うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

なんどめか

2021年04月14日 | 本と雑誌
たぶん20回までは行かないが、10回以上だとは思う。村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を再読した。

いまさら感想も書けないが、今回は主人公たちの飲食の描写が妙に気になった。飲酒運転は我々の住む社会においては厳禁だが、『私』の住む世界では問題とされないらしい。

博士の仕事から帰った後、買い出しに車で出かけてレストランに入り、ビールとサラダを注文している。最後のところでも地下から出て娘と別れた後、銀座ライオンでビールを飲んでから新宿に行き、レンタカーを借りている。翌日、図書館の女の子と日比谷公園で輸入ビール6缶を二人で開け、そのあと車で晴海ふ頭まで行っている。銘柄まで書かれているから、ノンアルコール・ビールという解釈はできない*。

いわゆる”フォルクスワーゲン(ビートル)にラジエターがある世界”、なのだろう。

私も彼女も、ビールを飲んで酔ったようなそぶりは全く見せない。料理に関する独特な描写を含め、村上氏個人が生な姿で作品に表現されている部分のように思える(きっとお酒も強いのだろう)。
『私』は料理にかなり強いこだわりを持つが、これは『私』の性格を効果的に際立たせている。村上作品の男たちはよく料理を作るが、『私』はいちばん成功している方じゃないかな。天吾くんとかになると、なんかちょっと鼻につくんだよね(個人の感想です)。

僕らはこの並行世界を、あるていど自分たちの住む現世に近いものとして受け止めることができるが、もう今の若い子たちは、ある程度フィルターを通した現実、もっとはっきりいえば昔の日本、という想像のもとに読むことになるんだろうな(カセットテープや、車の名前など、明らかに1980年代前半の東京を前提とした描写になっている)。

「ノルウェイの森」とかも、昔の日本が舞台だが、あれは作者が自分たちと同じ時代から回想している、と思える点でまたちがう。むしろ、僕が若いころに、安倍公房の作品を読んだ時の感覚に近いのかもしれない(「他人の顔」、「燃え尽きた地図」、「箱男」、「密会」などは、”現代”という作者の視点が強く感じられる。が、そこで示される"現代”は、1950年代~70年代ごろの日本だ)。
本作品も、「ハードボイルド」のほうは、読み手が今いるこの世界、という視点がかんじられる。が、ディティールの書き込みが詳しい分、読み手が時代の経過を意識せざるをえなくなる部分もある。

「影」と「ぼく」の関係とか、そういう話はいろいろ考えたりはするんだけど、ここで文章にできるほど考えはまとまらないな。

(*追記:ドライブスルーのハンバーガー屋でビールを注文して断られる、という描写があったなそういえば。だからこの世界でも、飲酒運転はだめなのだ)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする