CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

シャンソンを日本語で歌うことの難しさ。

2016-01-20 05:20:00 | 表現にからむ様々なこと
久しぶりに・・・歌のこと、書いてみようかな・・・

『黒い鷲』というバルバラの歌がある。
『黒い鷲』を知らない人には、あるいは、歌ったことのない人には、
わかりにくいマニアックな話かもσ^_^;

バルバラについて・・・ではなく、
岩谷時子さんの訳詞で、歌う時のことなんだけど・・・
いろんな教室で、シャンソンを勉強されている方たちのほとんどが、
岩谷時子さんの訳詞で歌われていると思う。
その歌いだしは『いつか忘れたけど』
フランス語だとこの部分は多分『Un beau jour, ou peut-etre une nuit,』
直訳すると、『ある日、あるいは夜だったか』みたいな感じだと思う。
夢か現(うつつか)みたいなことなんだけど、
岩谷さんは『いつか忘れたけど』という言葉に置き換えている。
フランス語では、カンマ( ,)がちゃんとあるように、
バルバラの歌はここで切れる。
ここで考えたいのは、『いつか忘れたけど』という日本語は、
『いつか』で切るのは、たいそう技術が必要だってことだ。
『いつか忘れたけど』というのは、センテンス、ひと続きの言葉なのだ。

つい、私も切ってしまう。
何度も反省するが、切った方が歌っていて、収まりがいい。
当然フランス語で歌う場合カンマがあるのだから、切っても問題はないし
メロディはフランス語で歌うために綴られている。
ましてやバルバラだ、独特の語り口に寄り添って、メロディが出来上がっている。
つまり、切った方が、楽だし、気持ちよく感じてしまうメロディ。。。

しかし、それでは日本語が滅茶苦茶になる。

表現として意識的にこの部分を切って歌っていらっしゃる方もいるのだろう。
それはそれで、良いことである。
私には、その技術がない。
『いつか』と切ってしまった瞬間に、その『いつか』は未来の『いつかある日』になる。
『いつか』で切って、それを『いつのことだったか』と表現するのは、至難の技だ。
『いつか忘れたけど』となって初めて『いつのことだったか』になる。

この歌の最後にピアノとの掛け合いになる。
その部分は、『いつか』・・・『忘れたけど』・・・となる。
ワンセンテンスを切らざるをえない。
ただ切って、待っていてはいけないのは、当然の事として・・・
その時間をどう過ごせばいいんでしょうねぇ。。。
『歌う』って、簡単じゃないなぁ・・・って思うわけで、
シャンソンを日本語で歌うという作業は、
難しいなぁとつくづく思うわけです。

歌い出しの部分、何度も自分で確認するのだけど、
レッスンでピアノが奏でられると・・・楽をしてしまう。
楽をして、変な日本語で歌ってしまう。
変な日本語で歌うなんて、決して楽じゃないと思うんだけど、
ピアノに寄りかかってしまう。
メロディに甘えてしまう。
歌い手は『ことば』が命だもの、
もっとちゃんとしなきゃと思うわけです。
そして、始まってから、終わるまで、しっかり時間を埋めないと・・・

5月のライブの一曲目は、『黒い鷲』
その冒頭でこんな調子・・・どうなることやらですが、
この悩む時間が快感なのだから、しょうがないですね(^^)

さぁ、今日は国技館へお出かけです。
真っ向勝負を期待して・・・いってまいります(^^)