日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

自信か否か

2011年02月22日 | Weblog
自分と出会った事が私の転機になる、見えない存在が、苦しんでいる私と自分と出会わせて問題解決の手伝いをさせようとしている云々、今迄何度かセラピスト(別々の)に云われた言葉です。
要は自分と出会う事で私の人生が好転する、見えない存在が自分を私に出会うよう仕向た、自分は私にもたらされた、つかわされた存在だと云うような事を云われたのですが、それは相当自分に自信がなければ云えない言葉だよなと思いました。
好意的に考えれば、少しでもクライアントの気持ちを軽くする為とも云えなくもありませんが、現実はどうかと云うと、そう云う人に限って……、以下自粛……。

本当にそう思っていても、こんな風に云えるセラピストやヒーラーって、正直凄いなと思います。
自信に繋がるだけの人助けをしたと云う実績のなせる業か単なる自己満故か、その辺は今一つはっきりしない、まあどっちもありかなと云う気がしますが、どう云う職種(人)であっても、どうしても自慢臭い事を云わないとダメと云う人はいます。
やっている事が特殊であればあるほどそれが顕著に感じられますが、突き詰めれば自信の無さの裏返しでもあるのかなとも思われ。
でなければ余程虐げられて来たか、いずれ自己アピールが過剰であればある程、このどちらかではと思ってしまいます。
何も云わずともやる事をやっていれば評価は自ずとついて来る訳で、自分から聞かれもしないのにあれこれ云う必要はなくなります。
結局相手に自分の情報が何もない状態では、自分がどう思われるか不安で向合う事が出来ないと云う事ですよね。
或いは少しでも好印象を与えたい、自分は凄い人だと思われたい、いずれ自分に対する印象を少しでも良くしておきたいと云う思いがないければ、聞かれもしない自分からの情報発信は必要ありません。
他人からよく思われたいと云うのは大抵の人がそうだとは思いますが、あんまり必死に自己アピールばっかしてるとむしろ逆効果だと思うんですが。
何でも度を過ぎると、おかしな人だと思われると思うんですが、そう云う人には大きなお世話ですね。
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