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団塊オヤジの短編小説goo

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コメントについて

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都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖

都月満夫の短編小説集2

「羆霧(くまぎり)」
「容姿端麗」
「加奈子」
「知らない女」

都月満夫の短編小説集

「キヨシの帰省」
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

「第33回郷土作家アンソロジー表彰式」新聞記事

2011-09-12 17:54:24 | ごあいさつ

「第33回郷土作家アンソロジー表彰式」が新聞記事になりましたので転載します。

3320110911

したっけ。

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「お菓子の“もなか”は、何故最中(もなか)?」について考える

2011-09-12 10:16:32 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

 Photo_2 今夜は十五夜です。でも、今日の天気予報は雨。お月さんはまられそうもありません。

十五夜に因んで、チョッと満月のことを、お菓子のことから考えてみたいと思います。

平安時代に満月のことを月の満ち欠けの真ん中ということから、「最中の月(もなかのつき)」と呼んでいたそうです。

Photo_3 江戸吉原の菓子屋 竹村伊勢が、満月をかたどった「最中の月(もなかのつき )」という煎餅のようなものを作り売り出したといわれています。江戸中期・文化年間のことだそうです。今の最中種に近いものを丸く切って砂糖蜜をかけたのだったようです。最中の月」とは陰暦十五夜の月(中秋の名月)のことだそうです。

平安時代の歌集『拾遺集』には、「水の面に 照る月なみを かぞふれば 今宵ぞ秋の もなかなりける」とあるそうです。

なお、江戸時代につくられた「最中の月」には餡は入っていなかったそうです。

Photo_4 その後、餡が入るようになり、四角い形のものが売り出され、「窓の月」と名づけられたそうです。昔の人は最中一つに風流な名前を付けますね。その後、丸いものも、四角いものも、単に「最中(もなか)」と呼ぶようになったようです。

余談ですが、この竹村伊勢、思わぬところでおめにかかれるそうです。私は歌舞伎を観たことはありませんが、歌舞伎『助六』の舞台にあるそうです。

雰囲気を演出する小道具として、舞台の上手、下手にこの菓子屋の名入れの蒸籠(せいろ)がおいてあり、正確には『新吉原 竹村伊勢』と書かれているそうです。舞台に配した店の宣伝広告だったのでしょうか。もしかしたら、歌舞伎の大スポンサーだったのかもしれません。CMはその頃からあったとは、興味深いですね。

古来より、月見の宴には日本では丸餅やだんごが、中国では月餅(げっぺい)が供されています。万事に角(かど)がなく円満に、という意味がありました。

Photo 

したっけ。

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「第33回郷土作家アンソロジー表彰式」について考える

2011-09-12 10:07:08 | ごあいさつ

  昨夜、北海道ホテルにおいて、「第33回郷土作家アンソロジー表彰式」が行われました。

 お馴染みの顔、時々見かけるかを、新しい顔が集まりました。十勝毎日新聞社の1hiroyuki20080挨拶のなかでベテラン3人という話があり、そのなかの1人が私のようでした。まだまだ新人のつもりで書いているのですが・・・。その後、審査員の代表の方の入選作一編ごとの講評があり、懇親会に入りました。

  その後、二次会に行き楽しいひと時を過ごさせていただきました。皆さんの小説に対する思い入れは非常に熱く、私のように楽しんで書いている人間は申し訳ないような気がするほどでした。

 また次回も会いましょうの言葉とともに散会となりました。

したっけ。

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「おだち過ぎて、大臣辞任!」について考える

2011-09-11 10:11:22 | ニュース

 経済産業大臣のホニャララ氏が辞任しましたね。

 大臣になって、記者たちに囲まれて、さぞかし気持ちもよかったのでしょう。すっかり舞い上がってしまって、「死の町」発言。自分たちのふるさとを追われて耐え忍んでいる国民の姿などは見てこなかったのでしょうか・・・。

 Photo_3 何のために視察に行ったのか・・・。ただの野次馬気分の発言としか言いようがありません。

 さらに、記者に向かって、「放射能をうしてやる」とは小児並みの発言。とても、分別のある大人の発言とはいえません。

 こんな人しかいなかったのでしょうか。北海道人として恥ずかしい限りです。

 大臣!大臣!!と持ち上げられて、すっかりおだってしまって・・・。チョッとおだち過ぎちゃいましたね。

 総理大臣!今度は、ちゃんとした人を頼みますよ。

おだつ

北海道弁で「はしゃぐ」 「ふざける」を意味する言葉です。

「おだつ」という北海道弁は、「場(分)をわきまえず、調子に乗ってふざけたり、はしゃいだりする、主に子供の行動」に対して使われることが多い言葉です。

「おだてに乗ってはしゃぐ」 が語源でしょうか。「おだてる」 から「おだつ」んですね。

「おだてた」結果の反応として「おだつ」 というリアクションが起こるわけです。

しかし、北海道弁の「おだつ」は、単に「おだてに乗る」という意味ではなく、「子供が大人のウケをねらって悪ふざけをする」、あるいは「子供が普段とは違った環境にうれしくなって舞い上がり、必要以上にはしゃぎまわる」というように、子どもに使われる言葉です。

 今回の、はしゃぎ方は子ども並みだったと言われても仕方がない・・・。

Photo_4

したっけ。

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「“こてんぱん”は北海道弁?」について考える―豆知識―

2011-09-10 06:52:29 | 語源・由来・起源

こてん‐ぱん

[副]「こてんこてん」に同じ。「に相手をやっつける」

大辞泉

 「今日の野球は100で、“こてんぱん”にやられたべさ・・・」などと北海道では使います。

 この「こてんぱん」を調べてみたところ語源・由来はまったくわかりません。それどころか、これが北海道弁だとするサイトが結構あるのです。おまけに「こてんぱ」ではなく「こてんぱん」が正しい北海道弁だと解説までしてあるサイトもあります。

私は標準語だと思っています。『広辞苑』にも載っていますから・・・。

 みなさんの地方では使いますか?

したっけ。



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「友禅菊」MY GARDEN 2011.09.10

2011-09-10 06:42:46 | 写真

201109031

201109032

201109033

ユウゼンギク(友禅菊) キク科 シオン属

学名:Aster novi-belgii 

別名:シノノメギク

原産:北アメリカ

花期:810

分布:北海道・本州・四国・九州(帰化植物)

草丈:20120

環境:人里・田畑,原野・草原,都市・市街地

小さな花が群がって咲く、可憐で 美しい、性質の強健な植物です。品種は大変に多く、花色は紫青、紫紅、紅、桃、白など多彩

 自宅前の川の岸辺に咲いています。

したっけ。

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「どじょう屋の看板は何故“どぜう”なのか?」について考える

2011-09-09 10:12:54 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

 民主党の代表になった野田佳彦氏の「どじょう」発言で「どじょう」の人気は鰻上りだそうです。

 「どじょうなのに鰻上りとはこれ如何に?

 赤いのに金魚というが如し」

 私もあやかって、「どじょう」について書いてみたいと思います。

 Photo_2 「どじょう(泥鰌・鰌)」の語源ですが、「どじょう」は泥の中に生まれるので、「泥生(どろしょう)」が転訛して「どじょう」と呼ばれるようになったとする説と、「どじょう」が土の中でも成長することから、「土長(どちょう)」が転訛したとする説とがあるようです。歴史的仮名遣いが「どぢゃう」であることから、後者の説が有力だとされています。

 北海道では殆ど見かけませんが、どじょう屋さんの看板は「どぜう」となっているのが一般的だそうです。

室町期に「土長(どちょう)」などの表現があり、元来の仮名遣いは「どぢゃう」とされていることは前述の通りです。

「どぜう」の表記は、江戸期の「駒形どぜう」に由来する仮名遣いだそうです。

仮名遣いでは「どじょう」。もともとは「どぢやう」もしくは「どじやう」と書くのが正しい表記です。

それを「どぜう」としたのは「駒形どぜう」の「初代越後屋助七(えちごやすけしち)」の発案だそうです。

「駒形どぜう」の創業は1801年、徳川11代将軍家斉の時代だそうです。初代越後屋助七は武蔵国(現埼玉県北葛飾郡)の出身で、18歳の時に江戸に出て奉公した後、浅草駒形にめし屋を開きました。

当時から駒形は浅草寺にお参りする参詣道(さんけいみち)であり、また翌年の318日から浅草寺のご開帳が行われたこともあって、店は大繁盛したそうです。

ところが、文化3年(1806年)の江戸の大火によってこの店が類焼にあったそうです。

Photo_3 そのときの看板は「駒形どぢやう」だったそうです。この「どぢやう」の四文字では縁起が悪いと当時の有名な看板書き「初代撞木屋仙吉(しゅもくやせんきち)」に奇数文字の「どぜう」と暖簾(のれん)に書くように頼み込んだといいます。

注文された仙吉さん、「旦那、字が間違いですぜ・・・」と言ったとか言わないとか・・・。とにかく、そのまま書かせました。

これが「なんだ?なんだ?」と一躍有名になったとか・・・。今でいうとキャッチコピーの効果があったようです。これが評判を呼んで店は繁盛。江戸末期には他の店も真似て、看板を「どぜう」に書き換えたといいます。

初代越後屋助七が始めた「どぜう鍋」、「どぜう汁」に加え、二代目助七が「くじら鍋」を売り出すなど、商売はその後も順調に続きました。嘉永元年(1848年)に出された当時の美食家の手引書『江戸名物酒飯手引草(嘉永元(1848)年刊)』には、「駒形どぜう」の名が記されているそうです。

「駒形どぜう」は200年余りたった今も、営業しています。

Photo

したっけ。

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「エンジェルとキューピッドの違い」について考える

2011-09-08 09:05:37 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

エンジェル(Angel)はヘブライ・キリスト教、キューピッド(Cupid)はローマ神話(ギリシャ神話ではエロース(Erosと呼ばれます)なので、起源はまったく別なのですが、確かに似たような姿で描かれることが多いですね。

見分け方は簡単で、弓矢をもっているのがキューピッドで、もっていないのがエンジェル(天使)だそうです。

なお、エンジェル(天使)についていうと、必ずしも子供の姿をしているわけではなく、ごく一部がそのような姿をとっているだけのようです。そもそも神によって創造された「神の使者」で、人間に神の意思を伝え、人間を守護する役目を持っている。したがって、人間の目には見えない、当然年齢も性別もないのだそうです。

Photo_2 エンジェルAngel)というのは、ヘブライ・キリスト教で、「神の使い」をいいます。今では「天使(Angel)」として一緒にされていますが、聖書では二種類の「天使」がいることがわかります。

ひとつは「セラフィム(熾天使)・ケルビム(智天使)・オファニム(座天使)」のグループ。翼や目を多数持ち、人外の形態をとる存在として描かれ、『エゼキエル書』などでは「四つの顔(それぞれ牛・獅子・鷲・人の様)を持ち、四つの翼を持ち、四つの腕を持つ」とされ、車輪のようなオファニムを従えた姿で描かれています。中世以降、天使の階層で上位のグループとされています。

一方、神からの報せをもたらす天使(Malakhマルアーク)は「とても美しい男性の姿」で描かれ、一目では人との区別がつかないように描かれています。天使の階層では中・下位のグループにされています。天使の代表である、ミカエル(Michael)やガブリエル(Gabrielなどはこのマルアークです。受胎告知の天使であるガブリエルのみ、女性の姿で描かれます。

エゼキエル書(えぜきえるしょ)

[ 日本大百科全書(小学館) ]

The Book of Ezekiel

「イザヤ書」「エレミヤ書」と並ぶ『旧約聖書』の三大預言書の一つ。全体は48章で、紀元前593年バビロンでエゼキエルが預言活動を始めたときから、前571年新バビロニア王ネブカドネザル2世がフェニキアのツロ占領に失敗したときまでの預言を集めている。エゼキエルは、偶像礼拝などの報いとして、首都エルサレムの破壊とユダ王国の破滅という神の審判を語り、前587年エルサレム陥落で預言が実現すると、以後は一転して回復の預言を語った。とくに4048章では、エルサレムの神殿礼拝の復興と律法の遵守によるイスラエル回復の幻を述べている。

Photo_3 キューピッドCupid)はローマ神話に於ける「愛の神(Cupido:クピト)」と呼ばれ異端の神で、愛、欲望、性愛の神様なのです。キューピッドの矢で射抜かれた人間は恋に苦しみ悩まなければならないのです。

ギリシャ神話の愛の神「エロースEros※」と同一視はされますが、厳密には別の神だそうです。特にエロースは「ひげを生やした男性の姿」で描かれることもあり、羽をはやした幼児の姿で描かれるキューピッド(クピド)とは一線を画すと言えるでしょう。

※エロース:美の女神アフロディーテ(ビーナス)の息子。

Photo_4

Photo

したっけ。

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「身は縛られても心は縛られぬ。権力者よ、汝らに何ができよう」

2011-09-07 10:49:51 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

今日は昨日の「アトラス(Atlas)」の弟、「プロメテウス(Prometheus)」の話です。

Photo_2 「アトラス(Atlas)」の弟、「プロメテウス(Prometheus」が人間に「火」を与えました。その結果、ゼウスの怒りをかい、コーカサスの山の岩に鎖でつながれ、永遠に、はげ鷹に腹を引き裂かれ、肝臓をついばまれ続ける、という刑に処されました。

プロメテウスは不死の身であったので、一度腹を裂かれても、すぐにもとに戻ります。このため、刑は永遠に続きます。傷が治ったとたんに、再び、腹を裂かれるのです。これほどにまで残酷な刑はあるでしょうか。不死身ゆえに、死ぬこともできず、毎日、永遠に、苦しみ続けるのです。人間に「火」を与えたことは、そんなに苦しむべき罪なのでしょうか。

人間に「火」を与えた「プロメテウス」の話はこのようなものです。

ある日「プロメテウス」が人間界を見下ろしたところ、人間は無知と暗闇の中にいました。そこで、全能の神「ゼウス(Zeus)」の所へ行き、人間に「火」を与えたいと掛け合いました。しかし、ゼウスは「無知というのは罪を知らないということだ。人間は、誰かが不幸だと思わせない限り、ずっと幸福なのだ。」と言って、取り合ってもらえません。

「プロメテウス」はそれでも、どうして人間に「火」の贈り物をしたらいけないのか、教えてほしかったのです。

Photo_3 「ゼウス」は「もし人間に火を持たせたら、人間は神同様、強力な存在となろうとし、オリンポスを荒らしにやってくるだろう」と答えました。しかし、「プロメテウス」は、この回答に満足せず、翌朝、日の出の「火」を少し盗んで人間に渡したのです。

 「火」のおかげで、闇と寒さを人間は恐れなくなりました。人間は洞窟から外に出ました。暖かい火を囲んで、小屋を建てることも覚えました。「火」からあらゆる技術が生まれました。土器をつくり、煮、炊き、焼く料理を始めました。そして金や銀など鉱石を溶かす術を身につけ、そこから生活の道具や装身具が生まれ、武器や貨幣が生まれたのです。人間は剣を作り、槍を作り、兜をかぶり、戦争に出かけました。

火を与えられて、人間は幸福になったのでしょうか。

更に彼は人類に「言葉」を与えました。そこから「思想」と「学問」が生まれました。また「音楽」を与え、人々の心を高めました。「医術」や、「建築」「天文」「数学」「牧畜」「航海」を教えました。やがて「都市(ポリス)」も出来ました。彼はまさに「文化の父」でありました。

プロメテウスは、人間に「火」を与えたことで、三万年(三千年とも)もの間、こうした残酷な刑罰を受け続けていたのです。 

Photo_4 あるとき、勇敢な英雄「ヘラクレス(Heracules)」が彼の前にあらわれ、はげ鷹を殺し、プロメテウスは苦痛から解き放たれました。

「プロメテウス」は人間に文明と技術をもたらしました。

今、私たちは機械のみならず、技術や情報という名の鎖につながれています。人間を、この鎖から解き放ってくれるヘラクレスは、いつ現れるのでしょうか・・・。

Photo

したっけ。

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「世界地図は何故アトラスなのか?」について考える

2011-09-06 11:09:49 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

 世界地図や地図帳のことを英語で、「アトラス(Atlas」というそうです。1500年代から使われている言葉だそうです。

Atlus これは「ギリシャ神話」に登場する、怪力の巨人「アトラス(Atlas)」に由来するそうです。

オリンポスの神々と戦って敗れ、世界の西の端で天空を双肩で支える罰を科せられた巨人で、明日の記事で紹介するプロメテウスの兄です。

「アトラス」は、毎日天を持ち上げながら四方をながめて暮らしていて、世界の隅々まで知っていました。

Medusa やがて、年をとったアトラスは、天を支えるのがだんだんつらくなってきます。

そこで、英雄「ペルセウス(Perseus)」が、見たものを石に変えてしまうといわれる「メデューサ(Medousaの首」をとってきたときに、アトラスはその首を見て石になることにしました。

Photo_2 岩山となったアトラスが、ジブラルタル海峡のアフリカ側、アフリカ北東部、モロッコ・アルジェリア・チュニジアにかけて東北に走る「アトラス山脈(the Atlas)」ということです。最高峰はトゥブカル山で、標高4165m

大西洋(the Atlantic Ocean)の名もアトラスに由来する。ヘロドトス (紀元前484-420)は『歴史』の中で大西洋を「アトランティスと呼ばれる柱の外の海」と記述したのが由来だそうです。

メデューサ

宝石のように輝く目を持ち、見たものを石に変える能力を持つ魔物。かつては見た者を恐怖で石のように硬直させてしまうとされていたが、途中から現在知られている形に解釈される。頭髪は無数の毒蛇で、イノシシの歯、青銅の手、黄金の翼を持っている(腰に蛇をまいた姿や、下半身がイノシシの胴体と馬の下半身になった姿で描かれる事も)。

海の神であるポセイドーンの愛人であり、ポセイドーンとの間に天馬ペーガソスとクリューサーオール(「黄金の剣」の意)がいる。ペルセウスによって首を切り落とされ退治された。

ウィキペディア

Photo_3

1569、大航海時代のころ、地図学者のメルカトルが、正角円筒図法(メルカトル図法)を発明し、世界地図を制作しました。

メルカトル【Gerhardus Mercator

15121594]オランダの地理学者。1538年に世界地図、41年に地球儀、51年に天球儀、69年にはメルカトル図法による世界地図を完成。近代地図学の祖とされる。

大辞泉

この地図は方位が正確で、航海に非常に役に立つので、ヨーロッパ中で使われました。

このメルカトルの地図帳の表紙に、天を支える巨人であるアトラスが、肩に地球をかかえた姿の絵が書かれていました。

そのため、この地図帳は「アトラス」とよばれていました。

やがてイギリスで、「アトラス」が世界地図や地図帳の代名詞になり、そのうちに、世界地図や地図帳のことを一般的に「アトラス」と呼ぶようになったのです。

もちろん、英語では「Map of the world」が本来の世界地図の名称です。

Photo

したっけ。

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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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