史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

神石高原

2019年06月15日 | 広島県
(神石高原ホテル)
 幕末維新という時代に活躍した人物ではないが、このところ伊能忠敬という人に惹かれている。伊能忠敬は五十歳を越えて、十七年という歳月を測量という事業に身を投じ、精緻な地図を完成させた(ただし、「大日本沿海與地図」の完成は伊能忠敬の没後のことである)。現在より遥かに平均寿命の短い江戸時代にあって、隠居後にそれまでの人生とは全く異なる事業を始め、歴史に名を残すような成果を収めたということに驚くほかない。
 当然ながら、伊能忠敬の関係史跡は全国に点在しており、それを追いかけるのも終わりのない作業である。日本地図を作成するだけであれば、沿岸部だけを測量すればよいのだろうが、忠敬は結構山間部にも足を運んでいる。
 神石(じんせき)高原町にも四カ所伊能忠敬関係石碑が建てられている。


伊能忠敬測量之地

 最初に訪問したのが、神石高原ホテル前の石碑である。伊能忠敬の測量隊が神石を訪ねたのは、文化八年(1811)二月のことであった。一行は百谷村(現・福山市)方面から北上して、時安村(神石高原ホテルのあるところ)を経由して井関村へ向かっている。

(井関)


伊能忠敬測量本体宿泊邸跡

 伊能忠敬測量隊は、文化八年(1811)二月十四日、午前二時過ぎに井関村の門田久治郎宅に到着し、この夜、天体観測を行い、翌朝、六時過ぎに出立した。

(中平)


伊能忠敬測量支隊宿泊邸跡

 伊能忠敬の測量隊には別動隊がいて、彼らは三次方面から新免村(現・油木町)に入り、文化八年(1811)二月十一日、中平村の庄屋矢田貝孫兵衛宅に宿泊している。この石碑はそのことを記念したものである。

(三輪酒造)
 神石高原町油木の三輪酒造の門前にも伊能忠敬測量隊が宿泊したことを記念する石碑が建てられている。


伊能忠敬測量隊宿泊邸跡

 この場所は、庄屋七郎庄衛門邸の跡で、文化八年(1811)二月十日に支隊が宿泊、その五日後に本隊もここに宿泊し、その夜、天体観測を行っている。
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