joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

パウロ・コエーリョ

2005年10月01日 | Audiobook
先日、英語とドイツ語のAudiobookを最近はよく聴いているという記事を書きましたが、ドイツ語についてはパウロ・コエーリョの小説を聴いています。

コエーリョはブラジル人作家ですから、当然ドイツ語はブラジル語、じゃなくてポルトガル語からの翻訳です。どうせドイツ語を聴くのならドイツ人が書いた小説にしたほうがドイツの生活や文化についてよく分かるのではないかとも思うのですが、ゲーテやシラーの名前は知っていても現代ドイツの作家でかつ面白い小説を書く人を知らないのです。

それに、コエーリョはアメリカや日本でも大人気ですが、ドイツでもそれに劣らず、あるいはそれ以上に人気で、彼の小説は必ず翻訳されるし、また彼の小説のAudiobookも必ず出されるのです。ドイツのアマゾンのベストセラーリストに必ず顔を出すし、僕がドイツにいたときも書店の目立つところにいつも飾られていました。それだけドイツ人に受け入れられているのでしょうね。

パウロ・コエーリョというと読む人に希望を与える小説という印象をもつ人がいるかもしれません。たしかに世界的ベストセラーで彼をガルシア・マルケスと並ぶ南米の人気作家に押し上げた『アルケミスト』には、比較的オプティミスティックな文章が並んでいます。

でもそれ以外の彼の作品を読むと、むしろ絶望に彩られた文章が並ぶ作品ばかりですね。もちろんその絶望の果てに一筋の光をもたらすし、そこに行くまでの過程にこそコエーリョ作品の特殊性があります。

たとえば『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』 『ベロニカは死ぬことにした』『悪魔とプリン嬢』『11分間』といった作品では、若い女性が主人公ですが、彼女たちはみなどこかで人生を諦め、また諦めているからこそ「堅実で間違いのない」人生を歩もうとしていました。自分の夢を追い求めるよりも、多くはなくても確実な収入を求めて、「人生はこれでいいのだ」と自分を納得させようとします。

なにかこの閉塞的な雰囲気は、私にはドイツから感じた社会の雰囲気ととても親和的なように感じました。経済が不安定なため、余計にどれだけ安定したジョブを得るかを若い人が考えています。

でもそれは日本も、そして世界中どこでも同じなのでしょうね。

本田健さんやロバート・キヨサキさんの本はたしかに衝撃的でした。いわゆるミドル・クラスという存在、いい学校を出ていい企業に入り人生を送る生活は奴隷の生活であることを鮮やかに彼らは教えてくれました。

彼らの本がベストセラーになったり、また起業ブームが起きたりは確かにしています。

でも同時に、いかに自分の人生のリスクを減らし多くない収入でも生活を安定させるかに若い人は腐心している傾向もあると思います。

そうしたグローバルな心理傾向をもつ人たちにとって、コエーリョの作品はたしかに自分のことを言っているように感じているのでしょう。

私はコエーリョのAudiobookはまだ3つしか聴いていなくて、また1つ『11分間』(“Elf Minuten”、がもうすぐ家に届きます。ドイツ語のAudiobookはamazon.co.jpでも品揃えが悪く、紀伊国屋BookWebを通して注文したら、3週間ぐらいかかりそうです。でも、ドイツのアマゾンよりも紀伊国屋webの方が安そう。

3つ聴いていると言っても、べつに意味がすぐに分かるわけじゃもちろんありません。というより、理解するために何度も何度も聴いている最中なんですけどね。

アメリカ同様にドイツでもAudiobookの出版が盛んなんですけど、例えばニーチェのCDもたくさん出ています(因みにマルクスは『共産党宣言』だけ)。ゲーテやシラーといった「ドイツ文化」を代表する人たちのCDも出ているけど、ニーチェも彼らと同じように思われているんですね。でもカントやヘーゲルのCDなんて僕は知りません。
(そのニーチェのCDを買おうかなと知人に言ったら、「ニーチェなんて聴いたら怨念が頭に入ってくるからやめとけ」と言われました。たしかにそうかもしれない)。

もっと安価に外国語のCDを入手できたらと思います。コエーリョのCDは3600円です。まあ6枚もCDが入っているのですが。

じつは“audible.com”という安価に海外のAudiobookを入手できるサイトがあるんですけど、コンピュータに詳しくない自分は、どう活用しようかと今悩んでいます。


涼風

audible.comについての参考サイト:「audible活用法」『CD、テープを聴いて勉強しよう!!』