正直に書きます。
これまで、僕は、ちょっと深刻ぶった顔をしながら(もちろん、実際は見えないけれど)生は無常だとか、一切は過ぎ去るのだとか、生きる事に意味などないとか、訳知り顔で言ってきたように思います。そして、少し斜めに人生を構え、ふん!と突き放すように遠目で他人の人生を眺め、本当は他人の幸せが妬ましいくせに、そんな事は一切表面に出さず、うわべは平然とした顔で颯爽と歩いていたのです。
まるで、駄々っ子が泣き叫ぶように、あれが欲しい、これが欲しいと喚き続け、仮にその欲しいものが手に入ったら満足し、入らなかったら手に入れるまで泣き止まず、入ったら入ったで直ぐに飽き、何事もなかったようにポイと捨て去るのです。つまり、単なる阿呆です。馬鹿です。未熟者です。
でも、心の中はもうグチャグチャでした。
絶えず他人を意識し、幸せを妬み、自分と比較し、落ち込み、もがき、苦しみ、すべての責任を他人のせいにし、自分は被害者だと決め付け、自分を哀れみ、自分を卑下し、そうかと思うと、逆に自分を誇示し、悲劇のヒーローを演じ、同情を買おうと必死にアピールするのです。
だから、本当にもう心の中はグチャグチャでした。
本当は、大きな壁を越えて羽ばたきたいのに、それを超えるための努力もせず、責任転嫁を繰り返し、自分を責め、他人を責め続けてきたのです。
実は昨日の夜、独り部屋の中で天井を見つめたまま蹲(うずくま)っていました。テレビも音楽も、とにかく音という音そのものが煩わしく、シーンとした部屋の中でただ天井だけを見つめていたのです。
また、いつもの「アレ」が襲って来ました。
言いようのない、どす黒くて重々しい塊のようなものが、胸の辺りを這い上がって来るんです。これにはちょっと耐えられません。息苦しくなって、マジで何でもいいからしがみ付きたくなってきます。
圧倒的な、空虚感、孤独、寂寥感、絶望、そんな否定的な感情が、一斉に襲い掛かってくるんです。「来やがったか、このやろう!」という感じだけれど、勿論勝ち目はありません。
僕は、思わず作家であるサマセット・モームの大河小説、というよりも20世紀における世界文学の金字塔、「人間の絆」の最も気に入っていた部分を、またゆっくりと読み出しました。
何ていうのか、これまでも同じ言葉、同じ内容なのにも関わらず、今回は、はっきりと、そしてとても明瞭に「生きた言葉」として沁み込んでいきました。
ビックリしました。涙が流れてきました。それはこういう言葉でした。全部は書き切れないので、途中、端折る部分もあるのでご了承を。
『人生に意味など何もない。宇宙を突進している一恒星の、そのまた一衛星にすぎないこの地球上に、ある諸条件がそろった時、人間はただ偶然に生まれたものであり、したがって、他のある諸条件が整えば、それは永久に消えてしまう。人生も無意味なれば、人間の生もまた空しい営みにすぎぬ。生まれようと、生まれまいと、生きようと、死のうと、それはなんのことでもない。生も無意味。死も無意味。フイリップ(主人公の名前です)の心は喜びに震えた・・・。彼は完全に自由な人間であった。彼の存在の無意味さは、むしろ力と変わり、瞬時にして彼は、今まであんなに苦しめてきた冷酷な運命と立派に対等な立場に立った・・・』
文章はまだまだ続くのですが、最後に主人公フィリップは、幸福への願望を捨てることで彼の最後の迷妄を振り落としたのです。
何故か心が穏やかになりました。すーっと、黒い塊は去っていきました。
僕はこれまでの長い間、他人を操作し、他人が自分のほうを向いてくれることだけにその意を用いて来たように思います。
他人など変えることは出来ません。すべては自分の心だけが決めることです。だから、僕はもう幸福など一切求めません。今ただこの時間を生きてゆきます。
物凄く、物凄くきつかった。
本当に、本当に苦しかったんです。
死ぬかと思いました。
これまで、僕は、ちょっと深刻ぶった顔をしながら(もちろん、実際は見えないけれど)生は無常だとか、一切は過ぎ去るのだとか、生きる事に意味などないとか、訳知り顔で言ってきたように思います。そして、少し斜めに人生を構え、ふん!と突き放すように遠目で他人の人生を眺め、本当は他人の幸せが妬ましいくせに、そんな事は一切表面に出さず、うわべは平然とした顔で颯爽と歩いていたのです。
まるで、駄々っ子が泣き叫ぶように、あれが欲しい、これが欲しいと喚き続け、仮にその欲しいものが手に入ったら満足し、入らなかったら手に入れるまで泣き止まず、入ったら入ったで直ぐに飽き、何事もなかったようにポイと捨て去るのです。つまり、単なる阿呆です。馬鹿です。未熟者です。
でも、心の中はもうグチャグチャでした。
絶えず他人を意識し、幸せを妬み、自分と比較し、落ち込み、もがき、苦しみ、すべての責任を他人のせいにし、自分は被害者だと決め付け、自分を哀れみ、自分を卑下し、そうかと思うと、逆に自分を誇示し、悲劇のヒーローを演じ、同情を買おうと必死にアピールするのです。
だから、本当にもう心の中はグチャグチャでした。
本当は、大きな壁を越えて羽ばたきたいのに、それを超えるための努力もせず、責任転嫁を繰り返し、自分を責め、他人を責め続けてきたのです。
実は昨日の夜、独り部屋の中で天井を見つめたまま蹲(うずくま)っていました。テレビも音楽も、とにかく音という音そのものが煩わしく、シーンとした部屋の中でただ天井だけを見つめていたのです。
また、いつもの「アレ」が襲って来ました。
言いようのない、どす黒くて重々しい塊のようなものが、胸の辺りを這い上がって来るんです。これにはちょっと耐えられません。息苦しくなって、マジで何でもいいからしがみ付きたくなってきます。
圧倒的な、空虚感、孤独、寂寥感、絶望、そんな否定的な感情が、一斉に襲い掛かってくるんです。「来やがったか、このやろう!」という感じだけれど、勿論勝ち目はありません。
僕は、思わず作家であるサマセット・モームの大河小説、というよりも20世紀における世界文学の金字塔、「人間の絆」の最も気に入っていた部分を、またゆっくりと読み出しました。
何ていうのか、これまでも同じ言葉、同じ内容なのにも関わらず、今回は、はっきりと、そしてとても明瞭に「生きた言葉」として沁み込んでいきました。
ビックリしました。涙が流れてきました。それはこういう言葉でした。全部は書き切れないので、途中、端折る部分もあるのでご了承を。
『人生に意味など何もない。宇宙を突進している一恒星の、そのまた一衛星にすぎないこの地球上に、ある諸条件がそろった時、人間はただ偶然に生まれたものであり、したがって、他のある諸条件が整えば、それは永久に消えてしまう。人生も無意味なれば、人間の生もまた空しい営みにすぎぬ。生まれようと、生まれまいと、生きようと、死のうと、それはなんのことでもない。生も無意味。死も無意味。フイリップ(主人公の名前です)の心は喜びに震えた・・・。彼は完全に自由な人間であった。彼の存在の無意味さは、むしろ力と変わり、瞬時にして彼は、今まであんなに苦しめてきた冷酷な運命と立派に対等な立場に立った・・・』
文章はまだまだ続くのですが、最後に主人公フィリップは、幸福への願望を捨てることで彼の最後の迷妄を振り落としたのです。
何故か心が穏やかになりました。すーっと、黒い塊は去っていきました。
僕はこれまでの長い間、他人を操作し、他人が自分のほうを向いてくれることだけにその意を用いて来たように思います。
他人など変えることは出来ません。すべては自分の心だけが決めることです。だから、僕はもう幸福など一切求めません。今ただこの時間を生きてゆきます。
物凄く、物凄くきつかった。
本当に、本当に苦しかったんです。
死ぬかと思いました。