joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

損得

2005年07月28日 | 日記
きょう、ある画廊の前でお客を勧誘している女の子に二度も呼び止められてしまいました。その子は必死に僕を画廊に入ってもらおうとします。

でも、絵画の購入と言うのはかなり趣味人の人がするものという印象があります。それを考えると、店の前を通る人を強引に呼び込もうとするのは、画廊の営業方法としては非効率のように思います。

その女の子はとてもかわいい女の子で、スタイルもきれいな人でした。本当ならでれでれしたいところだけれど、こういう勧誘する人に嫌な目に合ったことがあるので、ぼくはかなり強引に彼女の勧誘を振り切って立ち去りました。

でも、そうして心の中で勧誘の女の子を切り捨てながら、思いました。本当なら、かわいい女の子が来ればでれでれするぐらいが、男として健全な性格のように思います。

僕自身は、その女の子が勧誘でよって来たとき、見ず知らずの男性に平気に甘えてすり寄ることのできる大胆さに、ちょっと怖いものを感じました。自分の得になることなら、ここまでしなだれることができるというのは、男にとっては幻滅でもあります。

でもそれは、それだけその女性を「損得勘定で動く人間」と見なしているからです。それは当然、自分自身が強く損得勘定で動いているから、相手もそのように見てしまいます。だから、寄り添ってくる女の人も、醜い存在に思えてくるのです。

それに対して、女性が甘くしな垂れかかってきたときに、でれでれできる男の人というのは、それだけ素直で正直な性格だというような感じもします。

女性から見れば、男に甘えて媚びる女性の姿と言うのは見ていて嫌なものなのかもしれない。でも、媚びる女性に対して正直に照れながらも嬉しく感じることのできる男というのは、いい意味で普通に正直な、健全な性格のようにも思いました。


空を飛ぶ

2005年07月28日 | 見たこと感じたこと
きのうの神戸・明石はとてもさわやかな、湿気の少ない一日でした。この文章を書いている夜一時も、とても涼しいです。こっちには台風らしい台風も来なかったし、なんだかとても過ごしやすい。

JR朝霧駅近くの大蔵海岸には気持ちいい夕暮れの中で多くの人が釣りをしています。久しぶりにここに来て見ると、子供用の遊び場が作られていたりする。お母さんたちにはこういう場所が一つできるだけで大助かりなのかもしれない。ちっちゃな砂場だったり、日時計だったりするのだけど。

この海岸は長い間ずっと砂浜の工事をしていました。おそらく陥没事故で子供が亡くなったりする事件があったので、大々的に整備をやり直していたのでしょう。海岸で憩いの場なのに、日中はずっと工事の音がしていました。でも、もうその工事も終わったみたいです。

工事が終わったからなのか、海岸沿いのコンクリートに鳥が一列で並んだりしている。ああいう群れは今まで気づかなかったから、工事が終わって整備されたから来たのかもしれない。空にも以前より多くの鳥が飛んでいる気がする。

空飛ぶ鳥を見ていると思うのは、空を飛ぶと言うのは空気という物があってはじめて可能だと言うこと。羽を動かしてぐいぐい前に進めるのも、空気を羽で押すことで飛ぶことができる。空気がなければ飛ぶことはできない。そのぐいぐいとした感じは見ていてとても面白い。

あるものは空を飛ぶようになり、あるものは海に生息するという分離が起きたのはなぜなのだろうか。そもそもいくつもの種類の生物がいるのはなぜなのだろうか?

最近、船井幸雄さんが、人間の祖先は猿ではないと言っています。人間は人間として地上に出現したのであって、サルから進化したのではない、と。

事の真偽はともかく、環境によって様々に動物の発展形態が違ったのだとしても、空を飛ぶという発達はどうすれば可能だったのだろう?また、空を飛ぶことはどうして特定の種類の生き物にしか可能じゃなかったのだろうか?

空を飛ばなければ生き残れないように追い詰められるとはどういう事態なのだろう?


涼風