日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

些細な事

2011年01月19日 | Weblog
久し振りに酷い耳鳴りがします。
子供の頃から普通に耳鳴りしていたので、みんなそうだとずっと思っていたのですが、実はそうじゃなかったのですね。
長い付き合いなので酷くなる時以外は気にならないのですが、今回みたいなのはやっぱり気になります。
片方ずつ音が違うのですが、一方が凄い酷くて、ご飯を食べたり歯磨きしたりと云う、口の中の音がかなり頭蓋骨の中に響きます。
何がどう云う風に行われているか凄くリアルに分かる感じで、面白いと云えば面白いのですが、鬱陶しいと云えば鬱陶しいです。
早く治まらないかなあ……。

私は少し神経質と云うか、他人の言動に過敏に感じてしまうと云うタイプではないかと薄っすら分かっているのですが、どうしてもセラピストのような人の言葉には、過剰に反応してしまう傾向があるようです。
私は性格が歪んでいる、腐り切っていると云うような事を云った時、天使が私の魂は綺麗だと云っていると聞かされました。
一瞬、わぁ、こんな腐ってても実は綺麗なのかと嬉しく思ってそう云ったら、人の本質は誰でも綺麗だから、そう云う意味だと云われてトホホ。
と云う事は、今現在極悪非道な人でさえ、天使レベルで見れば魂は綺麗と云う事ですからね、あえて云い直しもされる訳ですな。
まあ腐っているとか汚れていると云われるよりはマシですが、本質は綺麗です、でもそれは生きてる人みんな、みたいな事を云われたところで、はあ、そうですかと云う感じでしかなかったりるすのが本音。
みんな魂は綺麗だから安心してとかみんなの本質が光だから云々と云う、生きてる人みんながどうと云う事は、正直どうでもよかったりします。
多分、人生が平穏無事に進んでいる時であれば、ああそ云うものなのねと感動の涙の一つも流れるかもしれませんが、とてもそんな余裕のある毎日じゃない、雑に粗く生きている私にとっては、そのような美しい話も右から左の世界です。
聞きたくて必要なのはそう云うみんながどうこうではなく、個人としてどうかと云う事なんですが、あんた、ホントに根性腐ってるよねって、これがまぎれもない真実だから、実はみんな美しい魂を持っているんですよなんて、傷つけないよう、改めて遠回しに云われていると云う事でしょうね。
些細な云いようなんですが、物凄く奥の奥まで考えてしまうんですよねえ、こう云う事って。

時々思うんですが、私って明るくなっちゃいけない気がして仕方ないんですよね。
調子よく楽しく生きてますって風に見せちゃいけない、私は何時も暗いんだから、楽しい事なんてないんだから、そう世間に云わないといけないと云うか。
なんでだろう……。