小泉悠 文春新書 2022年
小泉さんはロシア軍事が専門で、ふだんは静かな研究生活を送っておられるそうですが、なにか北の方できな臭いことが起きると、とたんに世間から注目を浴びるのだそうです。ふつうそういうのはそんなには続かないのですが、今年は大変でしょうね。
以前にも小泉さんの本を紹介しましたが、ご本人は完全なオタク趣味が嵩じてこの世界に入ったのだと語っておられました。氏の研究論文、は読んでませんが一般向けの記事とかも、文体や構成がきちっと学術論文の様式に則っているとよく言われますが、これもある種のオタク的アプローチなのかな、と思ったりします。
それで、初めから脱線しているのですが、ミリオタさんは凛々しい感じでいいですね。ツイッターで東野篤子さんが新聞の顔写真に反応していました。。
(写真をそのまま使えないので、記事リンクを掲げました)。
鉄オタはこうはいきません。中井精也さんや六角精児さんみたいになっちゃう。まあいいんですけど。
女子鉄なら市川紗椰さんとか、ちょっと感じが変わってきます。さらに話は飛ぶけど、ツイッターで女子鉄写真家さんをいじめている若い男子鉄の子たち、見苦しいからやめなさい。全国鉄オタの名折れですぞ。
対談集です。高橋彬雄さんや東浩紀さんなどと交わす、しっかりとした戦況把握の記事もあれば、砂川文次さんや片淵須直さんとのマニアックな対談、ヤマザキマリさんとのお話も面白いです。マライ・メントラインさん、安田峰俊さんとの3者対談は、欧州、中国、ロシアの専門家同士の対話として大変興味深い。
たぶん文芸春秋の連載記事だったのでしょうね。読み口は軽いので、すぐに読めますが、内容は濃いです。普段SNSそのたネットで薄っぺらい素人の話(このブログを含む)ばかり触れているので、専門家というのは大したものだ、と思ってしまいます。。
対談は4月ごろから8月にかけて行われています。最初の頃はロシアがあまりに古典的な暴挙に出たことへの戸惑いが、会話の中にありありと出ています。
次第にその状況に慣れてくると、過去から現在までの国や地域ごとの人々の意識の違い、目の前の戦争が自分の意識に与えた影響など、より深い議論が出てくる。
片淵氏との対談で、戦争と(今の日常生活との)トンネルがつながった、みたいな会話をしています。「この世界の片隅に」は、77年前の日常生活と戦争が道をへだててつながっているというお話です。今はSNSを通じて、キーウに落とされる爆弾の映像がすぐに伝わってくる。
こっちではトップガンおもしろかったとか、サイゼリヤのメニューがどうしたとか、クラファンで子供が旅行してどうしたとか、なにやらやっている中に、黒焦げの建物と地面に転がっているおもちゃの映像が入り込んでくるのです。
これは僕自身が感じた話ですが、2月末に戦争が始まった頃、地下鉄の駅とかでe-スポーツジムの宣伝が盛んに出ていました。
今でもやってますが、若い男の子が白シャツにネクタイして、頭にヘッドギア、手に電子銃?を持って廃墟に立っている、という映像が出ていました。。
これが妙に、ウクライナにつながっているような感じがして仕方なかったです。。こっちではゲームですが、同じことを地球半周したところで、実弾でやってるんだなあと。
価値観の違いや、善悪の基準の違いについて。。
ここだけ、小泉さんの発言を引用します。対談最後の発言です。
小泉 日本人やドイツ人はやっぱり何だかんだ真面目なので、そこでサバイバルするのだというと、結局のところ偽悪的になっちゃうんですよね。一生懸命「悪」を演じてしまうところがあって、全然悪いと思わずにひどいことをしてしまう中国やロシアに比べて、日本人とドイツ人は「俺たちはこんなにも権謀術数を駆使している」と自分に酔ってしまうところがあるんだと思うんです。日本人とドイツ人にあの天然感は出せないですから。