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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『スティグリッツ入門経済学』ジョセフ・E・スティグリッツ(著)

2006年08月30日 | Book
ジョセフ・E・スティグリッツ『スティグリッツ入門経済学』を読みました。この本はすでに3版が出ていますが、私が読んだのは初版です。

うん、読みやすかった。経済学の本なのに数式が皆無なので僕でも読めました。

大学の学部時代に「近代経済学」(今でもこう呼んでいるのか?)を勉強しようとして、しかし高校時代に数学を勉強しなかったのがたたって、さっぱり分からず、それ以来経済学恐怖症に陥っていましたが、この本は数式なしで(おそらく)新古典派を説明しているので、すいすい読めました。

ただ、おそらくあまりにも初歩的な内容に限っているのでしょう。この本を読んでも、経済学の素人が新しい知見を得ることは少なく、むしろ既存の経済に対するイメージを経済学的な考えで整理するきっかけを与えてくれるという程度のものだと思います。実際、アマゾンのレビューを見ても、この本で経済学が分かったと考えるのは早計みたいです。

それでも、「経済学的考え方」で現実の問題を考えるきっかけは与えてくれるし、「素人的な感情論」以外の考え方があることを理解させてくれます。

たとえば著者の挙げるトピックの一つは、需要・供給の法則に政府が介入することの是非。著者はその例として、アメリカにおける最低賃金法家賃統制法の影響について述べています(197-209頁)。

最低賃金法は労働市場で不利な立場にある労働者の経済条件の改善を目的としているし、家賃統制法は貧しい人でも家を借りることができるように家賃の上限を定めたものです。

しかし著者は、このような「貧しい人」「弱者」を救済するための法律は、その意図として、誰か特定の個人・団体が、不当に労働者の生産物を搾取したり、不当に高い家賃を押し付けて部屋を借りることができないようにしていると考えている点で、間違っていると言います。

端的に言えば、著者たち経済学者にとって価格とは需要と供給のバランスで決まっているのであって、ある特定の個人・団体が意図的に不当に不利な価格を消費者に押し付けたり、賃金を低く抑えることはないということです。著者はその根拠は挙げませんが、とにかくそうだと言い切ります。

ともかく著者は、それら価格規制が実際にもたらした現実を私たちに教えます。

家賃統制法に関して言えば、家賃の上限を決められたことで、家主は老朽化したアパートを改築するインセンティブを与えられず、長期的には住宅不足をもたらしたそうです。

短期的には、家賃統制法により既存の部屋の価格が下がるので借主は恩恵を得るのですが、長期的には逆に供給される部屋がなくなり、お金のない人が部屋を借りることができなくなりました。

同様のメカニズムは最低賃金制度でも作用します。つまり、最低賃金が設定されることで、雇用主には労働者を新しく雇用するインセンティブが与えられず、求人数が減少します。本来貧しい人を助けようとした政策が、結果的に貧しい人が職に就ける可能性を絶ってしまうわけです。

スティグリッツは最低賃金法について次のように述べます。つまり、最低賃金法は夫の賃金が家族全体を養うことが一般的だった1930年代に制定された。しかし現代では「夫も妻も、そして10代の子供までが働く」ようになっている。「明らかに、彼らのす*べ*て*が家族全員を養うだけの所得を稼ぐ必要はない。加えて、最低賃金の引き上げは、低所得者とはいっても普通、働*け*さ*え*す*れ*ば*最低賃金を上回る所得を稼ぐ。低所得者にとって問題なのは、賃金が低いということではなく、働いていないのが問題なのである。働いていないのは、職がみつからないためか、もしくは健康がすぐれず働けないためである。前者の場合には、職がみつからないといった場合の問題は賃金水準ではなく、失業水準であり、賃金を引き上げたりすると職にありつくことがいっそう困難になる」(208頁)。

この言葉だけを聞くと、本来社会科学は視野を広げてくれるはずのものなのに、社会科学のために人は視野が狭くなるような気がします。

この言葉の中には、職場における働く人の精神状態、職場での生活が職場以外での生活に与える影響などが全く考慮されていないように思えてきます。話題になった番組
「ワーキングプア ~働いても働いても豊かになれない~ 」でも取り上げられていたように、過酷な現場できつい労働に就くということは、その人の仕事の時間だけでなく、生活全体の時間をも楽しみの少ない状況に追い込みやすいということでしょう。

「今日では夫も妻も、そして10代の子供までもが働くようになっている」のは、働きたいからそうしているのか、そうせざるをえないからそうしているのかで、その働く人たちにとって意味合いはまったく違ってきます。

上記の著者の言葉を聞くと、どうしてもマルクスの言葉、表面的な法的整合性の裏で貧しい人々は不利な状況で市場で売り買いすることを強いられる現実を経済学は隠蔽するという主張がどうしても頭によぎります。


ただ、こう言ったからといって、スティグリッツが弱者について考えなくてよいと思っているわけでは全くないことは強調しなければなりません。

スティグリッツにとっては、需要と供給のバランスというものはあくまで「非人格的な作用の結果」であり、つまり供給者と需要者が、腹蔵なく悪意もなく正直に、自分の財政状況の範囲で価格をつけているのであって、そのような公平中立なメカニズムに安易に介入してはいけないということです。著者にとって政府が弱者を助ける際に気をつけるべきことは、最初の意図とは異なって市場の力が弱者に不利に働くことがないようにすることです。彼は次のように述べます。

「未熟練労働者の賃金が低すぎることが問題ならば、政府はそうした未熟練労働者に対する需要を増やすような対策を講ずることができる。・・・この目標を実現するためには、政府は未熟練労働者の雇用に対して企業に補助金を供与するか、もしくは未熟練労働者にもっと技能訓練を施して彼らの生産性を向上させればよいのである(つまり労働者への需要を増やす 引用者)。
 また、低所得者層のための住宅供給を増やしたいのであれば、政府は低所得者に対して住宅補助金を供与すればよい。それにより、住宅の供給は増大すると考えられるからである」(209頁)。

つまりスティグリッツが弱者救済策について懸念していることは、それが価格統制の形を採ると、その商品への需要と供給のインセンティブが喪失し、結果的に弱者が市場で相手と契約を結ぶことができない危険にあります。逆に言えば、「弱者」が提供する商品を需要者が高い価格で欲しがるインセンティブ、「弱者」が欲する商品を供給者が低い価格で提供するインセンティブをもたらすような政策を講じる必要があることになります。


ところで、入門書だからでしょうがスティグリッツの説明はとても初歩的な感じはします。しかし最近では上記の価格統制と同様の法律をめぐり議論が起こっています。すなわち、お金の貸与の際の金利に上限を設ける最高裁の判決です。この判決がきっかけで金利の返還訴訟が頻発しているそうです。

経済学者の池田信夫さんは、ブログ
グレーゾーン金利」『池田信夫 blog』
で次のように述べています。

「現在の上限(29.2%)を20%以下に引き下げることが何をもたらすかは、経済学的には明らかである。金利は貨幣のレンタル価格だから、それが人為的に抑えられると、資金の供給(貸出)が減少して超過需要が発生する。この超過需要が満たされなければ破産が起こるか、闇金融に流れることが予想される。事実、2000年に出資法の上限金利が40%から引き下げられたあと、個人破産と闇金融事件が増えた」

池田さんはこの金利上限法は、結果的に需要者(お金の借り手)にとってはお金を貸す業者の減少につながるか、あるいは闇金が増えるなどのマイナス面が目立つことになる点で、(スティグリッツが説明したような)家賃統制法と同じ作用があると論じています。

この問題はどう考えればいいのでしょうね。

市場のメカニズムだけを見れば、池田さんが言うように、この判決によって、お金の貸し手が減少し、資金繰りに困る企業が出てきたり、またファイナンス業界の衰退につながるのかもしれません。この判決で日本の経済状況が危機に陥り、多くの貧困者が出るのであればたしかに問題です。

ただ同時に、ここでは私たちのお金と生活にまつわる価値観も試されているのかもしれません。

資産運用会社の経営者で『スリッパの法則』の著者の藤野英人さんは、村上世彰さんが逮捕された際に、お金について次のような興味深いコメントを出しました。

「私は繰り返し繰り返し、お金のこわさ、そのようなこわいお金を運用するこわさを聞いていた。お金はそれそのものがパワーであるし、人によっては「命よりも金が大事」という価値観の人さえ存在する。少なくとも「命の次に大事なのは金」という価値観の人は珍しいというわけではない。

また金をめぐり争いや紛争が起きる。富の分配という観点で見れば経済的事象は戦争の原因になりやすく(引き金は政治であっても)、お金は見方によれば爆弾よりも怖いのである。本当に取り扱い危険物なのだと思うし、お金に関しては私は今でも臆病だ」(「天才だったが・・・」『RHEOS REPORT』)。

文脈は違いますが、お金と言うのは実態がつかみにくい分(とりわけ最近はネットでのやりとりが増えているので、それだけヴァーチャルな存在になっている)、一度借り始めると自分でもコントロールが効かない危険性があります。

市場の合理性だけを見て、ファイナンス業界の隆盛のために金利について考えないことは、それもそれで危険なことのように思います。お金を借りれなくて苦境にいる人もいるのは分かるのですが、それであれば、金利に上限を定めた上で、それでもファイナンス業を営むインセンティブを業者に与える法律というものはないのかな?とも思います。

この問題に関しても、何が正しいのかは私には分からないし、スパッと何かを批判することもできません。ただ、市場の合理性と産業の隆盛のみを考えることには、違和感もあります。


参考:「グレーゾーン金利」『池田信夫 blog』
   「おやつは300円まで、借金は50万円まで」『微妙に日刊?田中大介』