ここ数日は生活パターンがとっても乱れています。なんだか時間を無駄遣いしているようで罪悪感。
でも、時間の無駄遣いといっても、どれだけ「成果」を成し遂げても、死ねばすべて自分には関係がなくなる。どれだけ「将来」のためにいろんなことを積み重ねようと、「将来」つまり死とは無を意味する。
もし生まれ変わりがあるとしても、何度も生まれ変わるなら、「時間を効率的に使う」ということは益々馬鹿らしくなる。だって、永遠にあるものを「効率的」に使うことなんてできない。
しかし、じゃあ毎日自堕落に生きて行ってもいいのかというと、それは「いい悪い」という問題ではなくて、自分にとって苦しみになる。「自堕落」「怠惰」というのは、自己攻撃の一種だと思います。夜中にアダルトサイトを延々とサーフィンしても、空しい快感と苦しみが残る。
結局、重要なのは、「何を感じているか」なのかもしれない。本田健さんは、人間は「何をするか doing」「どうあるか being」を経て、最終的に「何を感じるか feeling」が重要な価値基準になってくると言っています。
昼夜が逆転するのは健康によくないかもしれないけど、昼夜が逆転することで「自分はダメなヤツだ」と思うことはその何十倍も本人にとってよくないかもしれない。あるいは、そう思うから体によくないのかもしれない。
自己攻撃をlet goするということが、いちばん大事なことなのかもしれない。お約束みたいなフレーズだけれど。
涼風
でも、時間の無駄遣いといっても、どれだけ「成果」を成し遂げても、死ねばすべて自分には関係がなくなる。どれだけ「将来」のためにいろんなことを積み重ねようと、「将来」つまり死とは無を意味する。
もし生まれ変わりがあるとしても、何度も生まれ変わるなら、「時間を効率的に使う」ということは益々馬鹿らしくなる。だって、永遠にあるものを「効率的」に使うことなんてできない。
しかし、じゃあ毎日自堕落に生きて行ってもいいのかというと、それは「いい悪い」という問題ではなくて、自分にとって苦しみになる。「自堕落」「怠惰」というのは、自己攻撃の一種だと思います。夜中にアダルトサイトを延々とサーフィンしても、空しい快感と苦しみが残る。
結局、重要なのは、「何を感じているか」なのかもしれない。本田健さんは、人間は「何をするか doing」「どうあるか being」を経て、最終的に「何を感じるか feeling」が重要な価値基準になってくると言っています。
昼夜が逆転するのは健康によくないかもしれないけど、昼夜が逆転することで「自分はダメなヤツだ」と思うことはその何十倍も本人にとってよくないかもしれない。あるいは、そう思うから体によくないのかもしれない。
自己攻撃をlet goするということが、いちばん大事なことなのかもしれない。お約束みたいなフレーズだけれど。
涼風