CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

レッテル

2012-10-31 06:33:39 | お相撲(スポーツ)のこと
一昨日、大相撲の番付発表があった。
相撲ファンの私は、よし!と思う日だ。

私が秋場所の打ち上げパーティに参加したのは、
『阿武松部屋』である。
この部屋の名前を聞いて、ピンとくる(?)方も少なくないと思う。
数年前、相撲界を揺るがした『野球賭博』で注目を集めた部屋だ。
部屋の床山や力士が深く関わっていた。

そのこともあってか、私が『阿武松部屋』の話をすると反応は・・・

あの時、処分されるべきは、処分された。
これまでの相撲の歴史の中で、かなりの改革がされた出来事だった。
そして、これからも歴史と伝統を守りながら、時代と共に変化していくと思う。

それなのに今だ『阿武松部屋』のイメージは、良くないらしい。

私は、ひょんなことから打ち上げパーティに参加して
阿武松親方や女将さんに直接ご挨拶をする機会を得た。
その人となりを垣間見る機会を得て応援したいと思った。

一昨日、町田後援会の方から、
親方がデザインした『夢』という字が描かれたマグカップと浴衣の反物をいただいた。
先場所、成績がふるわなかった『阿武松部屋』の力士たち。
前へ!前へ!    自分の信じる相撲を思いっきりとって欲しいと願っている。

日馬富士が新横綱として、登場する。
鶴竜も本来の相撲を取り戻しその技とセンスを見せて欲しい。
もちろん白鵬の美しい横綱相撲も楽しみだ。

こう書くと、モンゴルばかり・・・との声が聞こえてきそうだ。
日本人かモンゴル人かヨーロッパ人か・・・そんなレッテルもいらない。
土俵に立ったら、日頃の精進の、裸のぶつかり合いだ。


話は、ずいぶんそれるが、15年くらい前の出来事。

京都の鴨川で、
名古屋刑務所を出て京都に流れ着いたという男性と
全国を行脚しているというお坊様と
土手に座り込んで、鴨川を見ながら、ポツポツとおしゃべりをした事がある。

名古屋刑務所を出た彼は、仕事を探したが見つからず、たどり着いたのが京都だった。

私はその時、職場の研修で京都の大きなホテルに宿泊していた。
夕食(宴会)の喧騒が嫌で、一人になりたくて、鴨川の土手にいた。
夜中まで、とりとめもない話をして、ホテルに戻った。

翌早朝、鴨川の土手にいった。

その日は、お坊様の誕生日。
川の水で体を清めているお坊様に「おめでとうございます」と挨拶し
京都に流れ着いた彼に「おはようございます」と声をかけた。
すると、彼は・・・
「やり直しなんてできるものじゃない。『ムショ帰り』の自分を雇ってくれるところなんてない。
何の役にも立たない自分。自分で死ぬこともできない自分が情けない・・・」
と言った。そして、
「それでも、こんな自分の話を聞いてくれる人がいた。ありがとう。」
と言って、お坊様に手を振って、私に笑顔を見せて、上流の方へ歩いていった。

ホテルでの豪華な朝食を目の前に、なんとも言えない気分だった。合掌してからいただいた。

小学生のとき『区別と差別』というタイトルの詩を書いた。
今思うとなんとも生意気な・・・
でも、あの時の思いのまま、今の自分がいる。
レッテルは、『差別』に通じる。
区別、つまり『差を認識して尊重すること』は大切だと思っている。

『阿武松部屋』というと「あ~~~あの野球賭博の部屋ね」そんな風に言われるたびに
私の頭の中は、様々なことを思考する。

今年の締めの九州場所・・・がんばれ!阿武松部屋!