淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

映画「ドアーズ/まぼろしの世界」を新宿武蔵野館で観る。観終わって即CD購入しちゃった。

2010年11月27日 | Weblog
 11月の初め、新宿で映画を観た。
 監督がトム・ディチロ、それからナレーションがジョニー・ディップ。ドキュメンタリー映画である。
 映画のタイトルは、「ドアーズ/まぼろしの世界」。

 僕が初めてドアーズを聴いたのは、学生の頃住んでいた板橋区大山のアパートだった。
 僕は前にも言った事があったけど、こういう、音楽を媒介にした過去の記憶だけは何故か今でも鮮明に覚えてる。
 とにかく、はっきり目に焼き付いている遠い昔の若かりし頃の記憶は、音楽と一緒になった場合だけ、いつも心の引き出しの中に綺麗に整理整頓されているのである。
 不思議だ。

 NHKのFMで、「ドアーズ」のファースト・アルバムを全曲流していた。
 朝の11時(確か)、僕は朝昼逆転した生活の中、ベッドに潜って、ラジオから流れるジム・モリソンの声をただひたすら聴いていた・・・。
 暗くてとても寒い冬の日だったと思う。

 ジム・モリソンの歌声は、深い井戸から聴こえて来る気がして気が滅入った。爆発しそうなエネルギーを秘めながら、何かに悶え苦しんでいる様を歌に託しているようにも感じられた。
 でも、あの頃の僕にとっては、心から求めている音楽ではなかった。
 だから、僕はその後ほとんどドアーズには目を向けてこなかった。

 もう、あれから何年の月日が流れたことだろう・・・。
 あの頃の夢や理想はとっくに潰(つい)え、こうして僕は毎日、ネクタイを締め、背広に着替え、冬の寒い朝、身体を縮めて仕事場へと向かっている。
 暗鬱な顔で、気だるそうに・・・。

 至極当たり前の結果だけれど、結局僕はこうして、今でもこの街で燻(くすぶ)り続け、何も産み出すこともなく、ぐだぐだとした日常を過ごしている。

 ドアーズは、1967年に登場した。
 アメリカロサンゼルス出身のこの四人組ロックバンドは、常に観客を挑発することで、そのパフォーマンスは一部のマスコミや大人たちから徹底的に排斥され、非難を浴び続けてきた。

 そのバンドの中心にドカンと居座り、常に異彩を放ち続けていたのが、ボーカルのジム・モリソンだ。
 UCLAの映画学科で顔見知りだったモリソンとマンザレク、それから「サイケデリック・レンジャーズ」というバンドで活動していた、クリーガーとデンズモアが加わり、「ドアーズ」は世に出る。

 デビューアルバムは「ドアーズ」。邦題は「ハートに火をつけて」。
 「ブレーク・オン・スルー」、「ハートに火をつけて」、「ジ・エンド」もこのアルバムには収められ、当時一大センセーショナルを巻き起こした。

 映画「ドアーズ/まぼろしの世界」は、全て当時のフィルムだけを使い、「ドアーズ」の凄まじいステージの模様や生の日常生活を追ってゆく。
 麻薬とアルコール漬けになり、ぼろぼろの肉体を世の中にかざしながら、ジム・モリソンはステージの上でのた打ち回り、絶叫し、観客を扇動し、自らの局部を曝け出した。
 当然、彼は公然わいせつ罪(アメリカでの罪状名は知らないけれど)で逮捕され、裁判となる。

 ジム・モリソンは、様々な外圧から心身ともに疲れ切り、ヘロインが原因で(あくまでも有力な死因説)パリの街で亡くなってしまう。

 絶頂期から数十年経った今でも、「ドアーズ」の評価は高まったままだ。
 今でも、「地獄の黙示録」を含め、映画など様々な媒体で彼らの楽曲は使われている。
 そしてその音楽は、まったく古さを感じさせない。

 ジム・モリソンも、ジミ・ヘンも、ジャニス・ジョプリンも、60年代を疾走したロック・アーティストたちの一部は、既に亡くなってもうこの世界にはいない・・・。

 死んだ彼らはみんな、伝説となった・・・。





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