12月12日の夜、真夜中の1時に突然目が覚め、そこから圧倒的な虚しさのようなものが襲ってきて、耐えられそうになく、パニックになってしまったという話の続きである。
その12日の夜から、辛く苦しい日々が始まった。
つまり、2004年と2015年に続く、3回目となる、圧倒的な負の感情の決壊である。爆発である。
それも、最悪な冬が始まったその直後と来ている。最悪だ。
真夜中がとにかくキツイ。まず、眠れない。というか、眠るのがとても怖い。
また真夜中に突然目が覚め、あの圧倒的な力で襲って来る耐えがたき負の感情に対して、俺は勝つことが出来るんだろうか?
そんな恐怖に怯え、悶々としながら何度も蒲団に丸まって寝返りを打つ自分がいる。
いきなり襲って来る、圧倒的な寂寥感と空虚感に心が張り裂けそうになるのだ。世界が反転したようになるのだ。白黒の映像だけが頭の中で映し出されるのだ。
真っ暗闇を見つめながら、その感情に激しく抗って、抵抗したり暴れてみたりするのだけれど、もがけばもがくほど苦しさにのた打ち回る。
そんな耐えられない状況が何日間か続いた。
街は、毎日毎日、うんざりする憂鬱な空が広がっている。雪も激しく降り続いている。とても息苦しい。
青空が見たい。太陽が恋しい。どこか暖かい場所へ行きたい。東京にはもう一年半も行っていないし、世界は何処も彼処もコロナが蔓延しているから海外に脱出することも不可能だ。
なんたる閉塞感!
せめて夏だったら。
仕事が終わって家に帰ると、食事をしたあと直ぐに蒲団を引き、中に潜ってひたすら自分の過去のブログを必死で読んでいった。何もしないでいると、虚しさに潰されそうになるからだ。
それにしても酷いもんだ。
永い間書いてきたブログはそのどれもこれも、苦悩とマイナス思考の雨あられである。自分自身を呪い、日々の生活を嫌悪し、辛い、苦しいと心情を吐露している文章で埋まっていた。
よくまあ、ブログを始めた2004年11月から今の2020年12月までの17年間、ここまで落ち込んでいられたものだ。
楽しいことだってあっただろうに(まあ、そういう前向きなこともたまには綴っているのだけれど・・・)。
俺の人生って、いったいなんなんだ? ただ苦しむだけの人生か?
それも、考えてみると、単なる独り相撲をしているように見えなくもない。っていうか、完全なる独り相撲じゃないか。
風に揺れている柳を、幽霊だと勘違いして怯えている子どもみたいだ。勘違いなのに。
脱出したい。こころからこういう状況から逃げ出したい。もう嫌だ。こういう思考に溺れるのは・・・。
死ぬ前に一度ぐらいは「ああ、愉しい! ああ、生きてる!」というような、心から弾けるそんな気分に包まれてみたい。そう心から願った。
人間というのは、やはりよく出来ているというか、極端に片方にブレると、そこから「揺り戻し」をしようと試みる別の感情が働くようだ。極端な場所に行くところまで行っちゃうと。
何とかしようと、本棚から哲学者アランの「幸福論」を取り出して1ページから丁寧に読んでいった。
【最大最強の敵は自分自身である】、【まず自分が微笑まなくて、誰が微笑むのか】、【不安とは無意味な動揺である】、【幸せになると誓う】・・・。
たぶん、普段の凪の状態の時だったとしたら、こういうシンプルで飾り気のない言葉を聞いても、ただ右から左に受け流していただろう。「ふーん」と、特に気を止めることなく。
でも、心に深い空洞が出来ていて、生きていることに疲れ切っていると、こういう真っ当な箴言に心が落ち着いてゆく。
しっかし。それにしてもである。
いい歳した男が、未だに道に迷って人生をひたすら彷徨っているって、これ、一体なんなんだろう?
いい大人が無様すぎる。いい加減、悟らないと・・・。
ふと、真っ暗闇の天井を見つめながら考えた。
そうだよな、アランが言っているように、こういう自分自身を苦しめているもの、身体の中から這い上がって来る「真っ黒な塊のようなもの」、それって全部、自分が作り出したものに過ぎない。つまり、自分で自分を徹底的に傷つけているだけなんだ。
自分にとっての最大最強の敵は、やっぱり自分自身だ。自分が思った自分にしかならない。
ちょっとだけ、心が穏やかになってきた。
俺だって穏やかで幸せだと感じる瞬間を生きていたい。
それを阻止しているのは、もう一人の自分である。
どうしたら、自分の人生に納得できるんだ?
ああ・・・。
その12日の夜から、辛く苦しい日々が始まった。
つまり、2004年と2015年に続く、3回目となる、圧倒的な負の感情の決壊である。爆発である。
それも、最悪な冬が始まったその直後と来ている。最悪だ。
真夜中がとにかくキツイ。まず、眠れない。というか、眠るのがとても怖い。
また真夜中に突然目が覚め、あの圧倒的な力で襲って来る耐えがたき負の感情に対して、俺は勝つことが出来るんだろうか?
そんな恐怖に怯え、悶々としながら何度も蒲団に丸まって寝返りを打つ自分がいる。
いきなり襲って来る、圧倒的な寂寥感と空虚感に心が張り裂けそうになるのだ。世界が反転したようになるのだ。白黒の映像だけが頭の中で映し出されるのだ。
真っ暗闇を見つめながら、その感情に激しく抗って、抵抗したり暴れてみたりするのだけれど、もがけばもがくほど苦しさにのた打ち回る。
そんな耐えられない状況が何日間か続いた。
街は、毎日毎日、うんざりする憂鬱な空が広がっている。雪も激しく降り続いている。とても息苦しい。
青空が見たい。太陽が恋しい。どこか暖かい場所へ行きたい。東京にはもう一年半も行っていないし、世界は何処も彼処もコロナが蔓延しているから海外に脱出することも不可能だ。
なんたる閉塞感!
せめて夏だったら。
仕事が終わって家に帰ると、食事をしたあと直ぐに蒲団を引き、中に潜ってひたすら自分の過去のブログを必死で読んでいった。何もしないでいると、虚しさに潰されそうになるからだ。
それにしても酷いもんだ。
永い間書いてきたブログはそのどれもこれも、苦悩とマイナス思考の雨あられである。自分自身を呪い、日々の生活を嫌悪し、辛い、苦しいと心情を吐露している文章で埋まっていた。
よくまあ、ブログを始めた2004年11月から今の2020年12月までの17年間、ここまで落ち込んでいられたものだ。
楽しいことだってあっただろうに(まあ、そういう前向きなこともたまには綴っているのだけれど・・・)。
俺の人生って、いったいなんなんだ? ただ苦しむだけの人生か?
それも、考えてみると、単なる独り相撲をしているように見えなくもない。っていうか、完全なる独り相撲じゃないか。
風に揺れている柳を、幽霊だと勘違いして怯えている子どもみたいだ。勘違いなのに。
脱出したい。こころからこういう状況から逃げ出したい。もう嫌だ。こういう思考に溺れるのは・・・。
死ぬ前に一度ぐらいは「ああ、愉しい! ああ、生きてる!」というような、心から弾けるそんな気分に包まれてみたい。そう心から願った。
人間というのは、やはりよく出来ているというか、極端に片方にブレると、そこから「揺り戻し」をしようと試みる別の感情が働くようだ。極端な場所に行くところまで行っちゃうと。
何とかしようと、本棚から哲学者アランの「幸福論」を取り出して1ページから丁寧に読んでいった。
【最大最強の敵は自分自身である】、【まず自分が微笑まなくて、誰が微笑むのか】、【不安とは無意味な動揺である】、【幸せになると誓う】・・・。
たぶん、普段の凪の状態の時だったとしたら、こういうシンプルで飾り気のない言葉を聞いても、ただ右から左に受け流していただろう。「ふーん」と、特に気を止めることなく。
でも、心に深い空洞が出来ていて、生きていることに疲れ切っていると、こういう真っ当な箴言に心が落ち着いてゆく。
しっかし。それにしてもである。
いい歳した男が、未だに道に迷って人生をひたすら彷徨っているって、これ、一体なんなんだろう?
いい大人が無様すぎる。いい加減、悟らないと・・・。
ふと、真っ暗闇の天井を見つめながら考えた。
そうだよな、アランが言っているように、こういう自分自身を苦しめているもの、身体の中から這い上がって来る「真っ黒な塊のようなもの」、それって全部、自分が作り出したものに過ぎない。つまり、自分で自分を徹底的に傷つけているだけなんだ。
自分にとっての最大最強の敵は、やっぱり自分自身だ。自分が思った自分にしかならない。
ちょっとだけ、心が穏やかになってきた。
俺だって穏やかで幸せだと感じる瞬間を生きていたい。
それを阻止しているのは、もう一人の自分である。
どうしたら、自分の人生に納得できるんだ?
ああ・・・。