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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

「ヤ軍破格4年60億円提示」

2005年11月16日 | スポーツ
松井秀喜、残留決意!ヤ軍破格4年60億円提示 (サンケイスポーツ) - goo ニュース


もっとすんなり決まると思っていたのにここまでもつれたのは意外でした。

松井にとって金額それ自体は問題ではなく、チームの自分に対する評価を測るバロメーターが金額だったということでしょうか。

しかしそうであればなおさら今のメジャー・リーガーの年俸額は馬鹿げているように思う。野球だけではなくて、サッカーやバスケ、他にもあてはまるけれど。

そのお金の出所が衛星放送であったり世界的なグッズ販売だったりするのでしょう。

また一流選手のプレーに相応の対価が支払われることは当たり前と見る人もいると思います。でも私には釈然としないものが残る。プロスポーツ選手が高額の年俸をもらうのは、リスクを考えれば当然だと思います。でも年俸が十億を越えたり、いや日本の選手でも2億、3億となるのはおかしいと思います。

『レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体〈下〉』では、スポーツビジネスのワールドワイドな発展は収入源を増やしたけれど、それはスポーツそれ自体の発展というより一部のスター選手の人気によることが指摘されています。それゆえ現在のプロスポーツには、一握りのスター選手に法外な年俸が支払われ、それ以外の選手はむしろ最低年俸に追いやられるという構図ができています。また多くの資金を必要とする球団は入場料を上げるため、底辺の人々は入場券を買えないという事態も起きています。

一部のスター選手に高額な年俸が支払われるということは、それだけ経済論理がスポーツという文化に浸透してしまっているため、ビジネスの役に立たない地味な選手や低収入のファンはそこから弾き出されてしまいます。

お金があるのだから支払うのは自由だろうと言う人もいるかもしれないし、このスポーツビジネスの流れはさしあたり止まらないと思う。ただ、10億を越えるような年俸が支払われることは馬鹿げているという感覚はどこかで多くの人がもっているのではないかと思います。

何度も言うように、一流選手が高額の収入を得ることは正当だと思います。

ただそう私が思うのは、スポーツとは一つの文化であり、一流選手のプレーは芸術のように人に感動を与えるからです。つまりスポーツ、それもプロスポーツはそれを観る多くの人の感動に支えられた、「本来」は民主的な文化様式です。

しかし一部の選手のみ優遇される現在のシステムは、多くの人々によって支えられるスポーツという構図を崩し、お金を多く球団にもたらすもの(お金を払える人たちとスター選手)によって独占された非民主的社会を作り出しています。

私は松井のことは好きだけれども、それとは別に釈然としないものを感じたのは上記の理由からです。

でも、本当はどういうあり方がいいのだろう、プロスポーツは・・・


涼風

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