私には、お守りの首飾りがある。
ネックレスとかペンダントではなく、まさしく首飾りだ(^.^)
photoを添付しようかと思ったが、お守りの力が分散してもいけないので、やめた(笑)
私は、子どもの頃、田園調布カトリック教会の
土曜学校(日曜学校もあったが私は土曜日)に通っていた。
洗礼を受けたわけではなく、信仰もなかった我が家だが、
お転婆で塀の上を歩き回る私を持て余した親が、知人の紹介で通わせたのだろう。
その土曜学校での記憶に残る人名は『アブラハム』である。
長髪だった彼は、自分の力はこの長髪によるものと信じていた。
あるとき牢に入れられ、夜寝ているうちに髪を切られてしまった。
自分は、力を失ったと思い落胆するが、試してみると自分には以前と変わらぬ力があった。
というお話が。。。旧約聖書のアブラハムのことであると私は思い込んでいる。
特に必要もないから、調べていない(笑)
そして、なんて素敵なお話なんだと子供心に思い、その名前を記憶しようと努力した。
「油でハムを焼く・・・油でハムを焼く」と何度も心で繰り返した。
で、翌週の土曜学校。
「先週お話した人の名前を覚えていますか?」とシスターが聞いた。
みんなシーンとしている。私は・・・
「なんだっけ?あんなに一生懸命覚えたのに・・・邦子のバカバカ。なんだっけ?」
と必死で考えた。
シスターが「アブラ・・・」というと、私はすかさず「ハム!!」と言った。
「よく覚えていましたね。」とシスターに褒められた。
私は、2年前のXmasに「はい、お守り」と渡された首飾りを信じている。
一日だって忘れてことはない。
洋服に合わない日は、カバンに忍ばせている。
だから、無いとふと不安になる。アブラハムが髪を失った時のように。
あすナレーションをする琵琶の曲紹介で似我蜂の話が出てくる。
そして、その説明の最後には唯心の浄土・己心の弥陀との言葉があり、
我が心の他に弥陀も浄土もなしとの意味である・・・と結ばれる。
ふと、アブラハムを思い出し、私のお守りを思った。
信じる事や拝むことでで救われると説く宗教もあるが、
実は、信じる己の心、つまり、
己の力があるからこその救いであることを忘れてはならないと思った。
相手が、どうあるかではなく、自分がどうあるのか。
常に己と向き合いながら、人のせいにすることなく・・・
つらつらとそんなことを考えている、今日この頃です。
ネックレスとかペンダントではなく、まさしく首飾りだ(^.^)
photoを添付しようかと思ったが、お守りの力が分散してもいけないので、やめた(笑)
私は、子どもの頃、田園調布カトリック教会の
土曜学校(日曜学校もあったが私は土曜日)に通っていた。
洗礼を受けたわけではなく、信仰もなかった我が家だが、
お転婆で塀の上を歩き回る私を持て余した親が、知人の紹介で通わせたのだろう。
その土曜学校での記憶に残る人名は『アブラハム』である。
長髪だった彼は、自分の力はこの長髪によるものと信じていた。
あるとき牢に入れられ、夜寝ているうちに髪を切られてしまった。
自分は、力を失ったと思い落胆するが、試してみると自分には以前と変わらぬ力があった。
というお話が。。。旧約聖書のアブラハムのことであると私は思い込んでいる。
特に必要もないから、調べていない(笑)
そして、なんて素敵なお話なんだと子供心に思い、その名前を記憶しようと努力した。
「油でハムを焼く・・・油でハムを焼く」と何度も心で繰り返した。
で、翌週の土曜学校。
「先週お話した人の名前を覚えていますか?」とシスターが聞いた。
みんなシーンとしている。私は・・・
「なんだっけ?あんなに一生懸命覚えたのに・・・邦子のバカバカ。なんだっけ?」
と必死で考えた。
シスターが「アブラ・・・」というと、私はすかさず「ハム!!」と言った。
「よく覚えていましたね。」とシスターに褒められた。
私は、2年前のXmasに「はい、お守り」と渡された首飾りを信じている。
一日だって忘れてことはない。
洋服に合わない日は、カバンに忍ばせている。
だから、無いとふと不安になる。アブラハムが髪を失った時のように。
あすナレーションをする琵琶の曲紹介で似我蜂の話が出てくる。
そして、その説明の最後には唯心の浄土・己心の弥陀との言葉があり、
我が心の他に弥陀も浄土もなしとの意味である・・・と結ばれる。
ふと、アブラハムを思い出し、私のお守りを思った。
信じる事や拝むことでで救われると説く宗教もあるが、
実は、信じる己の心、つまり、
己の力があるからこその救いであることを忘れてはならないと思った。
相手が、どうあるかではなく、自分がどうあるのか。
常に己と向き合いながら、人のせいにすることなく・・・
つらつらとそんなことを考えている、今日この頃です。