60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

「見える」と「見てとる」

2006-05-10 22:35:39 | 視角と判断

 図aを見たとき、人間は三角形の上に長方形が重なっていると見るのが普通です。
 ところがハトを使った実験では、ハトはb図のように長方形と変形五角形があるというふうに見るそうです。
 つまり見えたままに受け取るということです。
 人間の場合は、長方形で隠されていると見て、隠されている部分を補ってみるのに対して、ハトは隠れている部分を補って見たりはしないと心理学では解釈されています。
 人間のほうが知能が発達しているから、見えない部分を補って見ることが出来るのに、ハトは知能が発達していないので、見えたままに解釈することしか出来なりというのです。

 ナルホドそうかと思う反面、何かおかしいなと思うのではないでしょうか。
 ハトは平面に描かれている図については、見えたままに解釈したのでしょうが、実際に二つのものが重なっているのであれば、重なって見えない部分があると解釈するのではないでしょうか。
 たとえば、c図のようにハトの天敵であるカラスが見えた場合、胴体の千切れかかったカラスがいるとは見ないで、胴体の一部分が隠されているカラスだと見て警戒するでしょう。
 ハトがb図のように解釈してしまうというのは、三角形の形がハトにとってなじみがないということもありますが、平面に描かれたものは、実際には重なっていないからです。
 実際にカラスが見えた場合は、部分的に隠されていてもカラスであると見ることが出来ないようであれば、ハトにとってもとても不利になります。

 d図では文字の一部分が隠されていますが、普通の日本人であれば、電車という字の一部分が隠されていると答えるでしょう。
 脳は隠されている部分を補って読むので、単純に見えたままを読もうとしているではなく、「電車」と見て取っているのです。
 視覚的に見えたままに解釈するのではなく、脳による解釈にしたがって「見てとる」のです。
 文字や単語の知識やイメージがあるから、その知識によって見えない部分があってもそれを補って解釈することができるのです。

 文字や文章を読むときには文字の細かい部分を一つ一つ確認したり、単語の部分部分を細かく確認しながら読んでいるわけではありません。
部分が分かれば全体をイメージすることが出来るのでそれと見てとってしまうことが出来るのです。
 これは便利なのですが、間違って解釈してしまった場合は、なかなかそのことに気がつかないようになってしまいます。
 自分が書いた原稿の校正が難しいのは、脳が自動的に補完してしまうのでミスに気がつきにくいためです。
 校正は第三者がしたほうが良いとされるのは、自動的な補完がされにくいためです。