団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖

都月満夫の短編小説集2

「羆霧(くまぎり)」
「容姿端麗」
「加奈子」
「知らない女」

都月満夫の短編小説集

「キヨシの帰省」
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

「サングラスの起源」について考える

2011-09-21 11:01:16 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

起源は明らかではありません。

古代ローマ皇帝ネロ(在位5468)も円形闘技場の催しを観戦する際にエメラルドのレンズを入れた眼鏡を使っていたとされています。

Photo_2 また、起源は15世紀以前(12世紀頃とも)の中国ともいわれています。裁判を行う際に裁判官が判決を言い渡す前に表情を読み取られない様にする為に「煤の付いた石英のレンズ」をかける事が決まっていたそうです。

この、「煤の付いた石英のレンズ」は「スモーキークォーツ(smoky quartz)」だったともいわれています。「スモーキークォーツ」とは、水晶の一種で、石英グループに属する鉱物の変種。茶色や黒っぽい煙がかったような色をしたものをスモーキークォーツと呼ぶ。和名は、煙水晶。

「目は心の鏡」とも言われますから、裁判官は心の動揺を隠して判決を言い渡したのでしょうか。

また、目元を隠すことで人相を判別しがたくしたり見る者に威圧感を与えたりできるので、バブル期を中心に暴力団関係者が好んで着用していました。

これは、ある意味、中国の裁判官と同じし用法です。

目を保護するという意味では、1923年に米国陸軍航空隊のジョン・マクレディ中尉から、「視力の低下や頭痛、吐き気までを引き起こす原因となる飛行中の強烈な太陽光線から目を保護するレンズを開発してほしい。」という依頼を受けたボシュロム社が6年後(1929年)に製品化したのが、紫外線を99%、赤外線を96%カットする光学性能を持ったレンズです。このレンズが今のサングラスの起源とされています。

Photo_3 ところが、眩しさから目を守るギア(用具)としての起源は遥か遠い昔、縄文時代の遮光器で知られている北方民族イヌイトの「雪めがね」まで遡ります。

これは「極北の科学者」という異名をもつイヌイトが雪の反射光を遮るために創造した今の偏光サングラスと同じ機能です。眩しさから目を守ることがサングラスの定義だとすれば、サングラスの起源は数千年も前の北極にあったともいえそうです。

Photo

したっけ。

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「貴方任せ(あなたまかせ)」について考える

2011-09-20 10:58:17 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

「貴方任せ(あなたまかせ)」。どこかで聞いたことがある流行歌の歌詞のような言葉です。

今では何事も誰かに押しつけ、自分では何も責任をとろうとしない投げやりな態度を表すことばになっていますが、実はこの言葉の語源は熱心な仏教信仰のありさまのことだそうです。

Photo_2 平安時代の末期浄土宗を開いた「法然上人」は、ひたすらに「南無阿弥陀仏」と唱えれば、浄土に行くことができると説きました。

この教えは、わかりやすさと簡単なために、たちまち民衆の間に広まりました。それまで貴族が中心だった仏教も、これなら文字の読めない人でも簡単に覚えられ、実践することができます。

Photo_3 難しいことは考えず、ひたすら「南無阿弥陀仏」と唱え阿弥陀さまにすべてをまかせて、信じていればいいというのが人気の原因だったのでしょう。

「貴方任せ」という場合の「あなた」は、本来「阿弥陀如来」を指すそうです。すべてを阿弥陀如来に任せて、来世で極楽浄土に生まれ変わることを願うことをいう、他力本願のことだそうです。

あみだ‐にょらい【阿弥陀如来】

阿弥陀仏の尊称。

あみだ‐ぶつ【阿弥陀仏】

()Amit<shapetype id="_x0000_t75" stroked="f" filled="f" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" o:preferrelative="t" o:spt="75" coordsize="21600,21600"> <stroke joinstyle="miter"></stroke><formulas><f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></f><f eqn="sum @0 1 0"></f><f eqn="sum 0 0 @1"></f><f eqn="prod @2 1 2"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @0 0 1"></f><f eqn="prod @6 1 2"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></f><f eqn="sum @8 21600 0"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @10 21600 0"></f></formulas><path o:connecttype="rect" gradientshapeok="t" o:extrusionok="f"></path><lock aspectratio="t" v:ext="edit"></lock></shapetype><shape id="_x0000_i1025" type="#_x0000_t75" style="WIDTH: 6pt; HEIGHT: 15pt"><imagedata o:href="http://dic.yahoo.co.jp/images/V2/yh_gaiji/l/00291.gif" src="file:///C:DOCUME~1OwnerLOCALS~1Tempmsohtml11clip_image001.gif"></imagedata></shape>bha(無量光仏と訳)Amit<shape id="_x0000_i1026" type="#_x0000_t75" style="WIDTH: 6pt; HEIGHT: 15pt"> <imagedata o:href="http://dic.yahoo.co.jp/images/V2/yh_gaiji/l/00291.gif" src="file:///C:DOCUME~1OwnerLOCALS~1Tempmsohtml11clip_image001.gif"></imagedata></shape>yus(無量寿仏と訳)の音写から》西方浄土の教主。すべての衆生を救おうと48の誓いを立てた仏。浄土宗・浄土真宗では本尊とし、念仏による極楽往生を説く。弥陀。阿弥陀。阿弥陀如来。

大辞泉

日常会話の中で「あなた」が「他人」を指すようになったことで、「他人の言いなりになる」という意味を指すようになってしまいました。

「この一敗で、我がファイターズは自力優勝の道は絶望になりました。あとは、他力本願に頼るしかないですね。 残念ながらソフトバンクにマジックが点灯しました。」

 この場合、これからいくら勝ち続けても優勝はできない。は相手が負けるのを待つしかない、という意味でしょう。

 このように「他力本願」は、もっぱら他人の力をあてにする、他人まかせという意味で、いろんな場面で使われています。これは大変な誤解だそうです。

Photo_4

 鎌倉時代前半から中期にかけて活動し浄土真宗を開いた「親鸞聖人」は『教行信証』に「他力といふは如来の本願なり」と明示しておられるそうです。だから、他力とは、他人の力ではなく、仏の力、阿弥陀仏の慈悲のはたらきをいうのだそうです。

きょうぎょうしんしょう【教行信証】

鎌倉前期の仏教書。親鸞(しんらん)撰。6巻。広く経典や解釈論の中から念仏往生の要文を抜粋・編集し、浄土真宗の教義を組織体系化した書。

大辞泉

 仏さまの生きとし生きるものを救わずにはおれないという強い願いのはたらき、これが「他力本願」なのだそうです。

つまりは,「あなたまかせ」は、阿弥陀まかせといえます。当時の人は積極的な意思で仏にすがったのです。

それに比べ、現代の我々はひたすら逃げることばかり考え、あなたまかせにする。このような消極的なすがり方では阿弥陀様お慈悲も受けられないというものです。

Photo

したっけ。

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「老人の“老”の字」について考える

2011-09-19 10:21:35 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

今日は「敬老の日」です。老人とは具体的にどのような状態を指すのでしょうか。WHOWorld Health Organization、ダブリュウ・エイチ・オー、世界保健機構)によりますと65才以上を「老人」と定義しています。

また、老化とはどういうことを指すのかというと、「加齢とともに臓器の機能が次第に衰えて、ついに環境に適応できなくなり、個体死に至る過程であり、老化は常に進行性で不可逆なものである。」と定義されています。

さらに、高齢化社会とは、その社会の構成員で65才以上(老人)の人が占める割合が7%を越える時、高齢化社会と言っています。

高齢社会となると少し違ってきます。65才以上の高齢者人口の割合が14%を越えた時の社会を高齢社会と言っています。

日本では高齢者人口の割合2000年に17%になり、2020年には27になると推計されています。

Photo_4 「老」の文字は、おいる、ふける、老害、老巧、老狭など悪い意味の言葉ばかり多く、今では負のイメージが強いものなっています。

漢字の発祥の地、中国では、「老」の字はよい意味にしか使わないそうです。良く醸したお酒を「老酒(らおちゅう)」、若くても学識のある人を「老師(ろうし)」と呼んで敬っておりました。

日本でも、昔から何代も続いている、信用のある店を「老舗(しにせ)」と呼びます。江戸時代には、大老、中老、家老。若年寄りと呼ばれた役職がありました。

また、村には「長老(ちょうろう)」といわれる経験豊かな相談役がいて崇められていました。

このように、年を重ね、経験をつむことは良いことなのです。黄金のような輝かしい光はありませんが、磨き抜抜かれたぶし銀のように底光りするものが「老」なのです。そうなりたいものです。

松尾芭蕉は51歳で生涯を閉じていますが、芭蕉は37歳で江戸深川において独立しました。名声を上げ、俳人ということもあってか、この頃から自分自身を「翁」と呼んだそうです。

ろう【老】

[音]ロウ(ラウ)(呉)(漢) [訓]おいる ふける

[学習漢字]4

1 年をとってふける。おいる。古くなる。「老化・老朽・老境・老後・老人・老衰・老年・老木・老廃物/早老・不老」

2 年寄り。「老若(ろうにゃく)/棄老・敬老・孤老・野老(やろう)・養老」

3 物事に通じている年長者。「家老・元老・宿老・大老・長老」

4 長い経験を積んでいる。「老獪(ろうかい)・老巧・老練」

5 年長者に対する敬称。「老兄・老台」

6 老人の自称。「老生/愚老・拙老」

7 老子のこと。「老荘」

[名のり]おい・おみ・おゆ・とし

[難読]海老(えび)・老舗(しにせ)・野老(ところ)・老麺(ラーメン)・老酒(ラオチュー)・老頭児(ロートル)

大辞泉

Photo_3 漢和辞典の「老」の解字によると、毛・人・匕を合わせた字。匕は化で。変化すること。老いは、人の髪の毛が白く変化することで、年寄りをいう。一説に髪の毛の長い人が背を曲げて杖をついている象形文字で、老人をいう、とあります。

「老」とは身体的機能の衰えに力点があり、それを髪が白い、腰が曲がっているなどで表しているそうです。

私はWHOの定義によるとまだ老人ではありません。念のため・・・。

Photo

したっけ。

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「長寿のお祝い」について考える

2011-09-18 09:53:49 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

長寿とは寿命が長いことを指す言葉ですが、その長寿をお祝いする風習があります。どのようなものがあるのかご存知ですか?

明日は「敬老の日」です。長寿のお祝いについて考えてみましょう。

還暦祝い(61歳のお祝い)

Photo 最初の長寿のお祝いは、満60歳、数え年61歳で祝う還暦祝いです。

還暦とは、干支(十干十二支)が一巡し起算点となった干支に再び戻ることを言います。

日本での還暦のお祝いには、本人に赤い頭巾やちゃんちゃんこを贈ります。

かつては、魔よけの意味で産着に赤色が使われていたため、再び生まれたときに戻るという意味でこの習慣があるようです。

日本人の平均寿命からすると、60歳は当たり前、まだまだ年寄り扱いはされたくないかも知れません。

古希祝い(70歳のお祝い)

古希(こき)は数え年で70歳、満69歳で祝う長寿のお祝いです。

昔は70歳まで生きることが希であったことから、長寿のお祝いとされています。

お祝いの色は紫で、還暦のお祝いと同じく紫色のちゃんちゃんこと大黒帽を贈るのが習わしです。

喜寿祝い(77歳のお祝い)

喜寿(きじゅ)とは、数え年の77歳のことで、「喜」という感じの草書体が「七十七」に見えることから77歳に喜寿のお祝いをする風習が生まれたそうです。

昔と比べて今は、長生きする方が増え、77歳の喜寿のお祝いから本格的に長寿のお祝いをする人が多くなっているそうです。

お祝いの色は、古希と同じく紫色紫紺になります。

お祝いの品もその色にちなんだものとなり、紫色のちゃんちゃんこや座布団が定番です。

傘寿祝い(80歳のお祝い)

傘寿(さんじゅ)とは、傘の略字が縦書きの八十に見えることから80歳を傘寿と呼ぶようになったそうです。

お祝いは古希・喜寿と同じく紫色のものになります。

傘寿のお祝いにも、紫色の座布団やちゃんちゃんこ、大黒帽を贈ります。

米寿祝い(88歳のお祝い)

米寿(べいじゅ)とは、数え年の88歳、満87歳で祝う長寿のお祝いです。

米という字を分解すると八十八となることから、88歳に米寿のお祝いをするようになったようです。

昔と比べて寿命が延びている現代でも、88歳まで生きられたということは非常におめでたいことです。

様々ある長寿のお祝いの中でも、この米寿のお祝いを一段と盛大に行うところが多いようです。

米寿のお祝いの色は金色もしくは黄色ですので、金色や黄色のちゃんちゃんこや頭巾を贈るのが習わしのようですが、現在ではそれらに限定せず、金色のものを贈ることが多いようです。

卒寿祝い(90歳のお祝い)

卒寿(そつじゅ)とは、数え年の90歳で祝う長寿のお祝いです。

卒寿とは、卒の草書体が九十と読めることから、90歳の長寿を祝うようになったそうです。

平均寿命が延びている現在でも、90歳まで元気で長生きすることは簡単ではありません。

卒寿のお祝いの色は紫色ですので、他の長寿のお祝いと同様、紫色の座布団やちゃんちゃんこ、頭巾などを贈ります。

座布団には、寿や鶴亀などの縁起の良い模様入りのものが喜ばれるようです。

白寿祝い(99歳のお祝い)

白寿(はくじゅ)とは、99歳の長寿のお祝いです。

百の字から一取ると白になることから、99歳の長寿のお祝いとされるようになったようです。

白寿には、白い頭巾とちゃんちゃんこを着るのがお祝いの習慣とされ、広く親しまれています。

亀甲花菱文や鶴のおめでたい文様が入ったものが人気のようです。

百寿祝い(100歳のお祝い)

百寿(ひゃくじゅ)とは呼んで字の如く、百歳で祝い長寿のお祝いです。

百寿の他に百寿(ももじゅ)や紀寿(きじゅ)とも言います。紀寿は100年が一世紀であることが語源です。

百寿のお祝いの色は、ピンクです。ピンク色の頭巾、ちゃんちゃんこを着てお祝いします。

お祝いの仕方は他の長寿のお祝いと変わりません。

茶寿祝い(108歳のお祝い)

茶寿(ちゃじゅ)と言う言葉を初めて耳にした人も少なくないと思います。

茶寿とは、108歳で迎える長寿のお祝いです。

茶という字を分解すると「十、十、八十八」となり、全部足すと「10+10+88=108」になることから108歳で祝う長寿のお祝いを茶寿と言うようになったそうです。

茶寿のお祝いの色は決まっておらず、茶寿だからと言って茶色というわけではないそうです。

100歳を超えた長寿のお祝いには、基調色がないそうです

発案者はお茶屋さんという説もあります

茶寿の贈り物にお茶を贈るのもいいと思います。お茶と一緒に茶器のセットもいいですね。

皇寿祝い(111歳のお祝い)

皇寿とは、長寿祝いの一つで、数え年の111歳で祝います。

皇という字を分解すると「白」と「王」に分解されます。「白」は「白寿」と同じで九十九」。「王」は分解すると「十」と「二」で「十二」となります。「9912111」となります。

この辺になると、耳にする機会が少ないと思いますが、知識の一つとして覚えておいてください。

川寿(せんじゅ)とも呼ばれる皇寿は、111歳で祝う長寿のお祝いの一つです。

100歳を超えた長寿のお祝いには基調色がないので、皇寿にもありませんが、金色の頭巾やちゃんちゃんこを着てお祝いをすることもあるようです。

大還暦祝い(120歳のお祝い)

最後の大きな長寿祝いとも言えるのが大還暦です。

大還暦とは、120歳でお祝いする長寿祝いの一つです。

還暦が二周することから大還暦と呼ばれています。

大還暦とは、故・泉重千代さんのために考え出された新造語だそうです。

大還暦を迎える人は非常に少なく、日本では泉重千代さんのみ達成しているそうです。

ですので、大還暦を実際に迎える人やお祝いする人はほとんどいませんが、知識の一つとして頭の片隅に置いておいてください。

Photo_2

 大還暦までは、まだまだ遠い道のりです。人生まだ半ば・・・。

したっけ。

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「イヌサフラン」MY GARDEN 2011.09.17

2011-09-17 10:01:46 | 写真

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コルチカム(和名:イヌサフラン) ユリ科 コルチカム(イヌサフラン)属

学名:Colchicum autumnale L

花期:秋9 11

別名: コルキクム アキズイセン

草丈:1520cm 

花径:45cm

花色:紅紫、白、ピンク、淡紫

原産地:イギリス~地中海沿岸

秋の彼岸のころ、イヌサフランは土の中から蕾を出し、花を咲かせます。葉は花が終わってから早春に出し、6 月ごろには枯れます

この植物はヨーロッパや北アフリカの森林や湿った草地に分布する球根植物です。球根には水や養分が蓄えられており、球根を机の上においておくだけでも花を咲かせるという面白い性質があります。

花は美しく、園芸植物として世界中で栽培されており、多くの園芸品種が創られて秋の庭園の彩りに用いられています。

イヌサフランは英名では「秋咲きクロッカス(autumn crocus)」といいますが、観賞用に植えられるクロッカスやスパイスや染料として使われるサフランアヤメ科で全く違う植物です。

花が葉をまとわずに裸で地面から現れることから「裸の貴婦人naked ladies)」ともよばれます。

毒性が強く、昔から薬用として利用されてきました。鎮痛(痛風)

球根にはアルカロイドの一種コルヒチンが含まれています。

名前の由来はサフランとイヌサフランは球根も花 も非常によく似ており、サフランに似て否なるものから「犬サフラン」と名づけられたようです。

クロッカスと似ていますが雄蕊の数で識別できます。イヌサフランは6本ですがクロッカスは3本です。 

したっけ。

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「溝蕎麦」MY GARDEN 2011.09.16

2011-09-16 10:04:32 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

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ミゾソバ(溝蕎麦) タデ科 イヌタデ属

学名:Persicaria thunbergii

別名:牛の額(うしのひたい) 葉の形が似ている。

原産:東アジア

花期:810

分布:北海道・本州・四国・九州(帰化植物)

草丈:300100

小川や沼沢地、湖岸など肥沃な水湿地に生育するタデ科の一年草。

根元から枝分かれして繁茂し、節から根を出して群落を作ります。生命力旺盛。

花色はほとんど白色に見える物から全体が淡紅色の物まであり米粒のような形で枝先に密集します茎に下向きのとげがあります。さわると痛いです。

名は溝に成育し、葉がソバに似ていることから付けられたようです。

花言葉は「風変わり」です。 

自宅前の川の岸辺に咲いています。

肥沃な水湿地に生育とありますが、これは川が汚れたことを意味しています。昔はキレイな湧水でミゾソバはありませんでした。45年前から見られるようになりました。

専門家に聞いたところ、ミゾソバには水の浄化作用があるそうです。自然はうまくできていますね。

したっけ。

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退屈刑事(たいくつでか)2『特別失踪者殺人事件』

2011-09-15 08:13:22 | 短編小説

 

 都月満夫

佐倉淳平、私の父である。デカ(刑事)を退職して三年半、毎日が退屈で堪らない。

 

 私は山本淳一、現職のデカである。

 

 私の両親は、私が小学校に入る前に離婚した。私は母に引き取られ、母の旧姓で育てられた。離婚の原因は、父があまりにも、仕事熱心であった為であった。

 

 母から、警察官にだけはなるな、と言われて育てられた。家に帰ってこない、家庭を顧みない父であった、と言われ続けた。…にも係わらず、私は警察官になった。

 

そこで、私は父が、洞察力の優れた刑事であったことを知った。父は仲間から尊敬を込めて『鬼の淳平』、『鬼平』と呼ばれていた。

 

北海道警察の『鬼平』が、私の父であることを知る者は少ない。

 

やがて、私は結婚し、父と同じ理由で離婚した。子供はいなかった。

 

母は亡くなり、現在、父と同居している。

 

 

 

「おっ!帰ってきたな。」

 

父がご機嫌で迎えてくれた。また、退屈の虫が疼いているに違いない。

 

「また退屈ですか…。駄目ですよ。眠りに帰ってきたんですから…、すぐ寝ます。」

 

「そんな…、つれないことを、親に向かって言うもんじゃないよ。〝特別失踪者殺人事件〟、調べてんだろ…。事件発生から、何の続報もない。お前は帰って来ない。退屈で、退屈でうずうずしてたんだ。そろそろ帰って来るんじゃあないかと、旨い酒買って待ってたんだ。今日は肉まで買ってよ。ほら…、すき焼きだ。いつもの豚じゃあないぜ。十勝牛だ。聞かせろよ。どうなってんだ、え。」

 

「駄目ですよ。事件のことは、関係者以外には、話せませんって言ってるでしょう。」

 

「またそれだ…。関係者以外って…。オレとお前は親子っていう密接な関係じゃないか…。それに元デカと現職デカって関係だ。先輩の意見を伺うってことは大事なことだぜ。」

 

「またそれだ…。それはこっちの台詞…。」

 

「どうせお前だって気になって寝られやしないだろ…。だったら旨い酒飲んで、親子で世間話をしたっていいだろ。」

 

「世間話って…、言ったって…。」

 

「世間話だろうよ。新聞に載ってた記事について、話をするんだ。ただ…、お前がちょいと事件に詳しいってだけじゃないか、え。」

 

父はこう言い出したら、後へは引かない。『鬼平』といわれた男だ。

 

「…。わかりましたよ。事件のあらましは新聞に出ていた通りです。五年前に失踪し、自殺じゃないかってことで、一年後に特別失踪者の宣告を受けた男が、中央公園のベンチで刺殺された…。背後から一突きでした…。」

 

「マル害(被害者)はホシ(犯人)の顔も見ないで死んだってわけか。そのマル害、確か、殺人事件のホシだったよな。料理屋の婿養子だった板前が、義母とソリが合わなくてイライラしてパチンコ屋通い。そして、路上でゴタ(喧嘩)になった男を突き飛ばした。運が悪く男は歩道の縁石に頭を打って死んじまった。一歳くらいの女の子がいたんじゃなかったか…。そうだったよな、え。」

 

「そうですよ…、それで板前はそのまま家へ戻って、店の金を鷲掴みにして逃走した、…って事件です。」

 

「その後、一週間ぐらい経ってから、八十キロほど離れたH町の「海岸で、板前の着衣が発見された…。そうだよな。」

 

「そうです。その一年後、家族が家庭裁判所に失踪者宣告の申し立てをして、死亡が確定しました。」

 

「例えば行方不明になったまま、生死不明の状態が何年も続いた場合、残された相続人は、財産の相続ができない。相続税の申告も不可能だ。こんな場合には、民法の失踪宣告をすることによって、失踪者は死亡したものとして、それ以後の手続きが可能となる。普通は失踪から七年で申告が可能となる…。特別失踪は、何らかの危機に遭遇し、死亡しているかどうかわからない場合、危難が去った後、不在者の生死が一年間明らかでない場合に、利害関係人が家庭裁判所に失踪宣告の申立をする。失踪の宣告を受けた者は危難の去りたる時に死亡したるものと見なすってことだ。だから、板前は自殺とみなされ、海岸で着衣が見つかった日が、死亡した日となる。」

 

「そうですよ。その死んだと思われた男が刺殺されたんです。」

 

「…で、今回の、ホシのアタリ(見当)はついたのか…。」

 

「えぇ…、まあ…。」

 

「何だ、煮え切らないな。」

 

父は、湯飲みの酒をぐいと飲み込んで、私にも飲めと、一升瓶の口を向けた。

 

私は酒を飲み干し、湯飲みを差し出した。

 

 

 

「知ってのとおり、板前は五年前の路上殺人のホシじゃあなかった。一ヶ月ほど前にコンビニ強盗で捕まった男が、路上殺人のホシだとゲロ(自白)しましたから…。そいつが当時、瀕死状態で路上に倒れていた男から財布を奪い、逃げる時に足をつかまれたんで、頭を路面に叩き付けた…。そのユミヘン(強盗)が、奪った財布を持っていたんです。」

 

 「馬鹿な野郎だな…。よっぽどいい財布だったんだな…。とんだトンビ(路上強盗)じゃないか、え。」

 

 「そう、ブランド物だったようです。」

 

 「それで…、その板前、自分がホシでないことを知っていたのか。」

 

 「多分…、分かっていたと思います。」

 

 「死んだはずの男が殺された。二回も死ぬなんて運の悪い男だ…。」

 

父は首をひねった。

 

 

 

「で、死亡推定時刻は何時なんだ。発見されたのは、月曜の早朝だったよな。」

 

「解剖の結果、日曜の夜十時から十一時ってことになっています。」

 

「日曜の夜といえば、その頃から雪が降って来た日だ。ゲソ痕(靴跡)は…。」

 

「あいにく、その日は地面が凍結状態だった上、雪が降りましたから…。」

 

「そうか…。ゲソ痕はとれなかったか…。」

 

「発見したのは、犬の散歩をしていた主婦なんですが…。」

 

「そんなことは聞いちゃいないよ。もっとマシなネタ(情報)はないのか。」

 

「ええ、はい…。元の妻ですがね。男の失踪宣告から一年後に再婚して、今も料理屋をやっていますよ。それがチョイと、ややこしいことになってまして…。」

 

「早く言えよ。気を持たせないでよ、え。」

 

「ええ…、板前が生きているんじゃないかってことになって、保険金の問題がでてきたんですよ。二千万ほど受け取って、店を改装したんですがね。生きているってことになったら、当然返還しなくちゃなりません。」

 

「しかし、その時点で、ホシじゃないってことは割れて(分かって)も、生死は…。」

 

「それが、二週間ほど前に、家の中を覗いて、娘の様子を見ていたって言うんです。そして、あの日の夜、又、訪ねてきた。自分がホシでないとわかったからでしょうね。」

 

「誰のゲン(証言)だ、え。」

 

「元の妻です。その時、今さら現れたって困るから、もう二度とこないでくれって、追い返したそうです。」

 

「そいつは信用できるのか、え。」

 

「ええ…、感情がすぐに顔に出る女なので…。雪降りの公園ですから、マルモク(目撃者)がいないんでなんともいえませんが…。」

 

「ああ、思い出した。そのカミサン、美人だが気の強そうな女だった。それで…、元ダンナはおとなしく帰ったのか。」

 

「そう…、言ってますがね。」

 

「他には…、なんかないのか、え。」

 

「ちょっと、待ってくださいよ。次から次と、まるで尋問みたいじゃないですか。」

 

私はそう言って、肉を口に入れ、酒を飲んだ。父もつられて、酒を飲んだ。

 

 

 

「板前は、その後どうしていたんだ。」

 

「ええ、事件後は青森や弘前などの東北あたりにいたらしいんですが、一年ほど前に帰ってきたらしいんです。」

 

「ん…、何でそんなことがわかるんだ。誰のゲンだ、え。」

 

「半年ほど前から、一緒に暮らしていた女がいましてね。」

 

「なんで、そういう大事なことを早く言わないんだよ、お前は…。」

 

「順番ってものがあるでしょう…。一年ほど前から、男はスーパーで、魚を捌く仕事をしていたそうです。腕がいいので重宝されていたそうです。」

 

「そうだろうよ。包丁を持たせりゃ、元板前だ。重宝だろうよ。」

 

「それで、一緒に暮らしていたって女と知り合ったそうです。当然偽名だったので、事件のホシだとは気づかなかったそうです。」

 

「で…、その女、美人なのか、え。」

 

「いつもそれだ。美人かどうかが、事件と関係あるんですか…。」

 

「大有りだ。だからおまえは、ダメだっちゅうんだよ。事件の陰に女あり。昔から言うだろ…。女は事件を解く鍵だ…。」

 

「まあ、見た目から言うと、美人と言っていいでしょうが…。なんか、あんまり美人って感じがしないんですよね。暗いんです。」

 

「それで、その女、幾つだ。」

 

「三十八です。男の二歳、年下ってことになります。」

 

…。父は腕組みをして、考え込んだ。

 

 

 

「その女、結婚は…。」

 

「結婚はしたことがないそうです。」

 

「美人なのに…、か。」

 

「ええ、男に言い寄られたことも…、ないそうです。」

 

「で、今回は、言い寄られた。」

 

「いいえ、女から言ったそうです。」

 

「え、そんな女が…。本当か…。」

 

「でも、結婚は出来ないって言われた…。それでもいいって、女が言ったそうです。口数の少ない男で、昔のことは言いたがらなかったって…。東北にいたってことぐらいで、出身地も知らなかったそうです。でも、そんな男と、暮らしたいんですかね。女って…。」

 

「そういうもんだよ…。暮したいんだ。」

 

…。父は再び腕組みをして、考え込んだ。

 

 

 

「そうだ。肝心なことを聞いてなかった。凶器は何だ。分かってんだろ…。」

 

「鑑識の話では、身卸し包丁だろうって言ってます。こいつは、特に魚を下ろすことに特化した出刃包丁だそうです。刀身の幅も狭くて、板厚も薄く、出刃に比べ三枚下ろしなどもやりやすく、そのまま刺身を仕上げる場合もあるそうです。業務用ですね。」

 

「業務用ですねって…、料理屋の包丁、調べたんだろうな。」

 

「そんな当たり前のこと聞かないでください。ちゃんとありました。血痕も付着していません。新品でもありませんでした。」

 

「そうか、そうだよな…。」

 

そういうと、父は湯飲みの酒をちびちび飲みながら、考え始めた。

 

 

 

「当然だが…、そのスーパーにも、その何とかって包丁あるんだよな。」

 

「いえ…。使っていないそうです。」

 

「そうか…。使ってない。で…、おまえのアタリ(心証)は、どっちだ。」

 

「分かりません。なんせ、男が死んでしまってますから…。」

 

「ん、何で板前が五年前のホシじゃないと知ってると思った。なんか持ってたとか…。」

 

「ああ、持ってました。婚姻届を持ってましたよ。男の名前だけ書いてありました。本名でしたから…。もう本名が使えると…。」

 

「なんで、そういう大事なことを忘れるんだよ。それでも、お前はデカか…。」

 

「まあ…。世間話じゃないですか…。」

 

「で、その相手はどっちなんだ。」

 

「それが…、二人とも知らないそうで…。」

 

「…ん、こいつは、おかしい。しっくりこない…。…ん。」

 

そう言うと、父はぶつぶつと何か言いながら、考え始めた。これは、父の勘が働き始めたときの癖である。

 

 

 

「二人とも知らないって、どう知らないんだ、え。」

 

「料理屋の方は、知らないし、もし復縁を迫られても、今さらどうにもならないって、言ってました。」

 

「で、未練はありそうだったか。」

 

「ありそうには見えませんでした。本当に迷惑がっていましたから…。」

 

「で、もう一人は…。」

 

「スーパーの方は、ちょっとわかりませんでした。あまり、表情がないっていうか…。」

 

「失踪者の生存すること又は死亡したることの証明あるときは、家庭裁判所は本人又は利害関係人の請求により失踪の宣告を取消すことを要す、…だったよな。」

 

「そうです。」

 

「それだよ。取り消しの請求が出たら、困るのは料理屋の方だ。そうだろ…。」

 

「でも、女は、そんなこと気にしてませんでしたよ。改装してから結構繁盛しているようだし…。保険金は返すって言ってましたから…。」

 

「聞いてなかったが、当然、二人ともアリバイ(不在証明)はないんだな。」

 

「ありません。料理屋の方は、男が来たときに娘は寝ていたし、今のダンナも帰宅していなかったと言ってます。スーパーの方は、一人で部屋にいたと…。近所づきあいもしていなかったようで…。隣近所に訊いても、普段からいるのか、いないのかわからない…。」

 

「そうだろうよ。男は逃亡犯だった。目立つ暮らしはするわけがない。」

 

「ああ、それと…、事件のニ、三日前から女がいつもにも増して、口数が少なかったって…、同僚のゲンがありました。」

 

「ん…、それだ。女は悩んでたんだ。女ってのは、ややこしい生き物だぜ。女は婚姻届を見たんだ。そいつは男のジャンパーかなんかのポケットに入ってたんじゃないのか。」

 

「ええ…、そうですよ。」

 

「そいつを見たに違いない。それで、男が復縁をするのではないかと不安になった。直接、訊けばいいのによ。男にとって、女は地獄で仏だっただろうよ。そんな相手を裏切るほど男ってヤツは残酷ではないのによ。男を信用できなかったんだ。それで、あの日、男の後をつけた。案の定、男は元のカミサンと会った。女は確信した。とんでもない勘違いだ。男は元のカミサンに伝えておきたかったんだろうよ。自分が結婚して、二度と、ここへは来ないってよ。凶器の身卸し包丁は男が持っていたんだ。板前にとっては、包丁は命だ。包丁を持って渡り歩く板前もいる…。」

 

「ちょっと、お父さん…。ダメですよ。それはただの推測じゃあないですか…。」

 

「そう考えれば、全てが、納得がいく。」

 

人の話しなど聞かず、父は得意そうに、私の顔を見た。

 

「その女の部屋に…、包丁はあったか?」

 

「いいえ…。文化包丁だけで…。」

 

「なかっただろう。そいつが何よりの証拠だ。女が隠した包丁を探すんだな。ここから先は、お前たちの仕事だ。明日から、また忙しくなるぞ。今夜はシバレル…。早く寝ろ。」

 

父は、旨そうに湯飲みの酒を飲み干し、にやりと笑って…、立ち上がった。

 

 

 

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「禁じられた果実は一番美味しい」について考える

2011-09-14 10:45:39 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

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「禁じられた果実は一番美味しい」、英語のことわざで「Forbidden fruit is sweetest」と言うのが原文です。

この言葉は旧約聖書の「アダム」と「イヴ」の話から出ています。

当然ここで言われている「禁じられた果実」というのは、多くの人が「リンゴ」の事を思い浮かべたと思います。

しかし、実際のことを言うと旧約聖書の中で語られている「アダム」と「イヴ」が食べた「善悪を知る木」の事を「リンゴ」だと特定する様な記述はその文章の中には一切無いそうです。

これが今のように誰もが「リンゴ」と思うようになったきっかけは、17世紀のイギリスの詩人「ジョン・ミルトン」が自作の「失楽園」と言う著書の中で「アップル(apple)」と書いた事が最初だとされています。

それ以降、この説が一般的になってしまったそうです。

現在、この説にたいして反論も出ていて、その中では「その禁断の果実の正体は「杏/アプリコット(apricot)」ではないか?」とも言われています。

別の説では「いちじく」ではないか、としている人もいます。人類最初の衣服がいちじくの葉ですから・・・。

英語でノドボトケの事を「アダムのリンゴ(Adam's apple)」と言います。

これはもちろん旧約聖書の話から来ています。

「アダム」が神様に隠れてリンゴを食べているとき、空から天使が降りてきました。

そこで慌てて残りのリンゴを飲み込んでしまった為、喉にリンゴがひっかかってしまいました。

それ以来「アダム」の子孫の全男性の喉にはノドボトケが出るようになったと言われています。

なお、「イヴ」は最初にひとりでリンゴを1個食べて、次は「アダム」と一緒にリンゴを1個食べたので、バストが二つ膨らむようになったというジョークもあります。

 Photo_2

したっけ。

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短編小説掲載のお知らせ

2011-09-13 17:55:29 | ごあいさつ

 今回の、第33回郷土作家アンソロジーの入選記念として、近々に短編小説を掲載いたします。前回入選の退屈刑事の続編「特別失踪者殺人事件」を予定しています。

 3120110914

 宜しくお願いいたします。

したっけ。

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「月に兎がいる理由」について考える

2011-09-13 11:00:22 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

 昨夜は十五夜でした。古来より月には兎がいて餅をついていると言われています。月の明暗をよく見ると、兎の餅つきに見えないこともありません。何故、月に兎が住むといわれるようになったのでしょう。

 それには、こんな話があります。

昔、天竺(今のインド)のある森で子兎と、狐、猿の三匹が熱心に仏教の修行に励んでいたそうです。ある日、よぼよぼの老人が森にやってきました。

三匹はお客様が来たことに大喜びし、森の奥に招待したそうです。

老人は木の切り株に腰を下ろし、長く白いひげを撫でながら言いました。

「お前たち、森での修行はどうだ、うまくいっているか?」

三匹は声をそろえて言いました。

「はい。食べ物も水も沢山あり、とてもよい環境で修行しています。」

「そうか、そうか。わしはお前たちがよく修行をしているということはすでに聞いていた。その様子を確かめようと老体を励ましてやって来たのじゃ。」

「それは、遠路はるばるやってきて、お腹がすいていませんか?」

また、三匹は声をそろえて言いました。

「腹がすきすぎて倒れそうじゃ。」

老人が答えると、三匹はそれぞれ食べ物を探しに出かけました。

狐は川で大きな鯉を捕まえました。猿は木に登り果物をとってきました。しかし、子兔は何も見つけることができずに手ぶらでしょんぼりと帰って来ました。

老人は子兎に尋ねました。

「狐と猿は食べ物を取ってきたがお前はどうして手ぶらで帰って来たのだ?」

すると、子兔は狐と猿に向かって言いました。

「薪を沢山拾いたいので手を貸してください。」

三匹でいっぱい薪を拾ってきて積み上げました。狐と猿はこんなに薪を集めてどうするのだろうと思いました。

子兔は黙って薪に火を付け、老人の前にひざまずきました。

「獲物が捕れずごめんなさい。どうかこの小さな体ですが食べて下さい。」

そう言うと、止める間もなく火の中に飛び込みました。

Photo_2 老人はすぐに帝釈天の姿に戻り火を消しましたが間に合いませんでした。

帝釈天は手ぶらで帰って来た子兔を責めた自分の行いを後悔し、子兔の遺骸を取り出し狐と猿に言ったそうです。

「私はこの子兔を月に送り、子兔の誠心誠実な心根と自分の過ちを忘れないように、永遠に後の世に伝えたいと思う。」

それから、満月になると人々は可愛い子兔の姿を、月の中に見ることが出来るようになったのだそうです。

人々は満月の中に子兔を見ては、その捨身慈悲(しゃしんじひ)滅私献身(めっしけんしん)の象徴的な行為に想いを馳せ、わが心のあり方を反省するようになったということです。

たいしゃく‐てん【帝釈天】

梵天(ぼんてん)と並び称される仏法守護の主神。十二天の一で、東方を守る。忉利天(とうりてん)の主で、須弥山(しゅみせん)上の喜見城に住むとされる

大辞泉

これは、『今昔物語集』第五巻第十三話「三の獣、菩薩の道を行じ、兎身を焼く語」という話です。

「今は昔、天竺に兎・狐・猿、三(みつ)の獣ありて、共に誠の心を発(おこ)して菩薩の道(どう)を行ひけり」に始まり、「万(よろづ)の人、月を見むごとに此の兎の事思ひいづべし」で終わる説話です。

この話はインドの神話に遡ります。自分のために自ら火の中に飛び込んで食料となった兎を帝釈天(梵名インドラ)が哀れんで月に祀ったという話がルーツになっているようです。

Photo

したっけ。

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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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