淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「こころの冬」①

2020年12月25日 | Weblog
 昨日は、2020年、12月24日。クリスマス・イブだった。そして今日がクリスマス当日。
 昨日、約4か月振りのブログ再開ということになった。まあ、クリスマス・イブだろうが、何だろうが、そんなことはどうでもいい。

 12月に入ったら、去年とは180度変わっていきなり大雪に見舞わられた。毎日、毎日、雪掻きに追われた。駐車場が、除雪作業で置いていった雪で高い壁が出来てしまい、仕方がないので、知っている業者に頼んで急遽除雪車に来てもらい駐車場を除排雪してもらった。一人ではとても無理だった。ほかの車がまったく駐車できないからだ。苦情も来た。
 もちろん、それなりの除排雪料を取られてしまった。
 ほんと、雪のない街に引っ越したいと心底思う。

 実は先日、あの数年前に突然襲って来た、言いようのない「真っ黒な塊」がまた胸の奥から湧き上がり、精神的に追い込まれて吃驚した。
 真夜中1時に突然目が覚めた。そして、突然そこから、圧倒的な虚しさのようなものが襲ってきたのである。
 とても耐えられそうになく、どうしたらいいのかオロオロしてしまい、ちょっとパニックになってしまった。
 暫くの間、枕を二つ重ねて真っ暗闇を見つめながら、早くこの言いようのない恐怖感が去ってくれるように祈った。

 そこから、毎日ずーっと、そんな感じが続いていった。言いようのない寂しさ、空虚感、不安と焦燥が心の底から湧き上がって来るのである。耐えられないほどの負の感情だ。心がクタクタになって、朝まで眠れないから身体も持たない。

 またである。
 最初にこれと似たような、虚しさ、切なさ、寂しさ、生きていることの苦しさが襲ってきたのは、2004年のことだった。ちょうどこのブログを始めた2004年の10月である。
 そして次に襲ってきたのが、2015年の初夏、6月15日の日曜日だった。なぜ、そんなことまでちゃんと覚えているのかというと、そのあたりのことをブログで詳細に書いているからだ。
 今回も同じような感覚だったので、昔書いたブログを探して読んでみたら、吐きそうになった。
 あえて、ここにそのまま引用してみる(んなもん、読みたくなんかねーという人がいるなら読み飛ばして欲しい。単なる個人的なマスターベーション的駄文である)
 タイトルが「凄まじいまでの憂鬱の渦に巻き込まれて、気が狂っちゃったかと思ったよ」、2015年06月15日 のものだ。
 ブログはこんな具合で始まる・・・。

【2週間ぶりのスポーツジムで、45分間の「ボディコンバット」をやっている間も、汗を大量に掻きながら、憂鬱な気分に塗れていて、身体を激しく動かすことで得ているそれなりの高揚感と、それとはまったく真逆の落ち込む気分との葛藤がずっと続いていた。
 伏線は前からあった。
 今日も朝からまたいつものように電話が鳴りっ放しで、精神的にかなり参っていて、もう俺はこの先、何をやっても絶対無理なんじゃないかと心は思いっ切り挫け、精神的にも激しく落ち込んでいたから、そういう兆候は既にあったのかもしれない。
 ジムでの45分に及ぶ激しいエクササイズが終わって、吹き出る汗を流そうと、ジムのお風呂に入った時だった。
 まずはシャワーを浴びようとシャワーのノズルを回して熱い湯を頭から被り、目を瞑ったその瞬間、それまで胸の中に溜め込んでいた数多のドロドロした重苦しい暗鬱な感情が突然ゴーっとダムが決壊するみたいに湧き上がって来て、凄まじいパニックに陥ったのである。びっくりした。
 慌てて手で流れ出るシャワーを止めようとしたのだけれど、何故か焦って、まるでプールの中で溺れているような感覚に襲われる。
 パニックになった。
 ああ、これって10年ほど前、ブログを初めて書き始めた頃に味わった、あの凄まじい焦燥感と寂寥感と空虚感と絶望感とがごちゃ混ぜになって、胸の辺りから這い上がってきた時に近い。
 そう思ったら、身体を洗うことすら出来なくなって、急いで湯船に入ったのだけれど、そこも落ち着かなくてすぐに上がり、身体を濡らしたまま、一気にバス・ルームを飛び出してしまった。
 周りの風呂場にいた多くの人たちも、その慌てふためきぶりに、何事かと不思議に思ったことだろう。
 でも、そんなことは構っていられなかった。
 心がいきなりぎゅっと塞ぎ込んできて、どうしていいか分からない。誰か助けて欲しい。対処出来ない。
 さっきまで一緒に「ボディコンバット」を行っていた、親しいジム仲間のひとりがまだストレッチを続けていたのを見つけたので、「助かった・・・」と思ってその場所まで駆けつけ、ちょっと数分間だけ話を交わした。
 何事だと思ったに違いない。びっくりしたに違いない。でも、縋るしかない。
 この激しい気分の落ち込みを、心のパニックを、まずは鎮めないと気が狂うんじゃないか、本気でそう思った。
 ありがとう。
 本当にありがとう。
 何のことだか分からずに吃驚したと思うけれど、本当に助かった。
 会話するだけで人間って動物は、少しは気が落ち着くものなのだということがよく解った。
 外に出たら、夕暮れが迫っている。
 まだ明るかったのがせめてもの救いだと思った。これが真っ暗闇だと、たぶんもう耐えられなかっただろう。
 それじゃなくても日曜日の夜は憂鬱なのに・・・。
 何人かの友人にラインを送るも、なーんの返事もない。電話をしても誰も出ない。
 さっきのジムでの会話で、ちょっとは心穏やかになったけど、これから先の時間、さっきの凄まじい負の感情がまた湧き上がってきたらどうしよう・・・。
 不安になる。
 対処できるのだろうか?
 急いで家に帰って汗まみれのスポーツ用ウェアを洗濯機の横に投げ込み、財布を持って、車を出して遠出することに決めた。
 耐えられないのだ、家の中にただじっと籠もっているのが。
 10年前も同じだった。外に出ていないと息苦しくなって切なくなる。あの時は、逃げ込む友達のバーがあったから救われたけれど、今はそのバーもない。
 避難場所がない。
 とにかく、車を飛ばして街を出た。
 ヴォーカルの入った曲は聴きたくなかったので、インストルメンタルの曲だけをセレクトして流すことにする。
 4時間ほど、車を飛ばしていたら、気分はちょっとだけ穏やかになった。
 どんな人間にもある、このダークサイドに陥ってしまったら、そこから抜け出すのは、かなり辛いし難しい。
 苦しいし。きついし。切ないし。心底めげるし・・・。
 ドライブを終え、家に帰って、急いでブログを書く。
 書くことでしかこの心の闇は回避できない。誰かと話すことでしか、このどうしようもない辛さからは脱出できない。
 それにしても・・・なんて俺という人間はこんなにも弱いのだろう。
 すぐに崩れてしまうんだろう。
 激しく心を傷付けるんだろう。
 もっと強くなりたいよ。
 もう、悩んだり悲観の渦に巻き込まれることに飽き飽きしちゃったよ。
 全然、ロックじゃねえじゃん。
 助けてよ、キース。】
                                〈原文のまま〉

 今、改めてその日のブログ読み返してみると、ウンザリしてゲンナリする。心が萎える。心底、自分が嫌んなる。
 いつもこうなんだ。自分の人生を心の底から楽しむということがない。何をしても満足しない。エエカッコシイで、自己顕示欲が強くてプライドが高い。当然、その反動は倍返しで襲って来る。

 そしてまた、2015年6月15日日曜日に起こったこととほぼおんなじようなことが、また起こったのである。
 正確にいうと、今月12月6日の日曜日だ。

 これまた前回とほぼ同じ、12月6日日曜日も、スポーツジムで激しいエクササイズを終え、ジムのお風呂場のシャワーを浴びていた、ちょうどその時だった。
 シャワーを浴びようとシャワーのノズルを回して熱い湯を頭から被り、目を瞑ったその瞬間、それまで胸の中に溜め込んでいた数多のドロドロした重苦しい暗鬱な感情が突然ゴーっとダムが決壊するみたいに湧き上がって来て、凄まじいパニックに陥ったのである。

 参った。これには、心底、参った。
 地獄がまた始まったのかと思って目の前が真っ暗になった。
 こんないい歳になって、何なんだよ、いったい。いい加減にしてくれよ。

 もうこんな真っ黒の感情の嵐に耐えてゆく自信なんてない。
 どうしよう?
 確かに、こうなるその切っ掛けはあった。理由はあった。

 そしてそのあとすぐ、いやな夜がやって来た。
 ここからが地獄だった・・・。









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