都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
今、北海道小樽沖ではニシン漁に沸いています。去年の10倍の漁獲量が見込まれるそうです。
「ニシン」の語源は、身が二つに割れるから「二身」と言う説。また、卵(数の子)が多い事から「妊娠魚」からきているとか、色々な説があります。
『本朝食鑑(1697年)』では東国の魚、「鰊」の字を当て、音の由来を数の子が多いことから「父母(二親)」の恩恵を表すとしている。これには身を2つに割いて作る「身欠ニシン(二身)」からとの異説もある。
ちなみに「鰊」は国字です。
また「鯡」とも書き、松前藩では魚でなくニシンは「魚に非ず(あら-ず)海の米なり」、と言われ、「藩の米」として貴重品だったからとの説。
これは、松前藩がニシンを重要な食糧とみなしたことに由来する説。
ちょっと、脱線しますが、当時松前藩は米が取れませんから石高はありませんでした。それにも関わらず、松前藩は無高の大名といわれました。「大名」とは一万石以上の私領地を持った物に与えられる称号です。それだけ松前藩はニシンで潤ったということです。
食用でなく肥料であると卑しめたため「鯡」だとの説もあります。
私の子どもの頃は「ネコまたぎ」とも言われていました。魚好きのネコもまたいで通るということです。
中国でもの字が使われ「鯡魚」というそうです。
そして「春告魚」と書いてニシンと読む事もあります。同じ字で「メバル」とも読みます。その地方で、春を告げる魚は違うようです。
また、ニシンの古名「カド」といいます。
日本最初の本草学(博物学)事典と言われる『倭(和)漢三才圖會』(1713年)ではニシンは「魚兆」の字があてられ「かど・二志ん」と仮名が振られているそうです。海岸に押寄せるニシンの多さから兆の字を当てたのではないかとも言われます。
当時は「ニシン」のことを「カド」とか「カドイワシ」と呼んでいたそうです。ここから、転訛して「カドの子」→「数の子」となったようです。
ここでは身欠ニシンを「美加木」と書いているがこの方が外観の実感に近くしゃれているように思えます。
「春告魚」と呼ばれたように、北海道ニ春を告げるのがニシンの大群で、その昔、3~5月の北海道周辺はニシンが産卵の為に沿岸へ押し寄せました。このとき、オスの精子(白子)で海が白くなるといわれます。これを「群来(くき)」といいます。
今年(2013年)は、この「群来(くき)」が小樽沖で、1月24日と2月2日の2回見られたそうです。
この時期がニシン漁の本番で「江差の五月は江戸にもない、出船入り船三千隻」と唄われました。
そのニシンも今は、ほとんど来なくなってしまいました。小樽近くに「銭函」と言う漁港があります。昔はニシンがよく獲れ、数の子で儲かった漁師さんの家には千両箱があったことが地名由来です。
ニシンの旬は春です。
北海道ニシン漁獲量の推移 | ||
1890年 |
明治23年 |
706,937 |
1900年 |
明治33年 |
712,950 |
1910年 |
明治43年 |
473,710 |
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