CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

善意と現実の間でつらつら考えたこと。。。

2016-11-21 09:52:00 | 日記
今日は、ゴミ収集の日。
9時過ぎにやって来る収集車。
そこらじゅうのごみをまとめて・・・出した。
だいたい月曜日と木曜日はこれをやり切ると
一日の仕事をすべて完了した気分になる。

つまり、私の中で、毎日こなせる課題は一つなのかもしれない。

お弁当を作るか・・・迷いながら、ブログを書いている。

インターネット上で、たくさんの善意をもとめる活動がアップされるたびに
あれもこれも協力したくなる・・・が、そんな余裕はなく、
なにしろ、石巻に歌いに行くことで、
私に暮らしはマイナス会計になるくらいな状態なので、
その経済状況の中で、できることはないもない。

善意って難しいなぁ・・・
自由主義・資本主義・自由競争社会だから・・・
民間の何とか団体が増えていくことになる。

自治体や国に働きかけても限界があるから、
政治のことを口にしたり、政治活動をするとなんとなく浮いちゃうから、
自分の意志で、政治とはかかわらないところで、善意を結集して活動する。

インターネットで呼びかけもできる。

私は、いろんなそういった団体に協力もしたいし、
できる時にはしてきたんだけど・・・
なんとなく、経済的にボディーブローはかなり効いてきて足元ふらふら(^^ゞ

それでも、『いい人』でいたいという自分がそこにはいて・・・『いい顔』をしてしまう。

結局、これ・・・私の若い頃からの疑問だったような気がする。

高校卒業時・・・ハンデをもった子どもたちの教育にかかわりたいと思っていながら、
家庭の事情で就職をすることになり、夜学へいけばいいと思ったが、そんな根性はなく
卒業までに学費のためにと稼いだバイトの貯金で一人旅に行く。
そこで、出会った福祉施設で働く方が、自分の夢を追えなくなった私に、
「ボランティアの方が来てくれるから、施設はとても助かるのよ。
いろんなところにあなたのような人(つまり志のある人という意味だろう)が来てくれたら
本当にみんな助かると思うのよ。」と言った。
なるほど、そうかと思った。

しかし・・・その対極で、
ボランティアや人の善意に頼らなければいけない『国』ってなんだろうとも思うわけで、
人々が余裕があり、国民がすべて、文化的で豊かな平和な安心できる暮らしが保証されていて
そのうえで、みんなの心にも余裕があって、そのうえで、生まれてくる善意が、
さらなる豊かさを生む・・・なら、それこそ、善意とかボランティアっていいもんだと思えるわけで、

なんか・・・来月の支払い大丈夫かな、年を越せるかな・・・
あと何年このローン確実に払えるかなとか・・・そんなこと思っている私が、
この活動いいなぁ・・・と思いFBでシェアしたりいいね!したりして
賛同メンバーとして登録すると電話がかかって来る。

もちろんそれは経済的支援の要請だ・・・

そのたびに私は、自分にできることはないだろうかと無理をしてしまう。
そして疲弊していく。

個人が自由に主張できる活動できる表現できるそれはとても素晴らしいことだけど
一方で、そこには万人に豊かで文化的な暮らしが、保証されていることが絶対条件で
それを担うのが政治であり、国なんだと・・・思うわけです。

何が言いたいのかよくわからないが、
そんなこと言いながらも、私は、雨露しのげるお家で、
食べるものに困っているというほどでもない、今のところ。。。
仕事もあり、歌も唄っているし、病気になれば保険証だってあるし、医者に行くことができる。
大きな病気になって、お金がたくさんかかることになったら・・・即、つんじゃうけど(^^ゞ

もちろん、ボランティアや善意や民間団体を否定するものでも非難するものでもない。
今の政治情勢と経済の仕組みが変更されないかぎり、『善意』に頼らなければ、命も繋げない現状もある。

若い頃から・・・自分の中にいくつもの思いを抱えている。
どちらか、一方が正しいんだと言い切れず、いつもそんなものを転がしながら、貧乏している。
結局金がなきゃ何もできないってことだろ・・・金だろ・・・と、言われそうだが、
そうじゃないんだ・・・私の求める豊かさは、個人が金持ちになることにはないんだ。
地球が、豊かになること。
お金なんかには換算できない宝物が守られ、豊かになることなんだ。
それは・・・もちろん、心も。
そういったものが豊かになることこそが、私の願いなんだと思う。

とはいえ・・・善意で活動する方たちに経済的な協力ができなくて、
あ~宝くじ当てたいなぁと思う私なのでした(^^ゞ

さぁて・・・お弁当作ろっと。
無駄遣いはしないとうにしないとね(^.^)