私の住む町も昭和30年代では、100以上の製材所があったと聞いています。今では、10数件です。線路沿いで港に近い土地は、次第に宅地化され、ショッピングセンターができ新しい町の住人は、うるさくて、埃の絶えない製材所を邪魔者のように扱います。
製材所自体も港や鉄道の近くだけでなくトラックの搬入ができれば山でも構わないようですし、高くで売って他の事業や別の場所で、はじめた方もいるようです。
私が思うに民間の小さな資金でできる規模の製材所は、人件費、土地代、機械の償却費や電気代などとてもまかないきれない状況なのではないでしょうか。規模を大きくし単価を下げ製材量を増やす方向に走っても無理はないと思います。熾烈な過当競争に打ち勝つ製材所が生き残れるというサバイバルでしょう。
その中で第3セクターのような製材所は、動きがどうしても鈍くなってしまい、需要が小さくなるシェアの中で後発組みの利点を生かしきっていないように思えます。
すべての製材所がそうだとは言い切れませんが、今までのような経営(木材バブル時代)をしている製材所が淘汰されているのが現状でしょう。
でも、悲しいもので最先端で経営や手法、販路を切り開いたからといって生き残れるものでもない業界でもあります。
この業界は、流通の部分がかなり遅れていると思います。
製材所自体も港や鉄道の近くだけでなくトラックの搬入ができれば山でも構わないようですし、高くで売って他の事業や別の場所で、はじめた方もいるようです。
私が思うに民間の小さな資金でできる規模の製材所は、人件費、土地代、機械の償却費や電気代などとてもまかないきれない状況なのではないでしょうか。規模を大きくし単価を下げ製材量を増やす方向に走っても無理はないと思います。熾烈な過当競争に打ち勝つ製材所が生き残れるというサバイバルでしょう。
その中で第3セクターのような製材所は、動きがどうしても鈍くなってしまい、需要が小さくなるシェアの中で後発組みの利点を生かしきっていないように思えます。
すべての製材所がそうだとは言い切れませんが、今までのような経営(木材バブル時代)をしている製材所が淘汰されているのが現状でしょう。
でも、悲しいもので最先端で経営や手法、販路を切り開いたからといって生き残れるものでもない業界でもあります。
この業界は、流通の部分がかなり遅れていると思います。