joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『ハッピーバースデー』

2005年10月14日 | Book

(ネタバレあり)

 href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/432307056X/ref=pd_ecc_rvi_3/249-0476962-4401159">『ハッピーバースデー』(
青木和雄 吉富多美/著)の中で、夫と二人の子供がいる家庭で主婦をしていながら仕事に出てみた静代が次のように思うところがあります。

 「家族に押し通してきた静代のいいわけや脅し。狭い価値観。それが一般的にはまったく通用しないものであることを、仕事をするようになって静代は思い知った」。

 たしかに家族に脅しをかけることができるのは、甘えているからだ。甘えと同時に恐怖も感じている。いつその脅しが通用しなくなるかもしれない。脅しが通用しなくなるときが絶望の始まりなのか、新しい一歩なのか、よく分からないけれど。

 以前、引きこもりに関する特集がテレビであったとき、そこで引きこもる若者を無理やり大人たちが外に連れ出そうとするのを見て吉本隆明は「これはとんでもないことだ」と思ったそうです。

 今は引きこもりの次に無業の若者に働く希望を与えようとNHKは一生懸命に善意の番組を流しています。その番組欄を見つけると、ドキッとします。そしてその時間に親たちがテレビを見ているかどうか、ひっそりと息を潜めて察知しようとしている自分がいます。いつか、親か、親戚が、自分を羽交い絞めにして労働へと連れ出そうとするところを想像しながら。

 『ハッピーバースデー』の中で主人公の少女あすかは、母静代の実家で幼い母の泣き叫ぶ文章を読み、自分の心を引き裂いてきた静代が自分と同じように傷ついてきた少女であることを発見します。

 そのときから、(12歳の)あすかは母静代も傷ついた少女であり、自分は彼女の立場でものを考えてやらなければならないのだと悟ります。相手の視点でものをみることの大切さを学び始めます。12歳でです。

 脅迫の加害者と被害者もともに傷ついているのですが、二人に共通するのは自分の痛みにしか注意が向いていないことです。そこから一歩を踏み出すとは、加害者と被害者が同じコインの裏表であることを認識し、自分よりも相手の問題を重要に想い、相手の立場に立つことをこの本は教えています。


涼風