私たちの苦しみはその9割以上が観念によって生まれているのだと思います。逆に言えば、その観念を手放せたとき、私たちは今いる世界とは違った世界に生きるように思えます。
『四つの約束』は、そのような観念が“本当”であるという保証はなく、むしろその観念を手放したときに、私たちは真実の世界を見ることができることを、シンプルに力強く語っている本です。
著者のドン・ミゲル・ルイスは、私たちが通常持つ観念のほとんどが、罪悪感によってできていることを言います。子供の頃から「~しなけれならない」と“禁止”を言い渡された私たちは、単にそのルールを学ぶだけでなく、そのルールを破ることへの恐怖心をも身につけます。
この恐怖心は、ルールの遵守が大切であることを認識すると同時に、自分はそのルールを破るかもしれない駄目な子だというイメージをも子供に負わせます。
ルールが大切であると学ぶと同時に、恐怖心を植えつけられた私たちは、自分はルールを守れない(かもしれない)いけない子だと自分のことを思います。
この恐怖心が強すぎると、その子は、自分はルールを守るに値しない駄目な人間だと自分を思うようになり、ルールを破ってしまう行動を取ってしまいます。
ルールを守らなければいけないと思うと同時に、それを教える大人への恐怖心から、自分はルールも守れない人間だと思うようになり、やってはいけないことをやる人間になってしまいます。しかし頭ではルールを破ってはいけないと分かっているので、ますます自分はルールを守るに値しない駄目な人間だと思い込みます。
こういう思考の悪循環にはまる危険性が、私たちにはつねにあります。
この“ルール”には、「他人のものを盗ってはいけない」というものから、「いい成績をとり、いい仕事に就く人間にならなければいけない」というものまで、様々です。
ここで間違えていけないのは、大人が子供にルールを教えること自体は大切だということです。ただ同時に、そのルールを教えられた恐怖心から、大人の言うことを守らなければという強迫観念と、自分は大人に愛されていない駄目人間だという観念を私たちはもつ可能性があるということです。
この「自分は大人に愛されていない駄目人間だ」という観念から、私たちは結果的に多くの“ルール”を破り、それによりさらに大人の怒りを買い、ゆえにまた自分は駄目人間だと思い込む思考の悪循環にはまり込みます。
著者は次のように言います。
本当の正義とは、一度の過ちに対して、一度だけその償いをすることである。不正義とは、これに反して一度の過ちに何度も何度も償いをすることである。
私たちは、自分は駄目人間だと言う観念から、つねに“過ち”を犯してしまい、しかし大人(親)に教えてもらったことは自分は理解しているんだと証明するために、何度でも何度でも自分をムチで打ち続けます。
私たちは、間違いを犯すと、自分たちを責め、自分自身を罰する。もし正義があるなら、それで十分であり、もう償う必要はない。しかし、私たちは、自分たちの間違いを思い出すたび、自分たちを責め、何度も何度も罰するのである。
ドン・ミゲル・ルイスは、私たちの中にある、このような“正義の攻撃性”の観念を手放したときに、私たちは世界の真実を見ることができることを教えます。そのために彼は、「四つの約束」を守るよう私たちに求めます。それは
正しい言葉を使うこと
なにごとも個人的に受け取らないこと
思い込みをしないこと
つねにベストをつくすこと
の四つです。それぞれに関する彼の意図は、ぜひ本を読んでください。シンプルで力強い説明がそこにあります。
個人的には四つの中でも「なにごとも個人的に受け取らないこと」という言葉が印象的です。
私たちは、他人が言うことをすべて自分への攻撃として受け取りがちなのですが、それは相手の勝手な思い込みだったり、あるいは一般論を相手は言っているのに、勝手に私たちが自分への攻撃と受けっていることがほとんどです。
同じ著者による本がすでに多く翻訳されているんですね。他のものも読んでみたいと思います。
涼風
参考:「The Four Agreements ~ 自由な人生のための四つの約束」『CD、テープを聴いて勉強しよう!! by ムギ』 この本に対してかなり詳しい紹介がされています。
『四つの約束』は、そのような観念が“本当”であるという保証はなく、むしろその観念を手放したときに、私たちは真実の世界を見ることができることを、シンプルに力強く語っている本です。
著者のドン・ミゲル・ルイスは、私たちが通常持つ観念のほとんどが、罪悪感によってできていることを言います。子供の頃から「~しなけれならない」と“禁止”を言い渡された私たちは、単にそのルールを学ぶだけでなく、そのルールを破ることへの恐怖心をも身につけます。
この恐怖心は、ルールの遵守が大切であることを認識すると同時に、自分はそのルールを破るかもしれない駄目な子だというイメージをも子供に負わせます。
ルールが大切であると学ぶと同時に、恐怖心を植えつけられた私たちは、自分はルールを守れない(かもしれない)いけない子だと自分のことを思います。
この恐怖心が強すぎると、その子は、自分はルールを守るに値しない駄目な人間だと自分を思うようになり、ルールを破ってしまう行動を取ってしまいます。
ルールを守らなければいけないと思うと同時に、それを教える大人への恐怖心から、自分はルールも守れない人間だと思うようになり、やってはいけないことをやる人間になってしまいます。しかし頭ではルールを破ってはいけないと分かっているので、ますます自分はルールを守るに値しない駄目な人間だと思い込みます。
こういう思考の悪循環にはまる危険性が、私たちにはつねにあります。
この“ルール”には、「他人のものを盗ってはいけない」というものから、「いい成績をとり、いい仕事に就く人間にならなければいけない」というものまで、様々です。
ここで間違えていけないのは、大人が子供にルールを教えること自体は大切だということです。ただ同時に、そのルールを教えられた恐怖心から、大人の言うことを守らなければという強迫観念と、自分は大人に愛されていない駄目人間だという観念を私たちはもつ可能性があるということです。
この「自分は大人に愛されていない駄目人間だ」という観念から、私たちは結果的に多くの“ルール”を破り、それによりさらに大人の怒りを買い、ゆえにまた自分は駄目人間だと思い込む思考の悪循環にはまり込みます。
著者は次のように言います。
本当の正義とは、一度の過ちに対して、一度だけその償いをすることである。不正義とは、これに反して一度の過ちに何度も何度も償いをすることである。
私たちは、自分は駄目人間だと言う観念から、つねに“過ち”を犯してしまい、しかし大人(親)に教えてもらったことは自分は理解しているんだと証明するために、何度でも何度でも自分をムチで打ち続けます。
私たちは、間違いを犯すと、自分たちを責め、自分自身を罰する。もし正義があるなら、それで十分であり、もう償う必要はない。しかし、私たちは、自分たちの間違いを思い出すたび、自分たちを責め、何度も何度も罰するのである。
ドン・ミゲル・ルイスは、私たちの中にある、このような“正義の攻撃性”の観念を手放したときに、私たちは世界の真実を見ることができることを教えます。そのために彼は、「四つの約束」を守るよう私たちに求めます。それは
正しい言葉を使うこと
なにごとも個人的に受け取らないこと
思い込みをしないこと
つねにベストをつくすこと
の四つです。それぞれに関する彼の意図は、ぜひ本を読んでください。シンプルで力強い説明がそこにあります。
個人的には四つの中でも「なにごとも個人的に受け取らないこと」という言葉が印象的です。
私たちは、他人が言うことをすべて自分への攻撃として受け取りがちなのですが、それは相手の勝手な思い込みだったり、あるいは一般論を相手は言っているのに、勝手に私たちが自分への攻撃と受けっていることがほとんどです。
同じ著者による本がすでに多く翻訳されているんですね。他のものも読んでみたいと思います。
涼風
参考:「The Four Agreements ~ 自由な人生のための四つの約束」『CD、テープを聴いて勉強しよう!! by ムギ』 この本に対してかなり詳しい紹介がされています。