joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

オリンピック

2006年02月12日 | スポーツ
今日は朝五時に目が開いてしまいました。あぁ、これは日中に爆睡してしまうな。

仕方がないので早朝のオリンピックを見ました。僕はオリンピックには興味がないほうで、夏も冬もこれまでろくに見てこなかったし、たぶん今回もあまり見ないと思う。でも、さすがにフィギュアは見たいです。

オリンピックを見て思ったのは、やはりこれは2年に一度にした方がいいのではないかということ。

ほとんどすべての競技に世界選手権はあるのだろうけど、オリンピックだけは別格の重みが与えられているでしょう。ただそれだけに、4年に一度しかない大会の成績でその人の周りに与える印象が変わると言うのはフェアではないと思う。

4年に一度だから重みがあるんだという考えがあるのだろうけど、そんな僅かな数の大会のために選手生命の殆どを費やさなければならない選手がかわいそうに思えます。

2年に一度にすればどの選手にも挽回の余地は増えるし、怪我で出られなくても次に出られるチャンスも増えます。

また4年に一度の大会の間にピークを迎える選手がメダルを取れるチャンスも増えます。


涼風


W杯チケットの6割が「一般」へ

2005年12月24日 | スポーツ
約6000枚を一般向けに 日本協会のW杯チケット (共同通信) - goo ニュース

「日本サッカー協会の川淵三郎会長は22日、来年のワールドカップ(W杯)ドイツ大会1次リーグの日本戦3試合で、日本協会に割り当てられたチケットのうち、6割程度を一般向けに販売する方針を明らかにした。およそ6000枚になる見込み。」

なんだかこういうニュースを見て嫌な気分になるのは僕だけなのだろうか?

ベンチ入りできる選手は18人。コーチ・監督・スタッフを入れて30人としてみます。その親類のためと考えて1人当たり5人の関係者で150人。その他で(よく分からないけど)サッカー関係者ということで1000人としてみます。それでもあと3000枚は余ります。

この計算は単なる思いつきなのだけど、でも10000万枚のチケットを割り当てられて「一般」のサッカーファンに割り当てられるのは6000枚というのはあまりにも少なすぎるんじゃないでしょうか?_6:4ってほとんど半々に近いじゃないですか。

残りの4000枚は一体どういう人に割り当てられるんですか?「一般」でない人に全体の4割も割り当てるって、どういうことだろう。

こういうニュースを見て激しい嫌悪感を感じるとは、僕は「権力」「組織」というものに異常に反発する感情のメカニズムをもっているらしいです。


涼風

女子フィギュアスケート

2005年12月04日 | スポーツ
   

実はここ数年話題だったらしい女子フィギュアスケート選手たちの演技をここ数日になってぼくは初めて見ました。

もちろん専門的なことは分からないけど、浅田真央のぴょんぴょん飛び跳ねる演技が凄いらしいことは伝わってきます。芸術的な表現力はそれほど感じないけど、15歳であるというただそれだけで女の子な雰囲気を出していて演技しなくても一つの表現になっているように思えます。

昨日初めて見た村主さんは曲にぴったり合った演技でとても表現豊か。見ていてとても繊細で壊れそうな雰囲気を出していたように思います。

この二人の演技を見ると、身体の小さい日本人の体型は逆に有利なのかなと思いました。ごつい身体の西洋人に比べ華奢な日本人のほうがジャンプなどで体重が軽くて飛びやすいのかな、と。

なんていうことを考えていて初めて安藤美姫さんの演技を初めて見ました。もうびっくり。日本人の中ではがっしりした体かもしれないけど、その身体が動き出すともうオーラが出てこちらに伝わってくる表現力がダントツに感じるのです。

ご存知のように今回彼女は二回もこけておそらく本調子じゃなかったのでしょうか、初めて彼女の演技をみる私にはもうその大きな身体が醸し出すダイナミックで優雅な動きにビックリし通しでした。

村主さんの演技はフリーでベストでその後に出てきた安藤さんはあまりよくない点数だったのだけど、初めて彼女の演技をみる僕には、安藤美姫ってこんなにすごいのかぁと思わされました。

優勝した中野さんをじつは見なかったりするのですが、たしかにこれまで世間が美姫美姫と騒いできた訳が分かります。あと、たまたま僕の個人的な感性と合っていただけかもしれないけど、ジャンプに失敗しても普通に滑っているだけで何か彼女は違うと思わされました。

なんというか世間より5周ぐらい遅れている感想なんですけど。


涼風

「福原一発サイン、1000万増で納得」

2005年12月03日 | スポーツ
福原一発サイン、1000万増で納得 (大阪日刊スポーツ) - goo ニュース

Fに続きK=久保田も怒りの保留 (スポーツニッポン) - goo ニュース

「大荒れ」の阪神の契約更改ですが、福原が8000万というのは少ないような気がする。勝ちに結びついていないとはいえピッチング内容は井川よりも前半は良かったし、下柳よりも長い回を投げることができるし、右のエースとして首脳陣も福原をローテーションに安定して組み込めるから他の日のピッチャーの配分も計算することができるし、貢献度大だと思うのですけど。

実働年数が少ないということかな。でも井川と並ぶエースなんだし、1億円プレーヤーになってもおかしくないと思うんですけど。

あと、関本の2800万というのは可愛そうすぎる。チーム事情から藤本と二塁で併用されたけど、他のチームならレギュラー取れる実力だと思うのですが。


これでは選手や一部のファンから上場容認の雰囲気が生まれるのかもしれない。


涼風

「二段モーション」基準説明…足が違反、腕は対象外に

2005年11月29日 | スポーツ
「二段モーション」基準説明…足が違反、腕は対象外に (読売新聞) - goo ニュース

大分混乱していたようですが、今回の規則改正は国際ルールに合わせるというのが最初の目的だったはず。それなのに日本のルールしか知らない日本の審判にフォームのチェックを行わせたのがそもそもの混乱の原因だったんじゃないでしょうか?

「国際ルール」に合わせることが目的なら、まず国際な野球連盟に世界中の審判の召集を要請して、そこでルールを提示してもらったほうがもちろんいい。

ただその時間がないのであれば、とりあえずアメリカの審判に来てもらいチェックしてもらうのが現実的なように思います。プロの世界大会が開かれる際には、よくないことだけれど、アメリカの意向が強く反映されることは明らかだからです。

ここ数年のあいだは混乱が続くのかもしれないですね。


涼風

「ヤ軍破格4年60億円提示」

2005年11月16日 | スポーツ
松井秀喜、残留決意!ヤ軍破格4年60億円提示 (サンケイスポーツ) - goo ニュース


もっとすんなり決まると思っていたのにここまでもつれたのは意外でした。

松井にとって金額それ自体は問題ではなく、チームの自分に対する評価を測るバロメーターが金額だったということでしょうか。

しかしそうであればなおさら今のメジャー・リーガーの年俸額は馬鹿げているように思う。野球だけではなくて、サッカーやバスケ、他にもあてはまるけれど。

そのお金の出所が衛星放送であったり世界的なグッズ販売だったりするのでしょう。

また一流選手のプレーに相応の対価が支払われることは当たり前と見る人もいると思います。でも私には釈然としないものが残る。プロスポーツ選手が高額の年俸をもらうのは、リスクを考えれば当然だと思います。でも年俸が十億を越えたり、いや日本の選手でも2億、3億となるのはおかしいと思います。

『レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体〈下〉』では、スポーツビジネスのワールドワイドな発展は収入源を増やしたけれど、それはスポーツそれ自体の発展というより一部のスター選手の人気によることが指摘されています。それゆえ現在のプロスポーツには、一握りのスター選手に法外な年俸が支払われ、それ以外の選手はむしろ最低年俸に追いやられるという構図ができています。また多くの資金を必要とする球団は入場料を上げるため、底辺の人々は入場券を買えないという事態も起きています。

一部のスター選手に高額な年俸が支払われるということは、それだけ経済論理がスポーツという文化に浸透してしまっているため、ビジネスの役に立たない地味な選手や低収入のファンはそこから弾き出されてしまいます。

お金があるのだから支払うのは自由だろうと言う人もいるかもしれないし、このスポーツビジネスの流れはさしあたり止まらないと思う。ただ、10億を越えるような年俸が支払われることは馬鹿げているという感覚はどこかで多くの人がもっているのではないかと思います。

何度も言うように、一流選手が高額の収入を得ることは正当だと思います。

ただそう私が思うのは、スポーツとは一つの文化であり、一流選手のプレーは芸術のように人に感動を与えるからです。つまりスポーツ、それもプロスポーツはそれを観る多くの人の感動に支えられた、「本来」は民主的な文化様式です。

しかし一部の選手のみ優遇される現在のシステムは、多くの人々によって支えられるスポーツという構図を崩し、お金を多く球団にもたらすもの(お金を払える人たちとスター選手)によって独占された非民主的社会を作り出しています。

私は松井のことは好きだけれども、それとは別に釈然としないものを感じたのは上記の理由からです。

でも、本当はどういうあり方がいいのだろう、プロスポーツは・・・


涼風

サッカーの性質

2005年11月06日 | スポーツ
オシムイズム3年で開花/ナビスコ杯 (日刊スポーツ) - goo ニュース

「7色のビブスを使っての複雑な練習で、頭を使うことも教え込んだ。MF坂本は「自分たちがやってきたサッカーと全く違った。20歳を超えてこんなに体と頭を使うとは思わなかった」。MF羽生も「私生活も含めて、本当のプロというものを教えられた。だから今は相手に代表がたくさんいても自信を持って戦える」と言った」


日本でワールドカップが開かれたとき、某知識人の中に「サッカーは人々のナショナリズム感情を刺激してよくない」と言うひとたちがいました。それを読んだときは「本当に世の中にはこういう人がいるんだ」と(純粋に)少し驚きました。なんとなく、それはあまりに短絡的な発想に思えたんです。サッカーを、そしてスポーツを観ることは、音楽を鑑賞するのと同じ性格をもっており、観客の知的興味を刺激することをこの人たちは知らないのかな?と思いました。

ただ、彼らがスポーツを観る喜びを経験したことがないのなら、それも仕方がないかなとも思いました。

たしかにサッカーは観るひとの競争感情を極端に刺激するスポーツです。それはサッカーが観る人に忍耐を強い、その果てにやってくるカタルシスを過激に開放するスポーツだからだと思います。

90分を見ていて点は両チーム合計でせいぜい4回ぐらいしか入りません。それ以外のときは、つねに忍耐強くボールを回します。

足を使うスポーツのためバスケットのように「計画的」に事を運ぶのは困難であり、ボールをゴール前に運ぶプランはほとんどが途中で挫折し、そのたびに守備に回る必要があります。そう、サッカーとは挫折の繰り返しのスポーツです。

そうした「がっかり」が絶えず続くため、ゴールをあげたときの歓喜は激しくなります。

ファールとルール通りのプレーも曖昧なため、肉体の接触も多く、選手が動く範囲もピッチ内では自由なため、グラウンド上は一種のジャングルの様相を呈します。それもまた観客のアドレナリンを刺激する要素です。

そうした要素が絡まってサッカーは観る者の競争感情を刺激します。それがチームスポーうとして行われるため、観る者の団結感情をも増し、そこからフーリガンのような現象も生じます。

そうした現象を見て、それら知識人の方は憂慮されたのでしょう。

べつに知識人じゃなくても、僕がドイツにいたときには、サッカーが嫌いだと言う人に3人も出会いました。そのうち2人は男です。ドイツのようにサッカーが盛んだからこそ、逆にサッカーの欠点に敏感な人も多いのだと思います。


では、本当にサッカーは社会にとってマイナスなスポーツなのでしょうか?

イタリアの著名な社会学者、フランチェスコ・アルベローニは次のように述べています。

「(サッカーの)試合というものをもう一度考えよう。選手達は動きを起こし、相手側の無数の妨害を乗り越えながら、辛抱強く連携プレーを展開する。そして、第一の障害を、ついで第二の障害を乗り越えるが、結局攻撃は失敗する。もう一度はじめからやりなおさなければならない。さらに、もう一度はじめから。目標をけっして忘れることなく、緊張をけっして緩めることなく、失敗にけっしてめげることなく。

 普段の生活が各個人に求めることはまさにこれなのである。学校での進級といったことを手はじめに、我々がどういう目標を設定するにしても、定められたたくさんの事柄をこなさなければならない。何かの定理、ポエジーといったものを学び、口頭試問、さらにもう一つの難関を乗り越え、次いでクラスのテストその他をしのぎ、しかもどの結果も決定的なものではないのだから、何度でもこれを繰り返さなければならない」

『他人をほめる人、けなす人』)


 アルベローニが言うに、サッカーの試合は人生・生活のメタファーです。ゴールを決めて浮かれていると相手はすぐさま反撃してきます。ちょうど個人や企業が成功した後に有頂天になっているときに敵は反撃の策略をねっているように。

 またサッカーの試合で選手はどれほど感情的になっても相手に蹴りを入れることは許されません。もしそれを犯したら、彼はピッチの外に追い出されます。場合によっては、審判の間違いでカードを出されることがあります。観客はそこから、人生の不条理と、それでも自己抑制をし自分の感情を抑えなければピッチの上にい続けることはできないし、またピッチの外に出されても次の試合に出るためには判定に不服をとなえるよりも自己の鍛錬にじっと励むことのほうが大切であることを学びます。

「これらすべての価値観、精神的規範を、我々は試合を見ることによって学び、それを自分のものとし、日常生活のなかに導入する。これらは我われを支えてくれる規範であり、理想的なモデルであって、生きるという苦しい仕事に携わる我われを導いてくれるものである」(同上)

ここでアルベローニが言うように、サッカーがもたら喜びは、一つ一つの相手の防御に“挑戦”し、それをクリアしたあとにおとずれるものであり、またつねに集中力を保ち、自己の感情を自律的に調整することで得られるものです。

それはサッカーをする者だけではなく、サッカーを本当に愉しむために観客にも要求されるものです。自チームの繰り返しの失敗にもイライラせずに耐えながら、一つ一つの選手の意図と失敗を吟味し、どの選手がどういう試みをしようとしているかを理解し、その選手のリズムに自分を重ね合わせていきます。

これは、おそらくサッカーを野蛮なスポーツとして批判する方々が愉しんでいるであろう音楽鑑賞や読書と同じ集中力が要求される行為です。


涼風

ブラジル戦

2005年06月23日 | スポーツ
サッカー好きの方はご存知のように、日本対ブラジルは2-2の引き分けで、決勝トーナメント進出はなりませんでした。しかし観戦された方はご存知のように、Exciting!!!!!としか言いようのないゲーム内容でした。

このブラジル戦であらためて確認されたのが、日本の中盤はやはり世界レヴェルだということです。ゴール前でのフィニッシュでは世界に水をあけられていますが、中盤に限れば一人一人が周りを敵に囲まれても針の穴を通すようなパス交換ができるということです。

今日のゲームでは前半10分にブラジルにゴールを入れられます。このように早い段階で、強豪国にスピードとテクニックを駆使されて点を決められ、おっかなびっくりするのは、年代を問わず日本代表のいつものパターンです。1999年のワールドユース決勝のスペイン戦。2001年のフランスとの親善試合。2004年のオリンピックでのパラグアイ戦。同じく昨年のワールドユースでのブラジル戦。そして先日のワールドユースでのオランダ戦。もう見飽きたぞ。

それからもブラジルのグランド全体を使ったダイナミックな攻撃に何度もゴール前を脅かされ続けました。

しかし中盤での創造性という点では日本も負けませんでした。点を取られてもボールをつないでいき、ついに中村のエクセレンット!なミドルシュートが決まります。ホントに芸術的なゴール。

しかしその後にまたゴール前でワン・ツーで崩されてゴールを決められます。足の速いブラジルの選手はあっという間にカウンターを決めます。

そう、ブラジルというのはじつはカウンターを得意とするんですよね。個人技がすごいので攻撃的なチームという印象があります。たしかにディフェンシヴとは言い難い国ですが、機械的に攻めまくるオランダのようなチームとも違う。後ろや中盤でゆっくりボールを回したり、中盤でのインターセプトをきっかけに怒涛のようにゴール前に選手が攻め込んでくるのです。

それでも日本は後半に入ると最初から大黒を投入。もうこの大黒がキレキレのプレーを連発。オフサイドぎりぎりで相手の裏に抜ける動きを繰り返します。その危険度は日本人FWではダントツです。

その大黒という目標ができた日本は、積極的にブラジルに攻め込みます。もちろんそのリスクの結果としてブラジルにも何度もゴール前まで攻められますが、これも(ポストにも助けられて)なんとか防ぎます。

そして後半40分すぎ。ペナルティエリア前の絶好の位置でフリーキックを得ます。蹴るのは中村。この誰もがゴールを願うプレッシャーバリバリの状況で中村のキックしたボールは見事なスピードと角度でゴールへ。しかしなんとそこにはポストが。鋭い音を立ててボールはフィールドに跳ね返ります。しかしがっかりする間もなくそのボールに大黒が詰め寄りゴールを決めます。朝の5時過ぎに一人でテレビの前でガッツポーズを何度もしてましたよ、わたしは。

その後もめちゃくちゃおしいシュートもあったのですが、結果は引き分けに終わりました。


それにしても、ギリシャ戦から導入した、ディフェンスの枚数を減らして中盤を厚めにすることでこんなにチームががらりとかわるとは。アジア相手にもっさもっさとしたサッカーをしていたあのチームと同じとはとても思えません。やはり後ろを少なくすることで、中盤から前へと早くパス回しをする意識づけが選手の間に浸透しているのでしょう。

ただ、この素晴らしい現在のチームをみて、複雑な気持ちにもなります。

世界レヴェルの中盤をそろえ、それを生かすフォーメーションを採ることで、今回の日本代表は華麗なパス回しとサイドの崩しで相手ゴールを脅かす危険なチームに変貌しつつあります。

しかし中盤でどんなに華麗にダンスをしようが、サッカーはゴールを決めて何ぼのスポーツ。そのゴールを決められる選手がやはりいない。いないと言うといいすぎだけど、絶対的に信頼できるFWがまだいないのです。

ジーコは日本の選手のフィニッシュの弱さを、「心理的な問題」と言っています。彼らはゴール前で落ち着いてプレーできない、と。これはトルシエも指摘していたことです。それが指導法に由来するのだとしても、ともかく歴史によってあけられた強豪国との差なのかもしれません。そんな歴史に由来する差を1年で埋められるのだろうか?

しかし、化ける可能性のあるFWが日本にたくさんいるのも事実。大黒・大久保・田中あたりは、スピードを生かしてがんがん攻め込みます。

ともかく大黒の登場でFW争いは俄然激しくなりました。柳沢・高原・久保・大黒・大久保・田中・玉田・鈴木あたりが代表経験者ですが、残れるのは4人ぐらいでしょう。しかし1年もあるわけですから、Jで他の選手の台頭があるかどうかも楽しみです。

中盤は、強豪国と当たった場合、やはりボランチを守備の強い選手を2枚にして中田英を前にあげるべきなのかな?ベンゲルは今日そうすべきだと言い、ジーコもそうしてきた。

でも同時に、中田英のボランチもこの大会で光っていた。DFからはつねに彼にボールが集まり、また彼から前へと的確にボールが供給されていく。そのプレーはとてもインテリジェンスにあふれていて、うっとりしてしまいます。

ともかく、今日のジーコ・ジャパンはすばらしい試合を見せてくれました。おそらくこのフォーメーションをジーコは発展させていくだろうし、またそうして欲しい。つまりゆっくり後ろでボールをまわすのではなく、後ろも中盤もつねに前へ前へとボールをまわすことで相手の攻撃を回避し、同時にそれによってこちらが攻撃を仕掛けるプレッシング・サッカーです。本気モードのブラジルを相手にこれだけやれたのだから、これを続けない手はないよ。

ありがとう、日本代表!


涼風

U-20もあるし、夜更かしが続く

2005年06月19日 | スポーツ
ドイツで行われているサッカー・コンフェデレーションズカップの明日(きょう?)のギリシア戦で日本は4-4-2のシステムをとるそうです。楽しみだ。

日本が4-4-2を採用したのはアジア最終予選・アウェーでのイラン戦以来です。中盤で多くのタレント(中田・中村・小野)をピッチに並べるためのシステムです。この試合で日本は従来の3バックを変更し、かつ試合に負けたため、「4バック」はダメという論調が(軽薄な)マスコミを支配しました。

選手自身も3バックのほうがやりやすいと判断して、次のホームでのバーレーン戦では従来のシステムに戻りました。

でも僕自身は、負けはしたけど、イラン戦は今まで見た中でいちばん面白い試合でした。

3バックというのは、3人のディフェンス+サイドの2人で守る守備重視のシステムです。あるいは、守備重視に切り替えやすいシステムです。

しかし、サイドの2人がディフェンスに張り付いてしまうと、どうしても攻撃が緩慢・単調になります。自陣でゆっくりボールをまわしてしまうのです。

アジアを相手に日本は、とにかくボールを支配しながら、ゆっくり攻め上がるサッカーを確立しました。実力で勝るアジア諸国相手なら、とにかくボールを支配してゆっくり回し、攻撃のチャンスを窺い続けることが可能でした。

また、小野・中村・中田英の3人が怪我やチーム事情で一緒になることも少なかったので、誰か一人を司令塔にして汗かきタイプの選手を周りに置くには3-5-2のシステムがぴったりでした。

しかし上記の3人を並べる、あるいは自陣からゆっくり攻めあがるのではなく、攻守の切り替えを早くして中盤からどんどん攻撃的なサッカーをするには4-4-2のほうが適しています。

僕自身は、やはりサッカーの面白さを引き出すという点でも、スピーディな攻守を迫られる(難易度の高い)4-4-2のシステムのほうが、見ていて面白かったです。

ようするに、システム云々ではなく、自陣で足元にボールをパス交換するのではなく、走り回りながらつねにボールを前へ前へと動かすサッカーのほうが好きです。そしてそのためには、今の日本代表には、やはり4-4-2の方が面白いサッカーをする可能性があるように感じられます。

つねに前へ前へとボールを動かすサッカーは、それだけディフェンスに選手を張り付けないので、攻撃していなければ失点につながるリスクの大きいサッカーです。それだけに速く、かつスペースを広く使ってボールをまわし続ける必要があります。

そういうサッカーの萌芽が見られたのが、アウェーでのイラン戦でした。結果は1-2で負けましたが、ジーコ就任以来でもっとも面白いサッカーでした。

その4バックのシステムにギリシア戦で挑戦するそうです。ヨーロッパ・チャンピオンを相手に、ここにきてシステム変更するというのは不安もありますが、楽しみでもあります。

コンフェデレーションズカップの結果で大騒ぎする必要はないと思います。ただ、これまでの「ゆったりサッカー」とは違うサッカーを目指す方向性をこの大会で見せて欲しいと思います。


涼風

よかった

2005年06月08日 | スポーツ
サッカーの嫌いな人にとっては憂鬱でしょうが、よかったよかったです。さすがに今日は大阪ドーム(オリックスVS阪神)にも空席が目立ちました。でも家の父親はやはり阪神タイガースの行方のほうが気になっていて、チャンネルをたまに野球に合わせていました。

柳沢ってちょっと顔つき変わりましたね。前よりも男前で精悍になった感じです。あまりイタリアでは試合に出ていない印象があるのだけど、にもかかわらず完全移籍で3年契約をむこうのチームと結んだそうです。この期に及んでジャパン・マネーを期待しているわけでもないだろうし、本場の関係者にも期待はされているのでしょう。

顔つきが変わったといえば、川口。前は僕は川口は嫌いでした。なんだかビッグマウスででしゃばるわりにプレーが不安定で嫌だった。でも北欧から帰ってきたら、すごく落ち着きのある顔になってプレーも安定しているように感じる。

今のジーコ・ジャパンで印象的なのは、トルシエ時代にあまり顧みられなかった福西・田中誠といった中堅が活躍していること。トルシエ監督の若手起用で彼らはワールド・カップでレギュラーになれなかったけど、そういう選手も今陽の目を見ている。逆にトルシエに重用された明神・森岡といった選手達はすっかり呼ばれなくなった。これはJリーグの選手のレヴェルはとても拮抗しているということだと思う。監督が違えばまた違う選手が呼ばれる。一部の主力(僕の印象では中田英・中村・小野)以外は来年までまた激しい代表への生き残り戦争が始まります。FWには大久保、田中、MFには松井・阿部、 DFには石川・茶野、相馬といった若手が控えています。これからの代表争いは相当激しくなるんでしょうね。

ともかく、日本代表の皆さん、おめでとうございます。


涼風


芸能・スポーツニュース 16/5/2005

2005年05月16日 | スポーツ
竹内結子と中村獅童が結婚。個人的には竹内結子の印象度はアップ。今までは演技も含めてすべての露出で“計算している”印象があったので、あまりいい印象はなかった。でも、映画撮影で知り合った相手とあっという間にできちゃった婚してしまうというのは、逆に僕的には「そういう自然なところもあったのか」と思わされます。今回の件があった後では、「やっぱり美人だよなぁ」と勝手に思い直してしまう。


阪神・楽天戦を観る。楽天の弱さにびっくり。はじめてまともにテレビで見たけど、たしかに弱い。一人一人の選手はなかなか味のあるベテランをそろえている。でもみんな伏兵なんですよね。「こういう選手がいれば監督にとって便利」という感じだけど、そういう選手だけでチームを作っても全然核ができない。

つくづくオリックスは罪なことをしたんだなぁと思わされます。もしこれで岩隈までオリックスだったら楽天はどうなったことだろう。

いずれにしてもニ年や三年ではどうにもならないのではないだろうか。代打で出てくる若手も、ど真ん中のストレートを空振りしている。将来性のある若手がいれば田尾監督も負けを覚悟で使っているだろうけど、これだけベテランで固めていることは、よほど層が薄いのでしょう。シーズンが終わったら12球団でもう一度有力な選手を一人づつ出すぐらいのことをしないと。ハルウララのような人気がでればそれはそれでいいだろうけど。


横峰さくらってかわいいと思う。


涼風




面白い試合でした。

2005年03月26日 | スポーツ
サッカー日本代表とイランとの試合。負けはしましたが、しているサッカー自体は今まで見た中で一番質の高いものに感じました。

たしかにゴール前付近での崩しはみられなかったのは残念だし課題だと思います。でも、ディフェンスが二人しかいないことで、つねにサイドの加地を使ったりして前に前にボールを出すことを迫られ、また中盤の守備の意識も高くなって(とくに小野の相手ボールに対するチェックが激しかった)、チーム全体で攻撃態勢に入るテンポは高くなっていたと思います。

もちろん結果が一番大事ですが、今まで薄氷の思いで勝ってきた試合よりも今日の試合のほうが観ていて面白かったです。

とにかくまだまだ戦いは続きます。一喜一憂せずにじっくりワールドカップ最終予選を楽しんで、日本代表を応援したいし、彼らにドイツに行って欲しいと思います。


涼風


文句あれこれ

2005年03月25日 | スポーツ
夕方、ダイエーに縁が壊れた眼鏡をもって行き、ついでに本屋をのぞくと、『球界再編は終わらない』という新刊本がありました。

ぱらぱらめくると、楽天が仙台をフランチャイズにした経過が書かれてありました。内容は予想通りで、元々神戸にチームを作ろうとした三木谷さんに対し、オリックスの宮内さんや阪神の人たちが、「元々神戸はタイガースの地域。それに関西で三球団は採算に合わないことはわれわれが知っている」と言われ、行き場を失った三木谷さんは仙台に速攻で乗り換えたそうです。

あまりにも世間の予想と同じなので拍子抜けします。でも、べつに神戸は阪神タイガースのホーム・タウンではないと思う。阪神ファンが多いのは事実だけど、タイガースはとくに自分のホームタウンを明確にせずにブランドで殿様商売をしているだけだと思う。

京都の人口は100万以上、大阪は300万、神戸は140万。これで三チームの採算が成立しない理由はないと思う。

ここはやはり三木谷さんは神戸にチームを作ることで押し切ってほしかったです。ヴィッセル神戸との相乗効果はあったのではないだろうか。ただ、そうなるとイメージ的にも顧客獲得という点でもオリックスへのダメージは大きかっただろうけど。今でさえオリックス・ブレーブスはまさに企業の道具というイメージがある。「大好きなバッファローズ」を統合し、「神戸から抜けていった」オリックスを心から応援しようというファンが増えるとは思えないのだけど。


NHKのニュースでは7時台も10時台も毎日ライブドア問題を流しています。おかしいよ。公共放送として再出発すると言っていた筈じゃないのですか?国民の関心事だからという理由で毎日トップニュースで扱うのなら、民放と変わらないです。それこそ、「消費者の欲しがるニュースを流せばいい」という堀江さんの言うことをNHK(と民放)はいまだに実践している(「ジャーナリズムとはなにか?という議論が一応あったにもかかわらず)。

ライブドアとフジグループがどうなるかなんて、さしあたりはそれら個々の企業問題にすぎない。たしかに毎日色々起こっているけど、それは一日一日では事態が落ち着かないということなのだから、長期的に適当な間隔で取り上げれば十分なはずです。それを視聴率のために毎日六本木ヒルズのビルを映すのはみっともないです。まるでNHKへの批判をかわすためにやっていると思われても仕方がない。


最近はこの問題に絡んでフジテレビの社員の人たちへのインタビューもあります。テレビ局の社員もふつうの人に見えます。だって、テレビ局の男性社員というと、合コンが大好きで遊んでばかりいるというイメージが僕にはあったので、普通そうに見えると意外だったりします。

日本のように「テレビマン」というのが国民の羨望の的というのは、今では万国共通とはいえないのかもしれない。

ドイツのテレビでは、チャンネルが20チャンネル以上はあったと思います。学生寮だったからケーブルテレビが見れたのかもしれないし、どういうシステムになっていたのか分からないのですが、とにかくとてもチャンネルが多かった。あれだけチャンネルが多いと、広告収入もそれほどは入らないと思います。

世の中の人はどのくらいケーブルテレビや衛星放送に加入しているのだろう?でもいまだに日本では東京のキー局は殿様商売をしている。10年ほど前に社会学者さんの橋爪大三郎さんは吉本隆明さんがテレビを論じた傑作評論集のあとがきで、「ケーブルテレビの普及で、今までのテレビが送り出してきた国民的タレント、国民的番組というのはなくなるだろう」と言っていました。しかし10年たっても既存の東京キー局の位置は揺らいでいるようには見えません。

それは、必ずしもコンテンツ制作能力がキー局にあるからではないように思う。たしかに一部のテレビマンにはクリエイティビティがあるのだと思います。フジの深夜番組なんかには、時々とんがった感性の番組がありますよね。でも大半は煮詰まっているという状況がもう何十年と続いている。

ごくわずかな局にしか電波を与えないという日本の電波法自体が特殊なのだろうか?


涼風


日本経済新聞社『球界再編は終わらない』

吉本隆明『情況としての画像 高度資本主義下のテレビ』


ヴェルディからの移籍選手は何人目?

2005年03月07日 | スポーツ
昼間にBSで楽天、じゃなかった、サッカーチームのヴィッセル神戸の試合をしていました。今までの白と黒のストライプから赤にユニフォームの色も変わっていました。

これはもちろん楽天側のマーケティング戦略です。一応、応援団に対する説明会みたいなものはあったらしいのですが、楽天側は最初から赤にすることを決めていたのでしょう。

僕はその話を聞いたとき、やっぱり三木谷さんは、神戸のためのチームではなく、自分の企業のためのチームを作ろうとしているのかな?と思いました。いくら歴史が浅いとはいえ、10年近く応援し続けている人もいるだろうに、いきなり来て(しかも2部に降格していればチームを買収しなかった)チームカラーを買えると言うのだから。

でも、今日見た印象では、なかなかいい色のユニフォームになっていました。まあ、神戸はこれまで熱心なサポーターがいたわけではないし、神戸自体が他と比べてサッカーに熱心な地域とはいえないので、チームカラーを変えても、それほど摩擦は起きないのかもしれません。

ただ、それとはべつに想ったのは、やはり神戸に野球チームを作っていれば、それこそ「シナジー効果」で盛り上がっただろうなということ。

神戸という地域は、野球でもサッカーでもどこかのチームを応援することで盛り上がったことがない。いや、関西という場所自体が、阪神以外でスポーツチームの応援に熱心になったことがない地域なのです。

人口を考えれば、京都に野球チームができてもおかしくないのに。

その神戸でも、もし野球とサッカーの両方を「ヴィッセル神戸」として、あの印象的なエンジ色で大々的に売り出せば、かなり市民球団としての盛り上がりを見せたかもしれないと想うと、ほんの少し残念。

ヴィッセル神戸のチームカラーは仙台楽天イーグルスのチームカラーと同じ。やっぱり一番トクしたのは楽天なんですね。べつにいいのですが。

でも、神戸にサッカーと野球のチームをもって、神戸のスポーツチームとして盛り上げて、さらに「サンテレビ」や神戸ケーブルテレビと密接な業務提携をして、ITとテレビを通じて徹底的に「ヴィッセル神戸」と楽天の商品を売り出す戦略をすれば、すごい盛り上がったかもしれない。人のお金のことなので、そんなこと考えてもしょうがないんですけどね。でも、開幕戦だというのに、BSで中継しても神戸の放送局で中継されないというのは淋しいかぎり。

三木谷さんにとっては、神戸とか仙台とか一つの地域にこだわることは馬鹿らしいのかもしれない。一つの地域に身をうずめるというより、「でっかく」事業を広げて世界全体をフィールドにして活動したいのかな。


涼風



ドイツに行きたい

2005年02月25日 | スポーツ
昨日は知り合いの人の就職お祝いで、神戸の三ノ宮で一緒に食事をしました。行ったお店は「チーズ料理」のお店。てっきり日本の食卓ではあまり並ばないヨーロッパのチーズが出てくるのかと思っていたら、単に日本の家庭料理みたいなものにチーズを使ってあるという感じのものでした。

知り合いの人は「おいしくなかった」と言っていた。僕は、まあ嫌じゃなかったけど、「ぜひもう一度」とも思わなかったかな。

面白かったのが、とても狭いところにテーブルが並べてあったこと。カウンターがあって、その前にある廊下みたいなところを無理やり区切ってテーブルを置いて、二人が差し向かいで小さなお膳で食べるようになっていた。

料理店みたいなものは新陳代謝が激しい分、少ない資金でお店を出す人も多いのかな。チェーン店の居酒屋とかよりは、「手作りのお店」という感じがした。「チーズ料理」ということで若い女の人が多かったけど、これからどうなるのだろう。

話の内容は、その人の就職先の職場の話やサッカーのこと。日本代表の話をしていたら、「今の日本代表は左右のサイドがショボい」とその人は力説していました。

たしかに、僕も、サントスや加地がボールをもっていてもワクワクしない。特別突破力があるようにも見えないし、クロス・ボールの精度がいいわけでもない(ように見える)。彼らのいいところを専門家の人が一度検証してくれるといいのだけど。

「日本はサッカーのレベルが上がった」といわれている。それは本当だと思うけど、でも世界の一流国までは大きな差があることが、去年のオリンピックやドイツ戦で思い知らされた。

今の日本は、中盤のタレントでは天才的な選手が続出した時代で、こんな時代は、後から振り返ればもう来ないのかもしれない。にもかかわらず世界とはまだまだ大きな差があるという事実。

中田だって、来年のワールドカップ時では29歳。もうそんなに時が早くたってしまった。

レベルが上がったといっても、今でも日本は、ユースレベルではしょっちゅう韓国に負けている。つまり、アジアの王者として圧倒的に君臨しているわけでもない。なんだか、小野や稲本の世代がワールドユースのときに活躍したことで、大きな幻想を抱いたのかな。

もちろん、98年のときよりもレベルは上がっているとは思うのだけど、それは僕(たち)が思っているほどすごくなったわけではないのかな。


でも、普段から球場に足を運んでいるファンにとっては、そんなことは些細なことに過ぎないのでしょう。強いから応援して、そうじゃないから目をそむけるというのは、おそらく違うのだ。たとえ進歩が遅々としていたり、停滞があっても、そのプロセスを見つめ続けるのがサポーターなのだ。

それはサッカーには限られない話に違いない。


涼風