CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

だんぼっちで初発声練習!(^^)!

2015-09-01 08:08:15 | 表現にからむ様々なこと
自分の寝言・・・聞きながら目が覚めることって、たまにある。
私の父は・・・ずいぶん前に亡くなった・・・
その父は・・・なめくじが苦手だった・・・
そんな父を見て、なんでそんなに、なめくじ・・・怖いのかなぁって思っていた。
昨夜・・・もう明け方だった、私はなめくじの夢を見た・・・
その恐怖といったらなかった・・・私は、悲鳴を上げた。
その悲鳴で目が覚めて・・・あ、私も実はなめくじ怖いんだ・・・と思った。

さて、声を出すことが、怖かった私。
『だんぼっち』ができあがったのに、発声練習をすることができなかった私。

その怖さは、どこから来るのだろう。
『恐怖』を克服するきっかけは、なんなのだろう。
どうしたら、いいのだろう・・・
発声練習ができなければ・・・
発声練習をしなければ・・・

毎日、気分が沈むばかりだった。

いろいろ考えた・・・
自分を励ましてみた・・・

それらは、怖さを克服するには至らなかった。

8月30日・・・
国会前では12万人の人が集まった。
戦争をする国にしてはならないと・・・
たくさんの人たちが集まった。

私のFBには、たくさんの人たちがアップした動画が届いた。

そのなかに、自由の森学園の子どもたちが唄う『ケ・セラ』があった。

彼らの歌声を聴くうちに、私はなぜ歌うのか・・・と自分に問うことになった。

邦子が表現したくなるまで、じっとしていていいよ。
邦子が表現したくなったら、いつでも応援するよ。

そう言ってくれた、スタッフがいた。

そう・・・私は、大切なことを見失いかけていた。

板に立つということ
表現すること

『今』を生きている『私』が、表現するということ・・・
表現したいことがあるから、発声練習を怠ってはいけない。
表現したいことがあるから、身体を鍛えなければならない。
私は、表現したいことがあるから、歌うんだ・・・

自由の森学園の子どもたちの歌声が、私にそのことを思い出させてくれた。

愛といのちと平和のために・・・彼らは『ケ・セラ』を心から歌っていた。

私は、少し前から、プログラムを見直し始めていた。
そして、確信した・・・プログラムを変えよう。
間にあわないかもしれない・・・でも、変えることにしよう。

てっちゃんのところに昨日、身体をほぐしてもらいに行き、
ライブの話をした・・・てっちゃんが、ふと『私のこと』・・・話してくれた。
BABAなら、こんな表現ができるのではないかと、秘かに思っていると話してくれた。
(てっちゃんは、私の事『BABA』と呼ぶ・・・まぁ、いっか(笑))

お隣からの苦言に怯えていた私に
友人のライブやら、友人からの心配の声や、自由の森学園の子どもたちの歌声や
いろんなあれこれが、『私』を取り戻すきっかけをくれた。

発声練習・・・昨日、できました。

吸音材に囲まれた小さな空間は、声が響くことはない。
反響で気持ち良くなることができないわけで、
言葉を大切にするのには、とてもいい環境だと気が付いた。

私にとって、『だんぼっち』をとりいれたことは、一石二鳥でありました。

外への声の漏れ方については、
だんぼっちがない状態で雨戸を閉めた状態より、
雨戸を閉めずにサッシとカーテンのみで
『だんぼっち』で声を出す状態の方が、漏れなくなっているとのこと。

サッシを閉めてカーテンを引いて、だんぼっちにこもる・・・
そんな私の毎日が、これから始まります・・・

あ・・・宣材の発送は来週にしましょう。
慌てずに、一人一人の方にひと言を・・・添えましょう。

さぁ・・・どんなライブになるのやら・・・
わがまま勝手な『CuniCo’s world』
みなさんどうぞ、おたのしみに・・・