淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「君の不幸は、なにが不幸であるかについて判断を下す、君の能力の中にある」

2020年12月29日 | Weblog
 28日の月曜日は仕事納め。
 午前8時には「研究室」の鍵を開けた。

 薄っすらと雪が積もっているけれど、今日は4度ぐらいまで気温が上がるらしい。それでも問題は、年末の30日から日本列島を直撃する数年に一度の大寒波のことだ。
 大雪になるとのニュースが飛び交っている。そうなると、年末年始、一日中雪掻きを覚悟しなければならない。駐車場の雪片付けは結構辛い。それでもやらなければみんなに迷惑が掛かってしまう。
 乗り越えなければ・・・。

 部屋はまるで冷凍室のようだ。
 すぐに暖房を点け、コートを羽織ったままパソコンを開く。幾つも入っていたメールを次々に処理して、22日に行われた「地域計画論」と「演習Ⅱ」と「演習Ⅵ」の試験を採点する。
 それが終わって、部屋の中を片づける。溜まった書類を処分して、抽斗を開けて処理済みの書類を裁断した。

 4階の部屋の窓から12月終わりの寒空を眺めた。相変わらずの憂鬱な空。でも雪は落ちてこない。
 大学も冬休みに入ったので学生は誰も歩いていない。ひっそりと静まり返ったキャンパスに融け掛けた雪が残っている。
 こうしてコロナの2020年が終わってゆく。閉塞感だけが世界を包んでいる。
 新しい年は、いったいどんな年になるのだろう?
 
 昨日、読み返したマルクス・アウレリウスの「自省録」の一節を思い浮かべてみる。
 この箴言に救われた。


    君の不幸は、他人の指導理性の中に存するわけではない。
    また、君の環境の変異や変化の中にあるわけでもない。
    しからばどこにあるのか?
    なにが不幸であるかについて判断を下す、君の能力の中にある。
    ゆえに、その能力をして判断を控えさしめよ。
    しからば、すべてがよくなるであろう。

    君が、何か外的の理由で苦しむとすれば、
    君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、
    それに関する君の判断なのだ。
    
    今日、私は、あらゆる煩労から抜け出した!
    というよりも、むしろ、あらゆる煩労を外へ放り出した!
    なぜならそれは外部にはなく、内部に、私の主観の中にあったのである。

                     マルクス・アウレリウス「自省録」


 やはり、自分を徹底的におとしいれ、こころを引き裂き、奈落の底に落とそうとしているのは、自分自身なのだ。自らのこころが生み出しているものは、自分で勝手に創った「真っ黒な塊」なのである。すべて、自分が考えたもので、いまの自分を造っているすべては自分自身であり、ほかの誰でもない。

 自分の不幸は、なにが不幸であるかについて判断を下す、おのれの能力の中にある。







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