淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

三島由紀夫「豊饒の海」四部作の第一作「春の雪」を、行定勲監督が映画化するということ。

2005年10月31日 | Weblog
 三島由紀夫というより、日本文学における最高傑作のひとつと言っていいだろう。「豊饒の海」四部作。
 第一部「春の雪」、第二部「奔馬」、第三部「暁の寺」、そして最終章の第四部「天人五哀」。
 三島由紀夫は、この四部作を仕上げた後、あの衝撃の割腹自殺を図った。「豊饒の海」を書き終え、あとはもう思い残す事は何もないという言葉をも残して。
 僕がこの四部作を読んだのは、もう大分昔のことだ。
 輪廻転生。愛と死。虚無感。夢と現実。神秘主義。国家論。エロティシズム。もう幾つの言葉をここに並べても、並べ過ぎるということはない。
 圧倒的な物語。
 それぞれの言葉は研ぎ澄まされ、溶け合い、また別の姿に変質してゆく。
 
 そしてこの度、その第一作である「春の雪」が映画化された。
 それも監督が、あの「きょうのできごと」から「世界の中心で愛を叫ぶ」、それから「GO!」で映画賞を総なめした行定勲なのだという。
 うーん。

 大正初期の物語である。
 公爵家の松枝清顕と、美貌の令嬢、聡明な綾倉聡子の、切なくも儚い恋愛を描いている。
 当時の上流社会を舞台に、様々な思惑やちょっとした行き違いが招く、悲劇と破滅の物語である。
 映画は、丹念に、丁寧に二人の愛の行方を描く。
 竹内結子が綾倉聡子を熱演している。清楚で内に秘めた情念。抑えに抑えた演技が、逆に激しい愛を醸し出す。
 行定勲監督は正攻法で攻める。
 じっくりと、それから真正面に。
 松枝清顕が夜な夜な見る、夢の世界。そこに投影される「死のイメージ」。
 まあラストに流れる宇田多ヒカルの楽曲は、ご愛嬌だとしても。
 とにかく、2時間以上の少し長めの映画ではあるけれど、飽きさせることなく見せてくれる。

 ただ、ちょっと複雑な心境ではある。
 このあと小説は、生まれ変わり、つまり輪廻転生を繰り返してゆくのだ。映画の中では脇役であった本多繁邦を前面に据え、松枝清顕の生まれ変わりが主人公としてまた現れる。
 つまり、この「豊饒の海」は四部作をもって、一つの大きな大河小説を成してゆくのであり、「春の雪」の一作をもって完結しているわけでは決してない。
 勿論、そんなことなど百も承知で、この映画は製作されたのだろうけど。
 だから、映画的に独立した一本の映画であることは当然認めるけれど、その四部作の経緯(いきさつ)を知っているのと知らないのとでは大きな差が出るということは否めない。

 確かに、そんなのお構いなしでも、それはそれで正しいですけど。

 
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