CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

自分の声で歌うということの難しさ

2015-09-20 07:01:34 | 表現にからむ様々なこと
自分の唄っている録音を聴いていて、
うそっぽいなぁ・・・と思うことがある。
曲全体の時もあれば、ある言葉で嘘っぽくなったりする。
私は、音が外れるかどうかより、この『嘘っぽさ』が許せなかったりするわけだ。

感情が伴わない、あるいは、
感情を表現しようとしているだけで、心が動いていない・・・
そんな状態が、歌っている時間に流れていて・・・まったくもって、聴くに堪えない。

歌の物語の中の細やかな感情の動きの時もあれば
歌っている私自信のその時の私の感情の時もあるのだが、
その声が、ただの声でなく、感情をともなう自分の声であることが重要だ。

音を外さないようにとか
リズムを外さないようにとか
上手に歌わなくっちゃなんていう・・・
雑念があると、とたんに自分の声ではなくなってしまうわけだ。

歌を歌う多くの人が、
音を外さないようにとか
リズムを外さないようにとか
上手に歌いたいと思っている事は間違っていないし
それを否定しているのでも何でもない。

私自身の『表現』にたいする課題というか、
自分の『表現』に求めているものというか。

芝居の稽古をしていて、演出が私の芝居をとめるとき・・・
それは、『嘘』が見えた時・・・『それっぽく芝居をした時』・・・

つまり
悲しそうに演技をしたり、嬉しいふりをしたりすると、止められる。
そこに真実がないといけない。
本当に悲しくなったり、嬉しくなったりしないといけない・・・

そして
なりきるのではなく、陶酔するのではなく、
自分が何をどうしているのかを、もう一人の自分のコントロール下でそれを演る。

芝居ってそういうものだから、
私の表現の基本はそこにあるから・・・

歌もそれを求めるわけですね。
芝居は、私の表現の『ルーツ』で
歌は、私の表現の『ツール』なわけですから。

歌い始めた頃、歌詞を覚えられることを褒められたりしたけれど、
覚えなければ、表現にならないから、覚えることが目的ではなく
覚えて唄うことが目的でもなく、表現することが目的なわけだから、
覚えないと始まらないわけです。
台本持って、芝居してる人、いませんよね。
芝居の稽古が進む段階で、うっすら台詞が入ったら、台本は離します。
台詞を気にして台本に目が行った瞬間に『嘘』になりますからね・・・

自分の身体で、覚えるわけです・・・
相手の台詞や芝居で、自分の反応が変わることもあるわけです。
自分がやろうと思っていた芝居を一人でやったところで、
相手がいることですから、『嘘』だらけになってしまうのが芝居です。

そんな表現に対するの根っこがあるから・・・

自分の歌を聴いていて、あちゃぱ~っとおでこを叩きたくなるし、
マジギレしながら、自分の歌を聴いていたりするわけです。。。

音楽には、たぶん音とリズム、『時間の約束』がある。
その中で、その約束事の中で表現するのだから、結構、大変な話だ。

わけのわからんところで、伸ばしたり、
感情の伴わないまま、声をはったり、
とにかく、『嘘』になってしまう場面が多すぎる(笑)

嘘にしないための第一歩が、自分の声で歌うということなんだと思うが
これが、意外に難しい・・・

自分の声で言葉を語ることができなければ、
意識された、コントロールされた言葉でありながら、
そこに感情をあたえなければならない。
もちろん、あえて感情を排除して、表現することもあるが・・・

自分の声で歌う・・・
これって、とっても難しいことだなぁ・・・
と感じている今日この頃の私でありました。

寝る前にブログ書いて・・・
朝起きてブログ書いて・・・

そうそう、ブログに書かないけど、
私はラグビーワールドカップで日本が南アを破ったことに
秘かに激しく、静かに興奮して、喜んでおります・・・
ラグビー・・・好きです。
ルールが変わってから、
ラグビーを知らない人にも楽しめるようになった気がするんだけど
テレビ中継とかあんまりないからなぁ・・・
とにかくです、凄いことなのであります。。。朝から、実は興奮している私です(^^ゞ

さぁさ、職場は、毎日忙しい・・・

昨日、夜勤さんから、ケーキとコーヒーの差し入れ!(^^)!

地獄のように忙しいシルバーウィーク・・・
私の大好きなケーキ屋さんのケーキで、なんとか乗り切れそうです!
Nさん、ありがとう(*^。^*)

そろそろ、出勤準備して、出かけるとしましょう(^^)/