My Pug Log

「MY PUG」は、生前のパグの名前『舞』から摂ったものです。
これからは夫婦二人を、気ままに綴っていきます。

平瀬川跡を歩いてみる。その1

2011-09-22 20:09:53 | 歩く
「旧平瀬川流路探索」に参加のため津田山駅前に8人の方が集合。朝は青空だったのに心がけ悪く?、予報通り午後から時折上空に黒雲が覆い雨が降ってくる状況。駅前で講師の話、「津田山の由来は旧玉川電鉄(現東急)津田社長によるもので、旧来の名前は「七面山」現在は東の端を246号線でカットされてしまっている。昭和15年幻のオリンピック開催時にはこの付近にオリンピック村が出現するはずだった。津田山駅は旧名ヒュウム管前駅で、津田山霊園内には石灰石を掘った跡(現在はない)、縄文時代はこの辺りを多摩川が流れていたのでは」等々の話を聞き出発。
下作延地内を流れる平瀬川に架かる「上の橋」より津田山(七面山)の隧道方面を。
橋の袂に建つ「石橋供養塔」。・・・十方地域の者たちも、村中の者たち全員で・・・
昭和58年に修復された台座には「斎奉」の文字と、その由来が彫られています。
旧来の平瀬川は川幅は狭く深くなかったはずです。
川崎市内でよく見られる暗渠になった用水路の放出口の逆流防止ゲートです。
南武線の踏切を渡った先の交差点に見える「曹洞宗円福禅寺」の石碑。
ここから右方向へ、溝の口駅方面に向かう。続きは(その2)へ。
コメント
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