。

このように分権制が教条に堕ちてしまった例として、ジャーナリストのピーター・バロウズがhpの内部を取材したものがあります(『HPクラッシュ』)。そこでは、元々各社員の自律性を尊重して働きやすくするために、民主的に互いが対等に意見を述べる慣習がhp内にできあがったにもかかわらず、70年代以降はそのような“民主制”が“hpウェイ”として喧伝されるのに伴い、一つの習慣化した儀礼となり、現実への対応のための民主制ではなく、民主制のための民主制へと堕落していました。バロウズはここにhpの停滞の原因を見ています。これは、ドラッカーが理想とした分権制とは似て異なるものでした。

ドラッカーが観察したこのような分権制による連邦制の実現は、社会の変化に対応しながら、各成員が対等な立場に立ち、多くの成員がリーダーシップを担うチャンスを得ることができるという点で、ドラッカーの考える理想としての社会形態です。


『企業とは何か その社会的使命』P.F.ドラッカー(著) 2に続く)