(三里塚記念公園)
三里塚交差点の近くに三里塚記念公園があり、公園内には三里塚御料牧場記念館や貴賓館などがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/b4/16654ed3128dd5d2d75fc25ef014b4c8.jpg)
三里塚御料牧場記念館
三里塚御料牧場記念館は、御料牧場のありし日の姿をしのび、御料牧場の名を長くこの地にとどめることを目的として、昭和五十六年(1981)に開設されたものである。外観は当時の御料牧場の事務所の概観を復元したもの。入館無料であるが御料牧場の歴史や皇室の使用した馬車など貴重な資料が展示されている。
明治天皇御野立所
記念館の前に明治天皇御野立所の小さな石碑がある。明治天皇は明治十四年(1881)および十五年(1882)の二回、三里塚まで行幸している。
屋外に石碑が複数立っているが、特に注目したいのは、「獣医学実地教育開始記念碑」である。この碑は、下総御料牧場の前身である取香種畜場において、日本で初めて獣医学実地教育が行われたことを記念して建てられたものである。
江戸時代、この辺りは幕府の放牧地であった。明治になると羊毛の需要が急増し、国産の羊毛や牛馬の生産が急務となっていた。明治八年(1875)内務大臣大久保利通は富里市十倉の「高野牧」や三里塚の「取香牧」など広大な牧草地を視察し、この地に牧羊場と種畜場を設置することを決定した。同年九月には下総牧羊場と取香種畜場が開設された。
下総牧羊場では、綿羊の飼育を全国に普及させるために、全国から牧羊生を募集し、高度な技術を身に付けさせるための教育が実施された。貴重な輸入家畜を伝染病から守るため、陸軍に獣医の派遣を要請し、病畜の治療に当たらせていたが、やがて常勤の獣医を雇うことになった。明治十年(1877)には、牧羊生の中から適任者八人を選抜し、獣医の下で助手として教育を施した。翌明治十一年(1878)には取香種畜場に獣医科を発足させることになった。
獣医学実地教育開始記念碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/7a/290787ba664e4c59e73e7837d324fb04.jpg)
貴賓館
貴賓館は、下総牧羊場の最高責任者として雇われたアメリカ人アップ・ジョーンズの官舎として十倉村両国高堀(現・富里市)に建てられたものである。明治十二年(1879)、彼の退職後は下総牧羊場の事務所として使用されていたが、下総牧羊場と取種畜場が合併されて宮内省下総御料牧場と改められた明治二十一年(1888)に三里塚に移築された。大正八年(1919)に新しい事務所が完成したのを機に、貴賓館として改装して、各国の公使を招く園遊会場や皇族を迎えるための宿舎として利用された。
三里塚交差点の近くに三里塚記念公園があり、公園内には三里塚御料牧場記念館や貴賓館などがある。
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三里塚御料牧場記念館
三里塚御料牧場記念館は、御料牧場のありし日の姿をしのび、御料牧場の名を長くこの地にとどめることを目的として、昭和五十六年(1981)に開設されたものである。外観は当時の御料牧場の事務所の概観を復元したもの。入館無料であるが御料牧場の歴史や皇室の使用した馬車など貴重な資料が展示されている。
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明治天皇御野立所
記念館の前に明治天皇御野立所の小さな石碑がある。明治天皇は明治十四年(1881)および十五年(1882)の二回、三里塚まで行幸している。
屋外に石碑が複数立っているが、特に注目したいのは、「獣医学実地教育開始記念碑」である。この碑は、下総御料牧場の前身である取香種畜場において、日本で初めて獣医学実地教育が行われたことを記念して建てられたものである。
江戸時代、この辺りは幕府の放牧地であった。明治になると羊毛の需要が急増し、国産の羊毛や牛馬の生産が急務となっていた。明治八年(1875)内務大臣大久保利通は富里市十倉の「高野牧」や三里塚の「取香牧」など広大な牧草地を視察し、この地に牧羊場と種畜場を設置することを決定した。同年九月には下総牧羊場と取香種畜場が開設された。
下総牧羊場では、綿羊の飼育を全国に普及させるために、全国から牧羊生を募集し、高度な技術を身に付けさせるための教育が実施された。貴重な輸入家畜を伝染病から守るため、陸軍に獣医の派遣を要請し、病畜の治療に当たらせていたが、やがて常勤の獣医を雇うことになった。明治十年(1877)には、牧羊生の中から適任者八人を選抜し、獣医の下で助手として教育を施した。翌明治十一年(1878)には取香種畜場に獣医科を発足させることになった。
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獣医学実地教育開始記念碑
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貴賓館
貴賓館は、下総牧羊場の最高責任者として雇われたアメリカ人アップ・ジョーンズの官舎として十倉村両国高堀(現・富里市)に建てられたものである。明治十二年(1879)、彼の退職後は下総牧羊場の事務所として使用されていたが、下総牧羊場と取種畜場が合併されて宮内省下総御料牧場と改められた明治二十一年(1888)に三里塚に移築された。大正八年(1919)に新しい事務所が完成したのを機に、貴賓館として改装して、各国の公使を招く園遊会場や皇族を迎えるための宿舎として利用された。