日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

必要なスキル

2018年03月25日 | Weblog
色々、先日来のもやもやした出来事に関して、ふっと思い出しては考えてしまうのですが、到底相容れないと実感したお方に、自分が私の愚痴を聞いてやって、たまにアドバイスする役目と思っていた、と云うような事を云われた時、え?と思っちゃったんですよね。
違和感一杯。

愚痴を聞いてやる、については、まあそう云う気持ちではあったのだろうなとは思います。
云われたままにしていたのを、愚痴と思われたのは若干不本意ではありますけれど。
が、たまにすると云う「アドバイス」、これは全く必要なかったなとも思う。
この「アドバイス」とやらのお蔭で私は気付く事が出来ましたが、本人が「アドバイス」と思っているってのが、そもそも「アドバイス」とは云い難いんだな。

カウンセラーとか、そう云う事をする人に必要なスキルってもんがあると思うのですが、それは本心に従うとか云う以前の、あくまでも「スキル」。
思うに、まずは共感してあげる、これだろうなと思います。
ところが、初っ端が否定、そうじゃないでしょと云うところから始まる。
これは相当ダメージが大きいですね。

自分が上にいる立場と云うのが、そう云う状態を作る大きな理由ではと思いますが、「してやってる」感がないと、ああ云う感じにはならないと思います。
元々は純粋に好意から始まった事でも、徐々にそれが剥がれて来ると、聞いてやっているだけではいられなくなり、「アドバイス」に走る。
この「アドバイス」が、あんた間違ってると云う指摘で、「アドバイス」とは程遠く、傷を深めるだけ。
引っ張り上げる事は不可能と云うところまで追い込んでしまうんですよね。

な~んにもいらないんですよね。
「アドバイス」なんてものは不要。
プロじゃないんだから、余程じゃな行ければ、適切な「アドバイス」なんて無理だと思います。
ただ、共感してやる、これだけでほぼ救われるって事を、ちっとも分かってないんだ。

立派な事を云って、尊敬して欲しかったのか?
どう云う意図で、常に否定して決めつけたのか、その辺りを考えてみると、周りにあなたよりも辛い人が沢山いて、あなたなんて悲劇のヒロインぶってる幸せな人と気付け、ってところかな。

個人が、ではなく、周りと比べて幸せだと思え、ここに尽きる気がします。
自分は辛いとか哀しいとか、云わない人にしかこんな事云えないはずだけど、いるよね~、この手の人って沢山。

分かってんだよね、そんな事は誰だって。
だったら辛いと云っちゃいけないの?苦しいと云っちゃいけないの?と思っちゃうんだな。

周囲の事を考えられるのは、まだ幾らか余裕がある時で、そんな時は人に云うところまでは行かない、自分で消化できてしまうけど、聞いて欲しいと思うところまで行くと、愚痴った後に、な~んてねと笑い飛ばせる事ばかりじゃない。
しんどいとか辛い時は、ただ聞いて貰えるだけでも救われるものですが、そこに知った顔してご立派で的外れな「アドバイス」なんて事をされちゃうと、逆にど~~んと谷底に真っ逆さま状態なんだよね。

云わずにいられない人、ってのも考えられますが、良かれと思った事が逆効果と云うより、聞かされている内容に苛立っての結果と云う感じが強いだけに、なんかねえ。
やってる事自体悪くないとは思うのですが、手法が一昔前も二昔も古いのよね。
私にしたような事を続けていると、そう云うのが好きな人はともかく(今は絶滅危惧種と思われますけどね)、このご時世、ますます落っこちて行く人を作るだけのような気がするのですが、私には関係ない人だから、どーでもいいんだな。

と云いつつ、またふとした瞬間に思い出して、あれこれ考えちゃうんでしょうが(笑)。