団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の短編小説集2

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都月満夫の短編小説集

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「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

「日本人が別れのときに手を振る訳」について考える

2013-02-06 09:45:41 | 似顔絵





Photo 奈良時代の貴婦人の正装に「領巾(ひれ)」と呼ばれた薄くて長い布がありました。これは天女の羽衣にみられる、肩から両腕にかけるものですが、もともとは神に奉仕する時にのみ用いられていたものです。

昔の女性は、これを振って神の魂を奮い立たせ、神を呼び寄せようとしたのです。つまり「領巾(ひれ)」は呪いの道具で、その呪いの儀式は「魂振り(たまふり)」と呼ばれていました。

たま‐ふり【魂振り】

1 活力を失った魂を再生すること。広義には、鎮魂(たましずめ)を含めていう。2 鎮魂(たましずめ)の祭のこと。

大辞泉

神社で柏手を打つのも、鈴を振るのも、神輿(みこし)を揺さぶるのも、空気を振るわせることによって心霊を鼓舞しようとするもので、いずれも「魂振り(たまふり)」の儀式のひとつだそうです。

やがて、この「魂振り」は、神に対してだけでなく、人に対しても行なわれるようになり「万葉集」には、恋人に向けて袖を振る歌が多く残されています。

領巾(ひれ)振・る

領巾を振る。女性が人を招いたり別れを惜しんだりするようすの形容。

見渡せば近き里廻(さとみ)をたもとほり今そ我が来る・りし野に」〈万・一二四三〉

大辞泉

恋心から、相手の魂を引き寄せるおまじないが袖を振ることだったわけです。

その効果を高めるために、袖はだんだん長くなっていきました。それが、「振袖」です。

「振袖」が晴れ着として広まったのは江戸時代に入ってからです。特に良家の娘は袖の長い着物を着ていたようです。

Photo_3 また振袖にはもうひとつ「長い袖で厄を振り払う」という意味もあります。特に19歳は女性の厄年。さまざまな災難や病気などから身を守るため、長い袂で厄を払いたまえと、神仏に参拝したことが振袖の始まりです。

この習慣が現在の成人式に繋がっています。成人した娘さんたちはこのことを知って「振袖」を着ていたのでしょうか。

日本人が「いってらっしゃい」と手を振るようになったのは、別れの挨拶ではなく、もともとは「魂振り」の意味合いから行なわれていたのだそうです。

昔の人は旅立つ人に手や袖を振ることで心霊を招き寄せ、その心霊の加護によって安全な旅ができるように祈っていました。そして、それが今も残っている「いってらっしゃい」と手を振るのは、「袖を振る」行為だったのです。

Photo_4

したっけ。





コメント (14)
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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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