joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『anego』 2

2005年06月01日 | 映画・ドラマ
面白いなぁ、『anego』(水22時・日テレ)。

僕は前に、このドラマは結局は経済的に恵まれた女性をコミカルに描いただけと言ったけれど、ちょっとそんなものではない予感がしてきました。今日の回でもなんだかとても感情移入してしまいました。

しっかりした大人として振舞ってきた女性が、しかし結婚への焦りを感じていて、なんとなく近づいてきた新入男性社員に、まだ本格的に付き合ってもいないのに、「結婚してください」と言う。

冷静に考えれば、そんなことを言うのは異常でしかない。でもそんな滑稽な行動に、じつは彼女がその男の子に隠れた大きな期待をいだいていたことがわかります。それまでは冷たく接していたのに。

無理して大人として振舞ってきた分、自分の欲求に正直になろうとしても、そのタイミングをつかめないし、相手が考えていることも上手く把握できない。33歳の彼女は22歳の男の子に「5年考えさせてください」と言われ、自分のしたことの滑稽さにはじめて気づき、泣き崩れます。この泣くシーンはとても共感してしまいました。

このドラマが面白いのは、人の特徴がその置かれた立場、社会的状況によって強い影響を受けていることを鮮やかに描いているからだと思う。

経済的に恵まれても社会的な偏見のまなざしで自分を「負け犬」と見る女性。派遣の女性社員を露骨に馬鹿にする商社マン(ホントにそんなヤツいるのかね?)とそれに面と向かって食ってかかる女性社員。他人に依存的な主婦の怖さ。契約社員の危うさを知り通訳を目指すOL、etc... そういったキャラクターは分かりやすいけど、じつは私たちはそういったわかりやすい社会的役割を身につけて生活しています。どんなに自分の固有性を信じても、すこし離れて見れば、ちゃんと類型的なキャラクターを演じている。

そういった社会的役割(「負け犬」「勝ち(負け)組」「自分探し」「ニート」・・・)を身にまといながらも、どこかでその役割を突き抜けることができるのも、人間だと思います。主人公の女性は、22歳の男の子にプロポーズした自分の馬鹿さ加減に恥ずかしくなり、気が動転し、妻子持ちの男性と旅行に出かけます。自立した女性のお決まりのパターンですが、そうしたあまりにも類型的な罠にはまっていくということは、主人公が自分自身を見つめなおす過程にあることを示唆しているようにも思います。


涼風