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『医療政策は選挙で変える―再分配政策の政治経済学4 』 権丈善一(著)

2007年09月14日 | Book
『医療政策は選挙で変える―再分配政策の政治経済学4 』という本を読みました。著者は福祉政策の研究者の権丈善一さん。医療に財源を振り分けていない(ように見える)現在の国家財政の原因について知りたいと思って手に取りました。以下、簡単にその問いに対する著者の考えをまとめて見ます。

国民所得に占める社会保障費の割合

小泉さんによる改革では「小さな政府」「構造改革」というキャッチフレーズが流行したのですが、まず著者は、そもそも日本では福祉への支出が欧米諸国に比べてかなり低いことを指摘します。

著者は統計を用いて、日本は国民所得に占める社会保障費の割合が経済先進国の中でも低いことを指摘します。それによれば2006年の日本が23.6%なのに対し、スウェーデン・フランス・ドイツなどは40%前後、サッチャリズムを経たイギリスですら日本より高い26.7%を記録し、20.5%のアメリカに日本が近い位置にあることが示されています。これだけを見れば、日本はすでに十分に「小さい政府」となっています。

こういったことは、どういう指標に着目するかで変わってくるのでしょう。以前読んだ本(例えば川本裕子さんの『日本を変える―自立した民をめざして』など)では、日本の社会保障支出の水準が福祉国家という理念を掲げるヨーロッパ諸国並みで肥大しており、アメリカとイギリスに倣って財政支出を削減すべきと主張されていました。

それに対し権丈さんの見方では、日本はむしろ社会保障の支出が十分になされていない国だということです。さらに著者によれば、上記の割合は、このまま高齢化社会を日本が迎えて現在のレベルの社会保障を維持したとしても、2025年ですら日本は26.1%にしか達しないと推測されるということです。それに対しスウェーデンは現在の時点ですでに44.1%、フランスは39.8%。このことから、日本はまだまだ社会保障に支出すべき余地があると著者は指摘します。

例えば、社会保障の代表的な措置として生活保護がありますが、経済的に困窮している高齢の方が生活保護の申請を受け付けてもらえず、餓死したという事件はよく報道されます。しかし、著者によれば生活保護は社会保障費のわずか3%を占めるにすぎず、さらに生活保護の半分強は医療扶助に使われているので、日常生活を援助している額は社会保障費の1%台前半にすぎないのです。

(一応、国家財政(一般会計80兆円)の支出分野の割合を見ていくと、2006年度では社会保障費は25%(21兆円)、国債費24%、地方交付税等18%、公共事業9%、文教および科学振興7%、防衛6%、その他11%となっている)


「社会保障政策」の政治的アピール度の問題

では、そのように社会保障支出が低水準であるにもかかわらず、なぜ日本ではそれらへの支出が削減されてきたのかという問題が出てきます。

まずこの本では、そのような問いに対して、それは「小さな政府」というキャッチフレーズが流行してきた最近までの日本では社会保障というテーマでは政治家は選挙に勝つことができないので、政治家たちは社会保障政策に真剣に取り組んでこなかったのだという主張がなされています。

たしかに2005年の秋(郵政民営化選挙の直後)になされた「障害者自立支援法」の改定のように、生活の支援を切実に求める人たち(生存ギリギリのラインに生きる人たち)に治療費の自己負担をより多く負わせ、社会保障費を削減する政策に積極的に指示を与えてきたのが日本の国民のマジョリティです。

社会保障費の削減によって深刻な生活危機に直面する人はいますし、そのような方たちがニュースで取り上げられることはあるのですが、そのような深刻な生存の危機に立たされる人は数としてマジョリティではないですし、またそのような境遇にある方たちは、組合や利害関係団体を通じて政治家に働きかける機会ももっていません。

それだけに、社会的弱者を救済する政策を掲げても選挙で勝てないと政治家は最初から計算するので、そのような施策を打ち出すこともありません。

また、マジョリティが「小さな政府」というキャッチフレーズに魅せられてきた原因としては、日本の長期的な不況と、それがもたらす赤字財政への不安があげられます。

不況がもたらしてた人々の心理的閉塞感は、国家制度を変革すれば社会が良くなるという(およそ根拠の裏づけのない)期待へと変貌してきました。自分の生活の閉塞感と、「国家財政」の健全化という、直接自分の生活に関係するのかどうか分からない事柄とが人々の心の中で漠然と結び付けられてきたのです。

そうした状況の中では、社会保障・医療は国家官僚制度による措置の一環として見なされ、その削減も止むなしと国民に受けとめられてきたのでしょう。著者は、社会保障費・医療費がそのような国民の思惑によって決定されていくプロセスを次のように説明します。

「医療費」というものは、あらかじめ政府・官僚の方たちが「これこれの額だけ支出する」と決めた額を指すのであり、その都度の利用者のニーズを考慮するわけではありません。では、政府・官僚の方たちは何にもとづいてその額を決めるのかと言えば、著者はそれは「政治で決まる」と言います。

「政治で決まる」とは、例えば次のようなプロセスを言います。まず、医療費が抑制される政治状況について。

「所得が鈍化・停滞しているなか医療費が増加していると、たとえば健康保険の赤字などが生じる。これをとらえて社会問題視するキャンペーンを、マスコミや研究者などは展開する。このキャンペーンが医療費の費用負担者(多額の納税をできる人たち つまり国民のマジョリティ 引用者)の政治力をアシストし、費用負担者の政治力が、医療供給者や医療を頻繁に利用している病弱者たちの政治力をしのぐようになる。そして、この政治環境の中で、政府は医療費抑制の政策を成立させて、その政策を医療機関に実行させる」

それに対して、医療費が伸びる政治状況とは。

「所得が順調に伸びる場合には、マスコミや研究者たちは口をつぐみ、そのため、費用負担者の政治力は弱まってしまい、彼らの政治力を医療供給者や病弱者の政治力が弱まるようになる」(p.107)

つまり、医療費の高低は、医療ニーズではなく、費用負担者であり国民の大部分を占める経済力のある人たちの政治力で決まると考えることができます。

(このことは、高齢化社会が本格化した際には、少なくない人数を占める高齢者の人たちの政治力によって政策が左右される時代が来ることを予期させます。しかし、それまでは社会的弱者は自分たち以外の立場の人たちの思惑で生活を左右されることを強いられます)

90年代後半以降の日本というのは、まさにこの「所得が鈍化・停滞」した状況に陥っていたがゆえに、医療費・社会保障費の抑制を唱える人が政治の前面に出てきました。

国民医療費が過大に推計される原因

さらに、この日本の状況を後押ししたのが、著者の指摘に従えば、官僚の方たちによる「医療給付費」の推計の方法です。つまり経済が成長していると、ある程度のタイムスパンで制度設計しようとする官僚の方たちは、その経済成長・所得の伸びを前提に国民の医療ニーズの高まりを予測します(p.97, 122)。例えば90年代前半にその後の医療給付費の推移を推計すると、それまでの好景気時の経済成長率を参考にするため多めに予測されます。

(ここでは、医療費は国民所得に応じて変動するという著者の最大の主張が前提されています。つまり「医療ニーズ」とは、心身の不調ではなく、国民の収入に応じて変動するということです。著者は、政策を担当する官僚の人たちは国民の医療ニーズを所得に応じて計算しないと主張しているが、現実になされる医療費の推計は、つねに国民所得の12%前後に収まっている事実を指摘します)

そのようにして推計された医療給付費が莫大となれば、費用負担力のある人たちや優勝劣敗論者の人たちや財政健全化論者の人たちは、社会保障費の抑制を唱えるようになります。こうして90年代以降、医療への支出は「国民的な合意」によって抑えられてきました。


権丈さんの、財政が医療への支出を増やさない原因の分析は、私が著書を読ませてもらったかぎりでは、以上のようなものになるのではないかと思います。


この本は一般の人が読めるように分かりやすい説明が多く、また同じトピックが何度も繰返されているので、一見350頁近くする大著ですが、実際はとても読みやすいので、忙しいけれど国の社会保障政策について考えたいという人にとっては、手に取る価値がある本だと思います。

著者が一貫して述べるのは、国の社会保障費の支出が「政治的」に決まるということ。これは90年代後半以降の小泉さんによるポピュリズム政治に典型的に表れていることなのでしょう。

良くも悪くも漠然としたマジョリティのムードに左右されるのが現在の日本です。「政治的」ということは、かつてははっきりとした利害関係団体相互の衝突・調整を意味していたのですが、それが大衆のムードという意味に転換し、福祉もそれによって左右されるようになりました。


実際この本では、パートタイマーへの厚生年金適用の問題も何度も取り上げられており、それを阻止しようとする外食産業等の思惑は、厚生年金適用によって増える事業者負担を何とか避け、安価な労働力を確保しようという意図であることが指摘されています。つまり、直接的な経営者たちの利害の反映です。

しかし、おそらく一部の経済学者などは、厚生年金適用によって経営者の負担が増えることは、経営者の雇用へのインセンティブを弱め、結果的に失業の増大を招くだろうという議論を起こすでしょう。そのような意見も、経済成長至上主義という現代の風潮・ムードと容易に結び合わさりやすいものです。

福祉には確かに国家官僚制による国民の統制という側面があるのですが、それが「ムード」に大きく影響を受けることで、安定した制度の構築が妨げられているのではないかという印象をもちます。


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