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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体』(上巻)

2005年10月03日 | Book

『レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体』という本の上巻を読みました。著者はアメリカ人ジャーナリストで、インターネットによって加速した世界の資本移動をさまざまなエピソードによって具体的に説明しています。

原著は1999年の出版ですが、まだまだ現在の世界にも通用する議論です。

インターネットではモノの売買でユーザーと売り手との垣根をとっぱらわれましたが、それ以上に世界に大きなインパクトを与えているのは資本の移動です。この資本移動が短期の利鞘に左右されてあまりにも素早く世界中をかけめぐるため、もはや国家はそれらを有効にはコントロールし得ないという通説がここでも述べられています。

ただ著者は、そのうえで国家ができることは、少しでもこの資本を呼び込むために、国内の市場取引に関する法整備・正常な取引慣習を完備することを強く主張しています。彼から見れば、1997年のアジア・ショックも、ロシアの金融危機も、それら国内の金融の債務が多すぎ、企業会計が厳密に行われていなかったりすることに由来するのだと述べています。著者曰く、これらの国は経済に関する法が未整備なため、公正な取引がおこなわれていないため、「泥棒国家」だということです。そうした不安定な経済状況では、一時的なバブルが起きようと、危険を察知して資本が逃避していくのは当たり前だということです。

このあたりは、バブルの崩壊は資本市場では不可避だとするジョージ・ソロス(『グローバル資本主義の危機―「開かれた社会」を求めて』)と対照的です。まさに資本市場の現場で動いてきたソロスが資本の取引は実体経済を離れて海外からやってくるトレーダーたちの集団的な非合理な思惑に左右されることを強調するのに対し、ジャーナリストのフリードマンからみれば、資本市場のかく乱はその国の経済取引の慣習の混乱に起因するのです。

これはまるでアメリカ人による世界への「警告」にも見えます。しかし著者はそう受け取られるのを承知の上で、資本の呼び込みをすべての国が率先し、経済取引に関する障壁を取り除かなければ、その国は没落することを主張します。彼から見れば、アメリカですらそのリスクを負っているとのことです。


個人的に興味深かったのは、この地球的な自由市場の完成においては、もはや各国内の政策に政党間で違いがでないということ。どれだけ世界的な自由市場に対応できる体制を採れるかが重要であって、つまり目的はかわらないのであって、そこに行き着く政策にバリエーションがあるだけだという指摘です。

これもその通りですね。今のドイツの与野党の拮抗がいい例です。お互いの政策が経済成長とこれまでの肥大福祉の削減を主張する点では変わらないのです。ただその方法に違いがあるだけで。もちろん今回の日本の選挙も同じです。郵政民営化という点では民主党も自民党も同じです。財政を削減すべきという点でも同じです。

そのように主張に差が出ない以上、どれだけ党首にカリスマ性・アイドル性があるかが鍵になるかも、日本もドイツも同じです(シュレーダーが「俳優」であることは、ドイツ国民も認めています)。

世界的自由市場の下でつねに不安定に曝される以上、この先採るべき政策は知識人にすらはっきりしません。であれば一般国民にはなおさらです。そうした状況では、余計にどれだけ分かりやすさときらびやかさを国民に見せることができるかが重要です。どうすればいいか誰もわからないのですから、とりあえず何かをしてくれそうな人を私たちは求めます。


この上巻では主に、ネットで加速した取引の増大に焦点が当てられていますが、下巻では目次を見ると、それにともなう不平等の拡大について述べられているようです。またレポートできればと思います。


涼風


参考:“The Lexus and the Olive Tree: Understanding Globalization”『CD、テープを聴いて勉強しよう!!』