joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

女優

2005年06月11日 | 映画・ドラマ
家電屋さんに行ったときにCanon Pixusのカタログを貰ってきたけれど、その長谷川京子の写真はとてもきれいに撮られている。Canonにしても他のCMの写真にしても、長谷川京子はホントにきれいに写っている。彼女のことを正統派美人と言うのかどうか知らないけれど、彼女を見ると個人的には「人間はここまでフォトジェニックにきれいになれるのか」と思わされます。

長谷川京子以外では、今では伊東美咲もとても写真写りのいい美人顔だと思う。人間てここまできれいになれるのか、と思わされる。この二人の写真を見るとわくわくする。

二人とも今ドラマに映画に引っ張りだこです。それも納得してしまう。

しかし、じゃあ彼女達にとって女優が天職なのかというと、そうではないような気がする。

二人ともとてもきれいであり、かつ成功してのし上がるための根性を備えているように感じます。それだけの根性があるからあれだけ見栄えのいい姿形になるのかもしれません。自己イメージがその人を作るわけですから。

でも、彼女達が今演技をしているのは、とにかく芸能界という晴れ舞台でスターになるという強い意思によってのように感じる。そのため、20代の「ピーク」のときに女優をしている。

しかし、じゃあ彼女達が30代、40代になってもお芝居に取り組んでいるかというと、いまいちイメージが湧かないのです。彼女達の20代のきれいさを引き立てるのに映画やドラマという舞台は最高かもしれない。しかし、30代、40代、50代になっても俳優を続けるには、たんに自分のきれいさを見せたいという欲求だけでは続かないと思う。

二人からは、自分が目指すことをなんとしても掴み取るという根性を僕は感じるけど、お芝居・女優という仕事が彼女達にとってずっとそうであり続けるかと言うと、そういう感じはしないのです。

もちろん、お芝居が天職じゃなくても他にやりたいことが見つかればそれでいいのだし、また実は彼女達は僕が感じる以上にお芝居することに真剣なのかもしれないけど。

宮沢りえはこれからもずっと芝居を続けるのかもしれない。あと、竹内結子もずっと女優をしていそうな雰囲気がある。

個人的には、広末涼子も俳優という仕事を続けそうに思う。実際、彼女は演技が上手いと思うし、まだまだ上手くなると思う。

日本の場合、30代になると女優はヒロインとしての仕事がガクッと減るのかもしれない。それでもお芝居をするには舞台とかになるのかな。ハリウッドの場合は、なんだかんだ言っても、スター女優はみんな30代だったりするのだけど。20代だと子供にしかみられないのかな。


涼風

オークション

2005年06月11日 | ネットでの取り引き
中古CDをアマゾンや楽天に出品していたけど、大体のCDは出品登録したので、今度はマンガを売ろうとヤフー・オークションに出品したりしています。でもなかなか売れないんですよね。

CDにしてもよく売れたのはアマゾンからでした。やっぱり、カードですぐに引き落とされるから、購入側にとっては便利なのかな。あと、アマゾンというサイトの販売システムがやはり強力なんですかね。個々の商品ページが見やすいし、そこに新品商品とユーズド商品が並んでいて、とても洗練されている。その辺が個人的に楽天の垢抜けなさとの違いです。

でも、アマゾンって手数料とか成約料とかいう名目で結構マージンをとられます。880円という値段設定をすると、購入者側には配送料として340円を請求。でも売り手に払われる配送料は200円。そして手数料等で販売者に250円ほど請求します。結局売り手にわたるのは850円ぐらいで、純益は700円ぐらい。この過程でアマゾンは大体400円近くの利益を得ます。まあ、システム利用料ということだし、アマゾンに出品すると売れる確率は高いので、それに見合った手数料なのかな?

それに対しヤフー・オークションは毎月300円ほどかかるけど、システム利用料は販売価格の1割ほどなので、アマゾンよりは安いかもしれません。その代わり商品が売れないとペイしない。

結構マンガを出品しているけどあまり売れていません。マンガなんて流通している量がすごいからあまり売れないのかな。やっぱりかなり安くしないと難しいかな。アクセス数は多いんですけどね。その辺りは日本最大の会員数を誇るだけのことはあります。

楽天の場合は毎月決まった額も取られないし、システム利用料も売れたときにしか支払う必要はないけど、ヤフーに比べるとアクセス数が格段に違う。ユーズド商品のマーケットとしては、じつは楽天はとても立ち遅れている。あまり重視していないのかな。

ともかく、マンガを全部売りさばいてすっきりしたいなぁと思っています。

涼風

買い物

2005年06月10日 | 家電製品にかかわること
きょう、電気屋さんにプリンタを見に行きました。今のプリンタの印刷具合がよくないので、買い換えたほうがいいのかなぁと。

やっぱりできるだけ安く、小さいものを探したのだけど、昔に比べると今のプリンタってなんだかやたらでかい印象がある。僕が初めて買ったプリンタは2万円ぐらいだったけど、とてもコンパクトだった。どうして今のはあんなに大きいんだろう。

もっとも、安くなるとだんだん小さくなります。元々ぼくはモノクロ印刷にしかプリンタを使いません。デジカメももっていないし買う予定もないので、多分一番安いもので十分なんだと思います。

売り場をみると一番安いので1万円ぐらい。ただ、やっぱりそのぐらいのものはとても安っぽい。後それに5千円ほど足すと、少しはいいものという感じがしてくる。

本当に安いものを探すのなら、やっぱりレックスマークを通販で買えばいいのだけど、レックスマークはやっぱり印字が汚いんですよね。

でも、キャノンやエプソンのものを買うとすると、今度は1万5千円ぐらいのものを買ったほうがいいのかな、とも思います。

でも(でも、が多い)、今のプリンタも一応使えることは使えるので、他に5万円ぐらいで書いたいものがあるので、新しいプリンタを買うのをやめようかな、とかこの期に及んで思い直したりする。

そんなことも考えて結局売り場を後にしました。

やっぱり“消費”する以上、楽しいことにお金を使いたいなぁ。プリンタって文字を印刷するだけだから、あんまりわくわくしない。

プリンタというのは“ウォンツ”じゃなくて“ニーズ”の製品ですよね。

デジカメもDVDレコーダーも液晶(プラズマ)テレビも携帯デジタルオーディオも、本当にみんな欲しくて買っているんだろうか?僕の印象だと、みんな自分では“ウォンツ”のつもりで買っていても、じつは「流行で話題だから」という理由で、つまり欲しいからというより「買わなきゃ」という想いで買っているんじゃないだろうか?僕にお金がいっぱいあったら、やっぱり「買っとくか」という感じで買ってしまうと思う。本当に欲しいと言うより。

「これが欲しい!!!」という気持ちで買い物がしたい。


涼風



クラシック

2005年06月09日 | Music
最近、クラシックを聴きます。と言っても、元々もっていたものを聴いているだけなのだけど。しかも、僕の持っているクラシックの枚数は7枚。

うち3枚はモーツァルトで、3枚はオムニバス(「目覚めのすっきりするCD」とか)。1枚がヘンデルです。どれも聴いていて気持ちいい。

本を読むときにいいんですよね。クラシックがかかることで、頭の回転もよくなっていく感じがする。根拠はないんですけど(^_^)


涼風





よかった

2005年06月08日 | スポーツ
サッカーの嫌いな人にとっては憂鬱でしょうが、よかったよかったです。さすがに今日は大阪ドーム(オリックスVS阪神)にも空席が目立ちました。でも家の父親はやはり阪神タイガースの行方のほうが気になっていて、チャンネルをたまに野球に合わせていました。

柳沢ってちょっと顔つき変わりましたね。前よりも男前で精悍になった感じです。あまりイタリアでは試合に出ていない印象があるのだけど、にもかかわらず完全移籍で3年契約をむこうのチームと結んだそうです。この期に及んでジャパン・マネーを期待しているわけでもないだろうし、本場の関係者にも期待はされているのでしょう。

顔つきが変わったといえば、川口。前は僕は川口は嫌いでした。なんだかビッグマウスででしゃばるわりにプレーが不安定で嫌だった。でも北欧から帰ってきたら、すごく落ち着きのある顔になってプレーも安定しているように感じる。

今のジーコ・ジャパンで印象的なのは、トルシエ時代にあまり顧みられなかった福西・田中誠といった中堅が活躍していること。トルシエ監督の若手起用で彼らはワールド・カップでレギュラーになれなかったけど、そういう選手も今陽の目を見ている。逆にトルシエに重用された明神・森岡といった選手達はすっかり呼ばれなくなった。これはJリーグの選手のレヴェルはとても拮抗しているということだと思う。監督が違えばまた違う選手が呼ばれる。一部の主力(僕の印象では中田英・中村・小野)以外は来年までまた激しい代表への生き残り戦争が始まります。FWには大久保、田中、MFには松井・阿部、 DFには石川・茶野、相馬といった若手が控えています。これからの代表争いは相当激しくなるんでしょうね。

ともかく、日本代表の皆さん、おめでとうございます。


涼風


歴史

2005年06月07日 | 日記
歯が痛い。なら歯医者に行けばいいのだけど、これは虫歯ではない可能性が高い。というのも、同じような痛みを1年ほど前にも経験しているのですが、歯医者さんに「虫歯じゃない」と診断されたからです。

この痛みは紅茶やコーヒーを飲んだときにしみるような痛みなのですが、歯医者さんの説明では「昔の治療した跡に液体がしみこんで痛みが発生している」ということでした。

でも、希望的観測も混じっているので、痛みが続くようなら歯医者さんに行ったほうがいいのかも。


堀江貴文さんのブログで、受験では、数学は暗記、英語は単語、歴史は漫画や大河ドラマが役に立つと書いてありました。僕は大学受験では英語しか勉強せずに推薦で入ったのだけど、国立大学に合格する人は5教科も勉強してるし、東大に行く人は日本史も世界史も同時に勉強していたりして、どこか頭の構造が違うような気がしました。

その後、いわゆる一流大学の人たちと接する機会が増え、とくに自分と違いがあるようにも思わなかったけど、それでもこの人たちはあの受験競争ですごい成績だったんだと思うと、やっぱりすごい頭脳をもっているのかな、とも思わされます。

ともかく、歴史はマンガや大河ドラマが役に立つというホリエモンの意見は、「ふーん」という感じ。わたしは勉強というと「文字を読む」と考えてしまうけど、でも最終目標が知識を習得するということなのであれば、それは映像や音声によるイメージでも同じはず。とくに歴史なんてようするに過去についてのイメージ(解釈)なんだから、映像に接することのほうが重要なのかも。

「この映画を100本観れば、人類の歴史について正確なイメージがつかめます」というのを誰か分類していないだろうか。個々の映画は特定の時代しか扱っていなくても、まとめて見ればじつは通史になっていた、みたいな。これだけ映画の蓄積も深いのだから、切れ目なく歴史を構成できるかも。100本じゃ足りないかな。

そういえば、最近は『キングダム・オブ・ヘブン』という十字軍について扱った歴史ドラマを見ました。セットや美術、そしてストーリーがものすごく丁寧に作られた映画でした。

最近は、文字を読むというのはとても非効率な場合があるように感じます。


涼風

ジュンク堂舞子店

2005年06月06日 | 店舗を観察して
わたしの家から歩いていけるジュンク堂書店はJR舞子駅の駅ビルの中にあります。この駅ビルにはスーパーやケーキ屋さんや喫茶店や100円ショップや雑貨屋やレコード屋などなど、大きくもないけど小さくもないビル。ジュンク堂はその中で小さくないスペースをとっています。

ここのジュンク堂が特別なのは、そのフロアの海に面した窓から明石海峡と海が一望できるところ。天気のいい日なんかは店内にいるととても気持ちいい。

品揃えは、まあ専門書はとても少なく、手軽に読める本がたくさん置いてあるという感じ。でも、気分転換がてらに来るので、それで十分。

同じジュンク堂でも、こういうお店に一日いると、疲れも幾分やわらぐのではないだろうか。


涼風

『ミスティック・リバー』

2005年06月04日 | 映画・ドラマ
映画『ミスティック・リバー』を見ました。

あらすじは、「悲しみと苦しみに満ちた傑作サスペンス。少年時代、遊び仲間だったジミー、ショーン、デイヴ。あるときデイヴが車で連れ去られ、性的虐待を受けて帰って来る。それから25年後、ジミーの娘が何者かに殺され、同じ夜、血まみれで帰宅するデイヴ。刑事になっていたショーンが事件を担当することになり、3人の運命が改めて交錯する」(Amazonより)というもの。

感動はなく、ただ登場人物たちの狡猾さだけが印象に残りました。主役のショーン・ペン、その妻役のローラ・リニー。警官役のケヴィン・ベーコン。この三人の卑怯さ・狡猾さは明らかであるにもかかわらず、そうした人間のいやらしさに監督のクリント・イーストウッドは批判の目を向けません。ただ人間の事実を淡々と描いているだけです。

イーストウッドはこの三人の卑怯さに気づいていなかったのでしょうか。でも気づいていなかったら、それを観客に伝えることはできない。でもその狡猾さに批判を向けることもしない。かと言って、冷静で客観的な人間の分析といえるような奥深い描写でもない。

イーストウッドは単に、自分が何を言いたいのかを考えることを避けただけではなかったのだろうか、と思いたくなりました。


涼風


図書館

2005年06月02日 | 日記
今日は、市内で一番大きな図書館、神戸市中央図書館に行きました。

今は、どこの地域にもそこそこ整備された図書館があるような印象があります。神戸市にはそれぞれの区に図書館があり、どこかで借りた本をどこの図書館でも返したりできてなかなかに便利です。

そのなかでも中央図書館はやはり一番大きく、建物も立派です。でも、公立図書館というのは、なんだか寂しい感じが漂っている。

人はたくさんいます。でもそれは、お年寄りだったり、覇気のなさそうな中年の人だったり、ただ受験勉強のために道具的に使っている高校生だったりして、あまり活気は感じられません。なんだか、その人たちが本当に図書館が好きなのか、それとも他に行くところがないから図書館に来ているのか、あるいはただ自分の利益のために利用しているだけなのか、とにかく図書館そのものに対する愛情はあまり感じられないときがある。

お年寄りの人が図書館に多くいたらいい感じがしないというのは差別です。

また、平日の昼間に図書館に来ている成人の人に覇気が感じられないのも、こちらの偏見(「こんなところで何をやっているのだろう?」)です。

高校生が受験勉強で図書館を使うのも、べつに悪いことじゃない(大学の図書館なんかでは、公務員試験の勉強に忙しい学生が図書館の机を占拠していました)。

なのに、彼らで閉められる図書館は、なんだか寂しいところに感じてしまいました。


涼風

『anego』 2

2005年06月01日 | 映画・ドラマ
面白いなぁ、『anego』(水22時・日テレ)。

僕は前に、このドラマは結局は経済的に恵まれた女性をコミカルに描いただけと言ったけれど、ちょっとそんなものではない予感がしてきました。今日の回でもなんだかとても感情移入してしまいました。

しっかりした大人として振舞ってきた女性が、しかし結婚への焦りを感じていて、なんとなく近づいてきた新入男性社員に、まだ本格的に付き合ってもいないのに、「結婚してください」と言う。

冷静に考えれば、そんなことを言うのは異常でしかない。でもそんな滑稽な行動に、じつは彼女がその男の子に隠れた大きな期待をいだいていたことがわかります。それまでは冷たく接していたのに。

無理して大人として振舞ってきた分、自分の欲求に正直になろうとしても、そのタイミングをつかめないし、相手が考えていることも上手く把握できない。33歳の彼女は22歳の男の子に「5年考えさせてください」と言われ、自分のしたことの滑稽さにはじめて気づき、泣き崩れます。この泣くシーンはとても共感してしまいました。

このドラマが面白いのは、人の特徴がその置かれた立場、社会的状況によって強い影響を受けていることを鮮やかに描いているからだと思う。

経済的に恵まれても社会的な偏見のまなざしで自分を「負け犬」と見る女性。派遣の女性社員を露骨に馬鹿にする商社マン(ホントにそんなヤツいるのかね?)とそれに面と向かって食ってかかる女性社員。他人に依存的な主婦の怖さ。契約社員の危うさを知り通訳を目指すOL、etc... そういったキャラクターは分かりやすいけど、じつは私たちはそういったわかりやすい社会的役割を身につけて生活しています。どんなに自分の固有性を信じても、すこし離れて見れば、ちゃんと類型的なキャラクターを演じている。

そういった社会的役割(「負け犬」「勝ち(負け)組」「自分探し」「ニート」・・・)を身にまといながらも、どこかでその役割を突き抜けることができるのも、人間だと思います。主人公の女性は、22歳の男の子にプロポーズした自分の馬鹿さ加減に恥ずかしくなり、気が動転し、妻子持ちの男性と旅行に出かけます。自立した女性のお決まりのパターンですが、そうしたあまりにも類型的な罠にはまっていくということは、主人公が自分自身を見つめなおす過程にあることを示唆しているようにも思います。


涼風