(「加害の忘却と心的外傷 『関与と観察』中井久夫(著) 1」からの続き)
加害による心的外傷
この本で他に中井さんが戦争について語ることの一つが、戦争における関与者の心的外傷の問題。とりわけ中井さんは、加害者の心的外傷にフォーカスします。
中井さんが調べたところでは、人間は本来は(案外)人を殺すことに躊躇する生き物だそうです。つまり、一見激しい戦闘が行われているようでも、最初は多くの兵士は敵を狙って発砲できないみたいです。80%から85%の兵士は、自分の命が危ないときでも、敵を狙って発砲していないということが明らかにされているそうです(4頁)。いくら戦争であろうと、どこかで人間に備わる自制心がみたいなものが働くのでしょうか。
もっとも戦後これに気づいたアメリカは、頭の柔らかい10代の兵士に心理的コントロールで洗脳することで、人間を銃で撃つことへの抵抗心をある程度取り除いたそうです。本当に「殺人マシーン」を作ったんですね。これらの兵士がヴェトナム戦争に参加したそうですが、彼らは母国に戻っても市民生活に適応できなくなってしまったそうです(5頁)。それが原因なのか、洗脳という方法はアメリカ軍は以後放棄したそうです。
このように人間はそのままで(案外?)戦闘行為というものには耐えられない生き物で、「戦争のプロと言われるベテラン下士官でも、四、五十日も戦い続けたら、「もうどうなってもいい」と言って武器を投げ捨てて、むざむざ敵に撃たれるようになるということが起こる」そうです(7頁)。
こう言われると、戦争というのは、「政治の延長」にはなりえないのだと感じさせられます。多くの人間は人を無抵抗に殺すということができず、経験をつんでも戦場を放棄する心理に追い込まれるのなら、計画的な戦争というものは本来無理なのかもしれません。
世界で圧倒的な武力をもつアメリカですら、ヴェトナムもイラクも完全制圧できませんでした。このことは、核兵器を使わない限りは、戦争を成功させるということは本来無理だということなのかもしれません。
日本にしてもドイツにしても降伏させることができたのは、これらの国が国の崩壊よりも敗北を選ぶ余裕をもっていたからではないでしょうか。しかし、敗北するぐらいなら国の崩壊も辞さない相手には、戦争で勝つことはできません。
また中井さんは、戦闘員・加害者としての人間は敵と向き合ったときは撃つのに躊躇してしまうそうですが、だからといってそのような抑制がつねに続くわけではなく、虐殺の種もつねに宿しているそうです。
「米軍のデータに従えば、敵と味方が対峙し合った状況での死者は非常に少ないそうです。全員が確実に相手を殺す手段を行使していたら、戦闘はもっと早く決着がつくのだけれども、それよりずっと時間がかかるそうです。しかしあるところで一方が逃げ出す。ところが背中を見せると途端に殺しやすくなるのだそうで、大量の虐殺は逃げる軍隊に対して起こります」(11頁)。
絶対に勝てるという場面では、一気に人間の残虐性が顔を出すということですね。その意味で、戦争は、やられた者と同じくらい、勝った方にも大きな傷を心に残すのではないかと思います。それまで耐えていたものが、一度噴出すと全部噴出してしまうように。
「ある時、奇妙な状態が起こります。勝ったと思ったときだそうです。それは非常に危ない状態です。勝ったと思った時には、一種の空白状態、善悪感覚のノーマンズランドがうまれるようです。そこに略奪が起こり、虐殺が起こり、レイプが起こる」(11頁)。
このような掠奪行為は、連合国がドイツに戦勝したときにも起こったことであり、ドイツの数十万の兵士が殺され、またシベリア収容所に送られました。またソ連に占領されたベルリンでは、ベルリンの女性市民の半数がソ連兵士に強姦されたそうです。
このような、おそらく人間一般に見られる虐殺への性向に加えて、中井さんは日本人の特性の中にも虐殺の種を見ます。彼によれば、独裁的な主犯の命じるままに信じられない大量殺人を実行したという容疑者の心理テストには、平均的な日本人の心理傾向と通ずるものがあるということです。すなわちそれは、「自罰的でも他罰的でもなく、無罰的とでもいうべきか、すべてを不可避的な流れと観念し規律と習慣に従って耐え忍びつつ時間の経つのを待つ」という傾向です(23頁)。
このテストに対応するように、日本人にはハイジャックされた航空機内でも落ち着きをみせる傾向があり、また太平洋戦争開始時にも、中井さんの周囲の大人たちは「来るべきものが来た」と言い合い、「避けられないと強く推定されていたものがやはり到来した」という宿命論的な態度を見せたそうです。中井さんは、上の大量殺人の容疑者の性向を自分も共有すると語っています。
上で述べたNHKの番組でも指摘されていたように、日本軍は上海進出の際に兵士だけでなく一般市民の虐殺を行ったそうです。
これは、番組でも、また中井さんも指摘していることですが、短期で制圧できるという甘い見通しとは異なり、復員が適わず、次々に現地での侵攻の命令が下るにつれて、兵士にイライラが募ったことが原因の一つのようです。
中井さんの知り合いであろうある詩人の子息は、兵士として残虐な場面に無感覚になるために、訓練して中国兵士を銃剣で刺殺させられた体験があり、彼は帰国後も毎晩血なまぐさい悪夢にうなされていたそうです。
中井さんは日本の日中侵略には、中国の民だけでなく、日本の兵士自体にも大きな心的外傷をもたらしたと見ています。
「日本人は「弱い者いじめ」となるのを非常に恥とします。中国との戦争はフェアではないという感覚が当時の日本には底流していたと私は思います。対米開戦には奇妙な開放感がありました」。
「中国戦線の軍国歌謡は、反戦歌と間違われたほど暗くマゾヒスティックです。たとえば、「どこまで続くのか、ぬかるみよ、二日三晩食事をしていない。雨がヘルメットから滴り落ちる」「父よ、あなたは強靭であった。鉄兜の燃えるような炎天下に泥水を飲み、草を食物とし、敵兵の死体と一緒に横になり、三日も眠らずにいたそうですね」というもので兵站線の弱さは事実でしょうが、自分も犠牲者だと訴えて、苦行による免罪願望が潜んでいるかのようです」
「また戦後五〇年間、「戦友会」がさかんに催されましたが、中国戦線参加兵士の戦友会は、しばしば口論、喧嘩、乱闘に終ったそうです。この集団の葛藤と外傷の深さを示唆する事態です。これに反して太平洋戦争従軍兵士の「戦友会」は一般に和やかに終りました」(28-32頁)。
このアジアに対する加害による外傷は、60年を経って、また最近になって噴出しています。薄皮一枚の下に抑えていた罪悪感を、容赦なく隣国はつつきます。それにどれだけ諸隣国の政治的意図があろうと、日本がこの問題に対して真剣に向き合ってこなかったツケがまた巡ってきています。
現在の首相の靖国参拝は、それを「心の問題」と言っている点で、その参拝が日本の加害の事実に向き合っていないことを示しているのではないかと思います。首相が誠実か誠実でないかは、厳密には分かりません。ただ、相手を巻き混んだ戦争という行為をめぐる追悼という行為において、その行為にアジア諸国の人への視点がなく、それを「一個人の心の問題」とすることは、戦争に参加し加害という外傷の記憶を背負った日本の兵士を慰めることにはならないのではないかと思います。
中井さんは次のように述べています。
「いずれによせ靖国神社は軍人のみを祭っています。鎮魂としても不十分であると思います。また、通常の春秋の祭ではなく、敗戦の日の八月十五日に参拝することは復讐を誓っていると誤解されかねません。これに対して、戦後に作られた原爆犠牲者、沖縄戦犠牲者の碑には、一般市民はもちろん米軍の死者も祭られています。胸を張って若い人たちに示すことができるのはこちらでしょう」(37頁)。
実際に加害を行った兵士を慰める手段という点でも、靖国参拝は、アジア諸国への配慮がなく、個人的な「心の問題」とされていることによって、亡くなった兵士たち自身が感じているアジア諸国への罪悪感を慰めるものにはなっていないように思います。
むしろ、過去の日本の兵士が救われるとしたら、それは何らかの形によるアジア諸国との関わりを積極的にもつ行為を通してのように思います。