専門職と云うのは、その点においてはそうではない人より知識があるから、それを仕事に出来ると云う事でしょうが、何でもそうですが、知識や能力があると云う事は、その能力のない人よりも人間的にも上と云う事になるのでしょうか。
なりませんよね、全く。
むしろ人間性においては最低最悪、人としてどうよと云う人はゴロゴロいる、なまじ知識があるばっかりに何やら妙な勘違いをして、とっても嫌なやつになり下がっている、みたいな人。
知識があってもそれを能力に変換して使えるかはまた別問題、無能な人はとことん無能だし、実生活では殆ど使用不可な知識と云うのも、多々ある話だったりもするんですが……。
セラピストやヒーラーもこう云う専門職のような部類に入ると思いますが、確かに人を助け導く仕事だとは思いますが、上から目線と云いますか、してやってる的な人って随分いるよなと感じます。
確かにクライアントの知らない事を知っているし、特別な能力(とは思いませんけど)はあるのでしょうが、クライアントはちゃんと代価を持ってその恩恵に与っている訳で、無料や無理を云ってやって貰っている訳ではありません。
代価が発生する時点で対等と云ってもいいはずなのですが、な~んかする側は上でされる側は下みたいな感じは、常にありますよね。
する側の話し方でもそれは分かりますが、な~んでこうなのかねと思います。
お店においても、売る方は下手で買う方が上からと云うのはありがちですが、これだってホントはおかしな話で、需要と供給のバランスあって成り立つ事、上下なんてないと思うんだけど。
多少の違いはあっても、何においてもこう云う上下関係みたいなものってあると思います。
どう云う訳か、普段の生活においても、そう云う事を敏感に感じ取ってしまう嗅覚が発達しているのですよね、オレ。
出来てる人、と云うか真っ当な人は、どう云う人に対しても上から来る事自体殆どありませんが、なんででしょうね、どんなに綺麗な言葉遣いをしていても、鼻持ちならない感じを持ってしまう人とそうではない人がいるのは。
素直に受入れられないものを感じてしまうか否か、この辺が人間性の差と云う事になるのでしょうか。
必要以上に頭を低くする必要もありませんが、対等で然るべき状態の時でさえ、人を上から見てしまう人って、一体何なんでしょうねえ。
気の毒に思われてるって、早く気付く事が出来たらいいんですけどねえ、無理でしょうね(爆)。
なりませんよね、全く。
むしろ人間性においては最低最悪、人としてどうよと云う人はゴロゴロいる、なまじ知識があるばっかりに何やら妙な勘違いをして、とっても嫌なやつになり下がっている、みたいな人。
知識があってもそれを能力に変換して使えるかはまた別問題、無能な人はとことん無能だし、実生活では殆ど使用不可な知識と云うのも、多々ある話だったりもするんですが……。
セラピストやヒーラーもこう云う専門職のような部類に入ると思いますが、確かに人を助け導く仕事だとは思いますが、上から目線と云いますか、してやってる的な人って随分いるよなと感じます。
確かにクライアントの知らない事を知っているし、特別な能力(とは思いませんけど)はあるのでしょうが、クライアントはちゃんと代価を持ってその恩恵に与っている訳で、無料や無理を云ってやって貰っている訳ではありません。
代価が発生する時点で対等と云ってもいいはずなのですが、な~んかする側は上でされる側は下みたいな感じは、常にありますよね。
する側の話し方でもそれは分かりますが、な~んでこうなのかねと思います。
お店においても、売る方は下手で買う方が上からと云うのはありがちですが、これだってホントはおかしな話で、需要と供給のバランスあって成り立つ事、上下なんてないと思うんだけど。
多少の違いはあっても、何においてもこう云う上下関係みたいなものってあると思います。
どう云う訳か、普段の生活においても、そう云う事を敏感に感じ取ってしまう嗅覚が発達しているのですよね、オレ。
出来てる人、と云うか真っ当な人は、どう云う人に対しても上から来る事自体殆どありませんが、なんででしょうね、どんなに綺麗な言葉遣いをしていても、鼻持ちならない感じを持ってしまう人とそうではない人がいるのは。
素直に受入れられないものを感じてしまうか否か、この辺が人間性の差と云う事になるのでしょうか。
必要以上に頭を低くする必要もありませんが、対等で然るべき状態の時でさえ、人を上から見てしまう人って、一体何なんでしょうねえ。
気の毒に思われてるって、早く気付く事が出来たらいいんですけどねえ、無理でしょうね(爆)。