村上龍が「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞を獲った時は衝撃的だった。
僕はそれを、その当時付き合っていたガールフレンドの寮の部屋で読んだ。
何故だかよく分からないけれど、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」の小説のことが頭を過ぎると、いつもその時の情景も一緒になってついて来る。とても不思議だ。
その寮というか、アパートごと借り上げられた家は、女子大の音楽科の学生だけが住んでいて、ガールフレンドの部屋もピアノやヴァイオリンや楽譜で埋まっていた。
当然、男子禁制だったけれど、大きなアパートを丸ごと女子大で借り上げていたから、特に管理人がいるわけでもなく、割と自由に出入り出来たのである(もちろん、若干の後ろめたさがあったので、ほかの女子学生に見つからないよう、こっそり通っていたけれど・・・)。
僕は、学校にも行かず、ひたすら遊び呆けていたから、彼女が講義で学校に行っている間、部屋の中に独りぽつんと篭り、本を読んだり、漫画を読んだり、飽きると昼寝をしたり、小さなヴォリュームでテレビを見たりして過ごし、それにも飽きて来ると、彼女には何も告げずに自分の家へと帰り、友人たちとつるんで街へと繰り出していた。
あの頃、霧のかかったような不透明な未来に対して、ほんのちょっとの不安や焦りはあったけれど、それでも僕は強気だった。
何とかなる。ただ漠然と人生をそんなふうに考えていた。
ただし、サラリーマンだけには絶対なるまい、そしてその中でも、公務員だけは死んでもなるまい、そう固く心に誓っていた。
そして、いつの日か、自分の中に沸き立っている、どうしようもない苛立ちや後悔や思いのようなものを、小説や映画という媒体を使って表現したい、単純にそんなことを夢想しては悦に浸っていたのである。
磯崎憲一郎の第141回芥川賞受賞作「終の住処」は、とても短い小説だ。
ある男が、ある女性と結婚し、それからの長い長い結婚生活を描いている。つまり、一人の男の人生を描いている。
ただそれだけの小説だ。
製薬会社に勤め、仕事に埋没し、妻が女の子を産み、それでも男は別の女性と浮気をし、二人は終の棲家となる家を買う。
そして、何故か妻は、彼と11年間に渡り、一切口をきかなくなる!
小説は、時間を急ぎ足で進め、二人のその後の人生を冷めた視点で見つめてゆく。ゆったり、そして静かに流れてゆく。
凝縮され、短く削ぎ落とされた言葉が、ページの中から静かに浮き立ち、静謐で、とても冷たい質感が文体に漂う。
磯崎憲一郎は、時間の流れを絶えず意識しているように思えるのは、彼の文藝賞を獲った小説「肝心の子供」を読んでみてもよく解る。
時間・・・。
そういえば、同じ芥川賞作品「限りなく透明に近いブルー」は、当時の彼女の部屋にあった本だった気がする・・・。
今頃、どこで何をしているんだろう?
終の棲家は、見つかったのだろうか?
幸せに暮らしているんだろうか・・・。
僕はそれを、その当時付き合っていたガールフレンドの寮の部屋で読んだ。
何故だかよく分からないけれど、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」の小説のことが頭を過ぎると、いつもその時の情景も一緒になってついて来る。とても不思議だ。
その寮というか、アパートごと借り上げられた家は、女子大の音楽科の学生だけが住んでいて、ガールフレンドの部屋もピアノやヴァイオリンや楽譜で埋まっていた。
当然、男子禁制だったけれど、大きなアパートを丸ごと女子大で借り上げていたから、特に管理人がいるわけでもなく、割と自由に出入り出来たのである(もちろん、若干の後ろめたさがあったので、ほかの女子学生に見つからないよう、こっそり通っていたけれど・・・)。
僕は、学校にも行かず、ひたすら遊び呆けていたから、彼女が講義で学校に行っている間、部屋の中に独りぽつんと篭り、本を読んだり、漫画を読んだり、飽きると昼寝をしたり、小さなヴォリュームでテレビを見たりして過ごし、それにも飽きて来ると、彼女には何も告げずに自分の家へと帰り、友人たちとつるんで街へと繰り出していた。
あの頃、霧のかかったような不透明な未来に対して、ほんのちょっとの不安や焦りはあったけれど、それでも僕は強気だった。
何とかなる。ただ漠然と人生をそんなふうに考えていた。
ただし、サラリーマンだけには絶対なるまい、そしてその中でも、公務員だけは死んでもなるまい、そう固く心に誓っていた。
そして、いつの日か、自分の中に沸き立っている、どうしようもない苛立ちや後悔や思いのようなものを、小説や映画という媒体を使って表現したい、単純にそんなことを夢想しては悦に浸っていたのである。
磯崎憲一郎の第141回芥川賞受賞作「終の住処」は、とても短い小説だ。
ある男が、ある女性と結婚し、それからの長い長い結婚生活を描いている。つまり、一人の男の人生を描いている。
ただそれだけの小説だ。
製薬会社に勤め、仕事に埋没し、妻が女の子を産み、それでも男は別の女性と浮気をし、二人は終の棲家となる家を買う。
そして、何故か妻は、彼と11年間に渡り、一切口をきかなくなる!
小説は、時間を急ぎ足で進め、二人のその後の人生を冷めた視点で見つめてゆく。ゆったり、そして静かに流れてゆく。
凝縮され、短く削ぎ落とされた言葉が、ページの中から静かに浮き立ち、静謐で、とても冷たい質感が文体に漂う。
磯崎憲一郎は、時間の流れを絶えず意識しているように思えるのは、彼の文藝賞を獲った小説「肝心の子供」を読んでみてもよく解る。
時間・・・。
そういえば、同じ芥川賞作品「限りなく透明に近いブルー」は、当時の彼女の部屋にあった本だった気がする・・・。
今頃、どこで何をしているんだろう?
終の棲家は、見つかったのだろうか?
幸せに暮らしているんだろうか・・・。