昔はディスコが大好きだった。
毎日のように踊りに行ってた時機があったのである。
今では完全に「ディスコ」なんて言葉は死語になってしまったけど、1970年代後半のディスコブームからファンキーに移行した時分まで、僕はマメに通ったものだ。
友達に物凄いとしか言いようのない「超ソウル通」がいて、2人で金曜日や土曜日の夜は朝まで踊りあかした。
当時、六本木のロアビルにあった「アフロレイキ」や赤坂の「ムゲン」、それから新宿にあった「ミルキーウエイ」。
勿論、場所や店によって嗜好が少し違っていて、ディープなソウルをかける店もあったし、その頃はやった最新ヒットナンバーを中心にかける店とか、それは様々だったけれど。
夜明けの始発電車を待ちながら、僕たちはそれでも高揚した気分が抜け切らず、ちょっとした仕草で笑い合い、早朝の冷たい風に身を任せ、漲る力のやり場に苛立った。
いつまでも若さが続いてゆくと思っていた。明日の事なんて全く考えなかった。
不安も孤独も空しさもあるにはあったけれど、今のような、淀んだ気持ちだけは絶対抱かなかったように思う。
マイケル・ジャクソンの「スリラー」は、1982年の作品である。
その頃、僕はもう東京の街から厳寒の故郷に戻って来ていて、現在の職場で働き始めた辺りで、たまに東京に出掛けては友達と何度か踊りにも行っていた。
でも、もうあの頃のような情熱はなかったけれど・・・。
どちらかと言えば、僕はこの怪物セールスを記録した(37週にわたる第1位、トップ10シングルが7曲!)アルバムよりは、前作の「オフ・ザ・ウォール」の方が大好きだ。
マイケル・ジャクソンの「オフ・ザ・ウォール」というアルバムは、何故か甘い苺ケーキを想像させる。特に理由はないけれど、今でもそのイメージが強い。
プロデュースをしたクインシー・ジョーンズの力の為せる技だけど、一つ一つの曲がこの「スリラー」でもキラキラと光っていて、駄作が全くないというのが凄い。
当時、「ベストヒットUSA」で初めて「スリラー」のビデオ・クリップを見せられた時は正直ぶっ飛んだ。
映画監督のジョン・ランディス(「アニマル・ハウス」の監督)が作った映像は、まるで一本の短編映画を観ているようで、確かにお金も掛けているのだろうが、半端な作り方じゃなかった。
今のマイケル・ジャクソンには、もうこの頃の面影などひとつもない。
どうしようもなく無残で悲惨である。
マイケル・ジャクソンは「スリラー」で終わったのかもしれない。
それはまるで青春の終焉のようだ。
毎日のように踊りに行ってた時機があったのである。
今では完全に「ディスコ」なんて言葉は死語になってしまったけど、1970年代後半のディスコブームからファンキーに移行した時分まで、僕はマメに通ったものだ。
友達に物凄いとしか言いようのない「超ソウル通」がいて、2人で金曜日や土曜日の夜は朝まで踊りあかした。
当時、六本木のロアビルにあった「アフロレイキ」や赤坂の「ムゲン」、それから新宿にあった「ミルキーウエイ」。
勿論、場所や店によって嗜好が少し違っていて、ディープなソウルをかける店もあったし、その頃はやった最新ヒットナンバーを中心にかける店とか、それは様々だったけれど。
夜明けの始発電車を待ちながら、僕たちはそれでも高揚した気分が抜け切らず、ちょっとした仕草で笑い合い、早朝の冷たい風に身を任せ、漲る力のやり場に苛立った。
いつまでも若さが続いてゆくと思っていた。明日の事なんて全く考えなかった。
不安も孤独も空しさもあるにはあったけれど、今のような、淀んだ気持ちだけは絶対抱かなかったように思う。
マイケル・ジャクソンの「スリラー」は、1982年の作品である。
その頃、僕はもう東京の街から厳寒の故郷に戻って来ていて、現在の職場で働き始めた辺りで、たまに東京に出掛けては友達と何度か踊りにも行っていた。
でも、もうあの頃のような情熱はなかったけれど・・・。
どちらかと言えば、僕はこの怪物セールスを記録した(37週にわたる第1位、トップ10シングルが7曲!)アルバムよりは、前作の「オフ・ザ・ウォール」の方が大好きだ。
マイケル・ジャクソンの「オフ・ザ・ウォール」というアルバムは、何故か甘い苺ケーキを想像させる。特に理由はないけれど、今でもそのイメージが強い。
プロデュースをしたクインシー・ジョーンズの力の為せる技だけど、一つ一つの曲がこの「スリラー」でもキラキラと光っていて、駄作が全くないというのが凄い。
当時、「ベストヒットUSA」で初めて「スリラー」のビデオ・クリップを見せられた時は正直ぶっ飛んだ。
映画監督のジョン・ランディス(「アニマル・ハウス」の監督)が作った映像は、まるで一本の短編映画を観ているようで、確かにお金も掛けているのだろうが、半端な作り方じゃなかった。
今のマイケル・ジャクソンには、もうこの頃の面影などひとつもない。
どうしようもなく無残で悲惨である。
マイケル・ジャクソンは「スリラー」で終わったのかもしれない。
それはまるで青春の終焉のようだ。