夏の終わりというのは1年の中でも独特なニュアンスがあって、良いものなのだけど、きょうびはなかなかそういう気分を味わえないようだ。
残暑が厳しかったり、台風が来たりと、実際には穏やかな季節ではないのだけど。イメージとしては賑やかな季節が終わり、少し寂しい気分なので、よく歌にも歌われる。
今年も昨日あたりからようやく気温が落ち着いてきたけど、あまりこの季節を思わせるニュアンスは感じないな。。
心の中の晩夏は小さい頃の思い出。
夜、祖父母の家の廊下から聞こえてくる鈴虫の声。
居間から廊下に出ると、黒電話のおかれた電話台の脇に火鉢があって、上に網がかけてある。鈴虫の声はそこから聞こえてくる。
廊下を進むと左手に縁側、右手には床の間のある八畳間が見える。
その先、廊下を曲がった突き当りにあるトイレに入ると、薄暗い電球と古びた蛇口が不気味だ。
夜の8時?ぐらいになると、区の防災放送みたいなのが調子はずれの「遠き山に」を流す。音程が狂ってることは後に原曲?を聞いて初めて分かった。曲の最後は柱時計みたいなぽん、ぽん、ぽん、とという連打で終わる。。
哀しい曲調ではないけど、なんかうら寂しい感じがした。
小さい頃祖父母の家に預けられていた事があるんだけど、その頃そういう実体験をしたかどうかはわからない。祖父母の家にはその前後に何度も行ってるから。
こんな気分を要するに、初秋を歌った曲を掲げても良いのだが、今回は古き昭和時代ということで;
番組(新日本紀行)のテーマ曲だから、ぴたり1分で終わるんですね(上の演動画は色々効果音などでつないでますが)。
冨田勲さんが昔、この曲は(冨田さんが大好きな)蒸気機関車が発車して、野山を走り駅に着く様子を曲にしたもです、と言っていたのを思い出します。
新日本紀行って、古き良き日本の風物が、現代の息吹を感じさせる風景と共存する姿を描くことが多かった気がします。
奥羽本線の急こう配に苦闘するSLが大写しにされた後、カメラが回るとそこにはモダンな遊園地(プール)があって、子どもたちが水遊びに興じているとか。
この夏、何度か東北方面に鉄たび(乗り鉄、廃線跡や遺構めぐり)したけど、考えてみるとなんかそういう、古き良き情緒を撮影するような気持にはなっていなかったな。。
たとえ冷房完備のステンレスカーや自動車の窓越しでも、野山や集落はにっぽんの風景そのものだし、人々は今も赤ちょうちんに誘われ集まったり、ご先祖にお線香あげたりしているわけですね。
こんど旅にでるときは、そんなことを想いながら眺めてみたいな。
とりあえず、おうちで気軽な旅を。
15年を経てだいぶ埃が積もってきたけど。
Pentax KPとタム9でした。
何処に住んでるのかも知らないです。
茄子かきゅうりだかをあげてた気がします。
そういえば今年は草むらの虫の声を聴かないですね。。