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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

わたしの闘いの意識 『運命の法則』天外伺朗(著)

2005年10月31日 | Book
    
メディアを今賑わせている政財界の人たちをみていると、イライラします。ときには怒りで頭がいっぱいになります。それはなぜだろう?(と、この夏ごろからずっと問うているのだけど)。

CD・AIBOの開発者・ソニー・グループの天外伺朗さんは、現在のリーダー層の9割以上は「闘っている」と述べています(『運命の法則』)。

天外さんによれば、人間の意識の成長は、前期意識・中期意識・後期意識・成熟意識に分けられます。

中期意識は何かに依存しなければ生きていけない人。これは必ずしも今話題の「ニート」や「引きこもり」(というレッテルを張られた人たち)を指すのではなく、配偶者・恋人・組織に心理的・経済的に依存しながら生きている人も含まれます。

それに対して後期意識の人たちは、すべてを自分の力でコントロールする人たちです。この人たちは自分の存在を証明するために、つねに他者に闘いを挑み続けます。

大人になっても中期意識のレベルにある人たちというのは、子供の頃のニーズが上手く満たされなかったため、そのニーズをもち続け陰に陽に他者を利用し頼って生きていこうとする人たちですね。

日本で公務員の不正受給が行われ続けているのも、この中期意識の人たちが戦後の日本社会を主に形成し、組織から「奪う」という行為をとり続けたからですね。キャリア官僚の天下りから地方公務員まで一貫して見られる現象です。

それに対して後期意識の人たちは、その満たされなかったニーズを完全に断念し、自分ひとりで生きていくと決意した人たちだと思います。ある意味ではとても「大人」な人たちだけど、ニーズを断念させられた恨みを持ち続けているため、自分のニーズ満たしてくれない周りの人間につねに攻撃を仕掛けています。

この中期意識と後期意識ははっきりと区別されるものではなく、ひとりの人に両方みられるもので、その(外から見える)バランスが人によって違うのだと思います。

天外さんが言いたかったことはこういうことだと思います。思います、というのは、似たような考えを言う人は多くいて、僕自身はよく読むチャック・スペザーノさんの本でも同じようなことをいつも言っていて、その枠組みで読んだからなんですけど。

この後期意識は人が成長する上で通らなければならない段階だけれども、その際に自分の中にあるニーズを自覚して他人への攻撃性を解消できる人と、自分がニーズを断念したときにもち続けている恨みに気づかず、つねに他人に攻撃を仕掛けつづける人がいます。

天外さんによれば、現在の日本社会のリーダーの9割は、後者のつねに他人に攻撃をしかける人で構成されています。これを読むと、たしかに経済も政治も血生臭い闘争がとくに最近は話題になっているなぁと思わされます。

「構造改革」というのも、心理学的に見れば、中期意識をもち組織からお金を奪おうとしつづけた人を、自分ひとりで生きていくことを決断した後期意識の人たちが、その恨みを晴らすために闘争的に叩きのめす政策だという印象をもちます。

もちろん、いくら「改革」をしても、自分のニーズが満たされなかったという想いを自覚しないかぎり、後期意識の人たちの中にもニーズが満たされなかった子供が残り続けます。だからこそ彼らは、つねに何かに闘いを挑まなければなりません。

ところで天外さんは、この後期意識のつねに闘う人が必ずしもしっぺ返しをくらう(天罰が下る)わけではないと言います。このことは天外さんも納得のいく説明は難しいと言っています。

普通の人は、エゴが肥大し自信満々に後期意識の中にいると、必ず思わぬ落とし穴にはまります。天外さんはソニーでCDの完成まであと少しという場所まで行きながら、完成直前に一方的に上司に配置換えをされ、コンパクト・ディスクの開発という歴史的な大手柄を他人に奪われたのですが、そのときの自分は、CDを開発したときは世界の支配者のような気分でいて(実際、世界の標準的な規格を彼は作ったわけだけど)、そこから急に配置換えをされて上司に激しい憎悪をいだいたと綴っています。

しかしビジネスの世界にずっといた天外さんは、必ずしもすべての人がそういう「天からのしっぺ返し」を受けるわけではなく、中にはそういう天のしっぺ返しをはねのけるような強烈なパワーをもつ人がいて、そういう人たちは連戦連勝で勝ち続けるそうです。

これは、今話題の人たちをみていても、たしかにそうかもしれませんね。

春夏秋冬理論という占いを広めた神田昌典さんは、某ベンチャー企業の経営者について次のように述べています。


「たとえば、堀江社長に関していえば、あの人は、当分、失速することはない。ものすごく運強い人で、今年秋までは絶好調、さらに今後数年も力強い。いま彼の周囲を固めているスタッフとのバランスも悪くない。あれほど過激にやっていれば、常人であれば、失速する可能性もあるんだが、彼の場合は、まだまだ突進できる。
すると・・・これから数年間、ブルドーザーのように突き進む彼のあとには、団塊ジュニア世代を中心とした意識改革がますます加速化することが続くだろうということが予測できるわけです」

「ベルリン、僕らの革命」『神田昌典の、毎日が奇跡』5月17日

また別の掲示板では、現在の総理大臣について次のように語られています。

それによれば、「五黄土星」の小泉さんは運気が強く、選挙で勝利したのも当然だということです。

「小泉首相の運気は9月7日~10月7日まで南にいて、ほかの星を見下ろす位置。郵政法案が通った場合、この期間中に自民党を「解散総選挙&公募」体制とし、自分の星が東に出る12月8日あたりに解散し、1月の総選挙となれば、運気をフルパワーで発揮できるわけだが、果たしてどうなるか、これからが見物だ(7月31日)」。

小泉首相圧勝の理由 投稿日: 9月12日(月)

 この方によれば、小泉さんは既得権益にしがみつく世襲議員のエゴをたたくという役割を担っており、解散総選挙のポイントはそうした政治家の世襲の打破にある(あった)ということです。

 この方は次のようにも指摘されています。

「  わたしは、何度も、小泉首相には「運勢指南役がついているにちがいない」、という記事を書いてきました。
 そして、節目節目で、この記事の予測が的中してきました。

 五黄土星の小泉首相は、今年が、「主役の座」にいて、「実りの秋」を迎えています。
 万難を排して、政策を断行するという強い姿勢もこの運気ゆえだと思います。」

「小泉首相の強運」  投稿日: 8月 9日(火)


この方が言うように、小泉さんが連戦連勝で周りに勝ち続けているのは事実です。

僕は小泉さんをみていると不思議になります。あれだけいい加減な(そう見える)答弁をし、選挙の公約を平気で無視し、昨日言ったことと反対のことを平気で言うという不誠実な(そう見える)ことをし続けながら、あれだけ見栄え良くテレビに映り続けることができるのはすごいなぁと思います。普通であれば、そうしたことをしていると、人間的な弱さが多少は透けて見えてきます。たしかに小泉さんも答弁するときの支離滅裂な論理をしゃべっているのを聞くと、この人は質問に上手く答えられず、また上手く答えられない自分に苛立っているから、こんなヘンなことを言ってしまうのだな、と分かります。しかしそうしたことがありながらも、記者団の前で立っている彼はキリッとした精悍な顔を崩しません(もっとも、それには生ぬるい質問しかできない日本の記者のほうに問題もあると思うのですが)。

たしかに現在の首相には論理を超えた運気みたいなものがついていると言われると、そうかもと思えてきます。

そしてこういう首相や某社長は、つねに他者に戦いを挑み、勝ち続けるのかもしれません。そうした人たちを勝たせる運気とは何だろう?運とか宇宙とか神には善であって欲しいのだけれど、他者に闘争をしかけることで自分を証明しなければならない後期意識の人を勝たせ続ける「運気」とはいったい何なのだろう?という疑問にとらわれます。多くの人を幸せにしていない(ように僕には見える)人を勝たせる「運気」とは何なのだろう?


天外さんは、そうした勝ち続けられる人とは対照的に、普通の人はかならずそのエゴが肥大化すればそれを戒める事件がその人に起きるといいます。彼はそれを、「それだけ普通の人が繊細だからだ」と言います。「繊細」というと価値判断が入るけど、それは「弱い」ともいえるかもしれません。

首相や某社長が勝ち続けることに納得のいかない気持ちを抱くのは、それだけ私(たち)が自分の弱さを受け入れられず、やはり私(たち)も勝ちたいと思っているからです。思っているからこそ、勝ち続ける彼らを極悪人のようにみなします。その意味では、私の中にも、他人に戦いを挑み続ける後期意識があります(中期意識もあります)。彼らが勝ち続けるのが「運気」なのか偶然なのかは誰にも分かりません。天外さんは、「占いに頼ってはいけない。占いは当たるけれども、大事なときには必ず外れるから」と述べています(『フロー経営』)。

首相の政策にだけフォーカスせずに、勝ち続ける彼にフォーカスすることで、私(たち)は闘争の意識から逃れることはできず、そのことはますます彼を強くしています(「嫌いな人を考えるほど、その嫌いな人はパワーを得ている」『マスターの教え』)。多くの人が闘争の後期意識をもつかぎり、「強い」人が勝ち続けます。

あるいは私(たち)自身が、自分の弱さを直視できないからこそ、つねに悔しい想い・敗北感を持ち続け、その時代の象徴的な人物を「独裁者」として描写します。「独裁者」というのは、私(たち)自身の後期意識の反映のように思います。

誰が勝つか負けるかは別として、他者に戦いを挑み続けている点では、私(たち)も同じです。


涼風